第3話 めんどうなことになりそう

王女様の下でピアノを弾き、お茶をし、帰ってからピアノの練習をすること1週間。

無事、新しい曲が人様に見せれるレベルまで到達した。明日あたりにはリーシラ様にお聞かせしよう。喜んでくれるかなぁ…。


「さてと、そろそろリーシラ様の所に行きますか」


宮廷音楽師の制服に着替えて自作の冊子を持つ。この冊子には私が2年間作った譜面が入っている。コピーだけど。主様が聞きたい曲をお聞かせするのが専属の宮廷音楽師の務めである。


「リーシラ様、シア・フォルトンです」


 リーシラ様の部屋の前で声をあげる。


「どうぞ」


 リーシラ様のお許しの声を聞き、静かに扉を開ける。中に入り扉を閉めた後、一礼する。


「顔をあげて。待ってたのよ」


 顔をあげると、リーシラ様がそれはそれは可愛らしい笑顔を浮かべた。今日も可愛いですリーシラ様。さすが私の主。

 私はピアノの椅子に座り、冊子を譜面台に置く。このピアノは私がリーシラ様付きとなった時に、リーシラ様によって置かれたものだ。リーシラ様のお部屋にピアノを置くだなんて恐れ多い…。しかもリーシラ様が輝かしい笑顔で「シアのために置いたのよ。ここで好きなだけ弾いてね」なんて言われたものだからとても恐縮した。


「今日は何を聞きたいですか?」


「そうね。今日は綺麗めな曲がいいかしら。氷の輝きとか水の幻想とか」


 リーシラ様は私が今まで作った曲名をすべて覚えている。本当に恐れ多い…。ありがたいことだけど。


「氷の輝きと水の幻想の2曲ですね。それに加えて後3曲の5曲弾きたいと思います」


 だいたいここで弾くのは5曲である。時間があればもっと弾くし、なければ1曲なときもある。


「お願いね」


 軽くお辞儀をしてピアノの方を向く。小さく息を吐きだし、鍵盤に指を置く。そしてそっと鍵盤を押した。


 そこからの記憶は正直に言うとあまりない。ピアノを弾いたという記憶はあるが、どういう心情でどのように弾いたかはさっぱりである。これがいつものことなんだけどね。練習で弾くときは記憶があるのだが、本番で弾くときはいつもこうなってしまう。


「以上になります」


 椅子から立ち上がり、リーシラ様に向かってお辞儀する。リーシラ様は拍手をしてくださった。顔を上げると、リーシラ様は可愛らしく微笑んでいた。よかった、満足してくれたみたい…。


「ありがとうシア。やっぱりあなたの弾くピアノは良いわね」


「ありがとうございます」


 リーシラ様の前でピアノを弾く度にこのようなお褒めの言葉をくださるのだけど、未だに慣れないなぁ。


「ではお茶にしましょう」


「わかりました」


 こうしていつものティータイムが始まる…予定だった。

 急な来訪者が来たのだ。


「リーシラ王女殿下、王太子殿下がいらっしゃいました」


 そう、リーシラ様の兄君でこの国の王太子であらせられるサンラウス様がいらしたのだ。


「あら、兄上様が。通して」


「どうやら今日のティータイムはなしのようですね」


 王太子殿下が来たということは私は退出しなければならない。


「ごめんねシア。また明日ね!」


「はい。失礼いたします」


 お辞儀をして立ち上がり、扉の横で王太子殿下が入ってくるのを待つ。


「こんにちはリーシラ。調子はどうだい?」


 そう爽やかにいいながら王太子殿下が入ってくる。入ってきた後にすぐ私は他の侍女たちと一緒に部屋を出た。基本、王太子殿下がいらしたときは、侍女は全員部屋を出ることになっている。ちなみにこれは決められたというより暗黙の了解である。


「今から練習かな」


 今日はこれで仕事は終わりのはず。というか、これ以外の仕事は実はほぼない。専属になる前は、お茶会の演奏だパーティーの演奏だ舞踏会の演奏だーって皆で合わせたりもして忙しかったけど、専属になってからはソロ仕事が基本になったので、自由時間が増えた。その分、作曲と練習に時間が取れるようになったから嬉しいっちゃ嬉しい。


「あれ、フォルトン嬢じゃないか」


 不意に声がかけられた。かっこいい声。先ほどの王太子殿下に負け劣らずの爽やかボイス。


「マビウッド公爵子息様」


 声をかけられた方を向くと王太子殿下の1番の側近のソーウェル・マビウッド様がいた。

 綺麗な真っ黒の髪に、アメジストのような綺麗な瞳。そして美形。うん、そりゃ侍女が騒ぐ。というか、こんなに近くでじっくりと見たのは初めてかも。

 マビウッド公爵子息様の方が身分がかなり上なので、頭を下げる。私はしがない宮廷音楽師であり、その前に子爵家二女なのだ。身分が違いすぎる。失礼は許されない。


「顔をあげて」


 いいんですか、こんな身分の低い私が顔をあげて…。

 恐る恐る顔を上げてマビウッド公爵子息様を見る。


「何か御用ですか?」


 声をかけるということは、用事があるということ。私何かしたかなぁ…。


「いや、特に用はないよ。ただ、リーシラ王女殿下が随分貴女に心を開いているみたいだから、気になってね」


「はあ」


 え、リーシラ様私に心を開いてくださっているの?それは嬉しい。恐れ多いけど…。


「私はただリーシラ様の下でピアノを弾いているにすぎません。そのように思われているなんて恐れ多いことです」


「噂に聞いていた通り、慎ましやかな人みたいだね」


 どんな噂だそれ…。たぶん噂の発端はリーシラ様付きの侍女たちだろうけど。まぁ確かに、目上の人には謙虚になってしまう。だって申し訳なくて恐れ多くて…。


「私はそのような人ではございません…」


「なるほど。リーシラ王女殿下が心を開いた理由がわかったよ」


 この短い会話で!?さすが王太子殿下の1番の側近…。リーシラ様が心を開いてくださっているかは信じがたいけど。


「では、私はこの後も仕事があるのでこれにて失礼。また会った時にでも話そう」


「わかりました。失礼いたします」


 マビウッド公爵子息様にお辞儀をして別れる。

…本当ですかそれ。次会った時もお話をするんですか。多くの女性たちに恨まれる未来しか見えないんだけど。まぁ、社交辞令だよね。普通こんな身分の低い私と話したがらないよね。今回は私がリーシラ様付きの宮廷音楽師だからだよね、うん。


 個人練習室に入って、明日お聞かせする曲の練習をしていると、扉がココンコンとなった。この叩き方はウィストさんかな。


「どうぞー」


 ガチャと扉が開き、予想通りウィストさんが入ってきた。ウィストさんは5歳上の先輩宮廷音楽師だ。何かと私とミニアを気にかけてくださっている。ちなみにウィストさんには婚約者がいて、もうすぐ結婚式をあげるそうだ。その際にはぜひ式でピアノを弾かせてください、と言っている。お世話になっているしね。


「やっほーシア。元気かい?」


「ウィストさんこんにちは。どうしたんですか?」


「近況を聞こうと思ってな。ミニアとは毎日会ってるけど、シアは全然見ないから」


 そういえば2週間ぶりな気がする。ウィストさんとは仕事内容が全然違うから会うことは少ない。専属になる前はミニアと3人でよく一緒の仕事をしていたなぁ。ちなみにウィストさんはヴァイオリンが得意だ。


「そうですね。といってもいつもと変わりませんよ。1曲完成したくらいです」


「そうか、それならよかった。あ、そうそう、さっきマビウッド公爵子息様と話したんだって?」


「何で知っているんですか…」


 いや、答えを聞かなくてもわかる気がするけど。試しに聞いてみよう。


「だいぶ噂になってるぞ」


 ですよね…。噂好きな侍女たちが多いからなぁ。普通に廊下でお話させてもらったし、噂になるよなぁ。話しかけたのが高貴な令嬢だったらそこまで噂にはならないんだろうけど。残念ながら私は宮廷音楽師で子爵家令嬢である。


「はぁ…」


 思わずため息をつく。明日から何て言われるのかなぁ。


「珍しく落ち込むじゃん」


「いや、気にしない方向ではいくんですけど。でも陰口がひどくなると思うと気が重いですよ」


 気にしないけどね?でもさすがに今までよりも言われるとなるときついものがあるよ。

 リーシラ様付きとなってすぐ、それはそれは陰口を叩かれ様々な嫌がらせを受けた。しょうがないといえばしょうがないのだけど。

宮廷音楽師団に入って1年しか経ってなかったし、身分も低かったし。あ、宮廷音楽師団の人にはそんなことされなかったよ。宮廷音楽師団は身分関係なしの実力主義だし。他の城勤めの人にね…

陰口は当たり前として、ポスト受けに暴言が書かれた紙が入っていたり、ごみが入っていたり、わざとぶつかってきたり、水をかけられたり、しまいには楽譜を盗まれたり。散々だったなぁ。今となっては気にしていないけど。

 でもあの生活に戻るとなるとちょっときついなぁ。


「ま、何かあったら俺に言いな」


「ありがとうございます」


 ウィストさん優しいなぁ。そういやあの時の嫌がらせ等もウィストさんが未然に防いでくれたことがあったっけ。良い先輩を持てて幸せです。


 ウィストさんが出て行ったあと、鍵をしめてピアノの練習を始める。噂が広まったということは、用心しなければ。


「というか、本当に何もないんだから…」


 次会ったら話そうって言ってくださったけど、それは社交辞令。もう二度とない。


 ———そう思っていた時期がありました。

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