中 私と山口先生

それから私は彼女と山口先生が二人でいる姿をしばしば見かけるようになった。

信じたくはなかったがやはりあの噂は本当なのかもしれない。


「早坂先生。いらっしゃいますか?」

職員室の入り口から彼女の声が聞こえた。

おそらくいつものように授業の質問だろう。

はいと軽く返事をし、彼女のもとへとむかった。

手元を見るとノートではなく原稿用紙を持っているようだ。

「原稿用紙なんて持ってどうしたの?」

「はい。あの、課題の感想文出来たので持ってきました。」

「え?!もうできたの!?あれ一昨日出したばっかりよ。締め切りは二週間後のはずだし。」

その課題を出したときクラスからはブーイングの嵐だった。

確かに高校生には難しい内容だったかも知れないと後で後悔したのに。

やはり彼女は違ったようだ。

「書き出したら止まらなくなっちゃって。

よければ読んでいただけますか?」

原稿用紙を受け取り一枚一枚めくって読んでみる。

…時代背景や登場人物の心情など事細かに分析されている。

下手をしたらこれは大学の卒業論文で書くような内容だ。



「どうですか?」


「…すごい。ここまで書ける子はじめて見たわ。」


「そう…ですか?でも書いていて楽しかったです。」


「沢口さん、今からもっと勉強したら、きっと将来は小説家にだってなれるわ。」


「小説家…ですか?」


「えぇ。まぁ一つの例え話だと思って。でもあなたはそのくらいの力があるってことよ。」


「ありがとうございます。あんまり考えたことなかったんですけど…

もし書けたら見ていただけますか?」


「もちろん。一番に見せてね。」


その瞬間まるでお日様のように彼女の顔がぱあっと明るくなった。

はい!と明るく返事をし、いつものように丁寧にお辞儀をして職員室を出ていった。


「早坂先生。」


その様子を後ろで見ていた山口先生がおもむろに椅子から立ち上がり、私のところへ歩いてきた

「随分と仲がいいんですね。沢口さんと」


にっこりと笑う。

けれどその目は全然笑っていなかった。

唾をごくりとのみこむと意を決して言った。



「山口先生。今日少しお時間よろしいでしょうか?」


「はい。もちろん。ちょうどお昼時ですし、食堂にでも一緒にどうですか?」



「いえ。できれば二人で話がしたいんです」


「…そうですか。では仕事終わりにということで。」


楽しみですね。とそう言い残し職員室から出ていった。

私は小テストの採点をしながら頭の中で

山口先生との会話のシミュレーションを繰り返し行った。




そうして私は山口先生と学校から少し離れたカフェに来ていた。

ここなら生徒たちと会う心配もないだろう。


「…それで話と言うのはなんですか?」


アイスコーヒーにガムシロップをいれかき混ぜている。

店内はわりと静かだ。

クラシック音楽のBGMが心地いい。

しかし暖房が効きすぎているせいかかなり暑い。

「ええっと…」

あれだけシュミレーションを繰り返したのに言葉がうまく出てこない。

緊張でのどがカラカラに乾いている。

まずはアイスコーヒーを口に含み喉を潤す。


「…まぁだいたいわかりますが。おそらく沢口さんとのことでしょう?」


急に核心をつかれ思わず吹き出しそうになる。

「…はいそうです。」


嘘をついても仕方ないので素直に頷いた。


「この間生徒に聞かれたんですよ。付き合ってるんですか?ってね。ほんと女性ってそういうの好きですよね。」



お待たせしました。と先生の前にチーズケーキが置かれた。

フォークを手に取るとかなり小さくして口に運んでいる。

どうやら山口先生は甘党らしい。

「先生も少しどうです?美味しいですよ。」


「いえ。私は甘いものはあまり。」


「…そうですか。実は彼女も甘いもの好きじゃないんですよ。」


意味深な笑みを浮かべながらも、上品にチーズケーキを食べ進めている。

「え?それってどういう」


「どういうもなにもただの世間話ですよ。」


本当にただの世間話なのだろうか。

こういうはっきりと言わないところがこの人と関わりたくない理由の1つなのだ。

…まぁそういう人なのだから諦めるしかないのだが。



「あの、それで生徒には何て答えたんですか?」


「別に。お付き合いはしてないよって。」


「そうですよね。」

その言葉にほっと胸を撫で下ろす。


「けれど、彼女が僕のかわいい生徒であるというのは間違いないですけどね。」


チーズケーキをきれいに食べ終えフォークを置いた。

その左手には銀色の指輪がきらりと光っている。


「ええっとそうですね。それは間違いないです。」


「そうでしょう?あぁもちろん彼女に限った話じゃないですけど、教師も人間ですから。…それで話は終わりですか?」


「はい。お時間いただいてありがとうございした。」


私はそれ以上何も言えなかった。

言えなかったというよりそれ以上何も言わさせない雰囲気だった。


「いえ。こちらこそ。楽しかったですよ?」

にっこりと笑う。

その笑顔に底知れない恐怖に感じた。

絶対にこの人は敵にまわしちゃいけない人だ


「ではまた明日学校で。あっそうそうさっき言った僕の言葉忘れないでくださいね?」


「えっ?」


「彼女が僕の生徒って言うことですよ。では。」


山口先生は伝票を手に取り、お会計をさっと済ますとカフェから出ていった。

残された私はただただ呆然としてしまった。

今のはきっとこれ以上関わるなという警告だろう。

私は残ったアイスコーヒーを少しずつ口に含みがら窓の外をぼんやりと眺めた

(やっぱりこれ以上はやめた方がいいのかな)


「ただいま…」


「おかえり。遅かったね。」


「うん。ごめん。今すぐご飯作るね…」

疲れた体をなんとか奮い立たせキッチンに立とうとした


「いいよ。今日はなんか買ってくるから。」


「ありがとう。あっ私の分はいいからね。」


「なんで…?」


「ちょっと今日は食べる気になれなくて。」


「それ、もうちょっと早く言ってくれたら外で食べてきたのに。」


「え?あっそっか。ごめんね。」


「俺はお前が用意してくれてると思ったから同僚との飲み会断ったんだからな」


(いつもはそんなこと言わないのにどうして今日に限って)

ふつふつと怒りが込み上げる。


「なにそれ…」


「えっ?」


「なにそれ!たまには、自分が作ろうかくらい言えないの?!私はご飯を作るロボットじゃないんだよ!疲れてるのはあなただけじゃないんだから!」


早口で捲し立てる。

普段めったに怒らない私が大声をあげ怒ったからか旦那は完全に萎縮してしまっていた。


「わっ悪かった…」


「ううん。急に怒ってごめん。今日は疲れてるからもう寝るね。おやすみ。」


階段を駆け上がり急いで寝室へとむかった。

化粧を落としパジャマに着替え、ダブルベットにごろんと寝転がると天井を仰ぎ見た。

(ほんとなにやってんだろ…)

今はただなにも考えずすべて忘れて眠ってしまいたかった。


今日は出勤時間が早いせいか、通学路に生徒達の姿はなかった。

その光景に少し寂しさを感じていた時、後ろから肩を軽く叩かれた。

「先生。おはようございます。」

「…あっあぁ。沢口さんおはよう。」

軽くあいさつをしてふいと目をそらす。

心なしかいつもよりも早足で歩いてしまっていた。

彼女は不思議な顔をしながらも私の歩くスピードについてきた。

「先生。私なにかしましたか?」

「ううん。そういう訳じゃないの。ただ少し急いでるだけで…」

「えっ?まだかなり早い時間ですよ?」

そう言われ仕方なく歩くスピードを落とす。

確かに今日は時間にかなり余裕がある。

いつもより二本早いバスに乗ったのが間違いだった。

「先生、朝早いんですね。」


「今日はたまたま早く起きちゃったの。いつもはもう少し遅いのよ。」


「そうなんですか。私はいつもこの時間なんです。

…この時間だと誰もいないから。」


少しうつ向きながら唇を噛み締めている

今思い返してみれば彼女がクラスメイトたちといるところを見たことがない。

私は彼女の姿に昔の自分を重ね合わせた。


「私も学生時代ずっと一人で過ごしてたわ。」


「えっ…」


「些細なきっかけで友達と喧嘩しちゃってね。それ以来クラスの皆から嫌われちゃって。

私かなり真面目だったから。

まぁ今も変わってないけどね。」


「そう…なんですか。」


「私もあの時はすごく辛かったけど、お陰でたくさんのことを学ぶことができたわ。

本もたくさん読めたしね。」


「だから悩みとか困ったことがあったらいつでも言ってね。

あなたは一人じゃないんだから。」


「はい…ありがとうございます。」


彼女の表情は先程よりも明るくなったようだった。


「あの!」


袖を軽くぎゅっと引っ張られる。

彼女は下を向き口をもごもごと動かしていたが、やがてぱっと顔をあげた。

「あの!今日のお昼資料室に来ていただけませんか?」


「えっえぇ。分かったわ。今日のお昼ね。」


「かならず…来てくださいね。」


「えぇ。必ず行くわ。」


強く頷くと安心したのか裾を離し走り去っていった。


そしてお昼休み

私は約束通り資料室の前に来ていた。

ここは今資料室というより倉庫になっている

ここだけ独立していて教室からもかなり遠いため人通りも少ない。

私も数えるくらいしか来たことがなかった。

扉の引き戸に手をかけ開けようとした瞬間

中から声が聞こえた。

扉の窓から覗こうと思ったが黒いカーテンがかかっていて覗くことはできない。

仕方なくしゃがんで耳をひそめた。


「なに別れるって?」


「はい。」


「早坂先生になにか吹き込まれた?」


「いえ、先生は関係ありません。」


「じゃあどうしてなのかな。」


「もうこんな関係続けるの嫌なんです。

私はもう一人じゃないんです…」


「君はずっと一人だよ。今も。そしてこれからもね。だから僕が今までずっと側にいたんだ…違う?」


その瞬間私は考えるより先に体が動いた

扉をがらっと勢いよく開けた。


「早坂先生…どうしてここに」


山口先生の顔がいびつに歪んだ。


「私が呼んだんです。」


「はぁ…やっぱり早坂先生が彼女に吹き込んだんですね。言いましたよね?彼女は僕のかわいい生徒だって」


「本当にかわいい生徒にはこんな顔させたりしません。」


彼女はうつむき下を向いている


「彼女言ったんだよ?僕は君で、君は僕なんだってね。」


「先生には感謝してます…」

彼女はいつもと違いかなり弱々しい口調だ。

私はかばうようにして前に立った。


「感謝してるならなんで僕じゃなくて早坂先生を頼ったのかな?」


「それは…」


「早坂先生は君のことなんにも知らないんだよ?」


相変わらず含みのある言い方をする。


「早坂先生。僕は彼女のことを本気で愛しているんだ。もちろん全部をね。」


「愛してるって…山口先生にはちゃんと奥さんがいらっしゃるじゃないですか。」


「あぁ。いるよ?けどそれのなにに問題があるのかな。」


(最悪だ。この人。)

話を聞けば聞くほどおかしくなりそうだ。


「もちろん妻も愛しているよ。

けどさっきも言っただろう?彼女は僕で、僕は彼女なんだって。

彼女の心がわかるのは僕しかいないんだよ。」

ねぇ?と言って私にぐいっと近づく。

彼女には絶対近づかさない。


「私にもう関わらないで下さい。お願いします…」

私のジャケットの裾をぎゅっと掴んでいる。


「どうして?今の話を聞いていただろう?

僕は君を愛しているって。」


「聞いてました。もうでもこんな関係嫌なんです…」


「…ふぅーん。じゃあいいよ。そこまで言うのなら別れようか。

だけど断言するよ。君は僕のもとへ絶対帰ってくるってね。」


「そんなこと絶対にさせませんから。」






「…さて。彼女の全てを知ってもそんなことが言えるのかな?」


「言えます。絶対に。あなたに彼女は渡しませんから。」


「待ってください!」

彼女は私の前に出て携帯を取り出し突きつけた。


「いっ今の音声は全て録音させていただきました。

私はこの音声を校長先生に提出します。」


「沢口さん…」


「そこまで本気なんだね。はぁわかった降参。降参。その音声が出回れば僕もさすがにまずいからね。自主退職するよ。」


「そうしてください。そして私達の前にもう二度と現れないでください。」


「早坂先生?せっかく美人なんだからそんな顔したら台無しだよ?ほら笑って。スマイル、スマイル。」

グッと距離を詰められ一瞬にして眼鏡をとられ渡された。

すぐに眼鏡をかけ直す。

この人は異常だ。


「じゃあね。あっ楓はまたねかな。」


いつもの笑顔を崩さずひらひらと手をふって資料室を出でいった。


「はぁ…疲れた。」

全身の力が抜けその場にへたり座ってしまう

「すみません。先生にまで迷惑かけて。」

「いいのよ。それよりどうして山口先生と付き合ったりしてたの?」

「それは…」

彼女はふいと目をそらしたが

すぐに私と目をあわせ軽く頷いた。

「そうですね。先生には話します。」

彼女はそういうとおもむろにシャツのボタンをはずしスカートのチャックを下ろした。

パサッと音をたてスカートが下に落ちると私は言葉を失ってしまった。

彼女の体は雪のように真っ白だったのだが

服で隠れていた部分に無数の赤い花が咲き所々に殴られたようなアザがある。



「山口先生だけだったんです。」


「え?」


「私のこの体をみても美しいって言ってくれたのは。」


その言葉をきいて思わず絶句した。

美しい?

このアザや赤い花のどこが美しいのだろう

むしろやけに生々しく見ているのも正直辛い

彼女が今までどんなことをされてきたのか

それを考えると彼女にかける言葉が見つからなかった。

「先生。私のことなにも考えられなくなるくらいめちゃくちゃにして。お願い。」


「やめて。お願いだから…」


私はすぐに彼女のシャツを肩にかけぎゅっと強く抱き締めた。

彼女の体は冷たくひんやりとしている。

その華奢な体は抱き締めると壊してしまいそうだ。

彼女は私の背中に手を回しぽんぽんと優しく叩いてくれた。

これではどっちが先生かわからない。

「泣いてもいいのよ。」


「えっ?」


「辛い時は思いっきり泣いていいの。」


「…もう泣きつかれてしまいました。」


とても17歳の女の子の言葉とは思えない。

けれどこれが彼女のされてきたことなのだろう。

涙ひとつ流さないでただ黙って私に抱き締められている。

私は体をゆっくり離し彼女の顔をじっとみた。

夕日に照らされていた彼女の顔はこの世のなによりも美しかった。

だが彼女の目はどこか空虚だった。

まるで人形のようだ。

どこか心にぽっかりと穴があいたようなそんな…

そして彼女は肩からかけたシャツのボタンをひとつひとつ丁寧に止めスカートのチャックを上にあげた。


私と彼女は資料室を出た後すぐに産婦人科へとむかった。

幸い妊娠はしていなかった。

その後警察へと行き事情を説明した。

彼女の話では、一年前再婚した父親から暴力を受けていたらしい。

しかしその時幼い弟がいて母親には言えなかったと言っていた。

しばらくして彼女の母親が警察に来た。

彼女の母親は泣きじゃくり彼女にごめんね。ごめんね。とずっと謝っていた。

父親とは近々離婚するそうだ。

彼女は今日ホテルに泊まることになった。


私は近くの大通りまで彼女と歩いた。

「先生。本当にありがとうございました。先生があの時一人じゃないって言ってくれたから私勇気が出たんです。」


「ううん。それは私じゃなくてあなたの力よ。」


「先生。こんなこと言ったら馬鹿だと思われるけど、私山口先生のこと本当に好きだったんです。」


「えっ?」

胸がずきりと痛む。



「山口先生ね、初めはすごく優しかったんです。私の話もずっと聞いてくれて。

家にも学校にも居場所がなかった私にとって山口先生は唯一頼れる人だったんです。」


「ねぇ、待って。もしかして…」


「先生。」


「さようなら。」


彼女はそう言い残すとタクシーに乗り込んだ

私はただただそのタクシーを見送ることしか出来なかった。

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