10 ご神鏡を取り戻せ!
第1話
満夜は白山宅を囲む塀にへばりつき、じりじりと門扉へと近づいていく。その肩にはいつものごとく鵺が乗っかっている。
普通に道を歩きながら、それを凜理が横目で眺める。
「満夜、不審者感丸出しやで」
「しーっ! 大きな声を出すな。意外に外の声は屋内に聞こえてるんだぞ。できれば足音や姿も目立たないほうがいい」
まるで、このとき以外にもどこかに忍び込んだことがあるかのような言い草である。
凜理は仕方なく自分も塀沿いを歩くようにした。
「作戦通り、庭から祈祷所へ向かうぞ。サッシは前もって開いている。廊下の突き当たりから離れになっている祈祷所へ突入だ」
「わかった」
二人と一匹はこそこそと門扉から中に入り、体をかがめて、玉砂利を踏みしめた。
鵺が当然のように、肩からかがめた背に移りそこに丸まった。
「どけ!」
満夜が低くうなると、鵺は知らんぷりして満夜の背中にしがみついている。
「ちっ、仕方ない……」
案の定、否が応でもジャリジャリと音がし始める。
「靴を脱げ!」
満夜が声を殺して命令してきた。凜理は仕方なく靴を脱いで、地面を踏みしめた。
音が小さくなったのはいいが、足の裏がゴツゴツしていたい。永遠に続く足裏マッサージみたいだ。
満夜が小さく「くうう」とうなっているからそう感じてるのは自分一人ではないようだ。
ゆっくりと庭を突っ切って、開いていると言われたサッシへ突き進む。
廊下のサッシは全てが全開になっていた。多分、暑いからと言う理由でも使ったのだろう。
「満夜、靴はどないするの?」
「やむをえん。持って行くぞ」
離れから一番近い縁側に足を掛けてよじ登ると、そそくさと廊下の突き当たりへ急いだ。廊下を渡り、祈祷所への引き戸をゆっくりと開けた。
そっと中を覗くと——。
「芦屋せんぱぁい、すみません〜」
信者に囲まれて泣き顔になっている菊瑠がいた。
「しくじったか!」
満夜が逃げようと後ろを振り向くと、すでに背後も信者に遮られていた。
「ぬう……これは抜かった……龍神王を見くびっていたぞ」
「そなたら、その不法侵入者たちをこっちに連れてくるぞよ」
赤い袴を着た巫女姿のおばさんが満夜たちを取り囲む信者に言った。
「はい! 龍神王様!」
結局二人と一匹は祈祷所に入り、龍神王と対面することになった。
「菊瑠から、おまえたちがこのいざなみ教の神器を狙っていると聞いたぞよ」
畳敷きの道場は二十畳ほどの広い部屋で、一見神社の寄り合いに使う部屋のようだ。
二人はその真ん中に座らされて詰問を受けることになった。あいかわらず、鵺は意に関せずだが、奇妙な動物だと思われているのか、信者たちの注目を一身に集めている。
満夜はあぐらをかき、堂々と胸をはって、龍神王を見上げる。
「いざなみ教の神器だと? それは九頭龍神社のご神鏡だ! そしていずれはオレのものになる!」
最初の二言はかっこよかったのに、最後の一言が余計だ。
「何を申すかー! この神器はいざなみ様が夢枕に立ち、いざなみのものであるというておったぞよ!」
「ならば、そのいざなみは偽物よ」
いきなり鵺がめんどくさそうにつぶやいた。
その途端、周りがざわめく。
「化け物がしゃべった……!」
龍神王も、手に持った長い数珠を突き出して、
「このあやかしが! 成敗してくれようぞ!」
と叫び、何やら怪しげな呪文をごにょごにょ唱え始めた。
「……おのれ……何を唱えておる!?」
その呪文を聞いた鵺が低い声で言った。
「キサマ! まさか、こんなへぼ呪文にやられはしないだろうな!」
「鵺ちゃん!」
龍神王は数珠をじゃらじゃらと上下させて一心不乱に呪文を唱えて続ける。
鵺が満夜の肩の上で、くねくねと体を捩り始めた。しかし、いきなり仁王立ちになると、カワイイ前足を振りかざし、「しゃーっ!」と小さな牙の並ぶ口を大きく開けた瞬間、鵺が龍神王の顔に飛びついた。
「平坂の地に降り立った神はわしじゃーーー!!」
「ふわわわわ!」
龍神王が奇妙な声で叫んだ。
龍神王の後ろに結んだ黒髪の頭を、容赦なく蛇の尾っぽが噛みまくる。ついでにねもカワイイ牙を立てて龍神王に
「いたたたたたたた!!」
途端に龍神王が頭を押さえて祈祷所をぐるぐる走り回る。頭をヘッドバンドして、なんとか鵺を振り落とそうとしているのがわかる。
「無駄なことだ。ふははははは!」
満夜はいつぞやの自分を思い出して、不敵な笑いを漏らした。
「芦屋先輩!」
信者の包囲網から逃れた菊瑠が、満夜たちの元へ駆け寄った。
「大丈夫か、白山くん」
「はい……でも、すみません……わたしうっかりしゃべっちゃったんです」
「うむ……人間間違いは犯す。俺以外はな。おい、龍神王、鵺から離れたかったらオレの話を聞くのだ」
「いたたたたたた、そんな話、聞けるか! それよりも、この化け物をなんとかせぬか」
「龍神王ほどのものなら、鵺を従えることくらいできるだろう? ふん。それにまだどんな話かもいってないぞ。まぁ、よかろう。そんなにまで聞きたいのならば聞かせてやる。そのご神鏡は九頭龍神社のものでもないのだ。おまえの頭にへばりついている鵺のものなのだ!」
「たわけ! 何度も言わせるでないぞよ。これはいざなみ様が……いあたたたたたた。あなたたち、どうにかしなさい〜」
次第に龍神王が素に戻ってきた。
「鵺、もっと強く噛んでやれ。うんと言うまで苦しませて良いぞ」
「悪魔やな、満夜……」
「お母さーん……」
菊瑠が心配そうに混乱を極めた事態を見ているとき、祈祷所に颯爽と美虹が現れていった。
「あなたたち下がって。こんなところにいるよりすることあるでしょ」
「は、はい……!」
それまで呆然と手をこまねいて龍神王を見ていた信者たちが、ほっとした様子で祈祷所から出て行った。
とうとう龍神王を残し、他は全員オカルト研究部員のみとなった。
「ふふふふ。これで心置きなく話ができるというものだ。おい、龍神王。ご神鏡を返すのだ。今返せば、鵺を引き下がらせよう」
「勝手を言うな。噛むのはわしの勝手だ」
噛んでる合間に早口でそう言うと、鵺はまた龍神王の頭をがぶがぶと噛み始めた。
「ご神鏡はご神鏡はぁ!」
この期に及んでもなお、龍神王は叫んでいる。
「仕方ない。鵺、そいつをくっても良いぞ」
「え! そんな残酷なこと許すのん?」
「えー、もふもふちゃん、お母さんを食べないでください〜」
「鵺ちゃんのお口じゃ、お母さんを食べるのは至難の業じゃない?」
「抜かせ! このような首、ひとひねりだわ」
「命だけはぁ!」
とうとう、龍神王が命乞いを始めた。
満夜はにやりと笑い、それを狙っていたように口を開く。
「とうとう馬脚を現したな、おまえに特別な力などない! このオレにかかれば正体を暴くなど造作もないこと!」
「正体を暴いたのは鵺やないの」
「さぁ! ご神鏡を俺に渡すのだ!」
「そ、そこに」
龍神王が祭壇の上に飾ってある小さな銅鏡を指さした。
満夜が駆けつけるより早く、龍神王の頭を蹴って鵺が銅鏡に飛びついていた。
「おお、わしの飛翔輪だ、しかも体の一部が封じられておるぞ」
小さな手に銅鏡を抱きしめて、かわいらしく鵺が座り込んでいる。しかし、それだけではどうやら封印は解けないらしい。
「キサマ、それをオレに渡すのだ!」
「何を言うか! わしのものだぞ、渡せるものか!」
やいのやいのと言い合いをしている後ろで、凜理はぐったりとうなだれて畳に座り込んでいる龍神王に話しかけた。
「おばさん、ほんまに力をなくしはったん?」
「……」
龍神王は黙ったまま答えようとしない。
「お母さん……これを機会に宗教なんてやめよう、ね?」
菊瑠もしゃがみ込んで、母親の肩に手を乗せた。
美虹もひざまずいて、菊瑠と一緒に母親の背中に手を添える。
「お母さん、本当はもう、いざなみ様の声なんて聞こえないんだよね? もう、普通の人になっちゃったんだよね?」
「……!」
そこまで言われて、龍神王——光子は顔を上げた。涙を浮かべて驚いたような顔をしている。
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