第10話 重いけど、のハジマリ

 あたし、七虹(ななこ)、二十二歳。学生。人並みに、いろいろに気を遣って生きている女の子だ。大学生という立場上、使えるお小遣いに限度はあるものの、あたしは服にだってコダワリがあるし、流行りを外さないようにメイクも勉強している。そんなあたしは一般的な女の子だと思っているし、あたしはそう信じている。

 だけど一ヶ月前、付き合って半年の彼氏にフラれた。たった半年だよ? ありえなくない? そう思ったりもするけれど、彼氏があたしを見限ったのには訳がある。もう別れた人だから、元カレってことになるのだけれど、その元カレに言われたのだ。

「七虹さ、お前って重い」

 告白してきたのは向こうなのに、何ソレ? って感じ。だって、付き合ってるんだよ? 起きたら「おはよう」って言いたいし、寝る前には「おやすみ」って言いたいじゃない? でも、一緒に住んでるわけでもないし、直接は迷惑かも? そう思ってメールにしていたのに「一日に何回メールすれば気が済むんだよ?」と言われた。彼の休みの日の過ごし方を聞いたりするのも「ウザい」のだそうだ。

「たまには一人になりたいことだってあるだろ?」

 そう言われたけれど、あたしは知ってる。元カレが別の女の子と遊びに行ったりしてたこと。そういう事情を知っているあたしとしては、やっぱり不安になるし、どうしても「昨日、何してた?」って聞きたくなる。そういうの、彼女だもん。別におかしいことじゃないよね? 大体、彼女のあたしがいるくせに、他の女の子と遊びに行くってどうなのよ?

 なのに、元カレはあたしの話しを聞いてもくれなかった。あたしのことを好きだったハズの彼は、あっという間に冷めていて、いつの間にか、あたしだけが好きにはまっていた。

 そういう経緯があったから、あたしは恋愛に慎重にならざるを得なくなってしまった。恋で失敗を経験してしまうと、恋をするのが怖くなる。それをあたしは身を持って実感していた。

 だから今、目の前にいる男の子が真剣に「付き合ってください」と言ってくれていても、信じていいのかすら分からない。この男の子だって、時が経てば、あたしのことを「重い」と言うに決まっている。男という生き物は、熱しやすく冷めやすいものようだから。

 じっと見つめていると、彼は耳まで赤くなりながら右手で顔を覆った。

「そんな、見つめ、られ、る、と」

 切れ切れのコトバ。この照れ方を見ていると、あたしの方まで照れくさくなる。

 元カレより断然真面目な印象。今時、黒髪短髪って珍しくない? 黒ブチメガネはちょっとダサいけど、メガネを外したらけっこうキレイな顔をしているような気がする。と、イケナイ! イケナイ! また揺さぶられてる! あたし!

 あたしはブルブルと頭を振った。

「あたし、当分誰かと付き合うつもりはないので……」

 俯きながら言うと、目の前の彼がシャキン! と背筋を伸ばした。

「当分って、どれくらいですか? どれくらい待てばいいですか?」

 内心、アホか? この子は(この子になってるし! あたしは母親か!)と思ったけれど、あたしの印象を悪くはしたくなくて、にっこりとほほ笑んだ。

「当分って言ったら、当分です! じゃあ、これで!」

 立ち去ろうとすると、彼が急に大声を出した。さっきまで照れてボソボソしゃべっていたくせに、この変わり様は何?

「待ってください!」

 ここは街中。そんな大声を出されたら……案の定、たくさんの人がこちらを振り返っている。喧嘩をしているとでも思われたのかもしれない。

「大きな声出さないで」

 あたしが声を潜めると、彼はまた頬を染めた。どんだけシャイなんだ! こっちまで照れる。

「俺、T大三年の生田(いくた)です。あそこのケーキ屋でバイトしてるんです。七虹さん、時々友だちと来るでしょ?」

 あぁ、そう言えば。見たことがあるような気がしてたのは気のせいじゃなかったんだ。

「俺とじゃ不釣り合いだと思われるかもしれないけど、俺、七虹さんのことが好きで。どれだけでも待てますから、あの……」

 言いかける彼に、あたしは言った。

「あのね、釣り合うとかじゃないの。あたし『重い女』なんだって。メールもすごく頻繁にしちゃうし、ほかの子と遊びに行ったりされると、すごく嫉妬深い女になっちゃうの。そういうの、男の子からすれば、すごくメンドクサイでしょ?」

 彼は一瞬ぽかんとしたけれど、ふにゃっと笑った。目じりにシワが出来て、ちょっと可愛い。なんて、不覚!

「七虹さん、七虹さんの重さって何キロくらいですか?」

「え?」

「七虹さんが重いって言うから、何キロくらいの重さなのかな? って。七虹さんたちにお茶を出すときに運ぶトレーあるでしょ? アレ、ああ見えてけっこう重いんですよ。俺、ほぼ毎日アレ片手で持ってますからね。力はあると思いますよ?」

 これは天然なの? それともボケてるの? どちらにも受け取れて、戸惑ってしまう。あたしが答えられず生田くんの顔を見つめていると、生田くんはまたくしゃくしゃと笑った。

「冗談ですよ」

 からかわれた! 

 あたしはくるりと回れ右をし、その場を去ろうとしたけれど、すぐに右手首を掴まれた。背後から生田くんの声が降ってくる。

「他の男がどう思うかは知らないです。でも俺なら、好きな子からのメールは頻繁に欲しいし、好きだって思ってくれているから『嫉妬』してくれるわけでしょう? だったら『重い』なんて思いませんよ。むしろ可愛いくて仕方ないです」

 おそるおそる振り返ってみる。生田くんは、相変わらずくしゃりと笑っていた。でも、分かる。生田くんは、本気だ。本気であたしのこと……

「あの、ね。あたしはまだ『当分』無理なの。でも、もし生田くんが本気だっていうのなら、生田くんのこと少しずつ教えてくれると嬉しい……かも」

 ぼそり。と小声で言ったけれど、生田くんの顔がとたんに輝いた。

「えっと、じゃあ、まずは、家族構成からでもいきますか?」

 大真面目な生田くんに、あたしは「ぶふうっ」と吹き出した。

「自己紹介もまともに出来ていないのに、いきなり家族構成なの?」

「あれ? おかしいですか?」

 もう、なんなんだ? この人? そう思うけれど、何故か憎めない。元カレとは全然違う生田くん。もしかしたら、彼なら、あたしの『重さ』を受け止めてくれるかもしれない。

「あとね、冗談でも、女の子に『何キロか』なんて聞くものじゃありません!」

 あたしが言いきると、今度は生田くんが「ぶはっ」と吹き出した。

「一応気にはするんだ。そういうトコ」

 くうううう! 憎ったらしい! そう思うのに、イヤな気はしない。

 付き合うかどうかはまだ分からない。お互いのこと、まだ何にも知らないし。でも、少しずつ知り合えることが出来て、あたしの『重さ』に彼が耐えられたなら、その時は……なんて、もう付き合うこと前提で考えているあたしがいるのに気づく。

 まだ良く知らない、どこまでが冗談か分からない生田君と『重い女』と言われるあたしが、恋に踏み出してみようかな? と思えたコイノハジマリ。





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