【Ⅱ】

理央りお君、新人の教育を任されたみたいだね。どうかな? その新人君とやらの調子は」

「うぜえのがきた……ちょっと黙っててもらえませんかね、永遠に」

「敵意が凄いねぇ」


 ニコニコと不用意に近づいてきた同僚――岸部きしべエレンに、理央は舌打ち混じりに返す。使用者に幻覚を見せる麻薬【DOF】の影響によるものもあるが、理央はこの岸部エレンが大嫌いだった。

 エレンは「酷い嫌われようだ」と肩を竦めると、理央の対面に座ってくる。許可を得ようとすると必ず拒否すると分かっていての行動だろう、今すぐそのスカした面をぶん殴ってやりたい衝動に駆られるが理性で抑えた。

 理央の所属する諜報機関の食堂は、異様に静かだ。会話もしないで黙々と食事をする様は、まるで食事すら仕事の一環だと言わんばかりだ。理央はそんな考えはないので、話しかけられれば適度に応じる。――この岸部エレンには、応じたくないのだが。


「ところで、その新人に挨拶がしたいのだけれど」

「隣にいるじゃないですか。気づいてないんですか? 頭も悪ければ目も悪いんですね」

「うわ、びっくりした。影が薄すぎて気づかなかったよ」


 わざとらしくエレンは、理央の隣で黙々と食事をしている新人――入谷いりやカナデに驚いていた。多分、本気で気づいていなかったのだろう。わざとらしい驚き方が気に食わず、理央は聞こえるように「チッ」と舌打ちをした。

 理央の舌打ちにビクリとカナデは怯えて、食事の手を止めて理央のご機嫌を伺うように顔を覗き込んでくる。怯えさせた罪悪感がほんの少しだけ生まれた理央は、


「気にせず食事を。諜報官は体が資本ですから」

「……はい、すみません」


 カナデは小さくボソボソと謝ると、やたらと薄味のスープをちびちびと啜り始めた。

 理央の一挙手一投足に怯えるカナデの反応を目の当たりにしたエレンは、理央をジト目で睨みつけるなり「コラ」と叱り付けてくる。


「君、新人を怖がらせるなよ。可哀想だろう、女の子なんだから」

「女の子でも諜報官ですよ。――まあ、使えないですけど」

「どうしてだい?」

「【DOF】を使っても、その日のうちに吐いちゃうんですよ。錠剤でもダメでした。諜報官なら【OD】になるのが絶対条件ですが、新人はどうやら【DOF】を拒絶してしまう体質みたいです」


 試しに理央はカナデに【DOF】の錠剤を渡して飲ませてみたが、彼女は三分後に【DOF】を吐き出したのだ。どうやら体質的に【DOF】を受け付けないようで、そうなると【OD】になることもできやしない。

 仕方がないので諜報官として必要な暗器の使い方や拳銃の使い方を教えても、動きがトロくさいのですぐに反応できない。運動神経も悪くて鈍臭いので、これでは諜報官として重要機関に潜入することすらできやしない。

 理央はカナデの、あまりの無能さに頭を抱えた。これでは殺した方がマシではないか。


「誰でも得手不得手はあるだろう。かくいう私も、諜報活動は苦手でね。いつも正面突破で切り込んでいくのがいいのさ」

「……アンタは脳筋なんですよ」

「そういう君は陰湿だよね。そしてすごく恐ろしい。この前だって侵入した施設の研究職員を全て殺したのだろう? ああ、とても恐ろしいね」

「黙ってろラプンツェル、その喉笛を掻き切られたいか」

「怖いよ、親指姫。新人が怯えるだろうに」


 エレンに指摘されて隣を見れば、薄味のスープを完食したらしいカナデがビクビクと怯えていた。理央の苛立ちの気配を察知して、怒られないようになるべく気配を消しているようだった。

 別に、彼女に対して怒った訳ではないのだから堂々としていればいいのに。理央は小さくため息を吐くと、


「今日も訓練ですよ。対人格闘と武器の扱い方です」

「は、はい……頑張ります」


 やはりボソボソと応じるカナデは、どこか自信なさげで。

 本当に諜報官としてやっていけるのか、と理央は心配になるのだった。


 ☆


 室内に銃声が響く。

 銃声を抑えるヘッドホンを装着したカナデが、小さな手で持つにはあまりに重たい自動拳銃を握りしめて人間を模した的に向かい合っていた。すでに何発か撃ち込んでいるが、肝心の急所には一発も当てられていない。

 背後でカナデの射撃を見守る理央は、やはり彼女には才能がないと判断した。

 武器を扱わせても取り落としたり、怪我をするような使い方をして理央をヒヤヒヤさせる。重火器だってまともに整備すらできず、再装填リロードすら理央がやらなければならない。というか、銃弾一発まともに当てられない少女が、再装填を三秒以内に行うとか夢のまた夢である。


「的をよく見て。相手は動かないんだから」

「は、はい、すみません……」

「背筋を伸ばす」

「は、はい」


 前のめりになっていた少女の姿勢が、理央の一言で正される。ピンと背筋を伸ばし、彼女は両手で自動拳銃を握り直した。

 小さな指先で引き金を引くが、銃声は響かない。弾切れだ。


「あ、あ……」

「あーあ、弾切れですか。はい、こっちに寄越してください。再装填しますので」

「で、できます。再装填まで、やらせてください」


 お? と理央は首を傾げる。

 もたもたとカナデは自動拳銃の下部から弾倉を取り出すと、新たな弾倉をやはりもたもたとした手つきで入れる。ガチンと弾倉が嵌まり、これで再び撃てるようになった。

 驚きである。昨日までは再装填すらどうやるか分からずに右往左往していただけの少女が、再装填をできるようになるとは。次弾を装填するまで三〇秒ぐらいはかかっていたが、鈍臭いカナデにしては上出来である。

 しかし、問題はここからだ。次弾を装填できたとしても、当たらなければ意味がない。まあ、あれだけ弾丸を撃ち込まれて生きているような人間はいないが、確実に素早く殺すには相手の急所を狙うのが一番だ。


「お、おち、落ち着いて……大丈夫……だって、あれは動かないもの……人形だから……そうなの、人形だから、落ち着いて……」


 自分に言い聞かせるようにぶつぶつと呟くカナデは、ゆっくりと自動拳銃を穴だらけの的に向けた。よく狙いを定めて、カナデは「こっちかな」とか「こう、かな」と懸命に狙いを定めようとしている。

 そして。

 少女は引き金を引いた。ガウン!! と響く銃声。射出される弾丸は真っ直ぐに飛んでいき、人形の心臓を的確に撃ち貫いた。


「――ぁ」


 カナデの瞳が見開かれる。彼女はパッと背後に佇む理央を見やると、心底嬉しそうな表情で言う。


「や、やりました、心臓、撃てました!!」

「――あー、はい、そうですね」


 まさか成功させるとは思わなかった理央は、褒め方に困惑した。こんなのできて当たり前なのだが、カナデは元々一般人だったので上出来だろう。

 瞳を輝かせて自分が撃った跡を眺めるカナデの背中に、理央はボソボソと言う。


「まあ、よく頑張りました」

「……はい!! ありがとうございます、先輩!!」


 人形めいた顔に笑みを浮かべる少女は、血濡れた世界に似つかわしくない天使のようだった。

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