第4話

「くくりひめはおかあしゃまでぇ、たぬきちゃんは赤ちゃんでぇ、おとうしゃまは……」


 そこまで言って、くくりひめはじっと満夜を見つめた。


「オレの名前は満夜だ、満夜様と呼んでもいいぞ」

「みちー」

「勝手に略すな、さんを付けろ」

「みちーはおとうしゃま。たぬきちゃんは赤ちゃんだから真ん中です」


 たぬきと言われても反論せず、鵺はおとなしくくくりひめと満夜の間に座った。


「キサマ、いつになくおとなしいではないか」

「ここはくくりひめの世界だ。あらがったとして、くくりひめの思うままにしかならぬ」

「抵抗するだけ無駄か……」

「だからこそ、誘導すれば良いのだ」

「そうか。忘れてしまった伝言を思い出すように仕向けるわけだな」

「そういうことだ」

「こそこそ話しないの! おとうしゃまはおかあしゃまに隠しごとしないのよ!」


 くくりひめが口を尖らせた。


「そうだなぁ……父ちゃんは赤ちゃんに伝言があるんだった」

「なぁに? おかあしゃまは言えないの?」

「伝言ゲームだから赤ちゃんから聞くのだ」

「伝言、ゲーム? 面白いの?」

「むぅ、多分面白い」


 そう言って、満夜はごにょごにょと鵺の耳元で囁くマネをした。


「ねぇねぇ、早く聞かせて!」


 鵺をひっ捕まえてくくりひめが駄々をこねた。乱暴に振り回されながらも、鵺はくくりひめの耳元で当てずっぽうを言った。


「いざなぎはこういうておる。おまえがヨモツヘグイせねば、今頃はくくりひめとともに平坂に戻れたものを」


 それを聞いたくくりひめが目を丸くした。


「おとうしゃまは戻ってくるっていったよ!」

「覚えてるじゃねーか!」

「くくりひめはいざなぎの伝言の内容を忘れただけで、言われたことを忘れたわけではなかったのだろう」

「じゃあ、その前にいざなみはなんと言ったのだ」

「おかあしゃまはねー、どこにいても探すっていったよ」

「ストーカーか」

「しかし、探し損ねてすれ違っておるな。くくりひめ、いざなぎはおまえが生まれた眠りの淵で彷徨っておる。なんとかして黄泉に連れていくことはできぬのか」

「おとうしゃまが? くくりひめ、お迎えに行く!」

「待て! 迎えに行くだと!? 白山くんの魂であるおまえが眠りの淵へ行ってしまったら白山くんはどうなるのだ!?」


 急に立ち上がったくくりひめを引き留めた。くくりひめが満夜を見てきょとんとする。


「白山?」

「おまえが現世で生まれ変わった人間のことだ」


 くくりひめが考え込むようにして押し黙った。眉をしかめたり、何度も瞬いたりしているくくりひめの背後の景色が、ぐにゃりとねじ曲がり始めた。途端に足下が暗くなり、いきなり闇に包まれた。

 くくりひめの姿も、歪んでは伸びて、変形していく。


「これは……!?」


 満夜が驚いていると鵺が肩に乗ってきた。


「元に戻るぞ。本来の姿に」


 鵺の言葉とともに、成長したくくりひめが満夜の目の前にたたずんでいた。彼女の体は光に包まれているが辺りは暗闇のままだ。


「お父様は眠りの淵にいらっしゃるのね?」

「しかし、おまえが眠りの淵に行ってしまったら白山くんが死んでしまわないか」


 いつのまにか満夜の姿は元に戻っていた。同い年くらいのくくりひめが静かに微笑んだ。


「わたしの魂の全てが菊瑠ではないの。菊瑠はわたしの魂の一部。だからわたしが眠りの淵に行っても菊瑠はちゃんと目を覚ますわ」

「そうか……一瞬焦ったぞ」

「わたしはずっと菊瑠の中で眠っていたの。こうして直接接触してくれたおかげで、わたしが生まれ変わってきた理由を思い出せた。ありがとう。あなたはもとの世界に戻って。わたしは眠りの淵へ行きます」

「し、白山くんはちゃんと目を覚ますのか?」

「ええ、ただし、わたしのことは忘れてしまいます」

「もとから覚えてない」

「なら良かった」


 くくりひめが下を指さして手を振った。すーっと白く輝く道ができる。それが闇の向こうまで続いている。


「この道を上っていったら目を覚まします。わたしはここから下っていってお父様を探します。それではごきげんよう」


 くくりひめはにっこりと微笑んで、道を下りていった。その後ろ姿はどこか嬉しそうだった。


「いざなぎは戻るといったのだな。それを聞いたらいざなみも喜ぶだろう。いざなぎの記憶が戻ったせいで父ちゃんは早死にしたが、くくりひめの話を聞いていると父ちゃんは父ちゃんで生まれ変わってくれたような気がするな……オレにできることは、父ちゃんがオレに遺した術法を全て受け継ぐことだけだ。立ち止まってはいられないのだ!」


 意を決したように、満夜は白い道を上っていった。

 登っていくうちに意識がふわふわとし始めてまるでうたた寝でもしているように途切れたかと思うと、ハッと気がついた。

 ほのかに暗くひんやりとした場所に寝そべっている。自分を心配そうに凜理が見下ろしていた。

 がばりと起き上がると、横には目を覚ました菊瑠と鵺がいた。


「よかったぁ……このまま目ぇ覚まさんかったら、どないしよておもうた」


 凜理は胸に手を当てて安堵のため息をついた。かれこれ二時間ほど満夜と菊瑠は眠り続けていたのだ。何度も起こしてしまおうかとじりじりしたけど、術法がうまくいっているならば邪魔をしたときの反動が怖い。二人がちゃんと目を覚ますまで気が気ではなかったのだ。


「心配掛けたな、だが、このオレが失敗するわけがないのだ」

「鵺までうごかんようになったから、焦ったわ」

「ありがとうございます! 薙野先輩。芦屋先輩、くくりひめはいたんですか?」

「うむ。白山くんの魂の中に確実にいたぞ。ここではなんだ、外に出て続きを話そう」


 満夜たちは外で待つ八橋と美虹に合図した。

 柵を開いた八橋が開口一番に訊ねる。


「くくりひめはいましたか」

「いた。だがその前に暖かい場所で話をしよう」

「うー……、あたしんちにいこう。近いし。さっぶい」


 蛇塚の中より外のほうが数段寒く、美虹もさすがにがちがちと歯を鳴らしている。お昼頃だが、曇っているせいで空は暗い。雪もかなり激しくなってきた。

 全員小走りで、白山邸へ急いだ。




 祈祷所のストーブの暖かさでようやく人心地付いた満夜は、着込んでいた上着を脱いで、畳にあぐらをかいた。

 菊瑠と美虹がざぶとんを持ってきてみんなに配る。三枚ざぶとんを重ねた上に鵺が丸くなって横になった。

 信者のおばさんが持ってきた熱いお茶をすすりながら、美虹の中のいざなみがしんみりと言った。


『戻るっていってくれたのね。じゃあ、今頃はいざなぎ様とくくりひめちゃんは黄泉に向かっているかもしれないですわ』

「そうだな、こんなところでお茶なんぞ飲んでないで、出迎えてやればいいい」

「せやけど、おじさんも寿命を待って眠りの淵に行けばよかったんやないんかな」


 凜理の言葉に満夜が首を振った。


「いざなぎはそんなことも思いつかないくらいいざなみに会いたかったんだろう。いってやりたいことは山ほどあるがな」


 いつもはうるさい満夜も今回の一件は相当堪えているのかもしれない。凜理は黙りこくったままの満夜を見て心配になってくる。


「言いたいことあるんやったら、口に出したほうがええんとちゃう? 多分、そのほうが気持ちが楽になるで?」


 むっつりと黙っていた満夜がぼそりとつぶやいた。


「……オレは世界一の術者になるぞ……!」

「術者て……腹立ったり悲しくなったりとかやなくて!?」

「凜理、オレも言いたいことの一つはあるが、約束とは言え、他の女に走った父親のことなど忘れることにするぞ。恨み言など全く建設的ではないからな。恨み言を言う暇があったら研鑽あるのみなのだ!」

「前向きもええけど、無理しとらん?」

「無理だと?」

「そうですよ、芦屋先輩。わたしとしては凄く複雑ですけど」

「ふっ、ならば白山くん。今以上にオレのために研究の手伝いをするのだ。オレの最強術者への道は始まったばかりだからな。平坂町の謎はまだ解けていない。八束の剣を手に入れるまでは、オレは走り続ける! ふはははははは!!」


 広い祈祷所に、満夜の笑い声が響いた。


「元気がいいなぁ、君は」

「だねぇ」


 八橋と美虹がお茶を手に持ったまま朗らかに笑うなか、凜理だけが心配そうに満夜を見るのだった。

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