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大橋博倖

第1話

 某、有名作品に着想を得た、「詩」



 Op.Bagration


 0.


 ピョートル・バグラチオン


 帝政ロシアの軍人。ナポレオンによるロシア侵攻時にロシア帝国の将軍として第2軍を率いこれに対した。

 ホラブルムの戦いでは5倍の敵軍と戦い麾下の半数を失いながらも、本営の退却を援護し敵軍を退けることに成功する。アウステルリッツの戦いで、バグラチオンはミュラとランヌによって率いられたフランス軍左翼と対峙した。アウステルリッツの敗北後も、アイラウの戦い、同年のフリートラントの戦いなどに転戦し勇猛果敢に戦闘を指揮した。


 バグラチオン作戦


 第二次世界大戦中、ベラルーシ(白ロシア)で開始されたソ連赤軍のドイツ軍に対する最大の反撃作戦である。長期戦により兵力を消耗していたドイツ軍は、膨大な物資を元に損害を度外視した赤軍流の電撃戦に敗走を重ね、同年7月末までには独ソ戦開始時の国境付近まで押し戻されることとなった。この作戦名は帝政ロシア時代におけるナポレオンとの祖国戦争で活躍した将軍、ピョートル・イヴァノヴィチ・バグラチオンに由来する。

 この作戦以降終戦に至るまで遂に、東部戦線に於いてドイツ軍が戦いの主導権を奪回する機会は訪れなかった。



 ドム乗りたいんスよね、ド・ム。

 とまた、ジャルガ上等兵の”独り語り”が始まった。

 苦痛というほどのものではない。レシーバの雑音だとでも思って聞き流してもよい。

 なのだが、放っておくと際限ないから困る。

 同意を求めるでなし、ただ自らのモビル・スーツ、MSへの思いを勝手につらつら延々呟き続ける。

 私語厳禁、訓告対象とする降格するぞようやく上等兵になったのまた2等兵はいやだろが。

 いろいろ試してみたがまず、効き目がない。少しの間おとなしくなるがそれだけだ。

「いや、ザクもそりゃ正統ってかもちろんスタンダード……」

 MS-06、ザク。1年戦争でジオン軍の中核戦力を勤めた、彼の言葉通りMSの代名詞である。

「いまどき、ドムでもないだろう」

 仕方なし、ゴイ曹長は合いの手を入れる。結局そうするのが一番マシだった。

「いやそりゃもちろん!ドムトロ乗りたいスよ」

 ジャルガは眼を輝かせ声を高める。

 地上用重MSの名機、ドム。ドム・トローペンはその改良発展型、最新鋭機だ。

 が。

「判ってますよ、もしシートに空きが出来てもオレ以外の誰かが乗るっしょ。それぐらいは」

 一気にトーンが落ちた。ぶつぶつぶつ。

「だから。ドムでいいですから、ジャンクで。自分でメンテして乗りますから」

「それもないな。お前に出来るなら誰かが整備して動かしてる。それに、ザクでもまだ働いとる、ドムならなおさらだ。」

 イビるでなし、淡々とゴイは現実を言葉にする。

「いまどきドムでもないって……」

 言葉のアヤだ。ゴイ曹長はすました声で流しながら。

「MSに乗りたいなら連邦軍に入ればいい。給料もちゃんと出るしな」

 ジャルガは深い落胆のため息で応える。

「曹長どの、またですか。自分はただMSに乗りたいんじゃなくって、ジオンの為に戦いたいんスよ、オレも!」

 そして。

「それに、アレ、ジムは好きになれないッスね。何というか、ホントウにただの戦争の道具じゃないスかアレ。えーとホラなんていうんですか、美学?、そう美学が無いんスよ美学が」

 ジム。ザクに対抗すべく連邦で開発され1年戦争勝利の原動力となった連邦の主力機で、現在もなおその系列が現役にある。

「美学で戦争に勝てれば苦労はせん」

 ゴイの言葉にはふだんにない固いものが含まれていた。

 ジャルガは愚鈍な青年ではない。むしろ頭の回転は速い方だろう。特に経験もなく、ゼロから始めて短期間でいっぱしの整備兵の顔が出来ている。仕事でも、同じヘマを2度はやらない。

 だからおそらく、自分が今どこで何をしているのか、見掛け以上に冷静に自覚しているはずだとゴイは思う。

 そして、悪いヤツでもない。

 なればこそ。

 早いうち、今のうちに”まともな”道に戻してやりたいものなんだが、と父親のような感情で思うゴイだが、ジャルガには見てくれ以上にどうして意固地な面もある。

 正面きって、抜けろ辞めろと説得をしたことはない。多分、ムダだろうし。その代わりとでもいうか、上官が部下を、ではなく教師が生徒をそれとなく諭す様な会話が、彼とジャルガの間では少なくない。

 だが今、知らずゴイ曹長は半ば本音の、かつての鬱屈を吐き出していた。

「勘違いしてるなら教えてやるが、MSは戦争の道具以外の何者でもないぞ。そういう意味でさっきのはジムと連邦軍への最大限の賛辞だな。お前は戦争の美学が何だか知っているのか」

「”戦争の”美学、スか?」

 ジャルガの当惑にゴイは言葉を被せる。

「最大効率。これが真に戦争”から”求められる”美学”だ。だからジオンは戦争に負けた。判るか」

 ジャルガは軽い不満を浮かべた。

「連邦の、物量じゃないんスか」

「連邦の量に質で対抗しようとした。艦隊戦力をMSで叩き潰した。そこまではいい。ザクを倒す為に連邦はジムを投入して来たな。だが当時、我が軍の主力は既にドムに移行しつつあった。連邦はドムの対抗機を開発したか」

 一息おく。ジャルガは不承不承首を振る。

「構わずジムを量産し続けたな。ジム・コマンドなんて上位機も出して来たがまあジムだ。対してジオンはどうしたか。ギャンだゲルググだモビルアーマだ水陸両用だとただでさえ乏しい国力を細切れにして自滅していった。ザクの発展型とドムだけ作っていられればもう少しマシな戦になったろうにな。ま、ブリティッシュがコケて長期消耗戦になった時点で勝ち目は消えてたんだが」

 はじめて目にする上官の一面だった。

「曹長殿、それ、連邦軍の教本ですか」

 ゴイは苦笑いを浮かべ。

「だからお前、冗談でも軽々しく”ジオン再興”なんて口にするなよ。特に古参の前ではな」

 ゴイの言葉はジャルガをひどく惑わせた。それじゃ自分らは何の為に。ジャルガは小さく口の中で呟く。

「お前も整備屋の端くれなら現実的なモノの見方が出来るようになれ。意地や妄執じゃMSは動かんからな」

 ジャルガはふと、辺りを見回しながら。

「これもその”現実的”な一環でありますか」

 ゴイもプラットホームを減速させつつ周辺に視線を投げた。

「整備屋の仕事は規律に殉じて機体を腐らすことじゃない。規律をすり抜けて機体を動かすこと、だ。ああ、少し行き過ぎたかな」

 プラットホームを完全に止めて辺りを見回す。物資の森で完全に迷子になったらしい。

 しばらく途方にくれ上下左右を眺め回していた二人だったが、まず、ジャルガが動きを止めた。

 動きを止めた。まるで凍りついたように完全に静止している。

「……曹長殿、あれ、なんでしょう」

 ジャルガに軽く肩を叩かれゴイもそれを見た。

 ジャルガの視線の先に自らのそれを重ねる。

 視界に現れた物にゴイも動きを止めた。

 コンテナだった。旧、ジオン軍の正規の規格のものだ。

 だが、二人の視線はコンテナそのものではなく、昨日ステンシルされたかの様に鮮やかな発色の、真紅のジオン国章に吸い付けられていた。

 何かの予感が、あった。

 

 男はいつものように定時の5分前に姿を見せると、課員と短い挨拶を交わしただけで、席についた。

 操作端末にIDとPASSを入力し、彼はすぐに作業を開始する。

 そこは一見、どこにでもあるありふれたオフィスの光景に見える。

 が、少し注意すれば、室内の何箇所か、中空にモノが置かれていることに気づく。

 自由落下状態。外に広がるのは高真空、宇宙空間だ。

 暗礁宙域。かつてコロニー群サイド5が存在したこの宙域は現在、その残骸及び、戦争により新たに発生した宇宙ゴミ、大は破壊され放棄された戦闘艦から小は戦闘時に排出されたカラ薬莢まで、様々なデブリがラグランジェ点に引き寄せられ集積された、非常に危険な一画となっている。

 茨の園。

 ジオン残党を一軍として糾合統率し、現在もなお地球連邦政府に対し頑強な抵抗を継続している。

 デラーズ・フリート。その本拠地がここに設営されている。

 港湾部の整備区画に隣接して設置された補給区画。そこが彼の現在の”戦場”だった。

 設置された……端から見る限りでは何の秩序も見出せないような、バラ撒かれたように雑然と物資、カーゴ、コンテナの類が、廃艦処分を受け現在はターミナル機能としてのみ運用、係留され余生を過ごしているパプア級補給艦を中心に、その周辺を取り巻くように配置されている。

 戦闘艦たちが集う勇壮美麗な港湾部の景観と見事に対照的な、それは惨めなくらいにみすぼらしくまた見苦しいありさまだがしかし、武器弾薬、整備消耗品から機体、兵士の為の糧食までデラーズフリートの作戦行動能力はつまりは総てこの一画に掛かっている。なればこそ常に全力稼動しており、美観にまで気遣うような余力は、ない。

 それらをデータベースに情報として吸い上げ、自身を含め5人の課員で掌握、管理、運営している彼、ナンディ・ガレス課長、大尉の、管理職としての、そして部隊指揮官としての手腕は、まずまず評価されてよいだろう。

 未読のメールをチェックする。見慣れないものが一通あった。

 最重要、に更に至急、のフラグが付されたメール。

 あまり例がない。ふだん使われるのはせいぜい注意、くらいで重要、も数えるほどの記憶しかない。

 至急についてはさらに縁がない。内部の人間であれば無意味なことを知っている。全ての処理はまず例外なくシーケンシャルに扱われている。大尉がそれを徹底させている。ことにより、求められる最低限の秩序が生まれるのだ。

 つまり外信か。

 と、いうようなことを頭の片隅にひらめかせながら送信元に目を走らせる。

 僅かに顔を歪めた。

「整備部が?」

 本隊付、A整備中隊、第二整備小隊、第一整備班、班長、ウェン・ゴイ曹長。

 またいつもの抗議か。

 内心辟易し、また今回は随分と大仰だなとぼやき掛けながら、

『最大限の努力の上、善処する』

 自動返信し掛けた手が止まる。

 本文は短かった。

 ID:SPTO-783-N-001167について至急確認されたし。

 現在位置についてはビーコンを設置してきたので別添ファイルを参照されたし。

 SPTO、だと。

 ガレスは目を疑った。

 ベルモントくん、と課員の一人に声を掛ける。

「はい、何でしょう、課長」

 マイカ・ベルモント軍曹。お世辞にも決して美人の仲間ではなく、といって可愛い、というのでもなく、しかし妙に愛嬌がある。有能なデスクワーカでごりごりとデータ処理をこなしている……然るべき組織に属すれば相応の給与が保障されるだろうに。大いに助けられているのでそれはそれで有難くはあるのだがしかしやはりなんでこんなところで働いているのか不思議な一人で、つまりは彼女も連邦が嫌いなのだろう。

「きみ、先週、公国関連の書類を一括処理してたと思うけど」

「はい、イメージ取り込みして原本はしまっちゃいました。何れも緊急性が低いもので。一部まだ未整理なのでローカルで持ってるんですが。至急ですか?」

「うん、直ぐに欲しい」

「了解です、5分下さい」

 SPTO関連の文書ファイルは直ぐに見つかった。手際よく、文書のヘッダがファイル名にリネーム済みだった。

 それは僅か数行のリストだった。しかもそれ以外の行が黒く塗りつぶされ、実質は1行の。

 状態があまり良くない。原本ではなく、何度も複写を経たハードコピーだった。

 ズームし、リタッチして判読出来た。ID:SPTO-783-N-001167。

 そこまでだった。IDをIDとして、確かに管理物の一つなのだと確認出来ただけだ。結局、実際に現物のコンテナを開いてみなければ未だ内容は不明だ。

 だが。

 SPTO。南極条約関連物件。

 その情報だけで十分だろう。コンテナの中身は。

 どういう経緯だったのだろうか。査察から抜け落ち、秘蔵され。公国が崩壊する混乱の中、他の多くと共にこの地に流れ着き。

 そして。

 そう、そして。

 彼は初めて気づいた。この情報が未だ自分の手の中にあることに。

 ありきたりだが、「パンドラの函」という言葉が脳裏に浮かんだ。

 なにか想像を超える揉め事の予感に、ガレスは衝動的にメールを消去しようとした。

 辛うじてそれを思い留まらせたのは。

 未だ抜き難い、ジオン軍人としての矜持。では、無かった。

 そんなものはもう持ち合わせがない。乗機もろともソロモンで灼かれてしまった。

 間近で太陽が爆散したような凄まじいまでの光だった。

 連邦軍の戦略兵器、太陽光熱光学砲撃、ソーラ・システムによる照射攻撃が開始されたそのとき、彼の乗機、高機動改修型ザク2は配置転換の命令に従い戦闘ブロック間を移動中だった。

 移動軌道上、二隻のムサイ級巡洋艦と反航で行き違っていたときに、それは起こった。

 モニタが瞬間的にホワイトアウトし、次いでブラックダウンした。

 何が起きたのか判らなかった。メインカメラが突然、死んだか不調になったのは判ったが、切り替わったサブカメラもただ白い光の映像しか送ってきていない。

 いや、一方向からの映像はやや暗い。ムサイが影になっている。

 影、だと。

 判断以前の挙動だった。手足が自動で動き機体に制動を掛ける。ガレスの高機動ザクは”影”に留まった。

 この刹那の機体制御が生死を分けた。

 二隻のムサイが相次いで爆沈した。

 そして一瞬、ガレスのザクも光の奔騰の中に飲み込まれる。

 全てのカメラが瞬時に灼き切れ、機体表面及び外部の温度が爆発的に上昇するそれを伝えるセンサもあっさりダウンする。

 が。

 光は去った。ゆっくりとソロモンの地表を薙ぎ払ってゆく。

 外部の状況を知る手段は無かった。ガレスはそれを、未だ自分が生きていること、機体が爆発していないこと、として確認した。

 機体も何とか無事。では無かった。

 まずプロペラントタンクが危険なまでの温度上昇を警告してきた。緊急冷却。反応無し。推進剤緊急投棄。結局、推進剤残量の半分以上をリリースして何とか収まる。機体温度も幾らか下がったようだ。

 だがアラートはそれ一つでは終わらなかった。機体各部の動作部、腕部や脚部のアクチュエータも駆動系制御系共々次々と悲鳴を上げて来た。機体背部の、命の綱、最も重要な推進用メインモータの様子も怪しい。手の付けようがないアラートの連鎖であっという間にきらきらと”クリスマスツリー”が輝き始める。

 まずいな。背筋が冷えるような予感と共にそれは来た。突然発生した加速の感覚。

 メインモータの暴走。

 それは1分を切るほどの短い突発事故だったが、現在位置も方位も確認出来ない状況では致命的だった。もはや完全な宇宙の孤児だ。

 戦闘行動など思いもよらなかった。何とか生き延びたがこのままでは漂流した挙句の酸欠死が待っている。 

 たぶんムダ、とは思いながらエマージェンシーシークエンスを機械的に実行。何も解決しない、が、予想通りなのでとくに落胆もない。煩わしいだけのアラートを全てカット。少し、落ち着いた。

 とりあえず外部の視界を確保しないことには仕方がない。広大な宇宙空間で唯一のセンサが己のアイボールのみというのはかなり厳しい状況だが。

 機内のエアを生命維持系に吸引し、ハッチを開放する。

 それでようやく、機体がゆるやかに回転していることに気づいた。熱循環にもなるのでそのまま放置する。

 ソロモンが、視界に現れては、消える。

 無数の光条が虚空を切り刻み、ソロモンに突き立つ。連邦軍のビーム兵装による射撃、砲撃。

 また光か。くそ。

 開戦劈頭、ザク1で参加した戦闘で、セイバーフィッシュを3機喰った。

 南極条約の締結という小休止の後、戦争の継続と地球本土への侵攻が決定すると、当然、彼も地球方面軍への配属を希望したが、ガレスに与えられたのは宇宙専用新型機への機種転換任務だった。

 一月ほどの訓練の後、新型機を受領し前線に戻った彼を待っていたのは、磐石となった公国による制宙権の掌握。封じ込めた宇宙唯一の連邦側拠点、宇宙要塞「ルナ・ツー」封鎖の任に配備された艦隊での、平穏で単調な哨戒任務だった。 

 もしかしたらこのまま戦争が終わるのか、それでもいいかと、今から思えば諦めにも似た、夢想じみた思いを抱きつつ日々を過ごす間、地上での戦況は次第に悪化していった。

 そして、オデッサの失陥、続くジャブロー強襲の頓挫で、地上での、そしてこの戦争での公国の敗勢は明らかになった。

 まずは地球軌道上での制宙権の奪還、確保に動く連邦と、地上から撤収する戦力を支援する公国との、地球軌道での交戦が頻発する。

 自軍の劣勢という不本意な局面ながら、それでも、ようやく公国の為に戦える、そう思っていたが。

 ガレスの所属する部隊は、ソロモン防衛を目的として早々に後送が決定された。

 歯軋りしつつ、遂に今日という日を、ソロモン防衛戦のその時を迎え。

 何をしているんだ。

 人々の愚行に関わりなく、太古から天を照らす。巡る星空を、ただ眺めている。

 機と共に、自分もあの光に灼き尽くされてしまったのだろうか。

 ソロモン放棄、の宣言も聞こえたような気がしたが、よく覚えていない。

『そこの高機動ザク!生きているのか死んでいるのか、生きているなら応答しろ!』

 それからしばらくして、何度も呼び掛けられているのにようやく気づいた。

 ソロモンから撤退する戦力の内の一隻。パプア級補給艦だった。軌道前方をまるで漂流するように航行している機体を発見、コールしてきたらしい。

 どうやら偶然、公国の最終防衛線、要塞「ア・バオア・クー」に向かう軌道に乗っていたようだ。

 一命を取り留めたとはいいながら或いは、そうして補給艦に拾われたのが”運のツキ”だったのかもしれない。

 何とかパプアへ着艦は出来たものの、予想通り機体はどうにもならなかった。点検し、ざっと見積もってオーバーホール、パーツもあらかた換装しなければならないだろうことが直ぐに判った。パーツ取りにも使えない完全なジャンクだった。他に方法もなく、その場で投棄された。

 そして、自機を失ったガレスに次のシートが回されてくることは無かった。

 敗走と敗勢。元から脆弱だった公国の軍制は混乱から崩壊に向け突き進んでいた。ソロモンに派遣されていた戦力の一員が、装備を失い生還したといって、従員させ再び装備を与え再編成する、等の、軍隊としての当然の機能が既に麻痺していた。

 ガレスはそのままなし崩しに、拾われた補給艦で戦争に参加することとなった。後方部隊は正面以上に戦力不足でその補給艦も当然のように充足割れ状態で、ガレスでも出来る事がいくらでもあった。

「ア・バオア・クー」で戦われた激戦では、艦は補給艦としてではなく、MS母艦戦力の一翼として投入された。 

 よし出来た出せ、次!。MSと艇がほぼ切れ目無く発着艦し怒声と物資と人員が飛び交う、弾が飛んでこないだけでそこも間違いなく激戦の場。

 そのさなか。

「ああ?ギレンザビが死んだぁ?!」

 さすがに今度こそこれで終わりだ。

 そう思っていたら艦がMSと戦闘員に占拠された。

 殆どの正規の補給要員が退去する中、なぜ艦に残ったのか。自分でもよく判らなかった。

 だが結果として、自分もまた形を変え、徹底抗戦を続けている。

 その自分が。

 兵でもなく、職業人としてでもなく。

 自らの内に一瞬兆した、小役人の自己保身にも似た薄汚れた心の動きに、嫌気が差した。

 ”貴重な情報提供に感謝する。可能な限り早急に然るべく対処する。”

 彼は短く返信すると、それ以外の未処理のメール、案件に一通り目を通し、必要があれば返信し、また処理した。

 30分程の作業の後、彼は席を立った。

「少し現場に出て来る。何もなければ1時間くらいで戻る」

 もちろん、部下に作業を任せて事後報告を受けることも出来たが、自身で立ち会う気持ちが固まっていた。

 もしそれが推定した通りのものであれば。

 或いは。


1.


 早朝。

 薄闇の中、コミュニケータから軽やかな呼び出し音。

 3回鳴って、切れる。

 それが1回、2回。

 3回目の途中で、観念したのか部屋主がそれを取る。

「失礼ですが、どちらさまですか」

 眠気と不快感を隠さない声で応える。と。

「あ!所長!はい、お早うございます!」

 ベッドの上で思わず正座。

「はい、はい、は……い、え」

 掛けフトンを被ったままもそもそと動き枕元のスタンドを点灯。

 しかし、その後は要領を得ない感じのおざなりな相槌と生返事。

 が。

「ええっ!私がですかぁ?!」

 突如、ウラ返った声をハネ上げた。

「は……はい、ですがぁ、ええそうですけれどはい……」

 不平不満というよりビミョーに納得がいかない気配。

「判りました、はい、了承しました。はい、今から準備にかかります」

 通話を終え、チラリと時計を見る。

 現在、午前4時を少し回るところ。

 が、彼女に残された時間は全然足りない様に思えた。

「ん」

 一つ伸びをし、フトンをハネとばし、起きあがる。

 気持ち、いやかなり殺人的にタイトなスケジュール進行、ではあるが、それはいつもの業務、日常の延長。

 そうであるはずだった。少なくとも今の時点で彼女がそれを疑う理由は無かった。

 まさか、これから。

 事件が決着するまで。

 そう、宇宙世紀という時代に激震が奔る様な事件の渦中に当事者の一人として巻き込まれる。

 そんな、波乱に満ちた未来が今、すぐそこまで迫っていることなど。

 今の彼女には全く想像の余地が無かったし。

 そんな妄想が割り込む余地も全くなくこれからの数時間はちょっとした戦争状態で。


 そう、ちょっとした、あくまで個人的な。

 ささやかな、戦争状態で。


 アナハイム・エレクトロニクス。

 読んで字の如し、電子機器取り扱いの大手でもあるが、ある方面の関係者にはむしろモビル・スーツのメーカーとして馴染みが深い。

 1年戦争。人類史上最大規模の戦争となったこの戦いで華々しく歴史の表舞台に登場し、或る意味主役を張った戦術兵器。汎用装脚装椀戦闘機、通称、MPRFS(マルチ・パーパス・ロールプレイング・ファイティング・システム)、マフュー(ス)。となるのだがこの名称を用いるのは余程偏屈な職人気質の技術者か学者くらいのもので、その形態が概ね人型、であることからか、通常の宇宙服であるノーマルスーツ、と兵科区分である機動兵器、からのモビル、という呼称を組み合わせ生まれた俗称、前出通りのモビルスーツ、或いは単にその頭文字2字でMS、と普通は誰もが、呼ぶ。

 そのアナエレ、月面都市フォン・ブラウンにある本社、工場区画に併設された港湾施設。

 そこに、一隻の軍艦が接岸していた。

 軍艦といってもそういう関係ではよく見かける輸送船や輸送艦、或いは民間警備会社に払い下げのくたびれた老朽艦、などではない。

 知識がない者の目にも、連邦軍所属の現役、しかも新鋭艦であることは判る。

 連邦宇宙海軍所属、ペガサス級7番艦、「アルビオン」。

 連邦の宇宙艦艇史で強襲揚陸艦という艦種の先駆けとなる、「ホワイトベース」の名で有名なペガサス級。その系譜の正常進化型として現在、系統樹の尖端に位置していると言える最新鋭艦だ。

 ペガサス級を名乗ってはいるが面影が残っている程度で、様々な戦訓、運用実績を取り込んだ設計は同型艦と呼ぶのが難しい程変容している。

 余裕を持って張り出た艦首艦載機搭載のデッキ部はペガサス級伝統の双胴型だが共通点としてはそのくらいで、全体的に無骨で角張ったいかにも軍艦、それも強襲、という字面の荒事をこなす戦船、として喚起されるイメージそのままだった初代と比べ、大気圏内航行での空力特性も考慮しているのかずいぶんと洗練されたスタイルとなっており、船舶としてのエレガントさと艦艇が持つ凶暴さをバランス良く備えた実に軍艦らしい軍艦、と言えようか。他特徴としては、艦体中央の左右両舷にペガサス級直系を示すシンボルであるかの如く、格納型メガ粒子砲も搭載している。

 取り扱い商品の関係から軍事に縁が深いとはいえ、民間の港湾に堂々と軍艦が停泊している光景は珍しい。

 が、「アルビオン」のカラーリングはその違和感をやや和らげている。

 それは、宇宙では通例の漆黒、闇を塗り固めた様な防眩迷彩でも、連邦宇宙軍標準の塗装であるネイビーパープルでもなく、まるで客船の様な、ホワイトを基調とし、ところどころに赤をあしらったカラフルなものだった。

 そう、その色調だけは正に往時のホワイトベースそのもの。

 その一種、優美ささえ感じさせ泰然と鎮座する艦の外観からは伺い知れぬことに、艦内、特に艦の要職が詰める司令室周りでは、やや困った、ささくれだった空気が漂い出していた。

 司令室の中央、艦長座席(スキッパーズ・シート)。

 そこに座を占めるこの艦の主、その手元からリズミカルな音が発している。

 人差し指がヒジかけを規則的に叩いている。

 それがパタリと止む。

「シモン君」

 自制に成功した何度目かになる通信担当官への呼び掛けの衝動、そこから実際に他者から認識可能な音声となって口から漏れ出てしまった何度目かの言葉。

 「アルビオン」艦長、エイパー・シナプス。脂の乗り切った45歳、階級は大佐。

「まだです」

 ジャクリーヌ・シモン軍曹は意識的にそっけなく、形式的答礼。

((しまったー!通信士ちがうぢゃん!接岸中につき内線扱いってコトで一つ))

 彼女自身もまた共有している、内心に生じているじりじり感を表に出さないためにも。

 否。

 ブリッジクルー程ではないにせよ、今艦内に勤務している全員が共有している苛立ち。それは。

 待ち人、来たらず。

 既に全艦に通達されている出航予定刻限を現在、5分も超過し、なお今も艦はアナエレの埠頭に縛り付けられている。これから更にどれだけ待たされるのかの目処も立たずに。

 海洋船舶の出航でも、昇降デッキはかなり早く閉ざされるものだが航宙船は更に厳しく、通例では1時間前には所定の乗員乗客は搭乗し着座、離床までの間にも出航前点検が進行し異状が発見されるなら対処しつつゼロアワーに向けた準備を続ける。

 つまり、5分+1時間の遅刻なワケで。

 そして理由についても実は判明していた。

 これは余裕を持って既に積載済みである機材、MS、にアナエレからの随行員として共に乗り組む予定であった人員。その一人にして責任者が、突如、体調不良で倒れた、という。

 何でも、天文学的不運に見舞われたそうで。

 古の地球の活発な火山活動により地球から月まで漂着した太古の嫌気性ウイルス。

 それを、ノーマルスーツに付けて持ち帰ってしまい、その上吸引してしまったのか。月面地表の現場から戻った後に体の不調を訴え、診療を受けるも改善せずそのまま緊急入院へ。

 それはそれで不幸ではあり謹んで御見舞い申し上げる次第ながらどうも事情が判らないのがその後。

 直ぐに代替要員が紹介され搭乗してきてはいさようなら、という想定される普通の当然の展開がさにあらず、矢の様な「アルビオン」からの催促に物腰だけは実に柔らかに、しかし実際の返答そのものは、只今社内で調整中につき、今しばらくお待ち下さい、という理解に苦しむもの。

 航宙船の航路というものはニュートン物理学の支配により厳格に規定され、今こうしている間にもそれは秒・分単位で狂いゆく。無論、「アルビオン」が持つ能力はそれを容易に修正し得るが、だからといって余分に加減速をし余分に艦の寿命を縮め、そして余分に推進剤(ロケットの燃料)をバラ巻く不快が消えるものでもない。その請求書をアナエレに叩き付けてやれるにせよ、だ。

「あ」

 シモン軍曹が明るい声と共にスキッパーズ・シートへと振り向いた。

「アナエレから着信来ました、回線開きます」

 我々が望む内容であることを、と内心呟きつつ顔面には平静な表情を形作り、視線をスクリーンへと据えたシナプスは相手の言葉を待ち受けている。

 そして。

「それはつまり、どういうことなのでしょうか」

 シナプスは辛抱強く繰り返した。

「ですからつまり、大変申し訳ありませんが、本社では御用意出来かねるのでして」

 相手は、ひきつった顔に最大限の善意と忍従を混淆した何かを貼り付けて、繰り返す。

「つまり私どもは、如何様にすれば宜しいのでしょうか」

 胆力の総てを傾けても、口の端がわずかに歪むのをシナプスは抑えきれない。

「当社で所有する船舶の一つに、ラビアン・ローズという船がございまして……」

 避けようがない最終結論を早口でまくしたてる。はい、もちろん諸経費は総て弊社持ちでございますので。

 回線、オフ。

 結局シナプスはこの一件を軽い舌打ちで済ませた。全員が注視する艦長席にあって、余りに露わであればそれはどうか、だが一方で無機的に過ぎるのも指揮官として戴けない。このサジ加減が絶妙なのだが、戦闘艦とはハードウェアである以前に、搭乗員により構成された組織体であるのだ。それで初めて兵器として機能する。そして、指揮官とはそうした職責を負わされたものである。なればこそ200人からの組織の長として君臨している。

 シモン君、回線を。先ほどまでのイライラを微塵も残さない静かな声で、命じる。

 そう、艦長は既に次の作戦計画に移行している。

「艦内放送よろし、艦長、どうぞ」

「全艦に告ぐ。艦長だ。これより本艦は発進する。最終目標は依然としてトリントン・ベースである。これに、第一目標、”ラビアン・ローズ”が追加される。最終目標到達予定時刻に変更はない。よって、地球への気軽なダイヴを期待していた諸君には大変申し訳ないが、本艦はこれより戦闘機動に突入するものである。各員、その職務を全うされたし。以上」

 艦内に短く警報が響く。

「抜錨。両舷微速」

 いつも通りの抑えた声に。

「両舷微速、アイ」

 「アルビオン」は静かな闘志を潜め、滑り出る。

 これは、作戦行動なのだ。

 

 無事大気圏への突入、地球への降下を果たした艦は、最終目的地、オーストラリア、トリントン基地に向け今洋上を、MC、ミノフスキークラフトにより這う様な速度で飛翔している。

「お招きに与り、ありがとうございます」

 折り目正しい一言と共に、その、「アルビオン」が全力発揮してお出迎えにあがった、代替の技官がブリッジに現れた。巻いて肩に垂らしたヘアスタイルがユニークだ。

「失礼ながら、オデビーさんは地球は初めてとか。特等席を御用意したつもりですが、お気に召しますかどうか」

 無限遠に伸びる、蒼く輝く水平線。

 眼下に拡がる絶景に素直な嘆声を発し、彼女はブリッジを窓辺まで足早に横切った。

 ひとしきり眺望を満喫し、しかし彼女は気づいた。

「コロニーの落ちた地で」

 小さく口にすると、彼女は静かに振り返った。

「艦長、シナプス大佐。少し、よろしいでしょうか」

「小官でよければ、なんなりと」

 生真面目に応じる。

「コロニー落着の地……一年戦争最大の惨禍を今に伝える場所、ですわね」

「それは、正に」

 シナプスも深く頷く。

「ジオンの暴虐。でもそれだけの問題だったのでしょうか。ここにコロニーが落ちた意味は」

「さて、どういう意味でしょうかな」

 そらとぼけるのか。シナプスは一見、柔らかく応じてみせる。

「実に、不思議なことが起こるものです」

「不思議、ですか」

 やや語気を強めるルセットには取り合わず、悠然と言葉を紡ぐ。

「軍人の使命とは何か。極言すればそれは護民、の一言に尽きましょう。ジャブローにコロニーが落ちる。仮にもし無事で済むものであれば、無論、何の問題もない。そのまま落とせばよろしい。逆にあの堅牢なジャブローが無事で済まないというのであれば、なおさらそんなものを連邦市民の頭上に落としてよい道理はありませんな。如何なる甚大な損害が発生するにせよ、甘んじて、ジャブローが引き受ける以外に道はないでしょう。つまり何れにせよ、コロニーが落ちる地はジャブロー以外には有り得ない、理屈としては。あれが落下軌道に乗った時点で勝負あったということですな、本来であれば」

「本来であれば、ですか」

 深く頷き、続ける。

「そうしたものが、何故かこうしてジャブロー以外の地に落ちる。とても不思議なこと、と、小官が申し上げられるのはこれくらいですが、さて、如何でしょうかな」

 不思議もくそもなかった。言葉遣いこそどこまでも思慮深い穏当なものだったがそうした修辞上の作法はともかく、意味するところはその実面罵に等しいこれ以上ないほどに苛烈な、当時の連邦軍、戦争指導に対しての、軍人としては最も避けて通るべき、上層批判だった。佐官の様な立場のある人間の口から出た言葉としては、とうてい看過されえないまでの。

 当時の、連邦軍。シナプスがそうであるように当然その多くは未だ現役にある。

「……大変示唆に富むお話で、有難うございました。眺めもとても素晴らしくて。そろそろ失礼致します」

 ほのかに顔を赤らめながらルセットはブリッジを出た。

 深く息をつく。

 仕事がら、軍人と接触する機会は少なくない。が、シナプスの様な人物が連邦軍にいるとは思わなかった。

 考えてみれば、今までに出会ったのは技術将校、エンジニアで、実際に矢弾を掻い潜っている、生粋の軍人と言葉を交わしたのはもしかしたら、今のが初めてになるのかしら。

 なるほど。あれこそがオフィサー、そして職業軍人という人種なのね。

 相手を剣豪と知りながら考えなしに木刀で小突いてみたら、有無を言わさず一刀の下切り捨てられた、ようなさっきの問答に、深く感じ入る。

 いやあるいは。小娘の戯れに座興で応じたつもり、かも。個人的意見、と予防線を引いた上で、個々の表現でも何ら言質を取られるような発言はなかった。”そう言って”いるようにしか聞こえない、だけで実際には一言も”そう言って”はいない。ただ”いやー不思議ですな”と首をひねってみせただけで。

 それに、とルセットは思い直す。確かに私、気の強いほうかもしれないけど。でも初対面に等しい上級士官に相手の職務上での論戦を挑むような無神経、無礼、とは違うから。

 理由はもちろん、オーバーワークに加えての寝不足。アッパー掛かってるところにちょっとした刺激を受けて、言葉が奔っちゃった、というところかしら。

 ん、と一つ大きく伸びをする。

 そろそろトリントン入港かぁ。さてあと一ふんばり、あのコたちを最高の状態で引き渡さなきゃ。そのあとは倒れて爆睡していいから。

 

 オーストラリア。連邦軍、トリントン基地。

 地球上に存在する連邦軍の大規模軍事拠点の一つであり、ハワイ基地と共に太平洋をその管轄下に置く。

 オーストラリアは1年戦争でのコロニー爆撃の爆心地であり、その大惨禍から未だに近隣の居住人口は極めて少なく、為にトリントン基地は周辺の住民感情に最大限配慮しつつ、確保している敷地面積はオーストラリア大陸のほぼ全域に及び、連邦軍本拠であるジャブローに次ぐ広大さを誇る。

 長大な射程を持つ兵装を取り回し、自身、卓越した機動、運動能力を備えるMSという兵器。誰はばかることなくその全能力を存分に発揮できる環境。トリントン基地は、各地の部隊が演習に訪れ、また実験機が持ち込まれて性能評価される、「MSの楽園」として機能している。

 そしてたった今も、新兵の訓練を兼ねた実験機のテストが進行中だった。

 実験機、「パワードジム」1機対、ザク陸戦型、「ザク2-J」3機での、異機種間戦闘、演習。ザクチームが攻撃、ジムが防御というシナリオ。

 オーストラリアの赤茶けた荒野を、4体の巨人が疾駆する。

 いや。

 軽やかに舞い、踊る1体に、他の3体が翻弄されている様子が、素人目にも明らかだ。

 口にレギュレータをくわえるスキューバダイブの装備を身に付けた、一つ目の西洋甲冑。ちなみに身長約10メートルオーバーの巨人。ザク2のイメージが伝わるだろうか。

 ヨロイを着込んだ巨人。いかにも鈍重そうだがそれでも時速100キロ以上は出ている。

 3機のザクは半円状に散開し、数の利を生かしてジムを包囲、しようとしているが巧くない。

 平原ならともかく今回設定されたこの起伏が激しい地形では、散開包囲し十字砲火を形成しようにもまず射線が通らない。なんとか射撃位置に機体を持っていこうとするが、対するジムは当然、棒立ちしてマトになってくれているワケではない。

 どちらかというと曲線を多く持つフォルムで、一つ目の巨人、という表現がしっくりくるどことなく有機的なザクに対し、同スケールでありながら機体の大部分が直線と平面で構成されているジムは大量生産大量消費の工業品、無機的な戦闘機械そのものだ。双眼でも単眼でもなく、フルフェイスヘルメットのバイザーを下げた様な無表情な頭部カメラ部がそれを強調している。「パワード」たる由縁の大容量大出力のジェネレータで駆動される背部のバックパックで機体をブン回している。オフェンス側のザクは全く追随できていない。ジムに引きずられる形で陣形を崩しそして。

「捕捉した!牽制足留めする!」

「突出するな!キース!退がれ!」

「え?」

 ひらひらと舞っていたジムが一転、獰猛な機動を見せる。ザクの射撃をシールドで受け流しながら一気に間合いを詰め。

「わああ?!」

 バズーカ発射。

 外す距離ではない、というより必中距離まで踏み込んでの文字通り必殺の一撃。キース機の胸部、コクピット少し上に着弾。死の刻印にしては不釣合いに陽気な、ペイント弾が描くパッションピンクの花が散る。

「あ~ぁ」

 ザクチームが漏らす失意の嘆きを破って。

「判定、キース機撃破。キース少尉、ライダー戦死。キース!状況終了までそこで死んどけ」

 演習を指揮する統制官、サウス・バニング大尉の声が響く。

 ジムのガン・カメラが記録した、自分が”戦死”する経緯を映像としてコクピットに転送されて来たチャック・キース少尉は抗議の余地もなく、了解、とただ一言力なく呟く。

「キース。あのバカ」

 ラバン・カークス少尉が毒付く。

「2対1か。どうする」

 とコウ・ウラキ少尉。 

「よし、仕切りなおしで挟撃だ。回り込むから援護しろ」

 了解、と短く応じながら3機で失敗したのを2機で出来るかな、とウラキは言葉には出さずに。

 バニングもまた、こいつはうまくないな、と小さく口にすると。

「命令変更。作戦変更、状況、遭遇戦、相互殲滅。復唱!」

 作戦変更、了解!。各機が応答。

 バニングは軽くうなずき、無表情に演習の推移を眺めながら、保って5分か、と弾く。

 同時に別の事も考えている。

 演習終了後のデブリーフィングでアレン中尉がそれをダイレクトに衝いてきた。

「しかしなんでいまさらGM対ザクなんですかね」

 ディック・アレン。パワードジムを駆りザク3機を瞬時に喰ってみせた。1年戦争では戦闘機パイロットとして初期から参戦、GMへの機種転換を経て激戦を生残したベテランライダー。

”1機のホンチョは10機のターキーに勝る”。空戦では数の優位が必ずしも戦力差を意味しないが、MS戦もこれに近い。

「ザク3機以上の価値がある。パワードは使える機体だと実証された。そういうことだ」

「ま、そういうコトにしときますか」

 中尉が言いたいことは判っていたが、大尉は取り合わなかった。 

 現況を踏まえるなら、やることはせめて”逆”であるべきだ。

 新型に熟練兵を乗せてザクを倒して喜ぶのではなく。

 熟練兵が操るザクに新兵が、新型、パワードの機体性能で対抗出来るのか。それをこそ検証すべきだろう。

 あるいはアレンが匂わせた通り、かつてのGMの難敵、09や14、少ないながら確実に存在するドムやゲルググを倒せるのか、をだ。

 が、それはそれとして。

 手続きはともかく、こうして戦力が増強されるのは、素直にありがたいことではある。

 評価試験と称しながら、パワードの正式採用は既定とのほのめかしは受けている。既存のGMが順次改装、アップデートされればだいぶラクにはなる。

 気に入らないこともないではないが、悪いことばかりでもない。

 懸念がないと言えばウソになる、しかしバニングは思考を打ち切った。その先は彼のような人間が立ち入る領域ではなかった。何より彼もまた、実直な職業軍人の一人であった。


 疲れていた。自覚できるほどに。

 物理的、身体的なものではない。

 そうではなく。

 必要とあらば躊躇なく振りかざしてきた錦の御旗、「ジオン再興」。

 現況に照らし合わせての常識的、現実的、実現可能性として。おそらくは無意識野に或る日、ふと生じた一抹の懐疑。

 それが、シミが広がるように拡大し。昨今は。

 無論、その大儀は軽々しく一身に背負えるものではない。

 全精力をその実現に捧げている、直属上官でもあるデラーズ・フリート総帥、エギーユ・デラーズの手腕、疑問視、疑念、などでも更にない。

 だが。しかし。

「ガトー少佐?」

「ん、何か」    

「総裁がお呼びです」

 従兵の呼び掛けにガトーは我に返った。

「……疲れているようだな、ガトーよ」

「!!いえ、決して、その様な事は!」

 デラーズは静かに頭を振る。

「無理もない。貴公には苦労を掛けた。今まで佳く堪えてくれた……」

「……もったいないお言葉を」

 ぎらり、とデラーズの瞳が光る。

「そう、今日まで善く堪えてくれた」

「閣下?」

 デラーズは叫んだ。

「我々は決起する!!」

「閣下?!」

「ジオン再興の為に!!遂にその勝算が立ったのだ!!」

「閣下!!」

 我知らず、ガトーの目に滲むものがあった。


 そう、今日この日の為に。


「バグラチオン作戦を発動する」

 デラーズは厳かに宣言する。


2.


「おーいモシモシ、ルセット、生きてる?」

「……ああデフラ。……死んでた今まで」

 デフラ・カー。優秀なライダーの一人で”03”のテストドライバーでもあったが、「ラビアンローズ」へのデラーズ・フリートによる襲撃の際、”03”で出撃、迎撃するも”03”の初期不良により撃破され瀕死の重傷を負い、何とか一命を取り留めたもののライダーとしての命脈は絶たれ、現在は現実のMSに習熟したエンジニアの一人としてルセットとペアを組んでいる。

「生還したのね。どう、夕ご飯」

「んー……食欲ない……」

「疲労回復には睡眠+栄養補給よ。明後日からはGPの評価試験が始まるんだから」

「んー……そうね」

 コミュニケータを確認すると「アルビオン」からのお誘いもあったが、今少し気まずかったので丁重にキャンセル。

 トリントン・ベースの一般食堂へ。


 食堂は沸きかえっていた。

 ペガサス級の入港……となれば。

「ガンダムが載ってる!間違いない!」

 ウラキも拳を握り締める。

「ちょっと、短絡じゃないのか。その根拠は」

 キースはあまり興が乗らない様子。

「いーや間違いない!。ガンダムが載ってるハズだ!。お?」

「おほ!アナエレの女性技官じゃん!」

 ガンダムより大分興味の関心らしい。と。

「あ、おい、コウ?」

 少し呆けた様子の、その一人にウラキは駆け寄る。

「すみません!アナエレの社員の方ですよね?!」

 ルセットは怪訝な顔をもたげて対した。

「……失礼ですが?」

「あ、申し遅れました!自分はトリントン所属のコウ・ウラキ少尉であります!」

「ウラキ?」

 ルセットの瞳に輝きが兆す。

「ウラキ少尉……ふうん、アナタが、ね」

「え?」

 その女性技官の反応は意想外なものだった。

「自分を?」

「ええ。よーく知ってるわよぉ♪もしかしたらアナタ自身よりも。あなた、面白いわね」

「え、はぁ?」

 ルセットはつと、ウラキの耳もとに顔を寄せ。

「乗りたいんでしょ」

「?」

「ガンダム、に」

「!!」

「あなた次第よ。もしよかったらこのあと「アルビオン」までいらっしゃい。それじゃ」

「え?!それってどういう……」

 キースも混乱している。

「コウ!お前あんな美人と知り合いだったのか?いつの間に!」

「いや、知らない」

「え?」

 呆然と立ち尽くす男二人をそのままに彼女らは歩き去る。

「……えーと、今のは?」

「さぁ?」

「『さぁ?』ってこたないでしょ」

「あ、そこ空いてるわよ」

 座ったあとで。

「ちょっとメンドくさそうだったから。呪文で黙らせてやったの」

 さらにワケワカメなコトを。

「じゅもん?」

「ガ・ン・ダ・ムって、ね。よく効くわねやっぱ、ま、ウソも言ってないし」

 すました顔で。

「……ふーん」

 判ったようなわからんような顔つきで、デフラ。


 とりあえず食事を終え。

 半信半疑、内心クビをヒネりつつも二人、連れ立って「アルビオン」まで出向いてみると。

「コウ・ウラキ少尉殿と、失礼ですが」

「自分は、チャック・キース少尉です」

 少し待たされたがそれでもすんなり乗艦を許可された。

 外来者にとって軍艦の内部構造は正に鋼鉄の迷宮。案内の兵に従い艦内を移動する。

「どういうことなんだコレ」

 声を低めてキースに。

「オレに訊くなよ」

 そりゃそうだが、と思いつつ。

 向こう、は知ってる、ってことか。でもなぜ。

 ウラキ、ぶつぶつ。

 右に折れ左に曲がり昇って降りてまた昇って。

 5分ほど引き回され完全に方向感覚を喪失したころ。

「こちらです」

 到着したらしい。

 待っていたのは。

「改めまして。アナハイム・エレクトロニクスのルセット・オデビーです。よろしく」

 案内の兵を帰したあと、彼女、食堂で遭遇したナゾの美女は、それでもていねいに名乗った。

「コウ・ウラキ少尉であります」

「同じく、チャック・キースであります」

 軽く答礼。

「さて、と。じゃも少しつきあって」

 言うなり歩きだした。

 え、とアタマに疑問符をはりつけつつここまで来たからには黙って従う。

 右に左に上って下りて。それでも何となく前へ、艦首方向に向かって移動しているのは判った。

 ふいに開けた場所に出る。

 艦首部、MSデッキだ。

「!!」

 その光景に二人は声にならない嘆声を上げた。

 内壁の両脇に少し傾けて繋止された4機のMS。

 無論、ただの機体ではない。

 双眼型の頭部カメラアイ。その額にピンと張り出たV字状のアンテナセンサ。

 ガンダムだ。

--RX78、ガンダム。その存在は現代の神話だ。

 「1年戦争」で実際に戦線を支えたのが多数のGMとそれに倍する支援機たちであるなら、ガンダムを倒さんと次々に名乗りを挙げるジオンのMSエースを尽く退け討ち果たしてのけ、

『ガンダムがまたやった』

 連邦軍将兵の精神的支柱として謂わば「戦う広告塔」とでも呼ぶべき役割を演じ友軍には大いなる戦意高揚を、「連邦の白い悪魔」として敵軍には悲嘆と絶望を与えた、その成果は比類無いものがある。

 いかにも俊敏そうな、均整の取れたマッシヴなデザインの機体が左舷側に、2機。

 その反対側の機体は、固太りの武士を思わせるボリュームのあるフォルム。

 2タイプ正副のガンダム4機が打ち揃う景観は、正に圧巻。駆け出しの少尉二人は存分に気圧される。

 ルセットは満足気にうなずき。

「仮称、GP-01。従来のガンダムのデザイン・コンセプトを継承したオールラウンダー。左がGP-02。火力支援機」

「……火力支援、ですか。ジオン残党の掃討にそんな大火力が必要な局面は想定出来ませんが」

 ウラキはようやく口を開いた。

「大火力?」

 いぶかしげに、キース。

「火力支援といいながらブラ下げてるのはバズーカ一振り。弾頭1発でこと足りるのさ」

「えーと、ってまさか……核弾頭!?」

「南極条約はジオン公国と連邦政府の間で取り交わされた文書。ジオン公国の解体と共に失効しているわ。何の問題もないわよ」

 自分自身、それを信じていない事務的な、平板な口調で、ルセット。私たちは要求仕様に従っただけ、と言葉には出さずにつぶやく。

 ウラキも黙った。軍人が、それも少尉風情がこれ以上何か口出し出来る話題ではない。

「とまあそれはひとまず置いといて」

 少し不自然なまでに明るくにこやかに、ルセット。おいとくのか。

「こっち。あと一歩で終点」

 そこにあったのは連邦標準規格の何の変哲もないコンテナだった。

 外壁に”GP01”と殴り書きされている、以外には。

「シミュレーター?」

 確かに、いきなり実機に乗せて貰えるほどアマイ話だとは思ってはいなかったが。

 ルセットは否定も肯定もせずドアを開けると中を示し。

「どうぞ」

 ウラキはアゴを引き、乗り込んだ。

 薄明かりに照らされたシートの背が見える。

 シミュレーターであるらしい。

 座席に着いたがベルトはない。体感型ではないようだ。

「始めるわよ」

 ルセットの声が響くと同時に眼前のメインモニタに光が宿った。

「これが、ガンダム、か」

 口に出してみる。ふしぎと、心が落ち着いて来た。

 あたりまえだが乗ってしまえば所詮1MSに過ぎない。レイアウトもGMと大差ない。ダムがGMのプロトであったことを考えれば、何より連邦のMSであることを考えれば当然なのだが。

 失意や落胆、では無かった。むしろ別の、静かな興奮が奥底から湧き上がり最前のやみくもな歓喜に取って代わった。

 やれる。この機体を操れる。俺はガンダムに乗れる。

 まるでウラキの心情を詠み尽しているが如く。

「ザクを出すわ。撃破してみて」

 トリントン演習場をモデルとしたような広大な赤茶けた荒野を並足で前進するGP-01の前方1kmほどの位置にふいにザク2Jが出現する。シミュレータなので空間操作は当然オペレータの意のままだ。

「え、なにいぃぃ?!」

 その瞬間、仄かに芽生えつつあったウラキの、駆け出しだがそれでも連邦の1正規MSライダーだ、ガンダムがどうした乗りこなしてみせるさという自信と自負は木端微塵に吹き飛んだ。


 作戦発動まで1時間を切った。

 参加部隊の総てが配置に付き息を潜めゼロアワーを静かに待っている。

 彼もまた、自らの配置に付くべく、正に移動を開始しようとしていたその時。

「少佐。ガトー少佐」

 低めているが切迫した調子で呼びかける声があった。

「何か」

 短い問い掛けに、現れた兵は電信を握りしめながら報告する。

「至急電です。これでは作戦は……もう……」

 半泣きの兵の様子にいぶかしみながら。

「どうした。何があった」

 電信を奪うように受け取り、素早く目を通す。

「なん、だと」

 思わず呻き声が漏れる。

 凶報だった。

 出航直前に主務者が突然倒れ、結果人員の総入れ替えが発生。

 潜伏させた人員も……。

 その情報が、ようやく前線まで伝わったのだ。作戦発動直前の今この時に。

 伝播速度は決して低くない。強襲を掛けんと展開した部隊への伝達と考えれば高速といっていい。少なくとも発動開始には間に合ったのだ。

 そう、中止には間に合った。


 ガトーは虚空を睨み据えた。

 中止。延期。

 在り得ない。この期に及んで。この機に臨んで。

 しかし。

 撤退の勇断を持てず宙に散った戦史上の作戦行動、数多の先例を鑑みるに、このままの強行は蛮勇でしかないそれは判り過ぎる程に自明だ。

 ささやかだがしかし、決定的な内応の存在を前提とした今回の作戦立案においてそれが喪われたことの影響は余りにも、重く大きい。

 奇襲は成功するかもしれない、するだろう。だが、完全な『強襲』となる。

 実時間上では一瞬の思索だった。

 ガトーは作戦指揮所の呼び出しを命じる。

 作戦開始直前の作戦変更。

 これもまた多くの古人が口を酸くして戒める最悪の愚行だったが、他に手段は無かった。


 01が放ったビームライフルの射線はザクを貫通し、一撃で爆発四散させた。

 もっともこれは、シミュレータ上での目標撃破の演出で実際のMSは爆発などしない。核融合炉を搭載したMSが撃破されるたびに核爆発など起こすような物騒なことでは戦術兵器に採用されるハズがないし、事実MSの炉はそういう間違いがないよう入念に製造されていて、活動停止はするが爆発するような事態は決して在り得ない。機体もまた不燃防燃構造のカタマリで、どこを切っても爆発燃焼する要素は存在しない。弾薬も化学変化発火式であるので、例え支援機でもこの条件は変わらない。

 それはともかく。

「こ、この機体、、勝手に動く??!!」

 ウラキは呆然。

「んふふ~そのとーり」

 満足のいく反応だったのだろう。心から楽しげなルセットの声。

「これは……その……」

 うろたえ、うわずったウラキの声にはそれ以上の絶望がある。


 MSの自動操縦。


 MSの主戦場は、宇宙だ。

 基本的にkm単位で計られる広漠な宇宙という戦場では、1秒間で地球を7.5週する光速ですら分が悪い。正にミリセカンドの領域が支配する戦場だ。1秒ですら冗長に過ぎる。


 ミリ・セカンド。ナノセック。


 電子計算機であれば何の苦もなく活動する領域だが、人間にとっては隔絶した世界のハナシだ。身体内の伝達速度のボトルネックの限界以上。


 相手も、敵、も人間であるなら、それでも、いい。


 が。


 敵が自動機械だったら?。

 自機も自動機械だったら。


 そこに。自分の位置は、あるのか。


「AI、なのか、いやなんですか。オデビー技官」

「ルセット、でいいですわよ、ウラキ少尉殿。技官っていっても尉官待遇だしそちらが先任ですし」

 それは、その。少し顔を赤らめるウラキに構わず、

「AI、じゃないの。本質的にも厳密な意味でも。いうなれば、そう、脊髄反射、みたいなモノ、かしら」

 言葉とは裏腹に寸分の敬意も見せずにルセット。

「脊髄反射……」

 MSは、一言ではMSと言ってしまうが実態はビル一棟が複雑怪奇な加減速運動をしているようなモノだ。機体各部がある程度自機の動きを先読みして応力分散でもしなければ、少しムリな動きでもしようものなら全身複雑骨折であっさり自壊してしまう。

 その、延長線ということか。ウラキは瞬時に自分なりの理解を得る。

「話すと、少し長くなるんだけど」

 前置きして。


 要するに、HI/LOWMIX戦略ってことで。

 GMとGUNDAMの2極構成で全体ではコストダウンを図りたいみたいなの、連邦軍は。予算は有限だし。

 当然、GUNDAMが指揮官機ってコトで。

 でも、指揮官機って、指揮官先頭よりむしろ部隊指揮でしょ?。

 だからって、相手のエースにあっさり墜とされるようじゃハナシにならないワケで。

 で、指揮官の負担をなるべく低減すべく、「MSのセミ・オート」ってコンセプトが今回採用されたのね。

 でも最後に戦場を決するのはもちろん……。


 もちろん、ウラキはその一言をも聞いてはいなかった。

 目の前の戦場に没入していた。


 あららと思いながら彼女は付き合い、黙ってそれを見守る。

 MSの特性を直感的に理解ししかし理論的に操る。

 人事考査などあてにはならないがモデルとデータベースはウソを付かない。加えて、余計な経験値は寧ろ阻害因子だとして抽出した。ヒットした一人が、トリントン駐在のこの少尉。

 なるほど、データ通りになかなかの逸材みたいね。

 悪くない。軽い勝利感をルセットは得る。


 間の抜けた音が連続した。ありきたりだが、シャンパンの栓が抜けるような。

 何の予備知識もない人間であればそう、判断しただろう。

 が、彼は違った。

 トリントン基地、早期警戒管制戦術戦闘情報支援システムである彼は、これを低脅威度ながら敵性勢力による攻撃行動であると即断、自身の権限内で最大限の対応を行う。

 センサが砲弾ラシキ複数の飛翔体を検知。

 迎撃。

 が。

 間に合わなった。

 のみならず無意味だった。

 砲弾は寸分おかず自爆した。

 濃密なミノフスキー粒子が基地を包んで。


 高く低く。断続的に鳴り響く。

「て、敵襲?」

「抜き打ちじゃねえの?」

 とのんきな会話を交わしていた歩哨が次の瞬間間断無い着弾にそれと意識する猶予もなく消散。

「くそ!動態観測レポートはこれか!」

 今となっては全く残念以外の意味を持たない副官のわめき声に被せて

「第二波来ます!」

 オペレーターの絶叫。

 ミノ粉の上に紅蓮の炎が塗される。


 実は、基地としての機能は、それほど低下してはいない。

 基本的には、半、全没構造だからだ。

 しかし。頭を抑えられているのは、もちろん痛い。

「高速移動熱源反応!。MS1個中隊と推計!」

「おごってくれるな。こちらは」

「定常スクランブル1のみです!」

 悲鳴。

「だよなもちろん。即応はいけるか?」

「いけます!が」

「即応、出撃。司令はまだか」

「巡察中でした……連絡不能」


 既出ではあるが、ビル一棟のMSははいそれではとわ動けない。正規なら30分、全部すっとばしてても起動まで5、10分は掛かる。致命的というか絶望的な時間だ。

 その時間を稼ぐ為に即応は存在する。


 即応、MS猟兵。


 歩兵だ。


「出撃する」

 小隊長が無感動に宣告する。

 部下達も無言で応じる。

 MSという巨人に生身で応戦する為に、人間としての何かを全員が放棄している。散文的には薬物使用。


「派手に、しかし正確に動け。火線を絶やすな。このまま抑え続けろ」

 ドム・トローペン1個中隊。強大な戦力だがしかし、既出の通り、ほぼオーストラリア大陸全土を領有するトリントンという一大戦略拠点を制圧するということであればあまりにも、少ない。先制奇襲の利を以って極限された戦術的優越を確保しているに過ぎない。

 それでも、半没構造を縦横に叩き、敵の頭を抑え続けていたドムトロの1機が、遂にがくりと動きを止めた。

「PAK!!」

 瞬時に警告が挙がる。元は戦車兵が対戦車砲の存在を僚友に通告する叫びだった。

「猟兵か。連邦にも少しは骨があるな」

 ベテランの一人が嘯く。

「だがもう遅い」ほくそえむ。ガトー少佐は。

 しかし。と、ザメル。680mm口径の巨砲を搭載した支援MSを操るライダーは小さくごちる。少佐も存外、無理を言う。


 680mm。 因みに史上名高いあの大日本帝國海軍、戦艦大和の主砲が460mm、だ。



「何だか騒がしいわねぇ」

 と。


 意識が、飛んだ。


 くどい様だが、MSの起動には思った他手間が掛かる。

 アナエレに潜伏したモールがそのリスクを回避する手筈であった。

 しかし。今その手段は閉ざされた。であれば。

 断念するのでなければ。モアベターを選択するしかない。


「な、なに、今の……」

 言葉が続かなかった。

 爆発、閃光。

 それが見えている、大穴。

 「アルビオン」の側壁に大穴が開いたということに気づくだけで随分な時間が掛かった。

「な、なにが……起きてるの……」

 ふらり。その場で立ち上がろうとして後ろから突き倒された。

「ウラキ少尉?!」

「敵襲です!!」

「て、てきって……」

 そのウラキが叩き伏せられる。もう何がなんだか。

 いや。

 知ってる。漸く現実の一端を捕まえた。

「アナベル……??!!」

 相手も氷付く。まさか戦場の真っ只中でファーストネームで呼び止められるとは。

「……ニナ……の……か……」

 押し出す様に、辛うじてそれだけを口にした。

 ルセットはいきり立った。

「アナベル!あなた、何でここに?!。ニナは……!!」

 ふっ。

 息が詰まる。がほげほはほ。

「許せ」

 短く捨て置いて、ガトー。

「待って、アナベル!ニナは……」が。

 今度こそ絶句した。


 ドムタイプのMSが2機、忽然と出現していた。


 02を擱座機回収の要領で抱えこんだ。

「ガンダム2号機は戴いていく!!ジオン再興の為に!!!」

02のコクピットに仁王立ちするガトーが、吼える。

「アナベル!!あなた!!まだそんな戦争ゴッコを!!そんな妄想の為にニナは……!!」

 知れず、頬に伝わせながら、ルセット絶叫。


3.


 それは決して表に出ない、地中深くでの、密室での密談。

「さて、今回の不始末、どう付けさせたものか」

「デラーズフリートは、連邦政府代表部に向け宣戦を布告して来ています」

「公式にはな。非公式には?」

「一部の急進勢力による反動的な行動につき、配慮願いたい、と」

「不正規戦の党首がそうか。笑えんはなしだ」

 失笑が広がる。

「しかし、効果は良好です。新たに3件の予算案が通過しました」

「本気で掛かれば1日仕事だが、失業者の山が築かれるでな」

「生かさず殺さず、難しいところで」

「ま、置こう。新たな動きはないんだな」

「動態観測では」

「そうか。では、表の話になるが」

「トリントン、随分な勘定を上げてきたが」

「被害見積り、概算で12億5千万になります」

「MSは出さなかったのか。間に合わなかったか。即応を出したか」

「2個小隊、全滅しました」

「少し真面目過ぎる仕事振りだな。いや、褒めなきゃいかんのだが」

「それと、GP-02略取の件が」

「ふむ、シナプスか。惜しいな」

「これ以上、上に来られるとやっかいだがな。うん。艦に乗せとくには申し分ない男だ」

「さて、どこに被らせるか。ところで、基地司令はまだMIA(作戦中行方不明)とか」

「は、それは……」

「不名誉な戦死、か」

「ま、少々酷いが、それでいくか」

「減棒半年、というところで」


 

 気が付けば食堂に来ていた。

 ウラキはそのまま目の前の席に崩れるように座り込んだ。

 脳味噌を、限界まで搾り取られたような気が、していた。

 何度でも繰り返される質問。

 おや、少尉は先に、こう仰られているようですが。

 相手は曹長だった。

 悪罵が口元まで競り上がって来た、これも、何度も。

 が、

 GP-02は、自分の目の前で奪取された。

 GP-02に最も近かった、最上級者は、自分だった。

 風聞では、今回の”事件”に関連して、アナエレ本社にも査察が入った、らしい。


 くそ。おれは、おれはただ。


 首をもたげた先に、その当事者が、居た。


 彼女も疲れ果てていた。

 まさか、アナエレでデラーズ・フリートへの内通者がいたなどと。

 総ては、それが前提とされ、起された”事件”だったなどと。

 反迫する余地はなかった。突き付けられる物証の数々に沈黙するしかなかった。

 あの晩、GP-02は起動され。

 しかも、核弾頭まで搭載された状態で、デラーズフリートの手に堕ちる計画であった、らしい。

 現実は真逆となった。

 GP-02は最終調整に向け、炉すら冷え切った状態で、しかも。

 トリガにはセーフが掛かったままだ。


 昔、核弾頭の管理は、正に国家規模の権威が掛けられていた。

 「核」という存在は、それ自体でそれ程に絶大であった。


 ジオンが、「戦術核」として、MSを発射母機として核を乱射して以来、その重みは薄れた。


 が、


 今回、南極条約が戒めた「核兵器」に対し、軍はその意向を尊重し、ルセットらも技術的に従った。


 キーを解除しなければ、核は、撃てない。

 核を封印されたGP-02はただの重格闘MSに過ぎない。


 そも、どこから持って来てどう積み込むのかが問題である訳だが。



 そして、GP-02略奪の現場に居合せたアナエレの最高責任者として、当然の如く、猜疑といっては生易しい軍の殺伐、辛辣な視線が、ルセットをも存分に切り刻んでいた。


 るせっとさん、ちょっと、いいですか。

 彼女は顔を上げた。

 今、此の世で二番目に会いたくない顔がそこにあった。

 結果的には、彼を今回の騒動に巻き込んでしまった、といえる。というか間違いなくそうだ。

「どうぞ」

 短く、応えた。

 失礼しますと言い添えてウラキはルセットに対する。

 で、何の用なの。

 ルセットは硬い声で言い放った。

 ぐ。

 と、

 ウラキは詰まる。

 全く、大した事に巻き込んでくれまして有難うございます!。

 ルセットの顔を見た瞬間、憤懣が渦巻いた。

 あんたのせいだ!。

 大声で罵倒してやりたかった。

 でも。


 目の前の彼女もまた、当然、疲れ果て、擦り切れ。


 言えなくなくなった。


「この度はその、お疲れさまです」

 口から出たのはそういう言葉だった。

 ルセットはきょとん、とし。


 ぷッ。


 声を殺して暫らく笑ったあと。

「少尉、あなた、たぶん人生でソンするタイプだわ」

「自分でも、そう思います」

 素直になれた。

「ごめんなさいね、巻き込んでしまって」

「いえ、その、今回は全員、被害者ですよ」

「そう、ね」

 思いがけない言葉に次々と触れ。

 逆に、何かが、音を立てて、折れた。

 03を取り上げられて……今度……また……。

「どうすればいいの?!」


 ウラキは押し黙って応えた。


 もちろん、彼女にも判っていた。ウラキは、もう絶対に佐官にはなれずに退官するであろうことも。

 しかし、一度弾けた胸の渦は本人にも統御できない。


 るせっとさん。


 平板な声が、呼び掛けた。


 ぜろさん、って何ですか。


 ルセットは目を見開いた。ああ、私が漏らしたのね。

 03。何と忌まわしい、でも甘美な響き。私の、栄光と挫折。


 小さく、吐息を漏らし。


「GP-03。デンドロビウム」

 低く、つぶやく。

「でんどろ、びうむ?」

 鸚鵡返しに、何かの呪文を唱えるようにウラキは囁く。

「そう。彼こそ史上最強のモビルスーツ。見るだけで驚くわよ」

 瞳に精気を宿す。つかのま、夢見るような表情が浮き出る。

「だったの、よ」

 トーンが、堕ちた。

 ウラキは沈黙で従う。


 やがて、ルセットは続けた。

「ラビアン・ローズ。知ってる?」

「アナエレのドック船、でしたか」

 ウラキはわずかに首を傾げ応える。

「私はその所属で。03の開発拠点もラビアン・ローズだったの」

 ウラキはうなずく。

「デラーズフリートの襲撃を受けたのよ」

「!!」

 声にならない叫びが漏れた。

 初耳だった。

 デラーズフリートが、結成当初から頑強な抵抗を示して来たことは、彼も知っている。

 だがそれは、非暴力による、あくまで政治的な活動に限定されてきたはずだ。

 実際、彼らの戦力はその宣伝扇情活動ほどには強力ではない、そう聞いている。

 実際的な軍事作戦行動に出たのは今回が初めてでは無かったのか。

 ましてや、軍属とはいえ民間船舶を襲撃するなどと。

「開発中の03が、評価されたのね。だから、潰しに来た。それで……03が、その場で実戦投入されたのよ。テストドライバーと共に。結果は……予想以上の効果を発揮したわ。襲来した戦力は03ただ1機で殲滅された」

「……」

「でも。03は。あと少しというときに制御不能になって。撃破された」

 重すぎる沈黙が、落ちた。

 工業製品たるもの全てが逃れ得ない病魔、初期不良、故障、欠陥。

 ましてやそのマスプロの前段階にある試作機、実験機では。

 だが。

 いかなる言葉も慰めにはならない。

 歴史にその名を留める少なくない数の、「自殺機」

 その生みの親として不名誉な帳簿に名を連ねてしまった、エンジニアへは。

「彼女は、辛うじて、生還してくれた。だけど」

 長い途絶の後、ルセットはそう言い足し。

「03は、凍結された。凍結?いっそ破棄してしまえばよかったのよ!!」

「……ルセットさん」

 思わず、ウラキは口を開く。

 悪くない、あなたは悪くない。

 だが、どんな言葉も、空しい。

 呼び掛けの言葉は、そのまま力なく宙に潰える。


 ふ。


 と、ルセットは微かに笑った。

「ごめんなさいね、ツマラナイはなし、で」

 ふふ、と明確に笑い飛ばしてみせた。


 剛い、女性だな。

 ウラキは、不思議な感覚に捕われた。

 この苦境にありながら、自らの凄惨な来歴を乞われるままに明かして見せながらあっさり、一笑に伏せてみせる。

 どういう、女性なんだろう。

 異性として、初めて意識した。

 同時に。

 自分は、兵で良かった。

 自らが銃火に曝されないだけに。兵器に、MSに携わる技術者は、その搭乗者総ての運命を担っている。

 兵でよかった。そんな重圧、重責に自分は堪えられそうも無い。自機を精一杯操り、目の前の的を追う。それで十分だし結局、それが性分なのだろう、と。


「すこし、気が晴れたみたい。ありがとうね、ウラキ少尉」

 改めて、本心から笑い掛けながら彼女もまた、奇妙な感触があった。

 コウ・ウラキ、少尉。

 GP-01の1パーツとして選定しただけ、だったんだけど。


 それだけじゃ、ないの?。


「白、ですね」

 残念、というよりつまらなそうな、何の関心もない、という響き。

「物証、心証、音声解析えとせとら。真っ白です。何の取っ掛かりもない」

「通行人A、Bにしてはキャストが立派過ぎた……見事に引っかかったな、とんだロスだくそ」

 不承不承の同意。

「少尉殿、並びに技官殿両名さま、丁重に詫びを入れておけ。放免だ次行くぞつぎ」


 「アルビオン」は今、ジャブローに回航されその地中深くに在った。

 ジャブロー。連邦軍の本営である。

 広大なアマゾン河流域のほぼ総てを領有する破格の規模もそうだが、特筆すべきは核弾頭の直撃にも抗甚するとされる全没構造による防御耐久力である。指揮中枢はもちろん、MSのハンガーから艦船ドック、そしてMS、艦船の製造工場まで総てが地中深く隠匿されている。

 当然、地表にも濃密な対空防御網と強固な防御砲台が群立……していた。かつては。

 予算も人員も有限である。

 地表の防御戦力は1年戦争時での「ジャブロー強襲」をピークに削減の一途で終戦協定を境にほぼ全廃され、現在は少数の監視所を残すのみであり皆無といってよい。

 撤廃するとコスト割れの一部設備が無人で放置されている。

 

 空襲警報、MP(ミノフスキー粒子)警報、そして”This is not a drill!!"の怒号。

「コレハ演習ニ非ズ」といって出撃を命じたわけではない。時間を稼げと命じられたそれが役目のMS猟兵は別として、現在屋外にいる総員への退避が下令される。

「全艦、緊急発進」

 へ、と操舵手のイワン・パサロフ大尉が間の抜けた声で応じた。

 どうしようもない混乱、叫喚。

 立ち直る隙を与えない間断なき着弾。

 突如叩きつけられた弾雨がトリントンを凶悪な紅蓮に染め上げてゆく。その最中。

「戦闘警報。全艦、緊急発進!」

 シナプスもまた断を下す。

「緊急発進、アイ!」

 パサロフは慌てて復唱、が。

「艦長!機関から後5分下さいと……」

 シモン軍曹の叫びに。

「”罐”が焼け落ちても構わん!1分だ!」

 有り得ない命令が飛ぶ。了解!と直で短く機関長、アウト。

「出力来ました。離床します!」

 もちろん、現在「アルビオン」はトリントンに係留されている。それは基地側でなければ解除出来ない。

 ワイヤーがちぎれヘビの様にのたうちフックが弾け飛ぶ。トリントン管制が何か喚いてきたがもちろん無視。どこまでも強引な緊急発進。

 と

 「アルビオン」は一瞬、身震いする。

 それが、デラーズ・フリートの支援MSからの砲撃が着弾した瞬間だった。

 大口径大火力のその砲弾は只の徹甲弾では無かった。

 左舷艦首デッキ部前方に着弾した”それ”は、爆発的な閃光と共に灼熱の奔騰に置き換わる。着弾点を、その付近にまだ戸惑いと共に残留していた社員と整備兵を艦の外壁もろとも灼き尽くす。

「左舷、被弾!」

 副オペレータのピーター・スコット軍曹が報告。

「損害状況!」

 シナプスの声に被さるように艦内カメラが被弾箇所を写し。

 どよめき。

 猛然と爆煙が立ち込め視界が利かないが、うっすらと。左舷艦首舷側に巨大な破孔が。

 あ

 だれかが、声を上げた。全員がそれを目撃していた。

 幽鬼の如く。煙の向こう。単眼を光らせた人型の影が、1体。

 ドム……?だれかが、ぼうぜんと。呟くように。

「応戦。白兵準備」

 冷厳なシナプスの声が現実を引き戻す。

「白兵準備!アイ!!」

 スコットの復唱は悲鳴でしかない。

 見る間にもう1機、ドム型が進入してくる。

「正気か……何を考えている……」

 パサロフが声を震わせ。

「!!」

 艦長が背後で、うめいた。

「爆砕する」

「艦長?」

「ガンダムだ!!。直ちに全機爆砕!!」

 あ

 全員がその可能性に行き当たり。

 画面の中では、正にその通りに事態が進行していた。

「合戦準備!左砲戦!」

 今度の発令は敵の動きを僅かに先していた。

 主砲は射角も展開の時間も無い。復唱の間も無く近接防御砲座が艦外にポップアップ。

 GP-02を抱きかかえた2機が破孔までにじり寄ったそのとき。

 濃密なMP反応が艦を包んだ。ブリッジからの視界も白く閉ざされる。

 近接信管か。MPを混入した煙幕弾が「アルビオン」の周囲で次々炸裂、その巨体を包み込む。

 その上からさらに榴弾が降り注ぐ。実質的な損害は皆無だが電子、赤外、光学総てのセンサを潰される。

「構わん、撃て」

 オートファイア。

 もちろん、何の効果も認められない。数秒で射撃中止を命ずる。

「操舵、高度は」

 艦長の力ない問い掛けに。

「約120」

 パサロフも申し訳なさげな小さな報告。メートルに戻すと約40メートル。

 戦闘艦は戦闘機、ではない。「アルビオン」の全長が300メートルである。ましてや現在は大気圏内でMCドライヴ中なのだ。取り回しが可能になる安全飛行限界高度はぎりぎり全長と等しい300メートル、公式にはその1.5倍。

 「アルビオン」を取り巻いていた全てのジャミングはこの間にも吹き払われている。が、目標は既に、無数の熱源が爆散し燃え狂い噴煙とMPが吹き荒れる、地表に。

 何か手は残っていないか。シナプスは頭脳を引き絞る。名の如く、脳細胞の稼動速度限界で思考を、戦術を、可能行動を思い、巡らせる。主砲、メガ粒子砲で地表を掃射する、マグレでいい1発でいい、射角が、回頭が必要だ、やはり高度が。

 艦首上げ……すんでのところで発令を思い留まった。

 スラスタで艦首を持ち上げ、主機を吹かして高度を得る。10秒、いや5秒で行けるか。

 不可能ではない。

 緊急発進である。

 指揮命令系統が確立されているのはこのブリッジ周りに限定されているといっていいだろう。

 全艦に艦首上げを警告、各員防御姿勢に、次いで全力加速3秒。

 何をどう考えても不可能だった。この先、カーブで車体が揺れますご注意下さいどころの騒ぎではない。間違いなく戦死者が出る、それも1人、2人の不幸な偶然ではないダース単位の。それを代償の主砲盲撃ち。

 トリントンの地上施設ごと。

 コラテラル・ダメージ。

 思考の片隅をよぎる語がある。あれもそうこれも、そう。

 いや。

 シナプスは力なく頭を振る。

 自分には、出来ない。

「航法、洋上退避。操艦任せる」

 万策、尽きたか。

 発令し。

「進路洋上、アイ。安全高度到達後転針実行。大尉、針路任せます」

 航法士のアクラム・ハリダ中尉が引き取り。

「進路洋上、よろし」

 パサロフが受ける。

 艦を部下に預けると、信じられない程の疲労感が押し寄せてきた。

 それはフルマラソンを100メートルのタイムで完走した直後の如き。身体が、何より頭脳が。シナプスは艦長席にへたりこんだ。クルーの手前、見せたくない無様な有り様なのだがもういい、しばらく動きたくないし、考えたくもない。考えたくないが。

 おれも、あまい。

 精々佐官止まりということかなこれは、うん……。

 瞑目したまま静かに一人、自省に沈む。

「すみません。トリントン・コントロールが返せ戻せって煩いんですけど……」

 通信担当のウィリアム・モーリスが上げた情けない声に。

「「アルビオン」、緊急退避中!そういっとけ!」

 最先任のパサロフが一喝する。

 そう、今この場に居合わせているブリッジ・クルー全員には、判っていた。

 もし。「アルビオン」が離床することなく。考えのない”あひる”のように地上で間抜け面を晒していたとしたら。

 GP-02を略奪されるに留まらず。

 かなり高い確率で。連邦軍はこの、新鋭強襲揚陸艦とその約200名の兵員まで喪っていたであろうことを。

 確かに、強引な指揮だった。だが正にその指揮こそが艦を。

 そして、我々を救ったのだ、と。


 4.


 その後連邦軍情報部の調べにより、トリントン襲撃に始まるDF(デラーズ・フリート)を中核としたジオン残党による一斉蜂起、作戦名「星の屑」の概要は明らかになりつつあった。

 作戦は、アナエレ社内に潜伏し通謀する者の内応による、GP-02及び核弾頭の略取から発起する予定にあった。

 だがこれは初手から頓挫することになる。連邦にとり幸運な偶然により、作戦発動直前で発生したアナエレ主務者の交代に伴う人員入れ替えにより「アルビオン」艦内からの内応という前提が崩れ、GP-02は略奪されるものの核弾頭は無事であった。そして「アルビオン」はそのままジャブローまで回航される。核という切り札を以って連邦を恫喝する予定にあったDFは、掲げられた苛烈な宣戦布告とは裏腹にトリントン襲撃以降は積極的な活動を示さず、否、示せず現在も沈黙を保っている。

 しかし「星の屑」の存在は連邦軍の心胆を十分に寒からしめた。

 もしこの作戦が予定通り進行していたならば。GP-02が核弾頭と共に略奪されていたら。まず確実に相当規模の損害が、或いはジャブローそのものすらが攻撃されていた可能性すらがあった。

 だが。とにもかくにも作戦は既に失敗したと言える。核の入手に挫折したDFは、推定される保有正面戦力だけの評価であればさしたる脅威ではない。敵の手にあるGP-02もそれだけでは単なる重格闘MSの1機に過ぎない。

 侮るまいと自戒しつつの冷静な分析の結果であっても尚導かれる揺ぎ無き優勢に、連邦軍が今後の見通しを常に変わらず楽観視したのは無理もない状況ではあった。

 無論、それに組しない少数意見も当然存在した。シナプス大佐もその少数派だった。

「GP-02追討?貴官の手元にその戦力はないのではないか」

 それより01まで奪われんようにな、ジャブローまでの回航に専心し給え。ああ無論02には然るべく対処する、しかしそれは貴官の任ではない。ま貴官の心情も理解出来ないものでもないがそれは機を待つことだ。

 シナプスの具申は俗な解釈の下揶揄を絡めた正論で一蹴された。違う。私個人の名誉などどうでもいい。未だ事態は危機にあるのだそれが何故判らん。

 シナプス等前線に身を置く一部の者は、DFの沈黙を所謂”嵐の前の静けさ”と捉えていた。デラーズは未だ、旗下の戦力を統率している。もし、作戦が失敗したということであればそれを糊塗せんが為の(内部に向けてのだ)更なる行動に、或いは指揮官の指導力を見限った反動勢力による暴発、それら何れかの形で不安定要素が表出して然るべきだ。

 だが、現在それは確認されてない。如何なる兆候も示さずDFは悠然と沈黙を保っている。

 次なる行動に向けて。

 確かに我々は偶然にも緒戦で彼らの作戦には痛打を与えた。だが、彼らの保有戦力はほぼ無傷で現存している。

 連邦の全軍と引き比べるならなるほど、それはささやかなものだろう。だが彼らはその手勢でトリントンを大破させてみせた。我々はそれを全く予測出来なかった。

 そう、連邦の全軍を以ってすれば、DFの掃滅などさほどのことではない、それは事実だがしかし、今連邦軍は広汎に展開しているではないか。そしてその戦力重心は宇宙にあり正直、地上は手薄だ。現段階での広く薄い連邦軍地上戦力配置は、各個撃破の好餌とすらいってよい。それが敵への誘出撃滅の構えであるというならばそれでよいが、実際には漫然と均等配置しているだけでその様な緊張は存在しない。

 またDFの攻撃目標が軍事拠点であるとは限らない。或いは彼らは地球圏の、地上の経済拠点を攻撃してくるやもしれない。軍はそれを守れるのか。否、不可能だ。

 であるなら。トリントンから撤収する敵軍を可能な限りの戦力を投入して追撃、出血を強いるのは正に好機であったのだ。可能な限りの戦力投入とは無論、太平洋軍の全力を掛けて、である。

 断じて、敵に行動の自由を許してはならなかったのだ。それをみすみす。

 そして、DFに対すべく公示された連邦軍の施策、それは観艦式の挙行であった。1年戦争以降絶えて久しい観艦式をかつてのジオン要衝旧ソロモン、原宇宙要塞コンペイトウで史上最大級の規模で開催し、その威を以ってDFのみならずその支持母体を圧殺し、連邦による、軍による秩序を高らかに誇示顕現する。

 上層部により公布された”戦争指導”に対し、現場組はそこにある認識の隔絶に名状し難い焦燥と徒労の感を覚えた。連邦軍がDFを端から相手にせずまたそうした態度を示すことにより、連邦市民世論に向け直接働き掛けを行い醸成される空気で、スペースノイドの代言者を謳い政治勢力の一角を演出しているDFをその支持基盤を含め、戦わずして改めて孤立化させまた無力化する。なるほど戦略としては極めてスマートかつ有効だろう。

 だが、DFは政治圧力団体でも思想集団でもない。現実の脅威であり無視出来ない規模の正面戦力を擁する武装集団なのだ。政治勢力然として振舞う敵を、敢えてその望むがままに表舞台に引き摺り上げその上で正面から撃破する。素晴らしい。だがその状況は真に連邦自らが望み選択したものであるのか。戦略的見地を重視する余りに陥穽に陥ってはいないのか。

 否。観艦式の遂行は戦術的にも満足されている。DFが政治勢力を自認する以上、観艦式の成功を座視することはそのまま政治的死を意味する。彼らはこれに対し必然的に何らかの行動を、つまり軍事的作戦行動で呼応せざるを得ない。或いは彼らの核はこの観艦式をこそ討つはずであったのかもしれない。しかし現在の彼らに如何ほどの力があるというのか。討伐軍を興すまでもなく、篭るには安全な暗礁宙域より自ら推計1個師団にも満たない戦力を吐き出し、挙句空しく散って行くことだけが彼らに唯一残されている可能行動だ、自ら星の屑と称した様に。


 コーウェンのオモチャの出来を見てやるか。

 今となっては誰が言い出したものか不明である。

 その日、デブリの最後にルセットはペーパー1枚をひらめかせながら、何かのついでの様にコウに告げた。

「それとはい、正ライダー承認通知。おめでと」

 言葉と裏腹にカケラの喜色も表さず手にした封筒を無造作に突き付ける。

「ああそうそう、来週の今頃は御前試合よ。がんばってねー」

 さらにどうでもよさそうな口ぶりで付け加える。無意識に伸び掛けたコウの手が空中で止まる。

「御前試合、って?」

「だから、それの、01の正ライダーに、決まったのよ、コウ」

 噛んで含めるようなルセットをさえぎりコウは。

「いやそうじゃなくて! まだまだ慣熟、各パーツの”アタリ”がようやく出始めたくらいの段階じゃないか! 御前試合って、高官立会いでの公式評価試験を?!そんなばかな!」

 ルセットは不思議な薄笑いを浮かべ、コウを見据えた。

「鈍いわね、コウ」

「ルセット、さん?」

 コウは戸惑う。

「まだ判らない?。偉いヒトは”ガンダム”を”潰したい”のよ」

 吐き捨てる。

「ガンダムを、潰す?!」

 コウには全く理解不能な言葉だった。

「まったく。お膝元のジャブローに回航されるなんて、ツイてないわよホント。何のためにトリントンに行ったんだか」

 ルセット、ぶつぶつぶつぶつ。

「あの、ルセットさん。やっぱりよく判らないんですけど。誰がナンでガンダムを潰すって……」

 では説明しよう、とでもいう様にルセットはぴっと人差し指を立て。

「その1。ガンダム潰しはコーウェン潰し。これはもちろん判るでしょ」

 コウはしかしゆっくりと首を振った。

 ルセットは慈母のような微笑みを浮かべコウの顔をしげしげと覗き込み口を開く。

「あのね、コウ。あなたが人畜無害な新品少尉で純粋真っ直ぐバカの1MSライダーだってことは私も良く知ってるわ。でもね、人生を少しでも有意義に過ごしてみたいなら例えば自分が所属してる組織について少しくらいは興味を持ってみても何も悪いことはないって、そう思いはしない?」

 勝気な気性の人間にありがちな本人無自覚の罵倒芸だが少なくとも彼女のそれには既に慣れ親しんでいるコウは、ただ気弱げな笑いを漏らしただけだった。

 ルセットは軽く息をつくと言葉を続ける。

「えーとこういうのは釈迦に説法だと思いたいんだけどそもそも軍隊がそんじょそこらの行政機関なんぞよりよっぽどガチンゴチンの官僚機構だってことは、判ってるわよね」

「まあ、そう言われるよね」

「そう言われる、じゃなくて事実そうなの。じゃ、官僚といったら何を思い浮かべる?」

 コウは少し考え。

「何だろう。組織存続の自己目的化、とか」

「それは官僚機構に限定されない組織としての一般則ね。確かにそうした傾向も強いけど、官僚といったら派閥の形成とその組織内組織間での闘争、よ」

「派閥闘争なんて別にどこでも珍しくは……」

 口にしながらコウは気付いた。

「……コーウェン中将は自身無所属のコーウェン派、か。そんな下らない理由で」

「旧レビル派ね、シナプス大佐もそう。そしてガンダムの成功は中将の実績になる。十分な理由よ。それが一つ」

「一つ?」

 コウは怪訝な声で応じる。

「そう。そしてもう一つなんだけど、私もしょせん技術屋だからそのへんは断言できないんけど」

 彼女は心底不機嫌そうに顔を歪めた。なまじ美人なだけあって正に鬼気迫る造形が浮かび上がる。

「ガンダムは”旨味”が無いのよ多分。だって工業製品なんて大量生産大量消費でなんぼ、でしょ、兵器だって同じことよ。それが数は出ないは回転は悪いはでリベートキックバックなんかの生臭話を別にしてもこのHI/LOWMIX戦略が巧く回って目出度く敵対勢力一掃に成功でもしてしまった日には待っているのは狡兎死して走狗煮らるの大軍縮、得するものは誰もナシ、でその他大勢としては全力で潰しに掛かるのが大正解よねほんとのところ、なんて思うんだけどどう、コウ?」

 ルセットがぶちまけてみせたあけすけな”戦略的視座”にコウはしばし絶句した。

「連邦軍の、HI/LOWMIX構想って言ってたよね」

「コーウェン中将の、ね」

 なるほど。そういうことなのか。

「いやあのコウ、そこは深く頷くとこじゃなくて。ほんとはもっと怒って、激怒していいのよ貴方」

 少し焦れ気味に強い言葉を使うルセットに。

「なに。痴話ゲンカ?」

 ひょいとデフラが顔を出す。

「ど、どこが痴話ゲンカよ! 評価試験についてのマジメな打ち合わせだってば!」

「評価試験? 急なハナシね」

「さっきアナウンスしたじゃない。来週の今日よ」

「あれそうだっけ」

 コウを置き捨てそのまま女性二人は声高に言葉を交わしながら退室して行ってしまった。


 同夜

「デフラ、知ってるのかな」

 コウの胸に顔を埋めながらルセットはつぶやく。

「別にいいけど。軍民癒着の悪しき事例、になるのかね」

 コウは言い軽く笑う。

 ルセットはふいにしおらしい言葉を口にする。

「昼間はごめんね」

「何が?」

「いや、途中でほっぽりだしちゃって」

 何をいまさら。コウは苦笑し。

「別にいいよ。でもその先は気にはなる」

「先って?」

「激怒すべき理由」

 ああそう、それよ! とルセットは声を上げる。

「わたしね、客観データを添付した上で経歴的には実戦実績も無く経験も皆無だけどコウ・ウラキ少尉は最高のMSライダーだから是非GP-01の正ライダーとして改めて起用したい、って書いて申請したのね」

「光栄です」

「で、あっさり受理されちゃったのよ。どういう意味か判る?」

 そうだな。コウは少し首をかしげ

「好意的に見れば、適材適所として軍の人事裁定能力が有効機能した、と」

「ホンキで言ってる?」

 いや。

「1年戦争組の採用を逆提案してくるところだろうな、ふつーなら」

 だよね。ルセットもうなずいた。

「……舐められたもんだ。僕も01も」

 が、コウの顔に怒りの色はない。

「理由や思惑はあるんだろう。でも今はガンダムのシートを取れたことを素直に喜ぶことにするよ」

 ルセットは不思議そうにコウを見る。

「いいの。それで」

 コウは静かな笑いを刻み。

「見せてやる、さ」

 言い切った。


 その日のジャブローも暑かった。

 とはいえ記録的猛暑、というほどのことはない。3、40の線を行き来する気温も、湿度100%の重くねっとりとした空気もここでは変わらぬ日常の風景である。


 緑色の瀑布の如く繁茂する熱帯雨林に覆われるアマゾンの支流の一つに、大自然の景観に威圧されるかにある、比べるならちっぽけな、人の手になる構造物が漂っている。


 河川哨戒艇。旧世紀来の合成樹脂製、軽量の船体にトップヘヴィ気味の上部構造、火砲。地元漁民の釣舟ほどのサイズだが、これで眼もあり牙もある立派な軍艦である。


 ああそうだこれでジャブロー勤務はそれでもやっぱり天国だよ例え外回りでもな、畜生。


 絶え間なく噴きこぼれ額から流れ落ちる汗をそのままに、何を見るでなし覗き込んでいた双眼鏡を胸に降ろしながら艇長は、部下に隠して胸の内に吐き捨てた。いや実際にその通りだった。同期でも既に数名の戦死者が出ているだけに。


 兵の肉眼を用いた監視、索敵。アイボールに優るセンサー無し。古来からの、信仰にも似た軍隊特有の通念の一つである。ましてこのMP環境の世代においては、光学監視は揺るぎない定理にまで磨き上げられている。無論そうした監視体制の完全なる自動、無人化は理論上では不可能ではない。しかし例えばこのジャブローの高温多湿な環境で信頼面での冗長性を備えたバックアップを持つシステムを、しかも連邦最大規模のこの領域に張り巡らせ配備運用することは……控えめに表現してもやはり、余り現実的な選択ではない。世の常に変わらず軍の予算でも人件費はその項目の最大比率を占めるが、それでもなお人間を使ったほうが安価でかつ確実なことはある。


 艇長。時間です。通信兵が声を出す。


 彼は鷹揚に一つ頷くと受け取ったマイクに向け発声する。


「こちらPRBー51。定時連絡。光学監視平常、聴音監視平常、現段階で如何なる脅威並びに兆候、何れも確認出来ず、オールクリアー、以上」


 艇長はいかにも面倒くさげに言い送った。ジャブローに誰が攻めて来るんだってんだよまったく。


 彼は間違っていた。


 配備の日も浅く若い彼は知らなかったが、そして知っているべきであったが、1年戦争末期でのジャブロー強襲以外でも戦争中盤では北米を発した爆撃団が昼夜を分かたず爆弾を降らせていたし、嫌がらせ以上のものではないが少し前だと沖合いからミサイルが打ち込まれることくらい珍しくはなかった。ジャブローの安全を磐石と断定出来るのは本当にここ最近でのことなのだ。


 だった。


 原隊に向け一方的に申告を終えた彼がマイクを通信兵に投げ返したときに、それは起きた。


 発見の恐怖に怯えつつ息を殺してその時を、艇が発信を終えるタイミングを、異常無しを申告させることにより稼がれる安全な時間を待ち焦がれていた。


 視界は白く包まれ、艇の周囲に複数の水柱が立つ。断続的な機械音が艇を包む。


 無論、彼には何が起こったのか理解する猶予はなかった。そのまま意識が途切れる。


 白い影はMPを塗したスモーク。水柱はウェットスーツ姿の兵。全員が素早く艇の上に這い登る。


 Clear。


 一人が短く告げる。心動モニタを警戒し殺してはいない。


 僅かな間を置き、水面が盛り上がった。




 必ず何らかの形で仕掛けてくる。


 これは別に彼の個人的な確信などでは無かった。手元にある総ての情報にそれが示されている。


 連邦軍本部付、主席作戦担当士官であるアントニオ・カラス大佐は、自身が囚われつつある緊張感を振り払い、また押し隠しながら作戦情報統合司令室の中央にあって、どこまでも悠然と立ち振る舞っている。


 指揮官が発する空気は直ぐに部隊へ伝搬する。無用な緊張など害悪の最たるもので、徒に各員へ消耗を強いるばかりか、往々にしてその能力発揮をスポイルする。


 問題はそれが如何なる形を取るのか、である。


 それが小規模な擾乱であろう事は誰にでも判る。かつて公国が正規戦で敗退したのだ。その敗残である今のDFに我々を正面攻撃する能力は存在しない。


 だが、その無力は何より、DF自らが知悉しているのではないか。


 そのDFが仕掛けてくる。


 軍によるものではない微弱なMP反応、交信のサイドローブの傍受。航走音の探知。


 ジャブローの外郭でDFは、低調ながら質実に活性化の兆候を示している。


 だがやはり推算出来ない。


 3スコードロン。CAPは十分以上に上げている。


 MSも六個師団を貼り付けてある。


 今も各部隊は、分刻みで中堅企業の年間予算規模の経費を喰い散らしながら配置に付いている。


 そしてなお、現配備はジャブローの全力発揮には程遠い。必要であれば即応であってもまだこの3倍は用意出来る。


 そうなのだ、そして、これをDFとて知らぬわけがないのだ。


 どんな公算があるというのか。それが、未だに判らない。


 カラスはさり気なく、またそれを盗み見た。


 開幕まで1分を切った。


 多面モニタの一角に、その映像は小さく出力されている。


 誰一人、視線一つ向けていない。


 しょせん出来レース、少なくともここに詰める全員、対象の埒外にある。


 彼らの意識はそう。




 ** No data **




 広域作戦表示領域にアラートがポップアップ。


 アラート・タワー、無人警戒監視所の一つがダウンした。


「直近は」


 情報統制官の声にオペレータが即答する。


「PRBー51です。3分前に定時連絡にて平常を確認」


 統制官は直ちに決断。


「51をコールしろ」


 艇は目立たない形状ながら船体下部にエア・クッション構造を有し、限定的ながら上陸、及び陸上移動能力を持つ。哨戒任務の機材として、その設計段階から運用上での柔軟性の確保は十分配慮されている。


 1,2,3回。


「PRBー51、応答せず!」


 統制官はカラス、担当仕官を振り返る。


「PRBー51、途絶。現状確認許可を願います」


「許可する」


 統制官は向き直る。


「“トンボ”を出せ」


「了解、Bug-house 641 Setup …… Run」


 ジャブロー全域に約5km間隔で配置されている“巣箱”から“トンボ”、UAV(Unmanned Air Vehicle)が、消耗型の小型自動汎用機が射出される。有機素材から形成される機は極限まで軽量化されている為に起動と同時に自壊を開始、耐用時間後に消滅するので再使用は出来ない。


 タワーの外観に異状は確認出来ない。


 51も同様だった。哨戒定速にて平常に航行している。


 気付いたのか。兵の一人がこちらに向け、手を上げている。


 偶発か。


 貴重な機材を二機使って、結果が“マーフィーの法則”、か。


 空気が緩み、人の手によりデフコン・アップが解除され掛け。




 ** No much **




 アラートがオーバーライトされる。


 現在、軍に在籍する個体情報に同定せず。早期警戒管制情報支援システムは警告する。公国軍個体情報に有意差内で近似、経年変化の加算操作により同定し得る三個体を確認。情報特性類別実行、以後敵性として識別する。


 稼がれた時間は9分。




「レッド・クラウン02よりビッグケイブ。これよりセンシングする」


 通常直の広域探査から外されたAWACS、早期警戒管制機、Eー37「ディッシュ」が指定セクションに向けハイレゾ、タイト・センシングを開始。


 結果は直ぐに現れた。大気熱分布と異なる特徴的な残留熱放射を探知。複数の熱源が高速移動した痕跡と推定された。それを時間変化量感度増大の方向に向け微分解析、延伸すれば現在位置を特定するのは容易だ。18m/sほどの運動量を持つ移動熱源反応を捕捉、数量5体からなる構成と確認する。経路中途に分岐、合流を示す情報は無い。これで総てだ。


 レッド・クラウン02はセンシングを継続する。密林に遮られ視界は不良だが取得された断片的な光学情報はデータ・リンクにより評価そのものは基地本部にて高速処理されている。目標の現在位置、運動量、そして撮像位置から逆算され補正されデータベースに照会されると目標各機の同定、照合はあっけなく完了した。


 ベースが得た結果がレッド・クラウン02に転送され、作戦戦術情報が書き換わった。


「MSMー01、2。MSMー07、2。06が1」


 オペレータが読み上げる。


 彼女は見下ろす敵性情報に向け、刹那の憐憫を投げ掛けた。今やただ狩られる、いや、それこそは既に狩られ、調理され皿に盛られた“ディッシュ”に他ならない。高度65000ftの快適な職場から睥睨する地上戦。これが制空権、Air-Superiorityの意味と価値。


 自分が今いる場所への素直な安堵もまた。


「ビッグケイブより02。管区担当、708の全機とSEC-83、452ーBravoの管制を預ける。誘導せよ」


「02了解。708全機、452ーBravo……確認した。I've,con」


『All-Hands !! 第452大隊各機。Bravoは管区63に移動、Alpa,Charlieは哨戒任務継続』


 管区84から63への増派。連隊長の指揮により大隊長が命令する。


 あとは現場指揮官と前線統制官の職掌となる。こうなってしまうと司令本部の仕事は余り残されていない。


 カラスは変わらずポーカーフェイスを貼り付けていたが胸中には複雑なものを含んでいた。


 一言でいうならそれは拍子抜けで、失望だった。


 1+1は2だ。生卵をぶつけて岩を砕くというハナシも聞かない。こんなものかという醒めた感覚もある。まあ、抵抗のアリバイはこれで出来たのか、DFよ。


 結局、これが実勢だということなのであろう。MSを輸送し、敵本拠に揚陸する。僅か5機と言ってしまえばそうだが、その実現にどれだけの努力を積み上げたのか。今のこれが限界なのだ。


 そのなけなしの戦力は高い練度を示しながらも、両翼包囲をちらつかせながら隙なく延翼、同時に正面からも圧迫しながら前進する、圧倒的に優勢な連邦軍増強大隊40機の平押しを受け、さしたる抵抗も見せずにずるずると後退していく。


 直ぐに海岸線まで押し戻せるはずだ。そこで殲滅すればよい。


 脅威はあまりにもあっけなく排除された。




 管区03。アマゾン河口守備を含む、重点哨戒区域である。


 一口に河口、といってもアマゾンのそれは約400kmに及ぶ広正面を持ち、下手な戦線以上の線長を持つ。かといって細切れに専担区域を設定してしまっては、区間での連携が危ぶまれ区域間での煩瑣な調整も必要となる。しかし漫然とそのラインを維持するということではなく、河川部への侵入経路となる、大別して5箇所がチョーク・ポイントとして重点設定されている。


 厳重な警戒を侵して、既にオリノコ方面を浸透突破されていた。幸いにも敵戦力は小規模であり、また早期の捕捉、撃退に成功し損害は軽微に収まったのだが。


 何としても、アマゾンを抜かれるような事態があってはならない。


 哨線はエアカバー、各重点の陸岸に配置された地上戦力に加え、「ハワイ」から引き抜かれた精鋭水中部隊、RAG-79G1「ガンダイバー」から編成される二個大隊60機により増強されている。


 大戦期に開発配備された機材と部隊の何が精鋭か、といえば、全くその通りだが現状、軍が保有する水中兵力で最強最優秀の部隊といえばそうなる。


 何故と言って、今日まで必要とされる局面が存在しなかったからである。


 軍事専政により体制を確立し国を興しながら、公国は、そして指導者ギレン・ザビは戦争という事象そのものは理解していなかったのではないかという、現代史学上の疑念がある。


 戦争とはつまり兵站(補給物資、補給手段全般)の潰し合いに他ならないことは、論を待たない原則であるだろう。古今東西それは変わらない。技術を初めとするその時々の環境に応じ、様々な様態を顕すが為、外観に囚われるものは幻惑されるのだ。


 ここで公国が先の戦争において、地球海上に設立した海軍が果たした“役割”について少し考察を加えておきたい。


 前後するが、先の大戦における公国の攻勢限界が地球軌道であったことには異論が無いと思う。


 公国はまず、制宙権確保の任に就く宇宙戦力に向けての現有戦力維持補給、作戦兵站の供給を必要とした。


 これに、地球侵攻に当たっての戦闘兵站が付加された。


 地球侵攻の初期段階はある程度の余裕を持ってそれが可能であった。降下作戦に必要とされた戦闘兵站は宇宙戦力と大部分において共用が可能だった。制圧に要された時間も短期間で済んだ。公国は辛うじてこれを乗り切った。


 だが皮肉な事に、戦勝により獲得された領域と、やはり勝利により新たに地球圏に展開することとなった陸軍の存在は、公国の兵站を容赦無く圧迫し始めた。地上で獲得した資源は何の解決にもならない、否、それこそが地上と宇宙の作戦兵站を更に急迫させた。(打ち上げれば後は投げるだけにせよだ。)平時であれば通商路により担務されるべきであるのだが。


 そうした状況の下、新たに設立されたのが公国海軍であったのだ。


 軍隊、と限定せずともよい。新設された組織が機能し能力を発揮する、その準備期間について理解出来ない者はいないと思う。無論、公国は可能な範囲でその縮減に努めた。例えば宇宙軍から引き抜いた戦力を配置転換し、編成の基幹に据えて練度の向上と慣熟期間短縮を計った。しかし艦船乗員はともかく、ライダーについては常に陸軍との争奪が生じた。現に嚇々たる戦果を掲げ、前線を押し上げ続けている陸軍の声は大きかった。


 海軍がその機能発揮に向け努力の途上にある中だった。


 公国の戦争は遂に、極限に達した。


 一人の兵を想像して欲しい。彼はその筋力と等量の装備重量を今負っている。彼は全く動けない。座して休む猶予すらない、再び立つ力は今の彼には無いからだ。


 前線から後方まで、軍に属する総ての将兵に食を与え、機材を稼動状態に維持する。それだけで公国の国力は使い果たされる。これを指して極限と表現した。


 先の大戦では、「オデッサ」での勝敗が戦争の帰趨を示し、「ジャブロー強襲」の阻止により決した、とのイメージが強いが、これが実相であった。その遥か以前に公国の戦争は破綻していたのだ。その後の戦勢はこれが表面化する過程に過ぎない。


 余談が過ぎたが、本稿の趣旨も理解出来ると思う。つまり公国海軍は戦争に寄与すること少なく、ただ兵站を食い潰し負荷を増す存在でしかなったのでは無いだろうか。


 そして公国海軍は、求められた唯一の機会にもその任を果たすことが適わなかった。


 連邦軍の欧州反攻。その前段階において実施された南米から集積拠点、イングランド「ベルファスト」に向けた一大輸送作戦「オフサイド・トラップ」が発動された。


 北米「ニューヤーク」に本拠を移した公国海軍はその総力を結集しこれを阻止せんとした。何よりこの時点では連邦軍の動きは軌道上から丸見えである。攻撃により、連邦軍も多大な損害を被った。海没した兵力は総計二個師団に達した。作戦成功の達成に向け、連邦軍は奇策を取らざるを得なかった。可能な限り輸送路を水中に振り替え、(さすがに空路は単なる自殺行為だった。)水上部隊は囮となった。輸送部隊が運んだのはただの「飲料水」だった。これを全力で警護したのだ。


 急遽増産、編成された「GM」水中仕様改装機 RAG-79「アクア・ジム」十個師団約3000、「ガンダム」を基本設計とした水中仕様機 RAG-79G1 「ガンダイバー」二個師団約300が作戦に投入されていた。


 更に連邦軍は敵兵站を叩くことにも一貫して最大限の努力を重ねていた。連邦軍は公国が降下させるHLVを全力で迎撃した。「GMスナイパー」なる長距離射撃専用機体が開発配備されている程だった。加えて、敵戦線を浸透させた特殊部隊による補給線への攻撃も効果的な損害を累積せしめていた。こうした非対称型の戦いは、WW3後の戦後処理の過程で十二分に経験を積み、その有効たるを体得している軍隊だった。既にして痩せ細っていた公国の兵站に、これは致命打として作用した。


 公国海軍の作戦能力はここに潰えた。戦闘消耗と兵站の二面から締め付けられ磨り潰された戦力に、最早能力発揮の余力は残されていなかった。


 その後の経過は歴史が示す通りである。


 そして戦中、また戦後の如何なる局面においても、連邦軍は公国海軍を軍事的な脅威として認定しなかった。その評価と対処順位は常に低く置かれたままにあった。その能力発揮に対峙した唯一の危機に際しても(場当たり的ではあったが)連邦軍はこれを回避する事に成功した。RAG-79は順次標準改装を受け「オデッサ」攻略にも、その後は宇宙の前線にも投じられた。RAG-79G1は地球各方面に分派されたがそれも順次削減、退役処分されていった。連邦軍はその戦略において、海軍戦力の増強を必要としなかったのだ。「ハワイ」に配備されていた RAG-79G1。その存在は、大戦の残滓でしかなかったのだ。


 その、管区外縁、最前面に前進配備された部隊、「ガンダイバー」2コ小隊と「フラッサー」フリゲート1隻からなる哨戒チームが最初期の遭遇を果たした。


 水上母艦「エルブルース」。前大戦より現役にあるヒマラヤ級を近代改装し、現在MS一個大隊を搭載、運用する能力を与えられている。「ハワイ」から増派された部隊の管制を預かっている管区03の洋上指揮所である。


 緊急信だった。


『MA(Mike-Alpha)だ!畜生MAが出た!!』


 宇宙であればともかく水中仕様MAという機材は、過剰であり豪奢に過ぎた。本気で戦争を行い同じ国力を使うのであれば、機雷の100基程でも作ってバラまいた方が余程効果的な戦力であろうか。


 だがそれは純粋な戦略上からの判断であり、戦術局面では別の評価が存在する。


 交戦し、辛くも生還した連邦の兵から“海魔”という直截な別称を授けられ恐られていた、生産性と整備性の低さにより純粋な戦力、前線での稼動数としては微々たるものではあったがそれでも尚、MAMー07「グラブロ」は強力な機体であった。火力、機動、防御。戦後、連邦の技術将校の一人がこの機に接し、「これがあと100、いや50機でもよい。当時大西洋にあったなら我々の戦争は大きく後退させられていただろう」と述懐している。もっとも、と。あらゆる意味において、当時の公国にそれを為さしめる能力が存在していたかはまた別の問題ではあるが、との付言も忘れなかったにせよ。


『ベイカー02、詳細報せ』


 「エルブルース」の確認に返信はザザッという空雑音に似たジッパー・コードのみ。


『敵、大型1、他航走反応複数!。ベイカー交戦直ちに……』


 被せる様に発信してきたのは「フラッサー」。スケルチを発し交信は途絶。


 本部もこれをリアルタイムで傍受していた。「エルブルース」に向け敵部隊侵入の阻止撃退を命じつつ、新たに直から外した「ディッシュ」1機を当該区に向ける。


「レッド・クラウン03よりビッグケイブ、確認出来るか」


 本部は息を呑んでいる。


 洋上には若干の浮遊物が見える。恐らく「フラッサー」が残したものだろう。


 そして、二隻の潜水艦が浮上し、姿を見せている。


 潜水艦が敵前で浮上。


 本来であれば意味する事は一つだ。


 投降。無抵抗の表明。しかしこれは、違う。


 見ている前で敵艦は自ら発する白煙に包まれる。


 敵は全力射撃を開始していた。


『哨戒全機、哨戒全機。こちらビッグケイブ。対空警戒、対空迎撃戦闘。各機射界に確認される不明飛翔体(unknown)を総て撃墜せよ、総て撃墜せよ。但し実弾兵装の使用はこれを禁ずる、繰り返す、実弾兵装はこれを厳に禁ずる!」


 直後、ジャブロー上空は目映く輝いた。




 高短音3回、低長音1回。


 ここ数日の追い込みで疲労困憊、冬のロシアの空模様の如くどんより鬱然と湿っていた彼の顔に、精気が射した。


 今のは。


 実戦で聞くのは始めてだけど。戦闘警報。


 実戦。


 戦闘。だって。


 コウは自身の言葉に困惑する。


 兵や下士官が周辺を慌しく動き廻っているがまだ説明は無い。


 そして会場周辺に展開する警護部隊がやはり説明が無いまま各自に動き始めた。射線を確保すべく少し移動し長距離狙撃姿勢、片膝立ちで銃口を空に向けると、突如猛然と射撃を開始する。


 放物曲線を描きながら天高く駆け昇る。成層圏をかすめ降下を始めた弾体は自ら炸裂した。自身を刻み散らしながら大地に向け降り注ぐ。


『 Shit !! クラスターだぞ!?』


『一発も抜かせるな!!』


『撃て、撃て!!』


 全MS、空を撃てる光学兵装総てが対空射撃を実施していた。


 やみくもに乱射しているようだがIFFの統制は受けている。CAPを誤射する惨事こそないが爆散破片を浴びての被害報告は続出していた。CAPには既に高空経由での領外緊急待避が発令されている。


 全力対空迎撃。カラスは一人、説明の付かない違和感と戦っていた。


 これは、必要な措置だ。一発でも着弾を許せば大惨事となる。


 しかし違う、違うのだ、そうでは。




 ** No data **




 また一基、タワーがダウンした。


 場所は、会場に近い。


 彼は瞬間、凍り付いた。


 違和感は氷解した。


 今こそ彼は総てを悟っていた。そうだ、やはり陽動だったのだ。




 機体のカメラを通じ、彼は、敬礼で見送るコマンドのリーダーに軽く目礼を送った。


 ここまで攻め寄せるに並ならぬ労苦はあった、しかし甲斐もある。


 多くの英霊が無念を飲んで瞑るこの地。


 連邦軍の本営。


 決して本旨ではないが、これからの時間、大いに敵心胆を寒からしめることとなろう。


 征くぞ、諸君。


 デラーズ・フリート少佐、アナベル・ガトーは短く令する。


 約1個中隊、8機程が屈み込み、それぞれの盾を掲げ臨時の掩蔽を形成している。


 自らの安全を確保しての行動、ではない。


 各機自機は盾の遮蔽から暴露され、位置している。


 盾、機体表面で束の間、ちりちりと何かが踊る。


 迎撃に成功しても生じる、MSには無害でも人体であれば容易に切り裂く、微小片。


 その差し出された天蓋の下に蠢く無力な、小さき者ども。


 彼らは、その多くは政治、戦略的には巨人だ。指先で都市一つを捻り潰す程の力を持つ。


 だが今は、ただ怯え、或いは怒りに震える、一つまみの肉塊であるに過ぎない。


 部隊の意識は高官の安全か、その安全確保としての対空迎撃行動、何れかに向けられていた。


 だからその機影を認めたとき、彼に生じたのは疑念だった。


 なぜ、こんなところに「グフ」がいるんだ。


 頭部センサ、メインカメラを潰され、機体上部を射抜かれ制御不能で倒れながらも彼の当惑は晴れなかった。


 つまりはほぼ理想的な奇襲が成功していた。


「パーティーマスター、ビッグ・ケイヴ。貴隊に脅威が急迫……」


「遅いわ馬鹿野郎!!」


 警護指揮官はジャブロー本部に罵声で応える。


「パーティージョイ各機!高官の安全が首位だ!絶対に射線を通すな!!」


「対空迎撃は?!」


 直衛の最重要任務に連邦軍も当然、精鋭を就けており練度で後れるものでは無かったが、流石に状況が特異に過ぎた。


「各機に告ぐ、再発令!首位、高官安全確保。次位、敵迎撃。盾組そのまま、もう2機盾になれ、残りは敵MS迎撃戦闘、続け!」


 再配置中にもう1機が喰われた。


 二個中隊に指揮官機。警護に10、迎撃に9。


 報道各社のカメラが見守る前で余り厚い布陣を敷けば、敵の脅威評価に繋がる。


 プレゼンスとはつまり見栄の張り合いであり面子の潰し合いに他ならない。


 用意された戦力はかなりぎりぎりの線だったが。


 式典紛いの新ガンダム“お披露目”の晴れの舞台が汚物をぶちまけるが如く台無しにされ、しかもこうして直接交戦にまで及ぶに、既にして連邦軍は政治的には大敗北と言える。


 無論こうなった以上、せめてこれ以上の失点を重ねない為にも最悪、戦術的には圧勝してみせねばならない。見事返り討ちにしてのけ、GPー02の首を晒すぐらいでもしないと巷で挙がるであろう「ジーク・ダイクーン」の鬨は収まるまい。


 だがしかし、それを実現するには制約が大き過ぎる戦場だった。


 前衛に後衛。形の上では二線が張られたが半径5km前後を火制下に置くMS戦に於いて、交戦距離がkmを割っている現状ではあまり意味を為さない。


 それをガトーは命令に依らず率先により明示する。


 GPー02は地を蹴り、極僅かな高度を稼ぐとそのままブースト、中空を突進しざまに揺らめく布陣の狭間に射線を通す。


 ヘッド・ショット。


 後衛最前列に位置するその1機の頭部センサを撃ち飛ばす。


 得物は「М-120A1」“ザクマシンガン”。当然機体、GPー02に搭載されるFCSとの同期は取れていない。だがその射撃特性は公国軍人として既に身体に刻み込まれたものだった。ましてやガトーの様な漢には。


 従う二機は正しく受命していた。


 機動限界で加速、弾けるように左右へ散開する。


 MS-07H8「グフ・フライトタイプ」。


 06を発展改良させた傑作地上専用機、MS-07「グフ」に、名の通り限定的ながら飛行能力を付与した型である。


 正規採用機ではあるが生産数は少ない。敢えて言えば“贅沢品”であり、優秀ではあるが現場からも余り歓迎されなかった。数が揃わないのだから尚更ではある。当時主力機の座を占めつつあった09か、或いはより整備性に優れた標準の07の方がむしろ喜ばれた。


 だが、地形を選ばない機動性が今回は評価され、少ない保有機材中より投入戦力として選定されるに至った。


 今その能力は期待を違わず、十全に発揮されていた。


 凡百の機体には到底不可能な機動で敵前衛の遮蔽外へ進出、射線の確保と同時に猛然と射撃開始。敵後衛を立て続けに無力化していく。


 連邦軍は部隊を、まだ数の少ない最新鋭機、RGM-79N「ジム・カスタム」で固めていた。GPー02はともかく、07H8とはほぼ一世代の性能格差がある。だが後衛は今、ただのマトにしか過ぎなかった。自らを晒しただ無力に屈み込む機影に向け、容赦の無い火線を浴びせ掛ける。目標はやはり頭部センサ、メイン・カメラだった。FCSと連動し戦術情報をライダーに提供するこれを潰されれば、MSはほぼ無力化される。敵機の属性情報どころかその機位すら示さない汎用機外カメラの情報で戦闘するなど常人にはまず不可能である。“メインカメラがやられただけ”と嘯けるのはフィクションのヒーローか、NTの特権であるくらいのものだ。


 予備から潰せ。ガトーの命令を着実に遂行する。


 無論前衛もそれを黙って見ていたのではない。


 だが、即座に対応した機に向け、それ以上の反応を示したのが他ならぬ02だった。


 ばらりと前衛全機に向け牽制の射線を浴びせると、尚単騎で敵陣深くに踏み込む。包囲の中心に向け自ら突き進んで行く。


 クロス・ファイアの好餌。だがそれ以上にフレンドリ・ファイアのリスクが高過ぎた。


「抜刀!!」


 号令が飛び、距離を詰め02を取り囲みざま各機が構える。


 直近の2機。


 戦術情報に従い02の未来位置に向け刺突機動。


 貴方は近接戦闘中のMSがどれほど自在に動けるか知っているだろうか。


 僅か1t足らずの乗用車が要する制動距離を思い出して欲しい。


 そして、MSが持つスケールと質量について、それが高機動する際の運動量について想像してみればよい。


 1kmなどあっという間だ。100m刻みで動かせるならまずまずだろうか。


 手足のように操る、という意味の重さが理解出来るはずだ。


 それは操縦制御としてはミリセカンド、ナノの領域だ。


 戦術戦闘空間では精度誤差の範囲で02は連邦2機の漸戟を交わす。


 それが出来る者を人はエースと呼ぶ。


 交わしざま、02は1機の首を撥ね飛ばし。


 得物をあっさりと手放し空いた手がもう1機を掴み引き寄せる。


 その機を盾にしながら02は信地旋回。


 取り巻く敵影に向け連射。


 零距離射撃で残敵を総て潰す。


 手中の敵機をそのまま縊り、全周防御の姿勢で倒れ伏している敵後衛に向け放り捨てる。


 ガトーは地に転がったサーベルを納める。


 交戦時間は1分を切った。


 二個中隊が……一瞬で……。


 ガトーはその気配に向き直り。


 新手か。いや。


「先に行け」


 即断した。


 絶対の命令にグフ2機は躊躇無く前進移動再開。


 コウは瞬間、ためらう。だが。


「その勇気は称えよう、ガンダムドライバー」


 猶予は与えられない。


 迫る02にコウは3点バースト。


 ぴしゃ。


 カメラを僅かにそれた射弾が02のアンテナを濡らす。


 ペイント弾だった。


 やはり敵は無力。だがグフを逃がしたのは正解だ。


 02に乗ると判る。この機体相手では素手で潰されかねない。


 盾を構える。


 01の射撃は、スリットを精確に射て来た。


 カメラが保護出来ればそれでいい。


 02が突進してくる。右か、左か。


 そこか。


 02の漸軌は空を切る。


 自機の盾が産み出す僅かな空間、そこ目掛け01は回り込んでいた。


 射耗したライフルを逆手に構え塹壕戦を戦う兵士の如く雄叫びと共に銃床から。


 打ち付ける。


 突き放す。


 02は次打を切り払う。


 01は構わず突き捨て盾で撃ち掛かる。


 02も盾で打ち止める。


 瞬時の拮抗。


 ちりっとガトーの胸中に響くものがあった。


 02のバルカンが閃く。


 01の頭部センサを打ち砕く。


 後はワンサイドだった。


 瞬く間に地に突き伏せ背後からヴェトロニクスコアをこじれば活動停止する。


 演習仕様の機体で。


 軍事的にはもちろん、この場で止めをさすべき敵だ。


 だが、彼はその気になれなかった。


 このライダーがこの後、味方を何人殺すか判らない。


 判っている、判っているのだ。


 だが。


 刹那の逡巡だった。


「ここは預けておくぞ。ガンダムドライバー」




 こいつは、すげえ。


 交戦の一部始終を記録し終えた、プレスのタグをゆらめかせている、銀髪、と表現するには鈍い灰色の髪を持つ若者が思わず嘆声を漏らす。


 豊富な実戦経験をも持つ彼には、今の交戦で“連邦側”のガンダムが背負っていたビハインドについても容易に推察がついた。あれは演習の予備機だな。


 だが、オーディエンスの多くはそんなことに頓着するまい。


 DFのガンダムが勝ち、連邦が負けた。


 重要なのはそれだけだ。


 後はどうやってここから抜け出すかだが、と周辺に視線を飛ばすが、まあ大丈夫だろうこの状況なら。




 コミュニケータが震えた。


 着信、1。


 コウからだった。


 一言。


 run!


 なにこれ。


 ルセットは当惑する。


 逃げろ?。どういうこと。


「ねえ……」


 スタッフの一人に話し掛けようとした。


 荒々しいノックに続き作業車のドアがいきなり引き開けられた。


 兵が半身を乗り入れ叫ぶ。


「何をしている!戦闘警報を聞かなかったのかただちにがふ」


 血反吐を吐きながら車内に転がり落ちる。


 何かが車内に、ゆらめく影のようなものが。


 光学迷彩。


 単語を浮かべながらそこで意識は途切れる。




 次に目覚めたときには心配そうなコウの顔が覗き込んでいた。


「コウ?あぎゃあ!!」


 激痛に絶叫。


「ああだめですよルセットさん!肋骨折れてます安静に!」


 こっせつなんてはじめてですもちろんひい。


 泣き喚きたいのを涙目必死で堪えて5分ほど息を整えようやく、言葉が出せるようになった。


「そ、それで、何があったのけっきょく」


「デラーズ・フリートの急襲です。ある程度の規模を想定していた布陣の裏を完全にかかれて、陽動と数機の浸透突破を受けて完全にやられたみたいです」


 コウの気配に彼女は気付く。


「交戦したの。ガトーと」


 コウは力ない笑みを漏らした。


「遊ばれちゃいましたけどね」


 彼女は半身を起こしコウを抱きしめていた。


 痛みは気にならない。


「ばか……」


 もちろんコウが、なぜそんな蛮勇に走ったか。


「すみません」


 彼の後ろにあのとき、私が。


「もうこんな、むちゃしないで」


「気を付けます」


 でも、やるだろう、彼は。何度でも。


 ルセットはコウに抱きかかえられたまま、また横たわる。


「それで、その。演習はどうなったの」


 問いかけるとコウは、暗い、いや、茫漠とした表情を投げ出した。


「ゴップ元帥は意識不明の重体だそうです」




 え。




「ほか、将官、佐官クラスに多数の死傷者が出てます。演習観閲の高官達です。よくわかりませんが、たぶん今、軍の機能は停止してます」




 事実だった。


 宇宙開発中期。地球近傍に曳航され資源供出先として穴だらけにされながら「第二の月」という俗称で親しまれこれを正式名称とし、連邦宇宙軍随一の軍事拠点として現在はLー3を周回している。




要塞「ルナツー」。




 先の大戦では連邦軍反攻の実質的な発起点であり、現在は地球圏防衛の拠点、最終線である。「地球本国艦隊」の新たな母港はここにある。


 その戦略重心としての存在は、現有戦力、そして何よりロケーションから或る意味、レーティング次第では南米のそれをも凌駕するやもしれない。


 それ程の要地である以上、人選は慎重を極めた。有能であることは無論、何より、南米への揺ぎ無い忠誠がその評価基軸とされた。


 しかしそれでも現職基地司令官、ジェイムズ・メクレラン中将閣下はなかなかに複雑な人物であった。


 表面上の能吏、南米の茶坊主という彼の外観に嘘は無かったが、その内面にまで踏み込んでの表現では無かった。エリート軍人として栄達のヴィクトリーロードを驀進している様に見える、実際にもそうである彼の心内、軍での成功は目的ではなく実は手段でしかなかったのだった。


 政界への踏み台、足掛かり。


 そう、明かしてしまうと、なんとそんな余りにもありきたりではないか、という処に見えるがそれは真実の一断片でしかなかった。


 実際、彼には生来、抜群の政治センスが与えられていた。


 そして何よりリアリストでもあった。


 現在の連邦政界、議会が、軍の深い関与……公の場で表立って述べられる事は無いが、軍政、という現実の前に、いかなる言葉遊びも空しかった。


 そして皮肉な事には、今、連邦政府が置かれている環境で、こうした施政がかなりベターである事にも、彼は一定の理解を示せてしまうのだった。呪わしくも。


 彼が政治を志して以来、先の状況は全く好転せず、寧ろ日々確実に、しかも急激に悪化しているかに、少なくとも彼はそうした評価を下していた。


 だから、軍なのだ。


 今のこの歪んだ政界で発言権を得るには、軍の背景を得る事が最も効率的であり、かつ確実なのだ。


 今日に至るまで、彼はその志を、上官部下同僚はおろか、近親者にすら明かした事は無い。唯、彼の深奥深くに畳み込まれていた。


 軍人が欲心から目指す政界入りでは無く、自身のキャリアとして軍務に精勤する仮面政治家。


 この時点では。


 その内心を伺い知る訳では無かった。連邦軍の人事部考査を以ってしても其処まで立ち入った評価は不可能であったが、地球と宇宙の端境に位置し、その戦力以上に尚政治的な存在として顕現していた「ルナツー」という拠点を治めるに、彼という人材は正に比類無き適材として任官されていた。


 ではあったのだが。彼には重大な欠格が同時に存在した。


 全く、と表現して差し支えない程に、彼には軍才が無かった。


 質の悪い事には、表上ではその傷が見えにくい事だった。


 古今東西の戦場と戦訓を諳んじ、幾百の兵法書を読みこなして来ている彼に全く隙は無かったが、それは膨大なデータベースを持ちそこから解法を読み解いているだけの単なる事務処理であり、眼前の敵を自らの指揮統率により自軍を用いて撃砕する将器が放つ輝きとは似て否なる、どこまでも優秀な軍務官僚としての才能でありその一線を越えられていなかった。


 自身、胸奥深くでは無自覚の中に、方便として今は身をやつしているがしかし、軍人を賤業として侮蔑し今の時代というもの、政治家が率直にその志を立てられないこの状況を呪詛していたのだから根は深かった。


 だが構わない、と南米は割り切っていた。


 南米の意向を正しく汲み取り、巧みに翻案しそれとなく前線の艦隊屋どもを教え諭す。その要石として有能でありさえすれば職分は全うされる。


 「ルナツー」を軍事拠点として機能させる役回りは、また別の誰かが行えばそれで良い。


 その男は今、自ら前線との定時連絡を行っていた。


 一通りの定型情報の遣り取りの後、回線は秘話モードに切り替わる。


 周囲にそれを咎める者は存在しなかった。


 否。


 南米無き今。男の周辺には急速に不穏な空気が醸成されつつあった。


 男の態度自体には、全く、以前から変わるものは無かった。


 大きく変わったのは彼を取り巻く環境だった。


 今日まで、「ルナツー」を軍事面で支えて来たのは、間違い無くこの男の功績だった。


 だが男は、ナンバーツーとしてすら前に出る事も無く、まるで変換機械の如く、司令の意向を粛々と命令に置き換え、日々基地の士気と練度を高い水準に保ち、機材に目配りを続けて来ていた。


 だがそれはあくまで表面的な模範生として副司令を演じているに過ぎず、彼の真意は別所に在った。


 そもそも、彼が今ここに配属されている事自体が、艦隊派の不慣れな、地道な政治工作の成果、その大きな一つだった。


 彼はそれを深く理解していた。


 表の顔とは別に、基地を掌握すべく、入念で慎重な働き掛けを要員に向け確実に積み重ねていた。


 結果、「ルナツー」は南米、現司令を筆頭とする事務方と彼等、「コンペイトウ」を本拠とする艦隊派により完全に分断されていた。


 そしらぬ顔で、司令に対しそうした現状の確執を嘆いてみせる裏で、その首謀者は実は男自身だった。


 無論、司令はそれに気付いていた。


 だが、口にして質す事は出来なかった。


 危険に過ぎた。


 実際、基地の現有戦力の総てを統括し、掌握しているのはこの男だった。誰もそれを表だって言うものは居らず、指揮命令系統もその男本人の指導により厳正に維持され、司令が粗略に扱われるような事は一切無かった。


 しかし今。南米が壊滅した今。


 基地内の空気は明らかに異変を孕んでいた。


 男自身は今までと全く変わる事無く精勤に励んでいた。


 動いていたのは男の周辺だった。


 やんわりと、しかし確実に、基地内に残る南米組を排斥し、或いは手懐けている。


 その動きは急激だった。


 今までもそうした兆候は存在していたが、一部の、男に感化された者によるたわいない派閥形成、それも弱小の部類だった。


 男が実質的に基地の実権を掌握している事は公然の事実、南米が承認している人事だったのだ。その事自体が何らかの齟齬を産む材料は何も無かった。


 思えばそうした二重構造自体、既に現時点での連邦軍が持つ歪み、その顕著な事例でもあったのであろう。


 少なからず不愉快ではあるが、今の事態はメクレランに取ってまだ許容範囲ではあった。南米の変事に、確かに「ルナツー」も浮き足立っている観はあった。“副司令派”の躍進は、そうした基地に一種の鎮撫をもたらしてもいた。指令の一時的な途絶により部隊の中にも不安や混乱も生じていたが、それらも今は復し収まっていた。


 実際、この状況で副司令はよくやっている。メクレランとしては副司令との信頼関係さえ保持出来れば、その統率に意趣は無く、むしろ好都合だとさえ考えていた。


 それは、実はメクレランの夢想でしかなかった。


 信頼関係など、仮初めにさえ、初めから全く存在しなかった。


 不可能だった。


「しかし、つまらぬ騒ぎが起きたものですな」


 眼鏡、と呼ぶには派手で大げさ過ぎる、視力矯正具を顔に載せた男が言う。


 バスク・オム。階級は大佐。


 公国が前哨戦としての不正規戦を連邦に挑み始めた時から前線に身を置いて来ていた、生粋の戦争屋だった。


 基地司令に負けず劣らず、彼もまた曲折ある生を抱えて今日に至っていた。


 彼は、敵であるからこそ、公国とその手勢に何とか理解を示そうとしていた。


 その彼の人生が一変したのは、旧名「ア・バオア・クー」攻略作戦への参加だった。


 その最も激しい攻防が戦われた作戦中盤、彼が乗り組んでいたマゼラン級は敵機の近接攻撃を受け、主砲塔群全壊、MSデッキも損壊し戦闘艦として機能を喪失していた。


 残る戦力は乗組員だけだった。


 艦は要塞への降下を敢行し、それは辛うじて成功。


 彼も、小隊規模の臨編陸戦隊を率い、要塞へ降り立ち、その突入を指揮した。


 彼の小隊にはGM1機が火力支援に割り当てられていた。


 そして彼は、遭遇した。


「前方にゼロ・シックス、ワン、ツー。支援願う」


 だが敵機の動きは妙だった。


 何故か背後の陣地に籠もらず、その前に機体を晒している。


 GMはその2機を難なく撃破した。


「小隊、前進」


 陣に向け隊を進めると、理由が判明する。


 そこには、小隊の倍以上の兵数が確認された、のだが。


「待て、攻撃待て」


 敵は完全に戦意を喪失していた。何の抵抗も示さなかった。


 震え、互いに抱き合い、或いは泣いている。


 オム少尉は舌打ちした。


 少年兵。


 少女すら、いる。


 全く戦力にならない彼等を、猟兵装備を配布しこうして外に配置。


 なけなしの弾避けとして使い捨てられたのか。


 しかし同所に配属された、これも戦力として期待出来ない旧型機は不憫に思い。


 身を捨てて護ろうとしたのか。


 どうします。


 隊付き軍曹が眼で促す。


 全員、この場で射殺し、前進を継続する。


 我々は何も見なかった、知らなかった、敵陣の一つを攻略したら、そうだった。


「もちろん、条約を遵守する。艦まで後送してやれ。軍曹、君が指揮を執れ」


 軍曹は黙って頷く。兵の何人かに素早く声を掛け、次第を指示し。


 その時だった。


 何かが小隊を吹き飛ばした。


 故意であったか、暴発だったのか。


 今ではもう判らない。


 至近距離から、対MS、猟兵装備での射撃を受けた。


 その一撃で小隊は壊滅状態に陥った。


 気が付いたとき、捕虜になっていたのは少尉だった。


 余圧区画で、少尉は縛り上げられ、その少年、少女達と向き合っていた。


 危険な兆候だと彼は思った。


 立場が逆転し、今彼等には、歪んだ自信と、次第に高まる、狂的な戦意が見て取れた。


 兄さんは、ソロモンで死んだ。


 静かな声が、一つ、響いた。


 親父はジャブローで。


 声が続く。


 自ら発する言葉に彼等は煽られ、言葉が行動に、そして自然と暴力に発展する。


 罵倒され、こずかれ、殴られ、蹴られ、引き倒された。


 結局、彼等はその狂的な熱狂のまま後続の連邦軍部隊と交戦し、あっさりと全滅した。


 彼は、瀕死の状態で辛うじて友軍に救出された。


 両目は弱視に。


 そして未だ少し、左足を引き摺るのはそのときの後遺症だった。


 そうした外傷以外に、徹底的に改変されてしまったのは内面だった。


 自分の判断に間違いは無かった。


 悔いは無い。


 ただ。スペースノイドという人種が、唾棄すべき人類の穢れなのだ。


 地球の温もりを識らず顧みず、宇宙などで活き暮らす内に凍て付いてしまったのだ。


 敵に情けを掛けた、それが間違いだったのではない。


 あの様な異物を理解し得る、それだけは恥ずべき傲慢だったのだ。


 奴らを、殲滅する。


 それが、人類の犯した過ちを正す、唯一の方途なのだ、と。


 その後も彼は前線に身を置き続け。


 戦後であるにも関わらず、打ち立てた武勲により大佐まで駆け上がったのだ。


 艦隊派、といっても、完全に南米と袂を分かつ、敵対的な派閥であった、ということでは無かった。


 南米が、軍政を基にある意味軍人の職分を越えた、連邦市民、人類全体の視座により施策を執り行うを旨としていたのに対し、艦隊派の主張はそれを驕慢と弾劾、軍人はその本分を全うすべきで、全力を尽くし、後の事は後の者に委ねればよいとする、強硬論を専らとしていた。


 調整型を貫く南米の眼からすると、これは余りに短兵急で、青臭い理想論であった。


 多少の火種を抱えようと、否、その不安材料が存在するからこそ全体として安定を見るのであって、艦隊派の主張は現実の構造から敢えて眼を背け自らの主張を声高に唱える似非理想主義者の空論であり、顧みるに値しないと一笑に付して来た。


 しかしながら、前線での局地的な苦戦、公国残党との交戦を余儀なくされている者達のその殆どが艦隊派、このクソッタレな戦争に一度“ケリ”を付けてしまえ。という思想に組していたのだから話は簡単では無かった。


 だが、現場の声を取捨しつつ、慎重に、我が方有利の戦術環境を維持していった結果、艦隊派内部でも緩やかな分裂が進行していった。このぬるま湯の戦争でそこそこ武勲を稼ぎ、足を洗い余生を過ごす者。それで利潤を上げる者。そうした堕落に耐え切れず更に先鋭化する者。ここでも南米は一定の戦果を挙げることに成功していた。


 そして南米の圧力が消失した今。


 最も純粋に精錬された男達が動き始めようとしていた。


 彼もその一人だった。


 その一人、という表現は不適かもしれない。間違い無く、領袖の一人であった。


 最強硬派である、地球原理主義者だった。


 これはしかし同時に、宇宙入植者を“異端”として無条件に排斥する過激派を意味するものでも、またなかった。


 彼も当時政府の宇宙入植方針については佳く識り、理解もしていた。その犠牲者に向ける視線も備えていた。しかしそれはあくまで理屈であり、受け容れられるものでは無かった。最終的なその結論は宇宙空間居住の完全廃絶、火星テラフォーミングをも睨んだ人類社会の変革だった。


 或る意味、これも完全に軍人の職分を越えた発想だったのだが、この矛盾に気付く者は少なかった。戦争の完全なる終熄と人類の新たなる幕開けは彼等の中では不可分に存在していたのだから。


 そうした意味で、それを完遂させる手段としての軍は、その権威と実力を高度に維持する必要があった。その点では彼等は南米と歩調を同じくしていた。


 今も。


「上手の手から水が漏れる。策士、策に溺れる」


 男は軽い吐息を漏らす。


「人間というものは、なかなかどうして学べんものだな、バスクよ」


 ジャミトフ・ハイマン。階級は准将。


 「ルウム」で敗北の矢面に立ち、「ルナツー」で敗残を率いて蟄居し、旧名「ソロモン」、「ア・バオア・クー」で完全に汚名を濯いだ。


 以後、「コンペイトウ」に居を構え、隠然たる勢力を展開して来た。


 准将という階級は不当だった。彼の武勲に照らし、あと二つ、最低でも一つ上が相応しい。


 無論、これは意図的な、否明白な南米の意向であった。


 制御下にない、こうした存在は危険だった。南米的には、後方でもなく前線でもない、半端な中間基地での無任所の閑職、という扱いだったが、それでもこの男の力量を見誤っていたとしか言えない。


 こうして、舌先三寸で遠く「ルナツー」をも支配下に置くこの男を。


 当然、只の口舌の輩でないからこその勢力伸長なのだ。


 彼は、今、連邦軍戦争屋の頂点に君臨していた。その幾多の戦場を踏み生き抜いて来た彼の言葉であり思想であるからこそ、将兵の我が身我が思いとして理解も共感も勝ち得ているのだった。


「しかし今回の件、不都合も多いこと、ですな」


 単刀直入、バスクの言葉にジャミトフも露骨に顔をしかめてみせる。


「全くだ。……しかし南米の失態の尻拭いとはな」


 ガンダムVSガンダムの映像が世界に与えた衝撃は想像以上のものがあった。


 ガンダム。現代の神話、連邦の守護神。


 軍が長年を掛け宣撫の材料としてきたものが、一夜にして泥人形に変わり崩れ落ちたのだ。


 “ガンダム”が“ガンダム”に負ける。


 それは、“空が落ちる”という、コロニー爆撃以来の精神外傷を、その映像を見た連邦市民に刻み込んだ。


 必死の調査に関わらず、映像の出所、配布元は確定されていない。


 オリジナルはアップロードから1分経たずに削除され、拡散と視聴禁止を呼び掛けているにも関わらずネットではコピーとその感想を語る声が無限に増殖している。


「地上のことは地上に任せればよいが」


 宇宙のことは、でありますか。


 バスクは胸中で呟く。


「我々には別の使命がある。そうだな、バスクよ」


「仰せのままに、閣下」


 バスクは殊勝に頭を垂れる。


「そう、良い風だ。我々にはな」


「南米の圧力が弱まった今。好機ですか」


 ジャミトフは軽く眉を上げ。


「わしの一存ではどうにもならんが。コリニー提督は動かれるようだ」


 そして、バスクから少し視線を逸らし。


「機、ではあるのかもしれんな」


 呟くように告げる。


 宇宙での事情。


 それは取りも直さず、今回の主犯であるDF(デラーズ・フリート)無所属の各公国残党戦力。


 そして、ハマーン・カーン率いる「アクシズ」の三者に外ならない。


 アクシズ。公国時代にダイクーンが建設に着手した小惑星基地である。ソロモンやア・バオア・クーを地球圏に送り出す際の司令基地として機能していたが、1年戦争でのダイクーン敗戦以降はそこに駐留する勢力を指す言葉ともなっている。自ら航宙能力を持ち、今この瞬間も地球圏に向け着実に距離を縮めつつあるその存在を明白に認識していた者は、軍にあっても一部の高官に限られていた。現在は要塞化し、独自の艦隊、MS戦力をも整備保持する最大勢力であった。


 つまり、南米の上得意であったのだ。


 宇宙に緊張を演出し、軍の存在と必要性をプレゼンスし、維持強化存在理由を主張するその対抗勢力こそアクシズに外ならなかった。


 そしてその関係は、今日まで極めて良好なものだった。


 アクシズはとにかく時間が欲しい。


 時間はアクシズを育て、事実を既成化し、その存在を強固なものに変えて行く。


 南米にも否やは無かった。


 アクシズの勢力進捗など所詮、制御下にある。如何に独立の拠点だとて完全に孤立して存在出来る訳ではない。そこには必ずロジが存在する。その緩急を完全に南米は掌握していた。アクシズがつけ上がればこれを締め付け、態度を軟化するならまた緩める。


 これが、“アクシズ100年戦争”の実相だった。




 宇宙の一室とは思え無いほど作り込まれた居住区の執務室。


 摂政の間。


 不必要なくらいに広いスペースの中央、正に玉座の呼称が相応しい豪奢な作りの椅子に掛けた、燃える様な赤毛の少女が、傍らに侍る政務官と楽しげに語らっている。


 人払いか。広い部屋に人影はその二人だけであった。


「面白い、と思うか。ユーリ」


 手にした公電を戯れる様に二、三度揺り動かし、近侍の手に投げ渡す。


 初老の男は手にしたそれを読み下す。


 少女と初老の男。


 まるでどこか名のある家のお嬢様と筆頭執事、の様にも一見、見えるが。


 可憐な外観にそぐわず、決してお嬢様、などではなかった。


 それは二人の会話を聞けば判る。


「これは」


 男の言葉に、彼女は歌うように応えた。


「ジャブローとの取り決めなど無効、なのだそうだよ。我々は連邦の安寧を脅かす不法武装勢力として問答無用で処罰されるそうだ」


 くすくすと、これは少女めいた笑いを浮かべる。


「なあユーリ。私はつい昨日まで、連邦軍は身も名もある確とした軍隊だと思っていたし、そうした態度で今日まで遇して来たのだが。何だろうなこれは。規律も統率もあったものではない。これがあの栄えある連邦軍とは情けない、そうは思わんか。それと、今であれば投降を受け容れるそうだが。私は皆の安全を担保にこの身を捧げるべきだろうか、皆はどう考えるかな」


 お戯れを。という微笑を浮かべ、男は応える。


「最後の一兵まで、御伴申し上げますとも、閣下」


 少女は、少しだけ寂しげに。


「そうだ。我々は今日までそうして生きて来た」


 決然と顔を上げる。


「そして、これからもだ」


 やれやれ、という顔で。


「しかし閣下。正に御慧眼、言葉がありませぬ」


 おや、と幾分、意外そうに。


「そうか。南米が“ああ”なれば当然とは思うが。身内の恥故、奴らも嗤ってばかりは居られまい」


 それにしても、と少し虚空に眼を置き。


「ガトーとやら。これは戦働きが過ぎたか。ああまでされては、連邦とて何らかの始末を付けずにはいられまいに」


 男は探る様に少女を見る。


「脱出についてですか」


 少女は、ハマーンは、僅かに瞑い眼を見せ、告げた。


「支援も限られる。或いは、いや」


 軽く頭を振る。


 言葉遊びは止めておこう。


「極めて難しかろうな、これは」


 先に、公国が戦争遂行についての不具合に付き、その戦争資源の欠乏、兵站の不足による限界を挙げたが、それより端的な要因と不足が別に存在した。


 実に簡単な話で、「歩兵を歩かせなかった」から。この一言に尽きる。


 南極条約は公国には不本意な地球本土侵攻の、連邦には防衛準備の時間を与えた。


 緒戦での公国による快勝と連邦の大敗は宇宙で描かれた図式の再現かに思われたが、連邦の限定的な反撃により戦局は一変する。


 敗軍、殿軍による地形を駆使した文字通り血反吐の様な遅滞防御とは一線を画する、それは正に組織的な反撃、MS戦力への本格的な迎撃の開始だった。


 連邦軍のMS戦力の整備?。いやいやそんなものは影も形も未だ、無い。


 公国のMS戦力がその姿を世に顕した瞬間から、軍はその対地上戦を予期し、対応を開始していた。既存の戦力にはその影響を最小限に留めつつ、改編は進められていた。その成果が今、実現した。


 MS猟兵。


 連邦軍が練成し、遂に各戦線で投入された、対MS戦闘に特化した歩兵を基幹として編成された部隊の迎撃により公国MS戦力は一方的に撃破され、大損害を負いその進撃は完全に一時停滞を余儀なくされた。誘導データを修正されたATM、パワードアーマーに対物ライフル。一部専用装備以外は前線で適宜臨編されていた対MS戦力の正規編成であったが、最も重要なのはその訓練、「MSへの生理的な恐怖感」の払拭だった。


 歩兵が騎兵と、或いは弓兵と。兵科が派生しその統合運用、諸兵科連合が此の世に誕生して以来、単兵は対抗兵科により破られる。その戦史上の原則の再現が、ここでもまた為されたのだ。


 前線を押し戻されることは無かった。MS猟兵は防御兵種であり、そこには如何なる衝力をも付与されてはいなかった。だが戦線を膠着させ得るだけで開戦以来の、連邦軍にとっては十分な戦果であり、公国にとっては直面する初めての苦難であった。


 “作戦の”天才、ギレンがこの難事を予想していなかったわけがない。


 対処もただ、「MSに随伴歩兵を」の一言で済む。


 だが。


 先の通り。兵站に並び。その人的資源こそ公国が連邦に対し最も劣位にある戦争資源の一つであったのだ。


 そも、これも散々既出の通りにMSは敵、戦闘艦を核で殲滅するランチャーとして開発し、戦力化されたのだ。それがそのまま地上戦に投入された時点で状況は、くどいようだが繰り返すがここでも破綻していたのである。


 地上を制すべきはまず制空権、これは軌道を押さえたので宜しい。後は攻撃力としてのMBT、それに歩兵、これは必須だった。


 MSの投入はあくまで奇手、緒戦で既存の旧軍に与えた心理的な奇襲であり、それがそのまま前線を維持するなどと到底、在り得なかった。早晩、何らかの形で対応されるのは既定事実ですらあった。


 地上仕様MSのセンシング能力向上(宇宙で同等感度ではノイズだらけになる)偵察機材の増強。今日あるに備え対応は為されてはいた。だが連邦が繰り出した一握りの歩兵が公国主攻軸を足止めし得た事実、露呈した、決定的な兵力の不足は最後まで解消されなかったのだ。


 公国の攻勢は持続された。だがその実情は、発動された連邦の防御作戦を期に完全に逆転していた。新たに展開された航空戦力の集中投入、条約違反を掠めるような軌道上からの火力投射により抵抗拠点、都市や地物を根こそぎ焼き払うような火力支援の下それは継続された。対して、適度な出血を強いつつ土地を明け渡していく連邦軍。血反吐を垂れ流し前進する敵を縦横に叩きながらの計画的な後退戦、狭正面でのごり押し一手である中米は別としても、無差別の破壊により占領地での民心と民生を荒廃させ、最早がら空きの側面を晒しての大陸での侵攻は、自ずから二重三重に兵站を締め上げる行為に他ならずそれでも前に進むしかないのが公国の現状であり、既に主導権を連邦に奪われたも同然であった。


 そしてこの「攻勢」も、要塞化を終えたマドラスを陥とせずパナマを抜けず完全に頓挫し、ここに地上での、公国の戦争が潰えたことは先述の通りである。




 MS戦力の開発並びに整備編成、及びそれを主攻軸に据えた反攻計画。地上での、連邦軍の反撃戦略を総称する秘匿名称、「V作戦」


 神話の域に達する活躍を示したRX-78。戦場を選ばないオールラウンドな成果を誇ったRX-77。


 だが、当時の戦局で連邦軍に求められていたのは、高い生産性及び整備性から期待される稼働率。MBTの延長にある簡易な操作系。そして強力な火力と防御力を誇る、RX-75なのであった。


「車高は可能な限り低く、備砲は単装に」という運用実績から導かれた当然の、最低限の改善要求を受けてリファインされた本機生産型は、絶滅種である突撃砲や対戦車自走砲を薄く引き延ばした様な、原型機とはかけ離れたフォルムを持って生まれ変わり、そのまま生産ラインに乗せられた。


 これのどこがMSなのだ、という当然の疑問は新旧両派閥の同じくするところではあったが同時に些事でもあった。MS猟兵などといっても急場凌ぎの苦肉の策であることに変わりは無く、誰だって好き好んでMSを相手に生身を晒しているわけではない。一見、磐石であっても背水の布陣には限度がある。パナマは抜かれてもまだその先があったが、何の間違いでマドラスを失陥するや否やは誰にも確言出来ない。何台並べてもスクラップ以上の役に立たない61式に比べれば、数さえ揃えれば対抗の目処が立つ75は必要にして十分な戦力であった。例え近接戦闘では06相手に1対3の劣位でも、何そんなもの、長大な射程を利してLRPとの密接な連携の下、事前に野営地ごと吹き飛ばしてしまえばいいのだ、理屈では。


 連邦軍の反攻、発動された攻勢防御作戦の矛先は何より、軌道上に占位する公国艦隊に向けられた。


 無論、井戸の底から覗き口に向け、現時点で本格的な攻勢を仕掛けたのではない。高層戦仕様に改装されたなけなしの航空戦力を放り投げ、文字通りの一撃離脱を昇って降りて、ただ執拗に、執念深く反復する。割り当てるリソースに比して“嫌がらせ”以上の効果を得られない牽制攻撃であるがこれで十分、作戦目的は達していた。下でやる事は上から丸見え、地上を離れた瞬間に天上から叩きのめされるという絶対的航空優勢の軛から逃れ出る事には成功したのだ。(天然要害である南米上空の気候不順がこれを大いに救けたのは言うまでもない。)


 75二個大隊約60機がマドラスで飾ったそのデビュー戦は余りぱっとしたものでは無かった。新型機の宿痾、潰し切れなかった初期故障、バーニア周りの出力不安定に襲われた機体は本来の運動性、直射照準時のポップ・アップ及び空中機動での超信地旋回を封じられ、06のヒートホークに切り伏せられた。だがしかし、作戦参加戦力中1/3の損害を出しながらも75はこれに佳く堪え、より以上の出血を強いられマドラス正面から叩き出された公国の地上戦力は、前線から実に50kmの後退を余儀なくされる。


 先にマドラス前面で演じられていたのは消耗戦であり、戦況は膠着していた。


 そして今、始めて公国の前線は押し戻された。


 この意味は重大だった。


 そして事実、局所的、一時的な勝利を例外として、この日より公国の、オデッサに向けた後退戦の日々がこれより幕を上げるのだった。


 正にその日、公国地上軍、終わりの始まりが歴史に刻まれたのであった。


 そしてこの日以降、75の姿もまた同時に戦場から消えてゆく。


 唯一、その勇姿が露出したのは戦争中期に報じられた「銃後」の姿だ。


 次々と製造され、生産ラインから自走し移動していく75の機影。


 カメラ替わって、これも地の果てまで続く、駐機待機中のC-88、ミデアの群像。


 C-88のカーゴに75が収まる。


 そして次々に離陸していくC-88。


 戦場で、カメラに収まるのは連邦のMS戦力を象徴するGM。


 そして、復権の証しである、生残した61式の健在を伝える映像。


 75は、常にそのフレームの外に在り、公国軍を圧倒的な砲力で粉砕していた。耕された安全な大地を、GMと61式はただ行進していたに過ぎない。


 入念な事前準備射撃で爆炎と粉塵で塗り込められる画面。その火力発揮こそが75の本来任務だった。最終的に、宇宙では79が、そして地上ではこの75が敷いた砲列が公国戦力を撃砕したのである。これは単純にして古典的、かつ原則的な火力戦の顛末であった。


 


 そして今、アフリカ上空を遊弋しているのはその栄華の成れの果て、だった。


 先の通り、C-88とセットで大量配備された75火力チームであったが、戦後、その居場所はどこにも無かった。折角の戦後復興の槌音響く中、やれ騒動だといって街一つ吹き飛ばしてしまうワケにもいかない。公国が敷いたこの戦争のルールだったがもうこうした無法は当然、どこからも容認されることは無かった。精々、街の外れに籠もった族を拠点ごと吹き飛ばしてやるくらいだが、そうした任務も直ぐに払底した。


 大量のC-88には、まだ民生に転向しロジを支える第二の余生も残されていた。だが、75には何も与えられる事は無かった。ただただジャンクヤードにその無惨な姿を晒す以外には。


 それでも大量のC-88が余剰機材として計上され、そして。


 AC-88はこうして誕生した。


 75から備砲が撤去され、C-88に搭載されたのだ。その名も「ガン・ミデア」相も変わらず軍のネーミングセンスだけは戦前戦中戦後と継承され、まんまである。


 元々75を3機まで搭載出来る能力がある上、砲は無反動機構なので改装には何の問題も無かった。加えて、余裕の機載重量に合わせ大量の燃料を積んだ結果、ほぼ1日浮いていられる程の航続性能も獲得した。


 もちろん、こんな浮き砲台でMSとまともに遣りあえるワケもない。


 無人機である。


 UAV3機を眼とし前面に展開し、後方2,3kmに位置する。


 管制は地上か、AWACSが受け持つ。


 何機墜とされても所詮余剰機材のリビルド、痛くも痒くもない。


 なんというか本機は、連邦軍気質にベスト・マッチする機材ではあった。


 愛、の対義は無関心だという。


 無関心だろうか。


 今ならそう、言えるだろうか。


 いやそれでも、十分過ぎる以上に呪縛されているのだ。


 それは自身に巣食う抜き難い妄念を自嘲しながらの、胸中の吐息。




 産まれ付きから鬼子として育った訳ではない、と思う。


 物心付く頃は、父母にも家にも、素朴で率直な思慕を抱いていた、その記憶はある。


 それがどうしてここまでこじれてしまったのか。


 端緒はやはり、当然の如く持ち出された、時代錯誤も甚だしい「政略結婚」の一幕だろうか。


 伴侶として引き合わされた男は、容姿端麗頭脳明晰品行方正、正に非の打ち所も無い相手だった。


 彼には、その出逢いそのものには何の不満も無かった。ときめきすら覚えた。


 ただ一点を除いて。


 彼は、若くして自らの人生に既に疲れ果て、倦みきっていた。


 ふだんは快活に振る舞っているが、不意に断崖絶壁から深淵を覗き込む様な、救いようがない瞑い表情が浮き上がり、消える。


 彼にも、彼女に対しては特段、不平不満は一見、何も無い様に見えた。


 だから、思い切って訊いてみたが。


 彼からは、その答えを得ることは出来なかった。


 ただ事実として、彼と彼女の間には格段の家格の差が、上下があった。


 もちろん、彼女の中にあった意識ではない。世間で言うところでのそれだ。


 今も理由は判らないが、この婚約はいつの間にか解消されていた。


 だから、判然としたものは無い。


 それでも、今思えばあれが間違い無く契機の一つだったのだと思うのだ。


 叔父は、直ぐに次の相手を探して来た。


 その男は、そつが無かった、“世間一般”で言えば、生涯の伴侶として必要十分以上に立派な相手だった。


 しかし、そうした表現が許されるなら、“彼”に比べ総てに一段、劣っていた。


 そして、家格は同等か、やや向こうが上。


 それはやはり、彼女の意識にあったことでは無い。


 “元彼”と引き比べて不満を募らせたのでも無い。


 寧ろ糾すべきは自分自身だった。


 いや、このまま総てを委ね家に収まり、思慮深い笑顔を刻みながら良妻賢母を演じれば人生はそれで円満だろう。


 それで佳いでは無いか。思えば世の多くの者が望んで止まない、一生を賭しても決して適わず得られ無い様な破格の好待遇では無いのか。


 何処まで自分は、ここまで貪欲であったのか。


 何が不満だと、不安だというのか自問した。


 やはり答えは得られ無かった。


 それはありきたりな、苦労知らずな深窓の令嬢が抱く浅薄な反抗だったのだろうか。


 もし例え真実そうだったのだとしても、今は、違う。


 如何ほどの覚悟があったというのか。軍の扉を叩いた時から彼女の世界は劇的に変化してしまった。


 自身、唾棄している筈だった家名の威勢で、たわけた偽名を押し通してしまった。


 それはしかし同時に、自らの手でミラの名を辱めんとする幼稚な、そして淫靡な、或る種の加虐趣味でもあったことを、今であれば受け容れることも出来る。


 そして、今になればこうして幾らかの余裕さえ保ちながら振り返りも出来るが、軍という此の世にありながら過剰なまでに実際的な異界は、家中でメイドにかしずかれながら幻想的な浮き世を生きて来たたわいもない少女の内観世界が自己完結の果てに最終解として導いたこの解決、などというものを根底から破壊してしまった。


 その身体性は、彼女が過ごして来た精神性に依拠する過去を全否定する程に苛烈かつ熾烈な「常識」と「日常」だった。


 常に落第生の枠に居た。


 しかし、軍は「落伍者」の存在を許容しない。


 何度でも、精魂尽き果てる迄。


 諦めて、もうやるしかないやってやる、出来た!。となるまで執拗に反復し、総てを完遂させる。


 それは任務であり命令であり、必然なのだ。


 名門の令嬢であろうが志願した以上平等にその原則は知った事ではないし、事実、入隊後は何の区別も無かった。


 だからこそ、その選択は正しかったのだと、これも今であれば自信と、僅かな誇りすらを添えて、言い切れる。士官の端くれとして、それこそが軍という組織の目論見通りであるのを差し措いてでも。


 何より、与えられたファイターパイロットという職務は期待どころか意識の埒外からの闖入であったにも関わらず、魅力的に過ぎた。


 地を蹴り空を舞いつつそれは初めて、人生に対して素直に賛嘆と歓呼を叫んだ瞬間でもあった。


 


 機械的にライトグレーの低認識迷彩で塗装された機は、晴れ上がった空を背景にすると逆に悪目立ちしていた。


 これが有人機であれば運用での不手際、大問題だが、偵察専用のUAVであるのでまあこんなものか、だ。これをわざわざ適宜塗り直していたらコスト割れしてしまう。


 光学、赤外、電子の眼でUAVは針路上を見はるかす。


 得られた走査情報は、遥か上空を遊弋するディッシュの1機が隈無く拾い集め順次南米本部に向けた後送を中継している。


 解析結果は前進基地に順次発送され、それが再び前線のディッシュに戻されて来る。


 データ伝送のタイム・ラグは殆ど発生しない。宙戦ではやや齟齬があるかもしれないが、地上でならこれが最大効率の戦術統制とされている。


 ここは堀り尽くしたかな。


 ディッシュに搭乗している前線航空統制官がその判断を下し掛けた時だった。


 まず、先頭機が落ちた。


 約0.5秒間隔で、航続する2,3番機も相次いでコネロスする。


 だがもう、これだけの時間があれば射撃諸元を得るには十分だった。機械達には1秒という時間は余りに長過ぎ、退屈な時間なのだ。


 母機からの反撃指令を待つまでもなく、観測された標的に向け火力チーム3機は即座に統制射撃を開始。


 無論、IFFと照合し射界のクリアランスは確保している。


 だが敵は狡猾だった。


 敵兵装は光学火器では無い。射弾は実弾。


 射撃から弾着までの僅かな時間に機位を変更。


 かつ、勇猛だった。


 MSは機動限界で加速。


 前へ。


 上空へ。


 前進と前進。


 2kmの距離が一瞬で消える。


「この!無人機如きがぁ!」


 06-2はヒートホークを一閃、先頭機を叩き墜とす。


 だが、そこまでだった。


 前進を継続していたのは先頭機のみ。


 2,3番機は敵機動を感知すると同時に逆噴射。前進モーメントを打ち消す。


 標的との対敵距離は変わらず2km。


 機械達は長機をデコイに敵を殲滅する戦術を案出し、直ちに実行していた。


 ほぼ空中に制止している標的に向け、直射を実施。


「畜生この……」


 ヒートホークを持ち替え、撃つ。


 射撃を浴びた2番機が大破。


 しかし06-2はそこで力尽きた。


 母機はこの戦闘に全く介入出来ず、ただモニタリングしているだけだった。




 ** kil 1 : rem 0 **


 


 3番機の申告に統制官は我に返る。


 更に、1番機の喪失並びに2番機が無力化との報告。


 自分も規定の残弾数を割り込んだ、帰投し整備補充したいが如何か、と重ねて訊いて来る。


 統制官は機械達の問いに規定通り、受諾を発信。


 


 ** rog   : gl    **


 


 無人機に幸運を祈られてしまった。統制官は苦笑する。


 全く、頼もしい奴らだ。勝手に戦って勝手に帰って行く。こっちはただ観戦しているだけ。


 戦っているのは俺達なのに。


 人類発祥の地か。統制官は思う。


 つくづく、戦争てのはばかのすることだよな……。


 見ている間に、また、新たな機影が姿を見せた。


 撤去されたカーゴルーム。機体下部から左方に伸びた砲身。


 ガン・ミデアだ。


 どれだけ航続距離を延伸しようが備砲の携行弾数には限りがある。大地を掘り返しては、腹を空かした猟犬の様に機械達は舞い戻って来る。


 数は2。


 UAV3、ガン・ミデア3が空中火力チームの定数だ。


 交戦により数を減らしたのか。内、後続の機は酷く損壊していた。


 全体的に薄く煤け、機首はささくれ立った破孔に変わり、左主翼はほぼ欠落している。


 しかしながら飛行姿勢は全く安定している。


 機関出力が足りているのだろう。こうした点、無人機は便利だし生残性も高い。


 だが。


 無事着地した先頭の機に続き、滑走路に進入して来たのだが。


 ランディング・アプローチ中に突如火を噴きそのまま爆発。


 残骸は地に叩き付けられながら周辺に破片を撒き散らしつつ滑走路上を文字通り滑走、見事に一本分を使用不能に陥れ、果てる。


 待機していた科学消防車や緊急車両が弾かれた様に出現、わらわらと事故処理に奔走する。


「……あーあ」


 一部始終を目撃していたコウは思わず苦笑。頑張って還って来たのにご苦労さん。


 気配を感じ視線を転じる。


 同じく顛末を眺めていたのか。何時の間に、彼の傍らには女性士官の姿があった。


 コウに視線を交え、柔らかい顔付きで再び顔を戻す。


「大した忠勇無比なる様だな」


 小さく笑い。


「余り仕事熱心にされると私たちの立場も危うくなるぞ」


 機械たちの精勤振りを評してみせる。


「ライラ中尉!」


 素早く片手を掲げたコウに、ライラ・ミラ・ライラ中尉は軽く手を振って応える。


「ああ、堅苦しいのは苦手なんだ、楽にしてくれ


 優美な女豹が佇む様な中尉の横顔に、コウは思わず見入ってしまう。


 失礼ながら正味、取り立てて、美人、と強調する程の美貌では無いのだが、匂い立つような気品と自然にまとう剽悍な空気が、彼女の姿に美醜を越えた輝きを添えていた。


 人生で余り感じて来なかった感覚を刺激され、中尉を眼にするとそれとなく見とれてしまう。


「何か」


 微笑を含んだ表情で質されると思わず顔が赤らむ。


「あ、いえ、すみません」


 コウの様子に不審するでなし、ライラはふと顔を改めると。


「そういえば君は、ギアナで交戦したのだったな。あの“悪夢”と」


 中尉の言葉にコウは思わず背筋を伸ばす。


「あれを、交戦、と呼んでいいか……」


 面を俯けたコウに彼女は、意想外な強さで言う。


「臆さなくていい。私も後で見せて貰った。あの状況で君はよく立ち回った、立派なものだ」


 向き直り。コウの肩に手を置き。


「寧ろ誇りなさい、生還した自分を。貴方にはその資格があるわ、コウ」


 満面の笑顔で言い切る。


「あ、あ、有り難くあります!」


 思わず最敬礼していた。


 うっわ嬉しい。


 が。


 突き刺さる不穏な視線を感じ、たじろぐ。


「こちらでしたかウラキ少尉」


 背中から浴びせられた平板な声に感情は無い。


 それが恐ろしい。


 出来れば後ろを向きたくは無かったが背中越しでは不自然に過ぎる。


 ぎこちなく振り向くと能面のような表情を浮かべたルセットと顔が合う。


 あうあう。


「オデビー技官」


 ライラが声を掛けるとルセットはへこりと頭を傾げ。


「少尉の乗機の調整について2、3確認がありまして。宜しくありますか」


 いや聞いてないし。


「ああ、構わないよ」


 ライラが気さくに頷くと。


「すみません、では」


 問答無用で腕を引かれた。


 近くのカーゴ・コンテナの陰に引き込まれ。


「胸ね」


 え。


「私の胸が小さいっていうんでしょ!」


 言ってない、何も言ってないから。


 コウはぶんぶんと首を振る。


「なーによ、こーんな鼻の下伸ばしてにやけちゃって!」


「み、見てたのか」


「やっぱり!」


 ぐぎぎ。


 いや、違、誤……。


「おねーさんに褒められて嬉しかった?あんな顔、初めて見たわ!」


「こ、声がでか……」


「あにっ!!」


 だめだ、何を言っても今は油にしかならない。


 戦術状況を察したコウは押し黙る。


 普段冷静沈着なだけにこうなると手に負えない。


「あーによあーによ自分の方が一つ上だからってコドモ扱いしてそうですかそうですかメカオタク女への同情ですかホントはコウも年上好きなんだこんなガキの相手……」


 丸聞こえだった。


 ライラはそれを背で聞きつつ苦笑。


「若いっていいわぁ」


 ずんずん突き進んでいたルセの足がぴたりと止まる。


 一人の女性士官がその行く手を塞いでいた。


「すみません。そちらは、ウラキ少尉殿でしょうか」


 見覚えが無い。


 脇からのえぐる様な視線。


 いや、初見だからまじで。


「自分がウラキですが。失礼ですが」


 素で戸惑いながら返すと。


「本日付けでアルビオンに配属となりました、エマ・シーン少尉であります。宜しく御願いします」


 優美に右手を掲げつつ、清楚な顔立ちの女性士官は申告する。


「コウ・ウラキ少尉です、宜しく御願いします」


 ルセもその隣で微笑を浮かべ応じてみせるが唇の端がひきつるのを自覚する。


 ま、また女ライダー増えた。しかもこっちもけっこう美人だし。


 慌てて答礼しているコウの横で、逆上消し飛び、ルセは軽い眩暈。


 なんで、なんでやねん。


 この艦どっかおかしいよ!。むきー。




「全く、嫌われた、いや随分と好かれたもんだな」


 同時刻、艦長室でシナプスも思わず一人、ぼやいていた。


 手元には門外不出の人事ファイルがある。


 ミラ財団の御令嬢に、将官を輩出している名門、シーン家の御息女か。


 表向き、男女平等を唱いつつ、勿論、今も昔も軍が男性上位社会である事に変わりは無い。


 それでも機械化が進捗するにつれ昔の言い訳が通じなくなり、下手な民間企業よりはよほど開明されてはいる。


 今も昔も、問題は、優秀過ぎる女性への処遇。


 ライラ。シーン。


 二人とも、ライダーとしての伎倆については折り紙付きだった。特に、戦後の任官で未だ実戦経験が薄いエマに比べると、ライラの功績は既に大尉に昇進していてもおかしくない程だ。


 だからといって。今、この時点の「アルビオン」に彼女達が配属される積極的な材料は何も無い。経験も無い。シナプス自身、女性ライダーを指揮するのはこれが初になる。


 あくまで原則論だが、母艦にとっての艦載機は消耗品になる。母艦の安全を確保する手段として機を使い潰す、そうした最悪の局面は常に存在する。


 軍人とは、自らの死を以てこれを職務としている。


 彼女ら自身にも、その覚悟はあるだろう。彼女達自身には。


 だが、自分はどうだろう。


 彼は、自身がにわかフェミニストに陥っている事に気付き、悄然とする。


 ええい馬鹿馬鹿しい。


 性別も背景も関係ない、能力に即して適宜任務させるだけだ、当たり前だろう。


 アナベル・ガトー追討を目標とする、作戦「ネアンデルタール」が発動され、「アルビオン」もまた、作戦参加戦力として現地に展開していた。


 アフリカ。地球統合、宇宙殖民、共に最期まで頑迷ともいえる抵抗を示し、今はまたダイクーン残党と結託し連邦に反旗を翻す遺恨の地である。


 しかし、彼の立場に立てばこれもやむを得ない経緯がある。当時のアフリカは遂に宿願の大陸統合を成し遂げ、その豊富な地下資源を担保に一躍、先進国との距離を詰め豊饒の果実にあと少しで手が届く、その矢先の地球統合であり、宇宙入植の圧力だった。


 また我々から奪うのか、希望さえも。怨嗟の声を連邦政府は主に軍事力を背景とする強権により圧殺した。


 こうした実情に鑑みれば当地の抵抗も必然とさえ言えよう。


 南アフリカ州、ケープタウン。アフリカ大陸の南端に当たるこの街に今彼らは駐留している。


 作戦参加を命じられジャブローから出航する際、「アルビオン」の艦載機はその格納枠は予備機を含め定数を満たしていたが、異例なことに幾つかシートは空席のままだった。


 ギアナでの損害がこうした末端まで波及しているという事なのだろうがこれは酷い有様だ。シナプスはそのなけなしの政治力でバニングを獲得し、バニングは元部下のアルファ・アロン・ベイトを呼び寄せ、密かにその伎倆を見込んでいた、コウと共に02略取の現場に居合わせ負傷、療養から復帰したチャック・キース、そして当然想定される、02との交戦に備えて現在唯一01の操縦適性を持つコウ・ウラキを引き続き直属の部下として掌握した。因みに「アルビオン」着任にあたり、二人とも少尉に昇進している。


 そして散々待たされた挙げ句、ライラ中尉が昨日、そしてシーン少尉が先ほど、着任した。


 細かいところはバニングに任せるしかないしな。


 シナプスは結果の出ない人事に悩むのを止め、次の課題に移った。


 6.


 そこには“楽園”が存在した。


 アトランティック、パシフィック、そしてインディアン。地球圏三大拠点に集う宙の艨艟。


 それは間違いなく、人類史上最強の戦力であり同時に政治力、つまり政府の強権を支える権勢基盤の実体であった。


 それは喪われた。


 現在、再建の目処も無く地球軌道は文字通りの真空地帯と化していた。嘗て横溢していたその力は井戸の底、南米と、遠くルナツーに引き裂かれたままに放置されている。殊に、先にも述べた様にルナツーが地球圏最大戦力として台頭し同時に強い政治力をも獲得した現状が、地球軌道の再整備を強く阻害してもいた。南米、ルナツー、グラナダの各勢力、何れにとってもそれは好ましく、この件については三者が協調姿勢にあった。尚かつ南米による二者との協調路線は取りも直さず前線、ややもすればその急進性により正規の軍令からの逸脱を企図しかねない艦隊派の牙城たるコンペイトウへと向けられたあからさまな矯正圧力にして牽制ですらあった。




 そうした各様の政治的思惑に翻弄される形でその艦、くたびれた一隻のサラミス級はぽつりとそこに浮いていた。




 アフリカは赤道直上、静止軌道高度3万6000。




 艦名は「デヴォン」。プレ・ビンソンの老朽でありしかも近代化改修は未了、つまりMSは甲板上へ露天繋止により搭載、運用されている。


 RGM-79S“ジム・コマンド”、RGC-80“ジム・キャノン”各4機という搭載機の編成も、配置の重要性に鑑みると劣弱と呼ぶべきか、間に合わせ感が強い。


 母港は無論ルナツーである。そして当然にして実際は、こんな粗末な戦力では無い新鋭艦を送り出せる余力が当地にはあった。しかし前出通りの三者の思惑、地球軌道の政治的中立の維持を期待するとする暗黙の合意を汲む事への、ルナツーからこれに同意の表明として発せられるシグナルとしての、兵理に拠らないこうした歪な戦力運用であり、それが現場へのしわ寄せとなっていた。




 だからといって、実際に艦を預けられている立場からすれば堪ったものでは無い。配下の信望を損ねない程度にお偉いさんの考える事は良く判らん、などとぼやき煙に巻いてみせながら他方、巧みにその疑念を逸らすべく方策を案じていると一体俺は何を敵として戦っているのかと自身懐疑的にもなる。実にくだらない、理解出来るだけに納得は出来ない。こんな内輪のゲームに講じていられる程今の我々にはまだ余裕があるのか、という現状認識の再認と共に。


 足元、地上では現在、確定された敵拠点、キンバライドに対し攻囲が敷かれその殲滅に向け最大限の火力が投じられ締め付けられている。


 そこにガトーと、略取された02もまた封じ込めに成功しているとも聞いている。


 つまり、と彼は思う。今回の件はこれで手打ちなのか。


 DFはその規模に比して過大とも評しえるプレゼンスを獲得した。地上戦力の代償は大きいがこれも、逆の見方をすれば戦線の整理によりロジの引き締めに成功したとも言える。地上の正面戦力をほぼ喪失する以上の政治的成果がそこに残されたと。


 派手に砲火を交えはしたが、結局政略目的のパフォーマンスでしか無かったのか。


 そうとも。冷静に考えれば今次DFの作戦行動に成算は無い。もう終わった事だ、地上での掃討終了で一連の騒動は終結する、その筈だ。


 推定に矛盾は無い。しかしそれが現況の作戦局面に照応して余りに危機的な自艦のポジションを敢えて看過し得る希望的観測から導出される自己欺瞞でもある事を、無意識野の領域では彼も理解していた。


 


 基地司令曰く、ご当地ものだが結構な一品との触れ込みの赤ワインを、当人とガトーは静かに酌み交わしていた。フランスの貴族が造らせた名残であるらしい。


「奴隷、がこの地の産物だったのだよ。民族紛争に付け込まれ、永年の搾取を受け続けた」


 寡聞にして。自らの不明を苦笑に交え、短くガトーは応える。


「その地がこうして我等と共闘している。人類発祥の地でもある。歴史の皮肉だろうかな」


 独語のままに司令は言葉を結ぶ。


 ノイエン・ビッター。階級は少将。公国アフリカ方面軍指揮官の一人であった。現在は総司令の立場にある。


 反連邦の裏返しであるダイクン・シンパ勢力を当初より育成、統治基盤の強化に尽力しており、敗戦後はこれと携え当地に潜伏、長期持久戦略整備並びに抵抗を指揮して来た。


 だが、今次連邦がガトー追討を作戦目標として発起した攻勢は、彼が心血を注ぎ長期に渡って維持整備してきた戦力を無慈悲にも一方的に突き崩していく。物量を体現するが如くアフリカ全土を覆い尽くす勢いで投入される敵航空戦力、俗称「ガン・ミデア」の暴威には為す術が無く、その様はあの「オデッサ」を彷彿とさせるほどだった。腹立たしい事に、敵主戦力が余剰機材でしかない事は周知の事実であり、今日まで生残した我が熟練部隊とその無人戦闘機械相手の戦力交換は心情的にも実際的にも相容れないものではあったが、それでもビッターは前線に可能な限りの遅滞を命じざるを得なかった。結果ガトーの部隊を収容する時間は稼いだが代償として、活動を抑制する事で秘匿してきた抵抗拠点たるここキンバライドの露見とポケットの形成は自明であった。


 基地が保有する唯一の軌道投射手段であるHLVは、敵が配した一隻のサラミス級によって早期の段階で無力化されている。で、あるのに敵による苛烈な攻囲下にある今に至るも、収容したガトーとGP-02回収の作戦指示は未だ、無い。


 漏洩を忌避しているのか、いや。


 そんなものは、元から無かったのだ。少し考えれば判る事だ。


 ビッターは既に達観していた。


 公国の敗退から今日まで、余りにも永き日々を過ごした。もう十分、尽くしただろう。あとは華々しく玉砕して果てるのみ。


 それで、終わる。


 これで良かったのだと。


 間断なき打撃に室内は振動と轟音に揺さ振られ続けていたが、それには二人とも全く頓着していなかった。


 ただ無粋にも頭上から降りしきる粉塵には口元を歪め、閉口するしかない。


 剛胆に、アフリカの大地を二人は味わう。





 眼前に繰り広げられているのは火力の饗宴。そして今のところ、自分たちは観客でしかない。


 約千機。2個航空軍に臨編された各方面軍が喜んで供出に応じたガン・ミデアは南北、地中海方面及び大陸南端ケープタウンの双方からアフリカ全土を攻め立てた。


 先述の通り、その損耗は無原則であり、戦力交換はこれも無条件にプラスであった。敵が放つ弾一発、吹かす推進剤一滴その総てが。


 胴元に勝てるギャンブラーなど存在しないように、キンバライドポケットの形成は既定事項ですらあった。これは最早戦争でも作戦でも何でもない。




 連邦に生を得たのは幸運だったのか不幸だったのか。茫漠とした想いと共にコウは遠方に断続する爆煙を見遣る。


 この戦いに勝敗など無い。それは公国が千載一遇の機会、唯一、物理力を無視し得る、連邦を講和のテーブルに就かせしめ、しかしその妥結に失敗した時点で決している。


 あの砲撃の下で尚抗堪しているダイクン残党軍。


 今、自分は確かに勝者の側に居る。


 だが今の自分に、彼等が持つ一欠片ほどの信念でも、在るだろうか。


 今の連邦に。その価値が。


『棒立ちしてるんじゃないぞ、ウラキ』


 バニングの怒声にコウは我に還る。


 そうだ、今の自機は母艦護衛の、ゴール・キーパーポジションだ。


 「アルビオン」の命運を担っている。


『勝利を策定確信しそのまま勝ち切った戦例は史上唯一カンナエだけだ。各員!敵が勝ちを諦めない限り決して気を抜くな!』



「弾着確認?いや、弾着以外に大規模な爆発を確認!」

「キンバライド山腹にて爆発発生!MC反応検知!」

「アルビオン隊、交戦に入ります!」

 ミデア-E機内の作戦情報室にオペレーター達の声が交錯する。

「砲撃中止。操作班には全員退避を指示」

 立ち昇る爆煙の中に巨体の群れが、そこに赤い単眼が、ゆらめく。

「ついに出やがったか?!」

 モンシアが叫ぶ。

「ベイト、モンシア、そのまま右翼を固めろ!アデル、キース、ザクはいいドムから潰せ!」

「隊長!02を!!」

「ウラキ、母艦から離れるな!」

 バニングは怒鳴りつけ、それを見た。いかん!。

「違うアデル!目標は……!」

 遅かった。ザメルの680mmが轟然と吼え、ミデア-Eを紙細工のように吹き散らす。原型のミデアはただの大型輸送機であり装甲など無きに等しい。作戦司令官以下指揮所の要員全員がこの瞬間にMIAとなる。

「敵通信量減少を確認。司令部撃破と認む」

「よし!」

 ビッターは強く応じる。

 そして、艦載機部隊が交戦に突入する中、「アルビオン」艦内CIC、戦闘指揮所(コンバット・インフォメーション・センター)ではまた別の異変を感知していた。

 「アルビオン」は万が一のHLV強行打ち上げへの対応として、艦砲の照準をキンバライド上空に向けたまま攻囲の外周を微速で周回していた。

「司令部音信途絶!反応ありません!」

「喰われたか」

 シナプスは苦りきった顔を見せた。敵の推定戦力構成からMS戦は必至だというのに大砲屋を据えるから、こうなる。

 その時だった。

「艦長!高速熱源反応感知しました!」

 シモン軍曹が違った種類の声を上げた。息を呑む。

「これは……。移動速度毎秒5500m、マッハ16です!距離95000、高度36000、方位、1-1-0、当戦域を指向し降下接近中!」

 シモンの発した報告にシナプスは一瞬、硬直した。

 そうきたか。小声で呻き、しかし次の瞬間には決然と発令する。

「操舵!針路任せる、敵艦の頭を抑えろ、合戦準備、対進砲撃戦!バニングをコールしろ、02との接触は絶対に阻止させるんだ!」

 ザンジバル級。連邦軍のペガサス級に対抗してジオン公国により建造された、大気圏内外両用能力を持つ巡洋艦である。大気圏離脱及び再突入能力と、大気圏内巡航能力を持つ。

 そのザンジバル級、リリー・マルレーンのブリッジで。

「このシーマ様をタクシー代わりに地上まで呼びつけるとは。ハゲ親父も悪夢とやらも大したご身分だよまったく」

 凄みのある、しかし少しくたびれた感じの美女が、言葉とは逆にむしろ楽しげに呟く。

「ま、ここは一つ貸し、というところだね。ガトーを呼びな」

 旧型だが倍以上の敵機を相手にさすがのバニングもコールに応じる余裕がなかったが、無視していると業を煮やした「アルビオン」は強引に戦術情報を割り込ませてきた。

 それを確認したバニングは眼を剥く。回収部隊だと。

「ガラハウか!有り難い、ここは恩に着る」

 連邦の阻止線を突破しここまで出向いた相手に、ガトーは素直な感謝を表した。

「挨拶は抜きだよ。チンタラやってたら宇宙に帰れなくなっちまうからね、減速なし、復行なし、このままワンパスワントライで行く。ここでしくじったらそれまでだ、覚悟はいいかい?」

 ザンジバル級は本来、大気圏離脱の際にはブースターの装着による推力増強とカタパルトでの加速支援を必要とする。大気圏内航行も巡航速度はせいぜいがマッハ2前後。

「無用だ」

 短く応じた言葉には揺ぎ無い自信が燃え立つ。

 は、とシーマは声を上げ。

「そうかい、期待してるよ」

 通信を切る。

「連邦軍です。針路上にうじゃうじゃいますぜ」

 通信を終えたシーマに操艦のコッセル大尉が声を掛ける。

「ああ、たくさん居るようだねえ」

 シーマは何でもないように言い捨て、手にした扇子をぴしりと閉じるとそれを古代戦の軍師の如く空に打ち振り強く短く、命じた。

「薙ぎ払え!!」

 号令一下、軸線方向に持つ4門のメガ粒子砲を無照準で連射しながらリリー・マルレーンは戦場に乱入して来た。

「02はどこ、誰か確認した?」

「居ないぞ?!まだ隠れてやがるのか!いた、いたぞ!」

「ふざけるな!ジオンカラーだ!パターン認識させろ、居るぞ!!」

 ジオンカラー。濃緑色に塗り上げられたGP-02が姿を現した。

 そして同時に、空力加熱で超高温に燃え上がり周辺にプラズマ化した大気をまとう白熱した巨体が、暮れ落ちようとするアフリカの夕闇を斬り払いながら戦場上空を航過し。

 全員が、呆然とそれを見送った。

 いつのまにか、戦闘が中断している。

「やられたな」

 シナプスは疲れ果てた声でそれだけ言葉にした。

 ザンジバル級の前に出ようとした「アルビオン」は一方的に叩かれた。人的損害こそなかったものの航海艦橋を破壊され、随分と惨めな姿を晒していた。

「ジーク、ジオン」

 不意にMSの外部スピーカーから発せられた、鬨の声だった。

「ジーク、ジオン」

「ジーク、ジオン!」

「ジーク、ジオン!!」

 瞬く間にキンバライドはジオンの凱歌で満たされた。そこにはビッターの声もあった。

 白旗を振りながら自軍の勝利を讃える敵兵を前に、連邦軍の将兵は名状し難い敗北感に打ちのめされただ立ち尽くしていた。


 大量の物資と一週間近くの時間を費やし、「高官襲撃事件」の首謀者であり実行犯にして戦争犯罪人でもあるアナベル・ガトーの捕縛ないし殺害を目標とする、ある意味その威信回復をも掛け進められていた連邦軍のこの作戦は、最終局面で敵が示した僅か数十秒の抵抗によりあっけなく瓦解した。

 連邦軍に何の手落ちもなかった、とは言えない。推定敵戦力構成と導かれる戦術状況に鑑みて、作戦指揮官の選定はより慎重な実情に即した人事であるべきであったし、阻止線の増強にもより注力すべきであった。なにより主戦場、キンバライド攻囲での制空権の掌握について何らの配慮の痕跡も見られないのは痛恨といえた。

 だが、それらは結局瑣末な事項に過ぎない。

 彼らの脳裏でザンジバル級の存在が亡失されていた、ということはないだろう。だが、その強行突入の可能性については、独自での大気圏離脱が不可能、という同級の特性に照らし意識の盲点にあったことは疑いない。なによりその不可能を可能なさしめた戦闘艦による宇宙・大気間でのゴー・アラウンドという手法が、前代未聞であるばかりか必要とされる状況が連邦側では想起し得ず、実際にペガサス級を用いての検証試験はもちろん論文一つ書かれていなかったという、あらゆる意味で完全な奇襲となって天から舞い降りた。

 奇襲ではあったが各人は的確に対処した。ザンジバルの強行突入に遭遇した阻止線指揮官はこれを直ちにジャブローへ伝達し、ジャブローも前線に向け情報を届けようとした。前述の通りこの時点でキンバライド攻囲軍司令部は壊滅しており次席指揮官への情報は遅延したのだが、それが無くともGP-02の脱出を阻止し得たかの判断は難しものがある。先に上げた制空権にしても、マッハ16で航過する戦闘艦に対し有効な迎撃行動が可能であったか。事前に入念な準備行動が許されていたとしても尚困難な作戦となろう、ましてや奇襲に遭遇したとあっては。

 磐石に見えたGP-02包囲。ではその脱出を阻止する機会は無かったのか。

 そんなことはない、もちろんある。簡単だ、攻囲ではなく強襲すべきだったのだ。それがジムでも鹵獲ザクでもよい、連隊でも師団でも、山のように掻き集め積み上げたMSと猟兵をキンバライドに注ぎ込んでやればそれでよかったのだ、如何にも連邦らしい力攻めを強行すれば。敵指揮官にはむしろそれをこそ待ち受けていた風情があり、迎撃され伏撃を受け部隊は大損害を蒙っただろう、損耗は8割を越えるかもしれない。だが、GP-02の撃破にも成功したはずだ。

 時間が許すのであれば攻囲であっても何の問題もなく、そこに支障はなかった。脱出手段であるHLVを封じ、護衛部隊を撃退し、重囲にある敵には最早如何なる手段も存在し得なかった、そのはずだった。だが敵にはザンジバル級という機材と、シーマ・ガラハウという強靭な意志と大胆な用兵能力を併せ持つ優秀な指揮官が存在し、両者の融合からなる幸福な関係は連邦軍が予期不可能な戦力発揮を実現し、その虚を縦貫した。それは連邦軍の不幸だったのか。否、状況に絶望、屈することなくより以上の努力と熱意を持って粘り強く行動したDFにこそ幸運が、勝利の女神による祝福が舞い込み、己を過信した連邦軍を最後の瞬間、鮮やかに打ち砕いてみせたのだ。


 地平の彼方に赤がゆらめく。アフリカの夕日が沈み行く。

 大地もまた染まる。元より赤茶けた大地が、より赤く。

 赤。俺たちがここで流した血だ、とコウは思った。それも無意味に。

 俺たちは、勝った。

 突如夕闇を切り裂きながら現れた巨大な流星はGP-02を飲み込むと、出現と同様にもう視界から消滅していた。

 その後のキンバライド基地はウソの様に従順そのものだった。間違えようのない巨大な白旗をゆるやかに振りながら山を降る1機のドム・トローペンを先頭に、続くMSの列機、そして徒歩で続く縦隊。あたかも凱旋パレードの如く、彼らは昂然と、そして整然と行軍していた。

 対して、投降を受け入れる連邦軍は惨めな程に悄然としていた。投降を申し出る敵少将に対し、ぼそぼそと答えるのが臨時に指揮権を継承した次席指揮官、准将であるのが何より象徴的だった。

 勝者であるはずの連邦軍は、アナベル・ガトーの拘束ないし無力化及びGP-02の確保ないし撃破という所期の作戦目標の達成に失敗し、作戦指揮官を失い、指揮機を始めミデア2機、MS3機他若干の機材を損耗し、それに伴う少なくない兵をも損ねていた。

 対し投降するキンバライド基地軍の損害は極めて軽微だった。特に砲撃による被害は結局絶無で、放棄された廃坑の殆どが崩落したものの物資と人員は築陣補強された壕内で耐え忍び、無事であったという。逆撃の際、先頭に立ったザメル、護衛についたドム・トローペン2機が撃破されたがいずれも”当たり所が良く”負傷した者はいたがライダーは全員が生残した。

 ジオン兵の歓呼が、狂騒が、ジーク、ジオンの勝利の雄叫びがまだ耳の奥にこびりついていた。彼らはしばらくの時間、眼の前の連邦軍を完全に無視してガトーが飛び去った彼方の空に向け砲を打ち鳴らし、或いは天に向け腕を振り立てそしてスピーカーで何度でも叫んでいた。コウは問いたい。この作戦は何だったんだ、時間と物資と人命をアフリカ大陸に捧げただけの儀式にどんな意味があったんだと。

 ここは人類発祥の地でもあるらしい。ぶざまな連邦軍を見て祖霊は笑っているだろうか、それとも未だに止まない同族相撃の光景に涙しているだろうか。

「ガトー、行かせちゃったね」

 すいと横に並んだルセットがぽつりと言った。

 コウはうなだれたまま彼女を見た。そして見上げた。

「……空から来るとはなー」

 艦船史は苦手だった。ザンジバルの名は初めて耳にした。

「コウのせいじゃないよ」

 慰めの言葉に力なく笑い返す。

「でも、01のシートを預かりながら、何も出来なかった」

「「アルビオン」の直衛だったじゃない。コウのせいじゃないってば」

「ありがとう」

 軽くキスを交わす。

「でも、どうするのかな。宇宙まで追いかけるの?」

 それは。コウは苦笑を漏らし。

「それこそ偉い人たちが考えるだろうけど、でもそうはならないと思うよ」

「どうして?」

「ルナ2にもグラナダにも艦隊は居る。上がってしまった以上、宇宙のことは宇宙で処理するんじゃないか、と思うけどな」

 ルセットはコウにもたれかかった。

「だといいね」

 まったくだ。

 母艦を離れ前進守備位置へと独断で飛び出したコウはほんの一瞬、脱出に向け宙に舞うGP-02の姿をカメラに捉えた。

 ジオンカラーに染め上げられ、シールドに鮮やかな真紅のジオン国章を刻み込まれたGP-02に「ガンダム」の面影は既に無かった。その機体はデラーズ・フリートが今こそ手にした力の象徴。連邦に仇為す為にその腹を食い破り産まれ出た凶獣。

 どこに向かい、何を討たんとしているのか。

「どうなるんだろうね」

 そう、コウも言ってみた。自分の、彼女との行く末に全く予想が付かなかった。


「まあここまで来れば一息つけるかね」

 リリー・マルレーンは連邦軍の追撃を辛くも振り切り、「茨の園」に向けての単独航宙に入っていた。大気圏突入前に分離した僚艦はそれぞれが欺瞞航路を取り、囮となって旗艦への追撃を身を以って妨害している。

「ガトー少佐、ブリッジに入ります」

「許可する、はいんな」

 現れたガトーはシーマに歩み寄ると礼儀正しく一礼し。

「ガラハウ中佐、この度は……」

 が、口上を述べようとしたガトーを遮ってシーマは一方的にまくし立てた。

「おべんちゃらはどうでもいいんだよ、ガトー、お蔭様でアタシの可愛いリリーちゃんは真っ黒焦げだ。ちゃんと面倒は見て貰えるんだろうね?!」

 部下の上げて来た被害報告レポートをずいと突きつける。

 大気圏航行中、空力加熱によりマッハ3程度で既に船体表面は4、500度まで上昇する。それが今回、大気圏離脱に必要な初速を維持する為に強行した高速航行でリリー・マルレーン船体の表面温度は1000度を越える超高温に達した。黒焦げというか、焼け爛れ溶け落ちたという感じだろうか。

 ガトーは表情を堅くし。

「無論だ。私の口から請け合いは出来んが、必ずや閣下が然るべく報いて下さるだろう」

 やはり礼節無用の相手か、とその顔に浮き出る。シーマは素早く読み取り、ころりと態度を変えた。

「ああ、怒らせたならすまないねえ。ただアタシもいろいろ忙しいもんでね」

 腕は立つんだろうが所詮生一本の職業軍人。お坊ちゃんだねとシーマは笑う。

「リリーが入渠するなら代艦が欲しいね、別にムサイで構わないからさ」

 シーマの本職は「海賊」だ。

 無論、海賊といって本当に航宙中の他船を襲うようなことはしない。そんなことを実施すればたちまち破産である。民航船だって航路は秘匿している。艦隊を率いて虚空を右往左往しその間推進剤と乗員の糧食を浪費し、幸運にも獲物に有り付けたとてそれで巡洋艦5隻からなる艦隊の作戦行動経費を捻出出来るものかどうかは誰にでも自明だろう。

 そうではなく、戦力を以って恫喝しながら「襲わない」ことを約して保証金をせしめるのだ。逆に依頼を受けて、その敵対業者を脅かすこともする。本当に襲うのは連邦軍だ。当然、正面ではなく側面や背面、拠点間を流通する無人コンテナや輸送艦をちょろまかす。これは、儲かる。民間ですら秘匿というのに軍の航路をどうやって?そこは蛇の道は蛇、換金先が知っている。

 そうやって、彼女は細腕一本で”一家”を喰わせているのだ。今回バグラチオンに一口噛んでいるのもあくまで「1ビジネス」に過ぎない。

 ハゲもガトー坊やも好きにするがいいさ、せいぜい利用させて貰うよと思いながら一抹の不安があった。大きく貸しを作れたという想いと別に、見殺すべきだったかという迷いがある。ガトーを助けたことで、バグラチオンが巧く行きすぎてしまうのでは、そういう不安が。

 まあそんなもの、アタシが引っくり返してあげるけどね。

「何が可笑しい」

 本人を眼の前にシーマは思わず笑ってしまう。

「ああいや、今回は巧くいったもんだねぇ。地上で連邦の奴らがどんな馬鹿面してたか」

 次はお前だよ、坊や。あんたはその時、どんな顔をするだろうね。

 戦術的な要素を述べつつ率直にシーマを讃えるガトーを見ながら、また笑う。


 7.


「ジャルガ・ンダバル上等兵。当刻より別命あるまで月、フォン・ブラウンでの勤務を命ず。詳細については任地にて確認の事」

 はあ?!。

 当惑どころのさわぎではないわけわかめな辞令を貰ったが、軍命につき問答無用だ。

 フォン・ブラウン。かつてコロニー建造の資材供給源として、その生産、工業活動及びそれに伴う経済活動により、宇宙圏での実体経済確立の牽引役として多大な貢献を果たし、現在も月都市最大の居住人口と経済力を有する一大拠点である。

 そこに行って何をしろというのか。自分はエージェントではない、ネゴシエーターでも。MSとその周辺のパーツと取り扱いしか知らない、エンジニアでメカマンで整備兵だ。

 しかしともかく軍命だ。彼はその日にシャトルで本拠から送り出され航路上でDFシンパの貨客船に支給された偽造IDを手に乗り組み、サイド5を経由し乗り換え月へ。

 フォン・ブラウン国際宙港。降り立ち、人波に呑まれ移動しながらジャルガは何気なく辺りを見渡した。巨大で立派な施設だ。流れ行く人々にも暗い陰はない。ここには自分らの戦いとは無縁の、否無関心の、豊かな経済に支えられた安定した生活が、世界がある。

 だからなのか。自分達の身近で起こされている戦いに無関心を決め込み、この空間を世界の総てだと無条件に自分に言い聞かせて、済ませている。自分達が生きる世界そのものへさえ無関心のままで居られる。

 それは、ある意味幸せな人生なのかもしれない。だが自分は違った。宇宙作業者だった両親をその勤務先ごと吹き飛ばされて、強制的に世界と向き合うことになった。

 作業船を破壊した直接原因は軌道要素から逆算して、”ア・バオア・クー”戦時にジオン軍が撃ったロケット弾の漂着によるものと断定された。事故宙域から回収された物証が根拠だった。

 なのに不思議と、当然そうあるべきジオンへの憎悪は沸きあがって来なかった。これが連邦軍であっても何の不思議もない、とその事自体は冷静に受け止められたのはニュートラルな両親の教育とそれを許した戦時、中立を宣言したサイド6出身であるからだろうか。しかし同時に、自分とは無縁だと思っていた戦争が、「1年戦争」がいきなり自分の人生を破壊してしまったことへの衝撃は大きかった。

 人、何処より来たりて何処へ行くものぞ。

 誰でも皆、何か自分の哲学を抱いて人生を渡っていくだろう。

 自分の場合、なぜ人は戦うのかがテーマになった。具体的にはなぜ1年戦争は戦われたのかの自分なりの納得のいく究明が。

 スクールを退学し、自分もまた宇宙作業者として就業し、勤務を続けながら文献を読み、データを眺め、考えた。辿り着いたそれは驚愕の結果だった。現実と整合が取れない。

 自分で導き出した結論が理解出来なかった。何度も検証した。奇怪に歪んでいるのはこの世界の方だ。

 随想に周囲への注意が疎かになってたことはそうだろうがどちらでも大差無かったろう。

 前から歩いて来た男、後ろから近寄った男、隣に並んだ男。

「デラーズ・フリート、ジャルガ・ンダバル上等兵だな」

 誰何ではなく単なる確認の言葉だった。

 抵抗する意志もその余裕も無かった。両腕を拘束され首筋に何かを押し付けられ。

 ブラックアウト。


 何で僕たちここにいるんですか、と窓外に広がる虚空を指差しながら叫びたくなるコウだった。現在、「アルビオン」と随伴するサラミス級巡洋艦、「デンバー」、「タルサ」の3艦は地球の重力圏を脱し、月に昇る航路の途上にあった。

 理由はもちろん判っている。命令も受けた。「アルビオン」はGP-02追討の任を受け、シナプスも野戦任官により准将へ昇格し作戦司令官へ任命。艦載機部隊も当然、「アルビオン」へ継続配備となり、増援としてサラミス級2隻が加わった。

 むしろ、”宇宙に上がった以上おれたちの獲物だ、手を出すな!”とでもいう反応の方が自然に思えるのだがどうやらそうした単純なものでもないらしい。何より「あの”ソロモンの悪夢”だからな。びびってんじゃねぇのか」ベイトの言葉は或いは的中しているのかもしれない。

 事実はもう少し複雑だった。”艦隊組”の関心は既にDFそのものから離れ、アクシズが擁する戦力及びその動向に向けられていた。

 アクシズから艦隊が進発する、大規模な赤外反応が確認されていた。

 連邦からすると理解に苦しむ人事なのだが、まるで古代の神託政治に倣うが如く、アクシズの勢力はまだ未成年の「ハマーン・カーン」なる少女の手に依って統率されていた。電信一本でその彼女への挑発が成功したとでもいうのか、理由はどうあれ、連邦軍にとりアクシズから艦隊を引き剥がすことに成功した意味は小さくなかった。前大戦末期の”ア・バオア・クー”強襲で連邦軍は要塞と一体化した艦隊戦力との決戦を経験していた。要塞を前衛とし迎撃正面のやや後方に遊弋、戦域に向け適宜火力支援並びにMSへの整備能力を提供する艦隊と制宙権を掌握すべく展開するMS群、堅陣に防護された要塞に構築された火力拠点という相互支援体制の諸兵科連合を組む敵軍に対し、手持ちの艦隊戦力と艦載MSを逃れようのない正面攻撃で磨り潰されながらもひたすらに要塞内部へ向けた浸透突破を強行するしかなかった、それは随分と高く付いた勝利の代価として、未だ鮮明に連邦軍将兵に刻まれている悲痛な記憶であった。

 だが連邦軍にも誤算があった。

 敵は稼動全力を投入してきたようだ。そのこと自体はよい。問題はその規模だった。過大だった。それは連邦軍の推定算定戦力を遥かに超過していた。

 直ちに旧公国から徴収したデータが照合された。公国が開戦時に保有していた初期戦力と開戦後に建造された艦船、戦没艦船。結果は直ぐに判明した。おかしい、やはり過大なのだ。DFの推計保有戦力と合算しても計算が合わない。

 データの検証が進むと更に不可解な情報が確認された。観測された赤外反応を解析する作業過程に於いて、既存の公国軍艦船、ムサイ、チベ、パプア等の何れにも該当しないものが少なくない数量で確認されたのだ。

 赤外反応総数での規模の問題、未確認赤外反応検出の問題。既に結論は出ていた。アクシズには1年戦争残存戦力に加え、新規戦力が存在している。

 アクシズは造艦能力を持つ。俄かには信じがたいが、データがそれを実証していた。

 造艦、と一口にいうがその実現に当たってのハードルは極めて高いものがある。まず優秀な造艦担当技術士官、彼のプランを現実化する建造施設、建造に必要な資材とそれを生産する工業力、そして熟練工員。以上でようやく出来上がるのはただの船殻、これに機関に兵装、電装及びそれらを供給するそれぞれの生産基盤が必要とされる。しかしまだ無人だ、これに乗員を乗り組ませてやっと1隻の戦闘艦が戦力化する。だが目の前の事実、観測結果を覆すことは出来ない。アクシズがそれを実行したことに疑いは無い。

 カーンが指導した戦力整備努力は報われたといえる。その投じられた稼動全力の総量は現在、観艦式開催の名目によりコンペイトウに集結しつつある連邦宇宙軍、その半数に迫る戦力と推計されるものだった。

 コンペイトウ正面での戦力比2:1。尚、連邦軍にとり戦って負ける要素は無かったが、無駄に兵を損ねる必要も、時に追われる立場でも無かった。直ちに旧名”ア・バオア・クー”、現、”ゼダンの門”及び月、”グラナダ”に駐留する戦力の抽出、”コンペイトウ”への増派が決定された。

 これで確立される両者の戦力比は3:1。まず在り得ないだろうが敵が攻勢に出ても余裕で防御でき、もちろん、こちらからの積極的攻勢発動により敵を確実に撃破することも可能だ。アクシズ艦隊進発に発する彼ら”艦隊組”のアクシズ殲滅の意向は、既に既定事項として決断されたようであった。

 しかしここで一つの動議がなされた。

「観艦式、は如何いたしましょう」

 連邦宇宙軍作戦本部長、ジーン・コリニーはこれを一喝した。

「事は既に政略ではない、作戦なのだ。民意や世論への配慮は勝利して後で宜しい。貴官らはいつまで南米の呪縛に取り憑かれているのだ!」

 ここに、観艦式開催も正式に順延が決定され、コンペイトウ駐留戦力はその総てが作戦準備行動へと移行するのだった。


 ジャルガはハネ起き、辺りを見回した。

 全く記憶にない場所だった。どこかの公園、らしい。そのベンチに寝そべっていた。

 慌てて自身の身体をまさぐる。偽造IDはない、当然か。マネーカードは無事、あと。

 コミュニケータを見た。愕然とする。記憶が、約丸一日ぶんの記憶がすっぽりと、ない。

 連中が連邦軍警務隊であったことは明らかだった。体が震える。おれは一体連中に何をされたんだ、何を喋らされたんだ。全く記憶がない、判らない。

 おちつけ、落ち着け。おれに一体何が話せる、月に来た目的すら知らずにいるメールボーイに。だから僅か一日で開放したんだ、連中だって無制限にヒマなワケじゃない。

 コミュニケータが手の中で震えた。びびって取り落としそうになる。

 ジャルガは着任中、通信封止を厳命されていた。例え何があっても情報発信は此れを厳に禁ずる。しかしこれは着信だった。

 メールが1件。読む。

 短く簡明な内容だった。『これを読んだらコミュニケータを直ぐに投棄しろ』

 不安がないと言えばウソになるが、結局彼は素直にこの指示を受け取った。そのまま近くの茂みにコミュニケータを投げ捨てる。辞令交付と同時に支給された官給品なので個人情報は無く、別に惜しくはない。

 ベンチから立ち上がり、独自の判断で公園を出た。少し歩いて目に付いた喫茶店に入る。養分の供給は受けたのか、空腹はさほど感じない、アイスコーヒーをオーダーして少しねばってみる。それなりの客足で、ジャルガの近くにも数人の男女が通り掛るが声を掛けて来る者はいない。1時間ほど居座り、場所を変えてみるかと席を立ちかけた時に足元の小さな包みに気付いた。ストローのゴミをさり気なく下に落とし、出来るだけゆっくりと身を屈めゴミと包みを手にし、包みはジャケットの下に押し込む。そのまま席を立ちトイレに、幸い空いていたのでそのまま中に。

 その折り畳まれた小さな紙袋を開く。中に新たなIDと、真新しいコミュニケータが1基。コミュニケータを開いてみる。画面には予想通りに短いメッセージがある。

『上に行け』とのみ一言。

 フォン・ブラウンに限らず、地表面に建設される宇宙都市は大概階層構造を持つ。

 都市は安全で快適な地下に向け発達、開発される。機密、飛来物に対し安全で、空気対流的にも清潔で快適な下層に対し、入植初期に設営された上層は様々なモノが吹き溜まる旧街区として放棄されて行く。平たいハナシが不法入居者によりスラムと化す。

 上、といわれて素直に解釈するとそういうことになる。コミュニケータのナビに従い店を出たジャルガは上に向かって歩き始めた。

 エスカレータやエレベータを乗り継ぎ登り詰めると、確かに空気からして違う一角に辿り着いた。なんというか、街区全体がまるで使い古しのエアロックであるかのようだ。

 あてもなく少し歩いているといきなり手を取られ暗がりに引きずり込まれた。

 いや、それほど強い力じゃない。振りほどき、開き掛けたジャルガの口を相手の手が抑える。「静かに!」

 相手を見る。若い女だ。

「あなた、少しは気をつけて。陸に上がった宇宙作業者(スペース・ワーカ)まんまよ、目立ちまくってるわ!ジャルガ・ンダバル?」

 そうか、すまない。ジャルガは小さく頷く。

「ラトーヤ・チャプラよ」

 彼女は名乗ると、強い光を帯びた瞳でジャルガの顔を覗き込んで来た。

「私が案内する。でもその前に一つ、約束して」

 ジャルガは困惑するしかない。ああ全く、この任務は訳が判らないコトだらけだ。

「彼を、止めて。連れていかないで、御願いだから……」

 語尾は懇願に変わった。

「事情が判らないんで無責任に確約出来ないけど、努力はするよ」

 なんとなく見当は付いたが、そうとでも言うしかない。しかし彼女はそれ以上には言葉を連ねなかった。

 こっち、ついて来て。短く言い捨て彼女は先に立つ。

 随分歩かされた。というより街区を端から端まで縦断させられたようだ。

 確かにここはスラムだ。旧施設の殆どは窓が割れ落ち、随所にストリートアートが殴り書かれ、違法建築が街路を閉ざす。道行く人々も妙に眼光鋭く、顔つきにも余裕がない。

 かつて宙港施設の一部ででもあったのか。シャトルの2、3機はラクに収容できそうな面積と天井に食い込む高さのバカでかいハンガーが視界に入って来て、彼女はその作業者用通行口で足を止めた。ここが終点であるらしい。

 開けて中に入ると、暗い。広大な空間に比べ照明は余りに少なく弱い。遠くから物音がする。

「ケリィ、連れて来たよ!」

 彼女が声を上げると音が止み、静寂が空間を支配する。彼方から近づいてくる人影がぼんやりと浮かび上がる。

「DFのメンテだな。ケリィ・レズナーだ、宜しく頼む」

 差し出された逞しい手をジャルガは安堵の思いで握り返した。色々あったがつまりは整備をすればいいんだな、やれやれ。

「本部から来ました、ジャルガ・ンダバルです。それで、自分は何を弄ればいいんスか。」

 ジャルガの問いにレズナーはちょっと呆れ顔。

「ホントに手ブラで遣しやがったか。すまんが、大丈夫なんだろうな、お前」

 ジャルガは指を繰り、

「ザク、ドム、ゲルは見れるス。あと艦船系も少々手伝った経験あるッス」

 レズナーはぼりぼりと頭を掻き、

「判った、取り敢えず見てみろ。話はそれからだ。こっちだ、付いて来い」

 ぶらぶらと暗がりの奥に向かって歩き出した。ジャルガも黙って続く。


 「アルビオン」では無為な時間が流れていた。否、有為であるべく努力が払われていた。

「熱源反応感知、単位4、距離12000、方位、1-7-6!」

 シモンのインフォメーションに。

「面舵一杯、合戦準備、右砲戦、対宙MS防御!」

 シナプスが声を張る。

「面舵一杯、アイ!」

「対宙防御準備宜し!」

 右舷に防御火線を展開するべくのろのろと首を振る「アルビオン」に対し、襲来するMS隊はムリなくそのケツ目掛け喰らい付いて来る。

「なんというか、見事なまでに教本通りですね」

 嘆息するウラキに。

「見とれててどうするの!キース、援護頼むわよ!」

「了解!」

 バニングはその直援の動きを見ながら。

「ふん、切り込みはやはりウラキか。俺が遊んでやるぞ。お前らは母艦を食え!」

「了解!」

 各機、力強く答礼。

 だが、接近した反応にバニングは眼を剥く。

「なに?!」

 熱源が二つに分離。

「大尉、お覚悟!」

「騙まし討ち御免!」

 ウラキ機の熱源に隠れていたライラ機が躍り出る。

「バニング機、中破」

 判定係のスコットが平静にインフォメーション。

「隊長?!」

「ばかモンシア!」

 バニングの危機に思わず無防備に背を晒したモンシアが墜ちる。

「モンシア機、撃破」

「あーっ!キースてんめぇー、後で覚えてろよ?!」

「えー?そりゃないですよ中尉?」

 MS隊が交戦する中、アデルは一人冷静に母艦を攻撃。

「右舷機関被害増大、出力低下」

 バニング機の無力化に成功したライラとウラキは対艦攻撃を継続するアデル機を狙う。だがベイトがその射線に立ちはだかる。

「右舷、被害甚大」

 母艦直援全機からの全力射撃を一身に浴び、牽制に徹するもベイト機中破。

「よし、ビンゴだ。撤収する」

 バニングは戦場からの離脱を宣言。

「あーあ。兵隊さんたち楽しそー」

 ちらりとモニタから背後の喧騒を振り返り、ルセットは軽くため息。艦の被害状況に合わせダメコンチームも参加している。

「それはちょっと、オデビー技官、不謹慎よ、遊びじゃないんだから」

 さすがにマジメな顔でデフラは嗜めるが。

「死なない戦争は最上の娯楽だって言うじゃない、あんなのネトゲとどこが違うのよ、いい年した大人たちがまったく……ってあーまたエラー吐いたー!もういやー!このぐらいの負荷耐えられなくてどうするのよ何よこのモデル剛性低いは物性曲線ブツ切れだはでズタボロじゃないのー?!もしかしてリビルドした方が早い??恨むわよーにーなー!!」

「それはご愁傷さま。ジムカスの”魔改造”は順調よ」

「じゃ任せた。こっちはFBで手一杯よー」

 フォン・ブラウン、アナハイム・エレクトロニクス本社は未だ混乱から回復出来ずにあった。社屋には警務隊が駐在し続け、会社としての機能はほぼ麻痺状態が続いている。しかしながらその場での決定権の所在は不透明で、アナエレの意志表明が薄弱であることはともかく、軍が完全に代行しているというのとも違った。

 状況が以上の通りなのでシナプスがこれに対し、GP-01の換装と検証試験について「アルビオン」寄港及び要員受け入れ並びに作業支援の申請を行うと、双方共に困惑することになった。

「貴官には要らぬ苦労ばかり掛ける。申し訳ない」

 モニターの中でコーウェンは首を垂れた。

 ジョン・コーウェン、階級は中将。かつてレビルの配下としてMS開発計画”V作戦”並びに連邦軍でのMS戦力整備に尽力。レビル亡き後の戦後も、南米保守派に対しての改革派として軍の組織変革に勤めてきた。GP、次世代MS開発計画の計画、実行責任者でもある。その立場上、先の事件の場にも当然居合わせたのだが避難を急がなかった(道を譲った)ことが逆に幸いし傷一つ無く危難を免れた。現在は南米に現存する高官の一人として、連邦軍の軍制を維持すべく奮闘している。

 今回のこの混乱も、例の事件による影響が大きい。駐留する警務隊の現場指揮官は大佐なのだが彼にも最終決定権は無く、彼にアナエレ占拠を命じた直属上官は例の事件で戦死してしまっているのだ。情報畑の人間が何でMSの試験を見ないといけないのか不思議だが、彼も派閥構造から発生する組織力学の犠牲者の一人であったらしい。で、この大佐を筆頭に部隊は軍のヒエラルキーから切り離されてしまい宙ぶらりん。その上は情報作戦本部長になってしまいダメ元で上げてはみたが、アナエレの占拠解除に機能復元?そんなことは知らん現場で然るべく判断しろと予想通りあっさり投げ返されてしまった。そこで事態解決にコーウェンも乗り出し協議の結果。

「つまり、アナエレが太陽に投げ落とす産廃の中に01の宇宙仕様換装パーツ等が混ざってるかもしれんが、それを勝手に拾って使うのなら別に構わん、と、こうですか」

 さすがにコウもげんなりした。なんと麗しき官僚的な解決方法だ!。

 あのガトーとの交戦が高い確率で想定される以上、戦力の補強、01の宇宙対応換装は最優先事項だった。

「たー。素直にこっちに投げ上げてくれりゃいいだろうによー」

「それが出来れば苦労はない、というところですか」

「よーし!グチはそこまでだ」

 バニングが手を鳴らす。

「けっこうな初速で投げ捨てられるからな、気を抜くと本当に太陽に落ちちまうぞ、作戦のつもりで気を入れろ」

 ランデヴーによる回収実施は明朝。


 初見はそれこそ口もきけないほど驚きもしまた腰も退けたが、冷静に見ていくとそれ程のモノでは無いコトが判明し、安心した。

 要するに”枯れた技術”の集大成で、細かく見ていくと随分と雑な構造も、無駄もある。

 取り敢えず初日、じっくりと全体構造を俯瞰しその把握に自信を持てたのでジャルガは、翌日から可能な細部でのリファインも含め本腰を入れて整備に取り掛かった。もう大丈夫、鼻歌交じりである、よゆーよゆー。

 レズナーはその脇でサポートに付いている。ケリィでいい、というのでそう話し掛けた。

「こんなこと聞いていいのかな。自分はメンテなんで」

「何がだ」

 ケリィさん、は何を賭けて戦ってるんですか。

 レズナーはまじまじとジャルガを見た。

 ジャルガは手元に視線を落としたまま作業を続けている。

 愛する者の為。そして世界の平和の為にだ。そう言ったら、笑うか。

 レズナーは気負いも感じさせず、そう言った。

 ジャルガは手を止め、ケリィの顔を見た。

 笑いませんよ。真顔で答えた。

 ジャルガは視線を戻し、再び手を動かし始める。

「自分は両親をジオンの不発弾で亡くしましてね、それで世界に疑問が沸いたんスよ」

 問わず語りはジャルガのいつもだ。話題はMSではないが。

「この世界はおかしい、って」

「そいつはたいそうな疑問、だな」

「特におかしくなったのは1年戦争からス」

 いつものように、一方的に続ける。

「1年戦争の何がおかしいって」

「何もかも、その最初期から、ですね」

 彼はケリィを見た。ケリィはアゴをしゃくって促す。

 ジャルガは再び手と口を動かす。

「まずザビの勃興。ここから既に不思議なんです」

 いつからかジャルガの口調は改まったものに変わっていた。

「確かに、今のこの民主主義の御時勢に」

「独裁者が。それも一つです。でももっと本質的な部分で、奇妙なんです」

 あ、そのボードお願いします。

 ごそごそ。

「何故ザビの存在が看過されたのでしょう」

「看過?」

「そうです、連邦に、です」

 ジャルガは続ける。

「不安定化工作による敵対勢力の弱体化は連邦の御家芸なんですよ、そうやって反、連邦勢力を切り崩して個別に併合、地球を統合するに至ったって公史にも誇らしげにあります。その連邦が何故、ザビの伸長を黙って見ていたのか。これが一つ」

 静寂の中に、鳴らされる小さな金属音。

「そして開戦に至る訳ですが、ここでも連邦は何の手も打っていない。戦闘艦もMSも、魔法でぽんと産まれたもんじゃない。兵器が開発され、試験され、生産設備が整備され、資材が大量生産され、編成された艦隊が訓練を行い。それを全部秘密裏に実現したと?。まさか、連邦がそれ程に無能であるなら地球は反乱続発で元の分裂状態に退行してます。では知っていて総てを見逃したと。それは何故か。これも一つ」

 ジャルガはす、と額の汗を拭う。

「人物、についても不整合が見られます。例えばギレン・ザビ」

「ギレンの、何が」

 ジャルガはまた作業を再開。

「彼のアドルフ・ヒトラーは外交だけで多くの領土を切り取り、1国を併合、7ヵ国との同盟を得ていました。対してギレンは1国との同盟すら為し得なかった。非武装のサイドを武力攻撃で殲滅したのみです。彼が通説通りに政戦両略の天才であるというなら、これは随分と御粗末な話です。そして地球侵攻作戦」

「それが?」

「ケリィさん、あなたならどう戦いますか」

 ケリィは面白げに投げ返す。

「お前さんなら、どうする」

「そうですね、私は素人ですが」

 言い置き。

「完全に制宙権を確保します、ルナ2を含めて、そして」

「ルナ2を含めて。そしてジャブローに蹴り落とす、か。完全な条約違反だな」

「条約なんて破る為にあるんですよ」

 ジャルガは平然と言い切る。

「勝てばいいんです、総てはその後の話です。何故なら」

『歴史は勝者が作る』

 二人はハモった。しばし笑い合う。

「公王暗殺でも同じです。当時の最優先事項は」

「判った」

 突然、ケリィは遮った。

「それで。お前さんが到達した結論は」

「結論、というか」

 ジャルガは言葉を切る。

「つまり、世界は連邦の都合で回ってる、てことス。それも軍の」

「そのまんまじゃないか」

「現実の構造なんてその実、シンプルなもんス」

 かーん、とジャルガは装甲を叩く。

「ザビも、それを傀儡と言うならそう呼べばいいだけのハナシ、スね。飼い犬に手を咬まれたと。これもよくあるハナシで」

 ジャルガは手を止め、強い視線でケリィを見た。

「それに。こうした事実を知って、だから戦い止まないんですよね、ケリィさん」

 ジャルガの言葉にケリィは静かに頷いた。

「世界に対する干渉が無ければ、或いは俺たちは既に恒星間世界に飛び出していたかもしれない。でもしかだがな。だが、この世界は地獄だ。俺たちは連邦に繋がれた虜囚だ」

 ケリィはジャルガを睨み返す。

「誰かが変えなきゃ、この世界に未来は、無い。そして、知っちまったからには逃げられない、戦うしかねぇ。そうだろう、同志」

 ジャルガも、頷き返した。


 8.


<で、結局実機からデータをブッこ抜く……>

「話し掛けないで」

 ルセットは静かな口調だがしかし、どこまでも冷厳に拒絶する。

 わ、コウは思わずすくみあがった。なまじ平静な様子が逆に恐ろしい。鬼気迫るとは正に今の彼女を指す言葉だ。

「そうよ、始めからこうしてれば良かったんだわ、恐らくニナも」

 ぶつぶつぶつぶつ。

「……よし。<コウ、動かしてみて!>」

<了解>

 現在のGP-01は先の演習同様、「アルビオン」のCICが構築する戦術空間にリンクされている。

 01が電子空間で戦闘機動を開始する。ルセットが注視しているモニタに送られてくるデータは、性質上現実でのそれと等価であると看做していい。CICによる現実空間の認識にはそれだけの精度が要求され、十分信頼出来るものだ。

「<……クリア……クリア……クリアよっしゃあオールグリーン!わーいやったねおわった終ったー!!>」

 ルセットはおもわず両手を振り上げてバンザイ。

「アップデート、コンプ!あとはこれを2号にも転写して、でパーツの到着を待つだけね、ふーてこずったー」

<おつかれさま>

<全くよ!まさかフルアセンブルになるなんてー……ごと>

<?ルセットさん>

 コウはインカムの向こうの異変に直ぐ気付いた。ハッチが上がる間ももどかしくコクピットから這いずり、飛び降りる。

「ルセット!」

 書き散らしたメモの山と端末の間にのめり込んでいた。抱き起こすと呻く。

「あーまたエラー……」

 少しほっとする、どうやら寝落ちしているだけのようだが。取り敢えず抱きかかえコウはそのまま医務室に向かうことにする。


 彼女は少しの間ただ静かに涙を流していた。そして口を開く。

「どうしても、行くの」

 ケリィはラトーヤをじっと見つめる。ただ一言。

「すまない」

「あやまったりしないで!」

 ケリィはうつむく。MSであれば自在に取り回す鋼の漢が、自身の言葉はまったく操れずにいた。

「ラトーヤ、俺のことは」

「忘れないわ」

 彼女は機先を制して、顔を上げた。

「貴方と過ごした1分1秒、決して忘れたりするもんですか」

 ケリィは言葉を失い、口ごもる。その立ち尽くすケリィに彼女が抱きつく。

「だから、だから。私待ってるから。御願い、還ってきて。そうしたら、全部許してあげる」

 ケリィは無言で抱き返し、再び詫びた「すまない」そしてサマにならない敬礼を捧げているジャルガを不思議そうに見る。

「何してる、行くぞ」

 へ、とジャルガはこの場に合わない間の抜けた声を出す。

「でも、自分はメンテで」

「お前以外に今さら誰が居るってんだ。さっさと来い」

 整備始めの初日、ムリっス、自分には出来ません、とジャルガは即答した。

 義手といつもはめているグローブのせいで一見、それとは判らないがケリィは左腕を失っている。義手は民生品であるので、戦闘時の高Gには耐えられない。であるので、右腕一本で操縦出来るようにコクピットを改装してくれと頼まれたのだが。

 例えばキーボードでのアプリケーションのインターフェイスの如く、右手スティックのどれかのスイッチかボタンに”シフトキー”の機能を割り当て、それ以外の入力系に二重操作を割り振る、というような改造そのものは別に不可能ではない、が。モノは正に生死に直結する操縦系だ。元来、姿勢制御と出力制御の左右2系統に分割された操縦系を機械的に一本化して無事に済むのか。最低限、特異な操縦感覚に納得がいくまで繰り返し試験するくらいの慎重さは必要だろう。その結果導かれるだろうベスト・マッチ、ベスト・セッティングを一発で弾き出せるようなスキルが自身にあるとは思えない。

 あるいはラトーヤの懇願も、どこかに残っていたかもしれない。

 そうか、とケリィはあっさり引き下がった。じゃあセカンドプランだ。

 言葉の意味は直ぐに判った。機体は複座型への改装の途中だった。余裕のある機体の基本設計により、それほどの無理はしていない。前席がファイター、後席がエンジニアの割り振りになっている。ジャルガはその改装を引き継いだのだが。

 誰か追加の補充人員が送られてくると思っていたのがまさか、後席に自分が座るハメになるとは全く予想していなかった。

「チャプラさん、危険です!ハンガーの外へ退避して下さい!」

 慌ててノーマルスーツを着込みながらジャルガは警告する。


 あのジャブローですら全く安全ではなかったのだとシナプスの油断を指弾することは容易いがそれはあまり行儀がよくない、盲目的な一般則の適用というものだろう。そも月の軌道上という連邦の内海に停泊しながら敵襲を警戒するというのも小心に過ぎる。

 また彼なりの警戒努力は行われていた。こうした交渉事で対面でのそれが最も効果的であることは自明の事としても、アナエレ占拠部隊と交渉の最中も、一時も艦から離れようとはしなかったことも一つだ。しかしながらその結末をして、一時的な艦載戦力の離脱という戦術状況を招来した責任が彼にある、と結論付けるのはさすがに酷というものだろう。軍艦と民間施設の間で平文を通じて進められたその内容がサイドローブから漏洩し、聞き耳を立てていた者に好機を告げたのも、だから公平に見て結果論というしかない。

 否。艦載機の殆どをGP-01パーツの回収作業に投じながらそれでも、バニングとベイトという最も信頼を置いていた2機を直援として拘置したことが、シナプスが全く警戒を緩めていなかったなによりの証である。

「熱源反応感知、単位9、距離65000、方位、3-2-5!」

 やはり傍受されていたか。しかし1コ中隊とは張り込んで来たな。。

「全艦対宙防御戦闘準備。デンバーとタルサの管制を預かれ」

 センシング及び火器管制で両艦より優れる「アルビオン」側の指揮で、3艦が統制射撃による弾幕対宙射撃を実施すると宣言している。

「ライラを呼び出せ。可能な段階で作業を切り上げ帰艦するよう指示しろ」

「了解」

「デンバー、タルサ、データリンク同期宜し。全艦対宙防御戦闘準備宜し」

「射撃開始距離、15000」

「距離15000、アイ」

 敵はMS-14、”ゲルググ”の発展改良型である”ゲルググマリーネ”9機。原型機の運動性を若干向上させた他に特徴として防御、格闘戦能力の2役を兼ねる”スパイク・シールド”を装備し、対MS戦、それも近接戦闘向けにデザインされた機体であり、対艦戦闘にははっきり不向きと言える。

 その1機がシナプスの設定したピケット・ラインを越えると同時に、「アルビオン」「デンバー」「タルサ」の3艦は猛烈な弾幕射撃を開始。展開される火網の濃密さは彼女の想定を越えるものだった。

「ペガサス級の統制射撃かい!ち、少々めんどうだね」

 防御射撃の目的は敵機の撃墜、ではないその役目は直援に与えられている。ではなく、敵機の攻撃行動を阻止することによる自艦の防御である。対敵距離15000、15kmを隔てて対峙するMSと戦闘艦。この時点で全長200m近い戦闘艦は投影面積1mm以下、正に針の先状態で、MSの側は敵に有効な攻撃を与えるには光学照準の分解能以上まで距離を詰めなければならない(不動物を撮影する偵察衛星とは違う)。概ねその距離は11000~9000。平均的に秒速5~2kmで運動戦を行うMSであれば造作もないと思えるが見通し距離無限遠、基本距離単位1kmの宇宙戦闘で1秒という時間は恐ろしく長い。標準的な防空レーザの射撃頻度は1秒間で約10000発、1%の被弾率でも100発喰らう。1門に、だ。

 戦闘艦がMS相手で一方的にばかすか沈められるというイメージは、史上初の対MS戦を強要された連邦軍艦隊と、対艦戦を念頭に準備された”核バズーカ”の運用により1年戦争最初期で公国が挙げた大戦果から広まったものだ。いや今回も、旧式で対MS防御能力も低いサラミス級2隻のみであったらゲルググ・M9機の襲撃に持ち堪えられたか疑わしい。最新鋭の「アルビオン」による的確な管制がそれを可能なさしめ、空船をさくりと沈めるつもりだったシーマの前に予想以上の難敵として立ちはだかっている。加えて、バニングとベイト直援2機も牽制に徹している。

 これで、回収派遣部隊の合流まで時間を稼げればそれでよい。

「たかが3隻で!こざかしい真似を!」

 ゲルググ・Mの主兵装であるビーム・マシンガンは対MS戦では効果的な武装だが対艦戦では火力不足で対空砲一つ潰すのにも苦労する。グレネードは火力に不足は無いが弾速が遅く容易に迎撃されてしまう。艦載機を戦域外に派遣中の艦隊への急襲。護衛のサラミス2隻を先に沈め、丸裸にしたペガサス級を仕留める、そう難しい作戦ではないはずだった。投入したゲルググ・M9機という戦力も過剰かとも思えたが。

 これほどのものとは。さすが、ペガサス級というワケかい。シーマは逆に自分のカンの正しさに自信を持つ。やはり、やっかいなフネだ。是非この機会に沈めておきたいが。現状は、厳しい。ここは素直にサラミスの1隻でも喰っておくことにするか。ん。

 彼女は、その存在に気付く。

「いきなりドンパチっスよ?!」

「連邦軍の戦闘艦が3隻。2隻はサラミス級か、もう1隻は。新型か、攻めてるのは」

「レズナーか?ヴァル・ヴァロかい!」

 ジオン軍用回線が接続する。

「ガラハウ中佐。ケリィ・レズナー大尉、只今着陣致しました」

「待ち兼ねたよ間がいいねぇ、レズナー。そういう男は好きだよ、惚れちまいそうだ」

 軽く戯言を飛ばすとシーマは決然と発令した。

「ケリィ・レズナー大尉!現刻を以って貴官の当艦隊への配属を承認する、乗機と共に直ちに戦闘へ参加せよ。目標、サラミス級の撃破!」

「了解した!!」

 ヴァル・ヴァロ。その外観は一言で言えば紅い矢尻。どこまでも突き進み目標を貫き、破壊する。南極条約の締結により核という大火力を、封じられた強大な対艦攻撃力に代わる戦力の一つとして公国で誕生したのがMA、モビル・アーマーという兵種だ。大気圏内のそれは一種の移動砲台として開発されたが、宇宙空間でのMAは単騎で通常のMS数機を相手に戦闘、撃破可能な重機動兵器として、そして対艦戦闘兵器として発展した。

「MAだと?!くそ、どっから沸いて出やがった!」

 「アルビオン」からのインフォメーションにバニングは呻く。今は未だ月面を這いずっているがしかしこれは、まずい。まずいが。

「聞いた通りだ、サラミスを叩くぞ!」

「一撃スよ一撃!それ以上はランデヴーと減速でいっぱいいっぱいスよ!」

 シーマからのインフォメーションで航路算出をしながらジャルガは必死で喚く。

「判ってる。こいつの初陣だ、ムチャはせんよ」

 ケリィは僅かに苦笑を浮かべ。

「行くぞ!!」

 ヴァル・ヴァロの機首を中天に振り上げる。


 9.


 戦機というものがある。

 ヴァル・ヴァロの出現は、戦場をデザインする上で両軍共に全くの計算外であったことを含めそれを確実に、かつ大きく動かした。しかしそれでも戦況の推移は流動的なものを示した。

「MA、本艦への接近軌道へ転針!」

 シモンの悲鳴に近いインフォメーション。

「こなくそ!」

 真っ先に反応を示したのは「アルビオン」操舵手、普段は寡黙なパサロフ大尉が裂帛の気合を発しつつスティックを捻り倒すと、巨体を俊敏に振り立て艦首をそのMAに向ける対敵姿勢を、投影面積と被弾確率を最小に抑える姿勢と機動を取る。

 だが、随伴する二艦はそこまで機敏な反応は示せなかった。

「よし!サラミスはヴァルヴァロに任せる、まず直援を片付けるよ!」

 シーマが吼え。

「指揮官を墜とす。支援しろ!」

 バニングが号する。

 その間にもヴァル・ヴァロの主砲が唸り、艦腹を抉られた「デンバー」「タルサ」は血飛沫のようにプラズマ化した推進剤を吹き散らしながら相次いで轟沈。

「このまま新型も喰うぞ!」

「チャージ中ス。後10秒」

 カバーが消失。

「GP-01、発艦デッキへ移動?」

 戸惑いを含むスコットの報告。

「換装前の01で何を!出撃許可は出せんぞ!」

 正に自殺行為だ。

「時間稼ぎのマトにくらいならなれます!01-1、出ます!」

「いかんぞ少尉!発艦中止!!」


 艦内に響き渡る死者をも呼び覚ます戦闘警報。それは音量のみならず、耳にする者の神経を抉り出すような不快感を与える効果的な調律がなされた音の暴力だ。どのような状態の者であれ、聞き逃すということだけは決してない。

「あーうるさーい!」

 寝ぼけ眼で抗議の声を張り上げルセットは気付く。戦闘警報。耳にするのは地上での戦いから2度目。一度聞けば間違えるモノではない。

 戦闘、なの。

 小さく口にして辺りを見回した。医務室、なのだろうか。寝袋状の寝台に押し込まれていた。誰も、軍医の姿も見えない。

 とりあえずレクを受けた通りにノーマルスーツを探し、引っ張り出し、手早く身に付ける。

 イヤな予感がした。直援に残っているのは確か僅か2機。

「コウ、ばかなこと考えないでよ……」


「新手か。この機体は」

「リチャージ終了ス!」

 ヴァル・ヴァロの射線上に射出されたのは偶然だった。

 シールドによる防御が間に合ったのは僥倖だった。

「野郎!シールド一枚で凌ぎやがった」

「ジム、じゃなさそうスね。となると」

「まあいい、母艦さえ喰えばあとはどうとでもなる。最接近時にもう一度仕掛けるぞ」


 なぜ、わずか2機の直援を墜とさなかったのか。

 宇宙でのMS戦の要諦は、MS同士の空中戦ではなくあくまでそれぞれが所属する母艦の潰し合いにある。母艦直援機の役目は敵機の攻撃妨害が主務で、撃墜そのものは結果の一つに過ぎない。迎撃行動で敵機の攻撃を自機に誘引できるならこれに優る護衛はない。

 加えて、9対2の戦力比が見た目程に絶対的ではないこと。ゲルググ・Mが1年戦争末期のゲルググを改良したいわば1.5世代MSであるのに対し、GMカスは戦後GM系の最新鋭機であり、2.5世代MSに位置づけられる。更に相手がなかなかの手錬であることは1、2度手合わせをすれば直ぐに判明する。時間を稼ぐことしか考えてなさそうな相手に望み通りの動きをしてやる義理はない。それでもシーマは敵直援2機に2エレメント4機を割いて対応させていた。

 だが、サラミス級2隻の弾幕が消失した今。敵機が次にどう動くか。

 来る。あたしを、指揮官機を墜とすことで混乱させに。

「真っ向勝負なら受けて立とうじゃないか!」

 ベイトが支援に回り、バニングはその指揮官機であることをを誇示するパープルカラーの機体目掛け突撃する。アルビオンも自艦ではなくベイトを支援すべく火線を散らすがそれでもフリーの敵4機の集中射撃を浴びたベイト機は瞬く間に大破。

 直援が追加されたのはその最中だった。

「ウラキか?バカな!」

「いまさら?しかも1機?」

 が、バニングもシーマも取り合う余裕もなく両機はそのまま近接戦闘にもつれこむ。

 増援として戦術局面に加わったもののコウも。

「!!」

 初めて目にする最大級脅威の警告に生化学的反応速度の限界で緊急回避に応じるだけが第1手だった。

 MAの大出力砲撃を辛うじて受け止めたシールドが瞬く間に溶解し輝きが透けて見える。貫通寸前でそれは止まる。

 時間稼ぎで出たのにいきなりシールド持ってかれたDamn!隊長は……敵指揮官と交戦中、ベイト中尉は音信途絶もう少し早く出るべきだったか結局2対9かいやいや。

 コウは0.5秒ほど思考を巡らせ猛然と射撃を開始した。今の機動/運動性では砲台にしかならないことを百も承知の上で。

 互角、いやひょっとして負けるか。生死の狭間にありながらシーマは高揚を感じた。連邦にも居るもんだね。でもね。

 暴力的かつ冷厳な戦場での規律だった。1対7。

 1対7、だって?。

 瞬時に2機が大破していた。

「シ、シーマ様ッ!!」

「ガンダムか?!ガンダムなのか?!!」

 1対5の射撃でめった撃ちにされ無力化された眼前の残骸には目もくれずシーマは突撃する。

「!指揮官機なのか?!」

 その突如出現した”砲台”目掛けシーマはありったけの射撃を叩き込んだ。

「なんて装甲だ!!これがガンダムなのか?!」

 いわゆる「ガンダリウム合金」という素材は実在しない。それはプロパガンダの産物であり、その実態は精妙な既存の重金属と繊維素材のミクロン単位の重合積層加工による高度な工業技術力である。

「任せろ、母艦は……!」

 だが、アルビオンとてシッティング・ダックに甘んじるつもりはなかった。当れば儲けものと撃ち放った主砲の僅かなパルスがヴァル・ヴァロを掠め、ビーム・コーティングが要求したリソースが最後の瞬間でヴァル・ヴァロから攻撃能力を奪った。

「く、ただでは沈まんか!」

 「アルビオン」の舷側を航過したヴァル・ヴァロに再攻撃の機会は無かった。

「ダメッスよ?!これでカンバンッスよ?!」

「……判ってる。シーマ艦隊とのランデヴーだな」

 そしてもう1機が中破。

「く、ちとハズレ、か」

 アデルは軽く、舌打ち。

 更に。敵艦から新たな赤外反応。

「ここまでか……潮時かね。退くよ!」

 生残機は僚機を牽引する。


「コウ!バカ!無茶して!」

「ルセット……ごめん……」

 抱き合う様に、GP-01同士2機が絡み合う。

「母艦と私を護る?貴方が死んじゃったらどうしようもないじゃない!」

「そうか。そうだね」

 コウは素直に頷いた。


 一方。

「復帰戦から大した活躍だね。礼を言うよ」

「は、有難くあります」

 レズナーは型通りに答礼する。

 軍用の頑強な義手が支給されたことで物理的な問題は瞬時に解消された。

「今後も期待していいんだろうね?」

「微力を尽くします」

 しゃっちょこばったレズナーに軽く答礼しながらシーマは内心、焦れていた。

 ……順調に過ぎる。どうしたもんかねぇ。


 10.


 硬いベッドで横になると、構造材がムキ出しの天井が眼に入る。

「抗命、機材の不当運用並びに損壊。あれやこれやに功績を勘案して独房拘禁2日、だ。質問はあるか」

 渋い顔で告げるバニングに、

「ありません、申し訳ありません」

 コウはきっぱりと答礼した。

 命令違反でも説教一つで済まされ或いは戦功次第で帳消しになるというのはあくまでフィクションで、現実はこんなもんだ。尤もこの忙しいときにライダー一人遊ばせておく余裕もないワケで。

 ではあるにせよ。

「なにやってんだかなぁ」

 これが軍隊、これが現実とどれだけ頭で理解していても言葉にして噛み締めてみると寂寞としたトホホ感が全開。

 軍人を志したのではない。自覚もあるが純粋と表現するには幼稚な、MSへの原初的な憧憬から来る衝動を消化しきれないままここまで行き着いてしまっただけだ。ましてや戦争など。

 否。後悔などはしていない。1MSライダーとして、軍人として、職責を全うする覚悟は既についている。好きこそ上手で適性への手応えもある。それに。

 今、ここには彼女がいる。

 護るべきものがあり、戦う。これ以上に必要なものはない。

 コウは部屋をながめ、航宙艦らしく抜かりなく用意された装具でもくもくと筋トレを始めた。

 

 だああああっつやっぱりおさまんねえええ!!!。

 ハンガーの一画で怒号が轟く。

 見て見ぬフリしたデッキクルーと纏めてこってり絞られたルセットだったが、指揮系統外でもあるしにも関わらず引き続き激務を願いたいポジションではあるしごにょごにょ。

 こっちはんなこたどーでもよい些事でFBなワケだが。

 つまりは精度の問題なのだ。試作され試験され制式化され現場に配備されている現用機を扱うのと同じ環境で、スパナとトーチでリンゴの皮むきをしろ、と。

 GP-01からGP-01FBへの換装作業自体は遅滞なく終了した。

 シミューレーションでも齟齬はない。

 だが。

 FBの機動限界である瞬間荷重42G(実証された人体への荷重限界が46G)にライダー以前に機体が抗甚するのか否か。

 もちろん強度計算はし尽くした。あとは実際に翔ばしてみるだけ。それでも。せめて30G前後での確証は欲しい。

 実際に動かしてみてばらばらになった機体を前に「やあ、まずったなあ」などとボヤきたくはない。

 MSエンジニアになったその日から、どこの誰かは知らないけれどでもその彼ないし彼女の生死を預かることになった。それが今は。

 彼の命は。敵の存在以前に私の掌の中にある。

 間違いは許されない。

 ネジ一つの締め忘れまでモデリング出来る場所が、あることを知っている。そして恐らく。


 コンペイ島の周囲を漂うデブリを完全に除去することは物理的にも予算的にもあらゆる意味で不可能であった。であるので部分的な、「海峡」と呼ばれる安全領域の掃海がなされ、維持されている。

 その海峡を今、最後の1艦が無事に航過した。

 一人の将官が率いる規模としては空前絶後、今や500隻を越える大小艦艇を従える艦隊司令、グリーン・ワイアット大将は、しかし未だ一抹の懐疑を消しきれずにいる。

 敵、の意図である。

 純軍事的な敗北必至を自明として、精一杯のチキンレースを通じての最大限のプレゼンスを獲得した上で政治的な決着を夢想している、とでも?この期に及んで。

 まあよい。ワイアットは軽くかぶりを振って決着した。それはコリニー閣下に預けることだ。自身は艦隊司令、前線指揮官として見敵必殺に勤めるまで、だ。

 臨編、「コンペイトウ第1任務群」。所属する将官から一兵卒に至るまでその勝利を確信して疑いはなく、事実でもあった。


 ソロモンか。

 彼は我知らず独語していた。

 閣下に一命を預け今日、生きて再び戻ろうとは。

 敵そろもんヨリ進発セリ。

 敢行された命懸けの強行偵察に紛れデブリの海に潜伏していた1機のザク・フリッパーが更に決死の情報発信をしてきた。

 機、熟す。今はただ征くのみ。戦友が瞑る海へ。


 それは忽然と防空圏内に出現した。

「反応!反応!!」

 艦隊が現在なお、非常に危険な状態にあることは間違いない。

 一番危険なのは無論、海峡通過中だった。この段階では艦載部隊は当然、コンペイトウ所属のMSまで根こそぎが動員され、濃密な直援、哨戒を展開した。そしてこの絶好の機会に於いては、敵に指一本触れることを許さなかった。悔し紛れか遥か遠方を偵察の機影がかすめ過ぎただけだった。

 そして、艦隊が無事全艦海峡を脱し、その安堵を衝くかの如く、遂に仕掛けてきた。

 今、艦隊は前後200km近い伸びきった艦列を横たえ、控え目に言って各個撃破の好餌であり、無力に並ぶスコアの列である。

 だがそんなことは百も承知、艦隊は未だ1個師団、300機に迫るMSに直援されている。因みに現在の稼働全力は約10個師団。

 しかしこの哨戒を抜かれたというのか。信じられん。しかもその機は。

「MAが単騎で出現した、だと?」

 防空担当参謀は怪訝な声を発したが、慌ててまくしたてた。

「他にも居るはずだ、探せ!」

「了解です」

 当該哨区のエリアリーダーが短く応答する。

 仮称、”ビグロ・2”。グラナダ戦区で交戦が確認された機体だ。月面から突如出現し、瞬時にサラミス級2隻を喰らうとそのまま逃亡したという。熱紋から同定には成功したがデータは少ない。

 こいつが「囮」であることは明白だ。では本隊はどこにいる。

 やっかいなのはほぼ最短で艦隊後衛に喰らい付くMAの推定軌道だ。何れにせよ全力で叩き潰す必要がある。ジムキャ2の1個中隊が追加投入されキルゾーンを形成、迎撃に入る。が。

「だめです砲撃が効かない止まりません後退の許可をわああぁあ」

 砲兵中隊は3機を失い、突破された。

 あのビグ・ザムすら1機で潰したガンダム・タイプ。艦隊戦力、砲力でも後れを取ったことなし。MAなど我が連邦には不要だ。

 理屈は全く御尤も。だがこの現状はどうだ。

「Iフィールドか?!くそ、質量系を持ってこい!近くにキャノンは居るか?!」

「MAにキャノンが当たりますか」

「哨戒中止!奴の進路に駒を集めろ!このままだと」

 下手をすれば。いや確実に、後衛の2、3隻、コロンブスの数隻は軽く、喰われる。

 まさか。

 そうなのか。単なる見たままのMA単騎の特攻なのか。

 旗艦「バーミンガム」CIC中央、艦隊防空管制センター。全員が息を呑んでそのデータを見つめる中。

 あ。

 誰かが間の抜けた声を発した。

「MA、変針、針路…」

「やはりか!!」

 防空参謀の声が重なった。

「別動隊が居るぞ!索敵を密にしろ、絶対に浸透を許すな!」


 そのとき偶然、極少数がそれに気付いた。

 或いは振り返り、窓に駆け寄った。

 見た、のではないかもしれない、それは気配であったのかもしれない。

 例えるなら、死神とすれ違い背筋が凍るような感触であったのかも。


 機体に僅かな制動を掛け、リリースボタンを押し込むと慣性の法則に従いここまで背負ってきたそれ、は「バーミンガム」に向け漂い流れて行った。

 遠ざかるそれを、ガトーは正に心の目で、追う。

 塗装は漆黒の防眩迷彩、如何なる熱も発しておらず、考えられる全てを吸収し、唯一、重力センサーでもあれば理論上は感知出来るがそれでも微小に過ぎる。

 ガトーは何の迷いも見せず自機を操り、構えたライフルは小揺るぎもしない。

 平静そのものの、しかし彼の内には猛り狂うような思いがあった。

 こうしているだけで。

 悪夢、とまで呼ばれた自身の激戦があり、

 理想に身を捧げ散り去った多くの戦友の姿があり、

 そして。

「見ているか。ソロモンよ、私は……帰ってきたぞ」

 囁くように口にしながら、トリガーを引いた。


 光だった。


 あの地で、ソーラシステムに灼かれたジオン兵も同じ思いだったのかもしれません、という証言も残っている。

「何だ、今のは」

「バーミンガム」右舷後方、距離1km以内の至近であったとされる。

「被害報告はありませんが。現在確認中です」


「来た!来ました!!」

 喜びを隠せない声が弾ける。

「標定十分です!余裕で行けます」

「寸分違わず時間通りか、流石だな」

「修正値算出終了、1.00958、0.00626」

「1.00958、0.00626、宜しい」

「最終修正」

「最終照準修正よし」

「確定」

「照準確定よし」

「出力確認」

「出力定格確認よし」

「砲撃準備、全て宜しい!」

 担当士官が申告し、

「よろしい、発射!」

 砲撃指揮官が号令した。

 約6万基のメガ粒子砲発射器が自らを破壊しつつ勃起した直径約5kmの光束は一部アクシズの地表を溶解させながら虚空を奔り、連邦の艦隊を撃ち抜いた。

 正式名称は別に存在したのだが誰もその名を用いず、「ソーラレイ2」の俗称で呼ばれていた戦略打撃兵器による一撃であった。



 11.(コンペイトウ沖海戦-その2)


 ** disconnection **


 第1任務群旗艦「バーミンガム」のCICと同期する戦況表示画面は片隅にエラーを吐いたまま凍り付いている。

 コンペイトウ、作戦司令室。

 彼等は”事態”の把握に苦慮していた。旗艦については見ての通りで、のみならず次席指揮官が座乗する「マンチェスター」とも連絡が取れない。

 敵艦隊との交戦まで最短でもまだ3日の猶予はあるはずだ。

 眼と鼻の先、要塞沖合の前線で何が起きているのか。


 ええそうです。完全に先手を打たれました。でもこれなら勝てると思いましたよ、作戦指導の通り敵の火力は劣弱でしたから。:元砲術士官の証言

 敵大火力による砲撃、先制攻撃による損害はしかし前後への縦射によるものではなく、その規模に比しては少なかった。直撃により撃沈破されたもの、数十隻(最も信頼出来る資料によれば32)副次的な戦闘不能被害を加算しても損耗は全戦力の10%に満たない。軽微とすら言える。

 だがアクシズの攻撃、先制奇襲はこれで終わらなかった。

 ガトーが示した座標を基準照準指標として全力射撃を開始したのだ。


 しばらくして画面が切り替わった。コンペイトウからのセンシングにより把握されている艦隊の現在位置座標の一次情報がそのまま表示される。

 数百を数える定常加速を示す微弱な赤外反応の列に、無限遠から伸びた幅数kmの規模に及ぶ熱線が交叉しているのが確認され室内はざわめく。「バーミンガム」「マンチェスター」共に音信途絶である理由についての最悪の回答がそこに示されている。

 更に、赤外反応の列に微細な熱線が瞬き、今リアルタイムに交錯している。

「交戦中、だと」

 無神論者が悪魔と出会い思わず上げるような呻き声が漏れた。不正確だ。これは交戦ではない。連邦艦隊は一方的な射撃に曝されている。

 そして今、艦列前端に位置する赤外反応の一つが強度を増し、次の瞬間ランダム放散に変じた。


 敵がその規模と現在位置を自ら暴露したのだ。この時点で逆説的には連邦軍の勝利が確定していた。先の言葉にあるようにそしてこれまで何度も繰り返してきたように。額面戦力上では常に連邦が圧倒的優位にあったのであるから。

 連邦艦隊がこれを期に反撃に転じることが可能であったのであれば。

 だが、歴史に「もし」はない。

 『大規模ナ砲撃ラシキモノ』を受け、更に敵艦隊から一方的な射撃を浴びながら艦隊は何事もないかの如く緩加速による前進を続けている。

 何故だ、何故反撃しない、何故何の発令もないのだ。残された将兵の間で不満が高まり不安が広がり、それは焦燥へ、そして恐怖へと転じていった。

 バーミンガムもマンチェスターも、既に沈んでいるからだ。

 この艦隊の指揮を執るものは、誰もいない。

 我、指揮を執る。或いはここで一人の勇将が将旗を掲げ。

 いや、もういいだろう、言葉遊びは止めにしよう。敵の先制奇襲砲撃、間断無く加えられる猛射。度重なる打撃に下がり続け叩かれ続けた連邦軍の士気は今、艦隊の先陣を切る教導艦が誰の目にも見える形で喪われたことにより遂に打ち砕かれた。それが、この戦場での唯一の現実だった。



 12.(コンペイトウ沖海戦-その3)


 艦隊は此の世の何処か、勝利とは最も縁遠い処に向け全力加速を開始したようだった。

 赤外反応の多くが強度を増し、急激にベクトルを変じた。

 交信封鎖は継続されているはずだが、2、3の艦が回線を開くとあっという間に通信量が増大し平文まで飛び交い始めた。

 後退、退却ですらない(何れも作戦行動の一環である)それは敗走、潰走という表現こそが相応しい無秩序な惨状だった。

 そして一方、皮肉なことにその「無秩序」な運動が艦隊を危機から救っていた。

 極一部の艦は全軍がそれに続くことを期待してか、独自に反撃を開始ししかし集中射を受け即座に撃破されたが、遁走に移った大部分に対してはその照準諸元を持たないため、敵は効果的な射撃を行えずにいる。「艦隊」の想定進路に向けられた火線が命中を得ずにただ空しく虚空を過ぎゆく。

 既に大事は去った。まだだ、まだ勝ち目は残っている。艦隊を再編し反撃を行うのだ、敵が勝ち奢っているこの間に。

 戦況を見て取った幕僚の一人がコリニーに強く詰め寄った。

「閣下!これは緊急事態です、ここは枉げて御采配を!」

 無論、コリニーにも勝機の在処は見えていた。

 しかし、今、彼の意識は別の場所にあった。

 勝ちに狎れ、勝ちに急いだ結果がこれか。

 敵を侮ったことはない、ないが、にも関わらずいつからか勝利を所与のものとして、被害低減の努力に勤しんでいた。

 彼らには致命的なビハインドがあった。

 何をどう言い繕おうと、アクシズとの交戦はジャブローの意向を無視した造反に他ならないという立場の弱さだ。自然、将兵の戦意も鈍る。それを糊塗せんが為の大軍であり、必勝の確約だった。否。

 最後まで、直接交戦を望んでいなかったのは我が方だった。苦渋と共にコリニーはそれを認めざるを得ない。なればこその大動員であった。まさかこれ程の兵差を前に戦いに及ぶことはあるまい、数量の現実の前に戦わずしてアクシズは屈する。もしそれでも尚、敵が戦いを望むのであれば、そのときこそは戦い、そして勝利すれば宜しい。

 今回の作戦はつまり、拡張された「観艦式」だったのだ。

 敵は、ハマーン・カーンはその総てを見越した上で、動いたというのか。手玉に取られたのはこの俺か。

 負けるべくして負けたか。

「全艦に告ぐ。コンペイトウは貴官らの早期の、無事の帰隊を心から望むものである。私の名で打電し給え」

「…了解しました」

 幕僚は引き退がった。

 それで勝ちを拾えるにしても、作戦本部長が艦隊を直接指揮する様な前例を作ることだけはどうしても避けたかった。コリニーの、連邦軍軍人としての最後の矜持と言えた。

 着座したコリニーが今しばらく思案に沈んでいると、室内の喧噪とは別の種類の騒ぎが一角で起きた。

 そして、宇宙仕様特有のくぐもった銃声が断続して響いた。

 悲鳴と怒号が上がり、続いて虫の羽音に似たスタンガンの連射音が室内を制圧した。

 静寂が落ちた司令室のその奥、コリニーに向かって高い靴音と共に兵の一団を引き連れ男が一人歩み寄って来る。

 コリニーの前で男は作戦画面を振り返ると「惨めなものですな」一つ吐息を洩らした。

「数多の人材、艦艇を初めとする機材、総て連邦の、軍の貴重な資産です。閣下はその一存でどれだけ損なわれましたか」

「ハイマンか」

 コリニーは無感動な声で応じた。

「この不始末、どう責任を取られるおつもりですか」

 ジャミトフ・ハイマンは告げながら腰に手を伸ばす。

 コリニーは差し出されたそれを片手で制しながら、自らのものを手にした。

「御言葉があれば、承ります」

 ジャミトフの言葉に、コリニーは不敵に笑って応えた。

「よい。どうせ貴様も永くはあるまい。そう予言しておこう」

「心得ましょう」

 どこまでも生真面目な態度と言葉で、ジャミトフは応じた。


 コリニーの”辞任”とジャミトフの代理指揮の周知、艦隊の収容に目処をつけたコンペイトウ作戦司令室は落ち着きを取り戻したかに見えたが、その間もなく再びさざめき始めた。アクシズによる最後の攻撃が始まっていたのだ。

 スタッフの間で何度か情報が行き交った後、状況はクリティカルであるとして遂に幕僚達はジャミトフの元に駆け寄ってきた。

「閣下、緊急事態です!アクシズは、我がコンペイトウとの衝突コースにあります!」

 ジャミトフは怪訝な顔をした。

「アクシズが…艦隊がか」

 幕僚は顔を振って否定する。

「違います、ああ、アクシズ本体が、『要塞・アクシズ』が、です!!。直ちに迎撃準備を発令することを進言します!!」

 ジャミトフの顔に痴呆のような表情が浮かんだ。

 何故ここまで気づかなかったのか。もちろん、そんなもの誰も脅威として算定していなかったからだ。何か随分巨大な質量が近接してくるなあと思ったセンシング担当の一人が何となくその軌道を確認したらこの騒ぎである。直ちに迎撃作戦が策定されると共に戦力配置が発令されたが既に何もかもが手遅れであるのは明白だった。

 そして、「アクシズ」に後続し存在を秘匿していた敵艦隊戦力が出現し、宣言した。

「投降は受け入れるが逃げるものは撃つ!生か死か、何れかを選べ!!」

 主戦力は一戦も交える事無く壊乱し再編途上、作戦指導部ではクーデターが勃発し指揮権掌握と鎮撫の最中。そこに決まった3度目の奇襲だった。

 かつて「艦隊」だった連邦軍各艦はもはや艦長の裁量如何だった。ここでも再び、極一部が絶望的な抗戦を行い撃破され、一部は逃亡を試みて背中から撃たれ、大部分は恭順の意を示した。要塞直轄のMS部隊も出撃したはいいが接近する岩塊になけなしの火力をぶつけるのか取り付いて物理的に押すのか、それとも敵も展開しつつあるMS戦力を迎撃するのか、それともその母艦を叩くのか、コンペイトウ管制、各級指揮官がばらばらの命令を出してくるか或いは全く放置か、既に何を相手にも戦える様な状況にはなく命大事で雪崩を打って投降していった。

 冷静に判断すれば無駄な迎撃行動など放棄し、要塞内のすべての気密を解放し動力を停止し全ての火種を消し止めた上で、衝突正面の裏に総員が退避、というのが最も的確な行動であったであろうが、それが結局投降と同義であったことに加え、艦隊火力を引き連れ迫りくる巨大質量相手に投げつけられる全てをぶつける衝動を堪えろ、というのも人間の心情というものを弁えない無理な注文ではある。

 スタッフの総入れ替えに伴うオペレーション習熟不足による効率低下もあった。もちろん逃亡する者も後を立たず、結果、総てが遅滞し、激突の衝撃による気密漏れも大規模に発生したが同時に各部で発生した大小の誘爆がまだ残存していた気密を導線に要塞内を巡り、爆発を連鎖させながら内部から破壊していった。コンペイトウは火山の様にあらゆる開口部から爆炎を吹上げ、地震に見舞われたかの如く激しく震動し続けた。そしてそれらが鎮まったとき、コンペイトウは戦略拠点としての機能を喪失していた。

 人の手によりアステロイドベルトから引き出され、ソロモンの名が与えられ、破壊されコンペイトウとして再建され、そして今また再び破壊され、少しの質量を減じただけで元の姿に戻ったこの小惑星は、人の所業の身勝手を呪うでなく自ら飲み込んだ多くの人命を悼むでなく、アクシズから受け取った運動量により緩やかに自転しつつ、遠方からの淡い陽の光に照らされながら唯、虚空に佇んでいるのだった。



 13.(コンペイトウ沖海戦-その4)


 アクシズ艦隊旗艦「グワダン」メインブリッジ。

 大勝の昂奮冷めやらずというところか。未だ時折回線から漏れる「ジーク・ジオン」の勝鬨に男は思わず苦笑を洩らす。

 顔をしかめ、何か言いたそうにこちらを見た副官に軽く手を振っていなした。現時点で我が軍唯一の美点といっていい戦意の高さを不用意な叱責で喪いたくはない。

 ハマーンから兵権を預かり、一応所期の目的は達成出来たことに感謝しながら、彼、ユーリ・ハスラーは独り静かに今の戦いを検証していた。大戦果に全軍が湧き返る中、表面上はそれに和しながらも総司令官として最も喜んでいいはずの立場であったが大事をなした疲労感と事が成った安堵を胸に、どこまでも怜悧に彼我を見据えていた。その彼なればこそハマーンも一軍を託したのであろうが。

 勝利とは、戦って勝つこと、だ。しかし我が軍は一度も戦ってなどいない。故に負けなかった、それだけのことだ。

 練度を問うのもおこがましい、初めて編成された艦隊による初の艦隊行動。しかも深刻な定員割れを抱えてのそれだ、機材はともかく人員だけはどうにもならない。1年戦争組の奮闘で何とかそれらしく振舞えはしたが。

 勿論、負けない為の努力は尽くした。

 南米相手の避戦を前提とした戦略による永年の外交努力。それを電文一本で反故にしたコンペイトウ勢力。前線部隊の暴走である事は明白であった。当然、その戦力編成は南米の承認を得たものではない。本来であれば各級指揮官に適切な権能分与を行い最後の一兵卒まで戦闘可能である堅牢な指揮統制構造を持つ連邦軍だが、”この”艦隊は連邦軍への根拠薄弱な偏見通りの”烏合の衆”であるはずだ。

 万が一の早期開戦に備えた布陣が、辛うじて危機を救った。常に両略を睨んでアクシズを率いてきたこれはあくまで彼の少女総帥こそがもたらした、”勝利”だ。自分は現場でその成果を確認しただけに過ぎない。

 副官が二言三言コンソールと言葉を交わし、顔を上げる。

「閣下。この『グワダン』にも取材の申し込みが来ましたが……」

 やや呆れた表情で問いかける副官にハスラーは鷹揚に頷く。

「構わん、乗艦を許可する、丁重に応対するように。引き続き広報、取材、可能な限りの便宜を図ってやれ。ムンゾに裏表無い総ての情報を流しこめ」


 コンペイトウの方面からただならぬ気配が漂ってきていたが当面彼に出来ることはない。こうして近隣の哨区を飛ぶことくらい以外には。

 デブリが多いな。さすが1年戦争激戦の地、コンペイトウ軍管区、か。

 コウはしかしそれに気付き慄然とする。

 微かに、赤外反応を持つ、デブリ。

 デブリじゃない。

 これは、撃破された友軍機だ。

 呼吸が浅く、早くなる。

 居る、何かが、この宙域に。

 センシング域を絞り込み、検出感度を限界まで上げる。

 感知したそれは星明かりに潜む微小な反応だった。だが何光年も先のものではない。

 MS-14?。

 いや、一度フラッシュして識別結果が書き変わった。

 ** nos **

 心臓が止まったと思う。

 交戦して帰還する機なし。正体は戦後初めて判明した。

 ソロモンの悪夢。アナベル・ガトー。当時と同じその専用機だとデータが伝える。

 コウは一瞬、全く別の事を考えていた。何でこんなデータが。ルセットが機械的に放り込んだのか。

 激しく頭を振る。

 違う、そうじゃない。

 そこに居るんだ、あのガトーが!!。

 惑乱と無縁に体は動き、機体は反射的に射撃準備に移行している。長距離狙撃モード。

 だが、全く当たる気がしない。

 気付かれてはいないと思う、思うが。

 トリガに掛った指を動かせないまま2秒ほどが経過し。

 反応が、消えた。

 「消えた」

 口にしながらコウの脳裏では戦術機動に関する断片が閃き交錯する。

 彼我の距離は詰まっていた。加速離脱されてはいない。

 つまり敵機は依然自機の進路前方に存在する、はずだ。

 敵機の現在位置は。

 最終位置情報は当てにならない。ダミーをかまされた可能性もある。

 じゃあどこに居るんだ。

 脳髄の物理的限界、コンマ数秒で結論に達したコウは同じく生理的限界で手足に命じ。

 FBは全力制動。

 胃、どころか内臓の総てを口から吐き戻しそうな凄まじいマイナスGがコウを襲う。

 歪む視界の端でモニタが敵機の存在を示す。

 ひょおぉ。

 生暖かい何かが首筋を撫で行き過ぎたのをコウは感じた。

「強制冷却で気配を消したのか?!」敵機の眼前で。なんて大胆なマニューヴァを。

 光学センサでは捕捉できない。闇を斬り落とした様な漆黒の防眩迷彩。

「この間合を外すか」

 ガトーも思わず独語。伊達ではないな、ガンダムドライバー。

 だがガトー渾身の一撃は唯の空振りに終らなかった。コクピットこそ外したものの振り抜いた切っ先はFBの頭部を捉えた。

 コウの眼前で激しくノイズが弾ける。メインカメラを含め殆どのセンサがアウト。

 追い縋るゲルググをFBは蹴り離す。ガトーは両足とも斬り飛ばすがコウは貴重なスタンスを得た。そのまま強引に振り切る。後退しながら連射、命中は既に期待していない。

 そして背を向け。

 それは最悪だ、ガンダム!。

 ガトーは胸中で吐き捨て、FBの背後へ瞬時にエイミングし。

 もちろん、コウにも判っていた。

「なに!」

 FBは2連続バレルロール。射線をすんでにかわし、ゲルググに正対しながら。

 全力加速。

 コウは絶叫していた。貴方は俺が止めてみせる、ガトー少佐!!。

 ぬう!。

 2機は切り結び、互いの刃は互いのコクピット周りを抉り回した。

 コクピット内の総ての光源が落ちる。

 一瞬の暗闇を置いて、赤黒い僅かな光。

 ハネースを外し、身を起し、少しだけ考えた後、コウは決然とハッチを開いた。

 まるで当然の様に、目の前に人影が立つ。

 コウは息を呑んだ。そのジオン仕様のノーマルスーツを必死に睨む。負けないように。

 受ける威圧感は相当なものがあったが、だが今二人の間にあるべきもの、殺気や害意の類の気配は微塵も無かった。銃も構えていない。なのでコウも軽く両手を上げる。

 手が動いた。人差し指が立ち、ちょいちょい。

 コウは、慎重に近づく。

 バイザーが触れ合う。

「デラーズフリート所属、アナベル・ガトー少佐だ。貴官は」

「地球連邦宇宙軍、コウ・ウラキ少尉であります、少佐殿」

 ウラキか。ガトーは呟き。

「覚えておこう、少尉」

 離れた。自機のコクピットへ。

 背後に重圧感を感じ、振り向いたコウを巨大なモノ・アイが睥睨する。

 月で遭遇した、MAだ。いつの間に。この機も今は漆黒に塗り代えられている。

 MAはゲルググの残骸を掴むと、こちらにブラストが掛からない様に姿勢制御した上で加速、コウは放心したままそれを見送る。

 ガトーと戦った。

 生き延びた。

 見逃された。

 雑音が聞こえる。いや、呼んでいる?。

「コウ、コウ?!死んじまったのか?!生きてるのか?!なら返事してくれ!!」

「……キース?」


 14.


 ぱちぱちぱちぱち、ぴしゃ。

 開いて、閉じる。

 随分と長い間、持ち主の意思と無関係にその軍扇は規則的な律動を繰り返している。主人であるシーマ・ガラハウ中佐の手元で。

 「リリー・マルレーン」、メインブリッジ、スキッパーズ・シート。

 つまり、使うつもりがまんまと上手い具合に使われたワケだ。さすが総帥の懐刀と呼ばれただけのことはあるってことかい、エギーユ・デラーズ。

 確かに、とシーマは振り返る。不自然なまでの厚遇だった。あたしらへの永年の冷遇をジオンを代表して陳謝する、だけにしては。腹を割る、器量を示すといった交渉術では説明出来ない、作戦に参加する部隊指揮官への状況説明及び指示、指導としても異例な、余りにも過度な情報開示ぶりだった。言外に、裏切れるならやってみろと恫喝せんばかりの。

 アクシズの介入など、全く予想外だ。

 いや、アクシズによる”支援”についてへの言及はあった。だがそれは時期尚早、決起には準備不足という自陣営に満ちる声無き声を抑えきれなかったハマーン・カーンの政治的詐術、に過ぎなかったのではなかったか。

 自分が与えた情報、敵陣営中枢深くに獲得したインフォーマーからの情報に連邦軍がどれだけの影響を受けたかは読み切れない。だが、情勢判断の材料として、そして今回のソロモンでの大敗に自分が全く無縁であったとは考えられない。

 やはりギアナで潮目が変わっていた、か。

 シーマはうすく眼を開いた。将官の換えなどいくらでもあるだろうに、あの巨獣のような連邦軍が蟻の一噛みでうろたえ惑っている。観客としてであれば無責任に面白がっていられるのだが、自身、舞台に上がっている役者の一人としては笑っていられない。

 ジオン再興。

 腹の底で言葉を転がし彼女は顔を歪める。なまじの美貌が凄愴を交えた凶相に置き替る。

 我らが捧げた無私の忠勇に公国が何を以て報いたか。

 名誉も誇りも、時間さえも。ただ奪われ、打ち捨てられた。大義だ信義だと、笑わせるな、ブタの餌にもなりゃしない。

 簒奪されたものと比して、あくまでささやかな報復、だ、これは。

 その機会は必ず来る。それまでは。

「…利用してやる、徹底的に」呪文を唱えるが如くシーマは呟く。


「コロニーの爆砕処分、だと。気は確かかねコーウェン少将、”アレ”は君の退職恩給で賄えるようなシロモノではないのだぞ?」

 おおげさに目を剥いてみせる軍令部長相手にコーウェーンは硬い表情を崩さない。

「自分は至って冷静です」

 南米、ジャブロー。

『コンペイトウ方面での大規模な武力衝突と膠着』

 今回の”事態”に対するこれが軍と政府の公式声明だった。重大な欠落はあるが辛うじて虚報ではない。

 アクシズとのハンドリングを奪われ、挙句それと現地軍の暴走、衝突を殆ど無策に見過ごしに任せたのは何故か。

 それはギアナ事件で天から降って湧いた上級官職を巡り、残った者が職分を忘れこの地で盛大なイス取りゲームに明け暮れていたから、だ。

 最も遠い局外に立つコーウェンは胸中で吐き捨てるが戦後判明した事実に照らせば、この時ジャブローで進行していた状況は「ゲーム」の一言で片付けるには余りに大規模なものであった。それは参加各陣営の総力を傾けた情報戦であり、幸いにして砲火を交えず終結した内戦に他ならなかった。荒れ狂い互いに激突する組織力学に轢き潰され転がった死体の数は両の手に余る。

 結果、前後を含め約一週間近くの長きに亘り、ジャブローは機能不全に陥った。コンペイトウ方面の動静に戦争ごっこは好きな者に任せておけばいいと嘯きつつ。

 そして最終的にそれら要職を占めたのは。軍部高級官僚としての見識も浅薄なら適性も疑わしい、現職を評議会出馬までの腰掛けぐらいにしか考えていない、つまりはコーウェンの眼前に居る男のような無能以前に何より迷惑極まりない有象無象共。

 以前の体制には歪ながらにも観望と、そこから導かれる指導があった。

 今は何もない、否。

 現政権への粘つくような執着だけが存在する。しかもそれが。

「それでは、ゼダンからグラナダへの戦力移転の件は、如何なされているでしょうか」

「ああ、あれはイカンよ」

 部長はワケ知り顔で指を振る。

「サイド3方面の情勢は現在甚だ不穏だ。守旧派の活性化に不安定化工作も確認されておるしな。そこへゼダンからの戦力抽出など、誤ったシグナルとなりかねん」

 続く言葉は全く逆の内容であった。

「この現状に鑑み、ゼダンへの増派が午後には議決されるはずだ。グラナダの予備兵力からこれに充当する」

 コーウェンは軽い眩暈を覚え、よろめく。

 アクシズが仕掛けた情宣はかくも有効に機能しておるわけだ。

 謀略、情報戦、何れも発足当時から連邦軍のお家芸だった。

 それが。

 コーウェンは胸中で呻く。構わん、ああ構わんとも。

 それで”勝利”できるのであれば。

 よもや、負けることなどあるまい。それがコンペイ島のあの体たらくだ。コーウェンが掴んだ情報は、連邦軍の意想外の惨敗を克明に伝えて来ていた。

 外、に向け情報を伏せるのはまだ理解出来る。自身を瞞着してどうするのだ。

 現実を見よ。コンペイ島はコリニーが召集した戦力と共に失陥したのだ。

 地球正面がかつてない程手薄な状況を貴様らはどう観ているのだ。

 デラーズにとり、これが千載一遇の好機であるというこの現況をだ。

 だが、その想いは一言とて現実化することは無かった。

「了解であります」

 コーウェンが実際に発したのはその一言だった。

 我は少将、彼は中将、そしてここは軍隊なのだ。

 同時に暗澹たる気分で、自分の子飼に掛かる更なる重圧を想う。


 デラーズ・フリート。総隊旗艦「グワデン」

「全く、お見事な手腕です。感服致しました」

 デラーズは手放しの讃辞を述べる。

「出来ることを全てした、させたまでだ。大したことはない」

 しかしハマーン・カーンは顔色一つ変えずに受け流す。

「むしろ出来ることしか出来なかった。時間も戦力も限られていた故な」

 デラーズは軽く否定する。

「十分過ぎましょう。ソロモンまで破壊されるとは」

「敵の策源を断つは兵法の初等であろう?ソロモン程のもの、さすが、捨て置きに地球へ押し出すわけにはいかぬでな」

 デラーズは深く、二度、三度頷く。

「しかしガトーと言ったか。よい駒を持っているな」

 ガトーを駒、と決められデラーズは僅かに声を固くした。

「全く、小官には」

「小官、は止めにしよう、エギーユ」

 カーンはすかさず止める。

「貴公と私は対等のはずではないか」

 デラーズがさりげなく下手に出るのをやんわりと抑えた。

「ああ、これは失礼した、全く、私には過ぎた漢です。或いはハマーン様の下でこそ輝く星であるやもしれません」

「よい、私にもこれで幕下が無いでない。戯れだ、捨て置け」

 デラーズは軽く頭を下げ、ふと気づいたように。

「そろそろですな」

 時刻を確認した。


 コウが背後に立ったのに気付いた様子でありながら彼女は全く何の反応も示さない。

 だから、激怒してる。コウは断定した。それもかつてないほど。

 ルセットは情動烈しそうで、怒っているところはあまりみた記憶がない。作業中はよく殺気だっているがそれは怒りとは違う。

 しかし今は。殺気だっている、のではなく彼女の背中から殺気が立ち昇っているのが視える気がする。

「えーと、その、ルセット、さん」

 仕方なしコウはこちらから声を掛けた。

 ぱたり、とその手が止まる。

「あらコウ、お帰りなさい」

 自然だが平板な様子で彼女は応える。相変わらず顔は動かさない。

 たたたたぱしぱし。

 直ぐ作業を再開した。

 地雷を真上から踏みつける気分でコウは再び自分から声を出す。

「怒ってる、ねえ怒ってるよね」

「うん、怒ってる」

 再び平板な声が返る。うあやっぱし。

「御免!。せっかくのフルバーニアン大破させ」

「そんなのどうでもいいのよ!!ニナじゃあるまいし」

 だん。とコンソールを叩きルセットはコウに向き直った。

 どうでも?じゃなんで。

「だってコウは無事帰ってきたんだもん。いいよ、また修理すれば」

 嬉しいことをいう。

 でもじゃあなんで?。

「ガトーと交戦したのね」

 ひくりとコウの背が震えた。

 ルセットの眼が告げる、当たり前でしょ、全部診るのよ私たち。

 14相手の無様な相打ちまで。

「ソロモンの悪夢。戦うまで気付かなかったの?」

 不意に、コウは悟った。ルセットがデータエントリした意図を。

 つまり、この先危険、のマーキングだったのか。

 逃げろ、と。

 でも、戦争なんだよ。逃げることなんて。

 そう思った、違った。真逆だった。

「何で一騎討ちなの」

 え。

「ガトー相手に一人で勝つもりだったの?」

 あ、え。

「隊長も、キースも、アデルさんも近くに居たんでしょ?!なんで皆でボコってやらなかったの?!戦争だったら見方の支援を受けて当然でしょ、そうじゃないの!!」

 脳天を叩き割られたような衝撃だった。

 確かに、その通りだ。

 全く、思いつきもしなかった。

「それとも何、勝てると思った?ガンダムなら?!」

 ビームサーベルを根元まで突き入れられた気分だった。

 実際にあのときコウに兆したのはもっと不遜な感情だった。

 おれ如きが、とあの時コウは確かに思った。

 ガトーを墜としてしまっていいのか。機体性能差のみで。

 トリガを鈍らせたのはその逡巡だ。

 なんて傲慢な。

 後悔するなら勝利してからで十分だ。

 そのことを、今、このエンジニアから教えられた。

「生きて還ってよ!真剣に!じゃなきゃガンダムなんてあげないから!!」

 彼女は、泣いていた。

 違った。全てが逆だった。

 彼女は怒っていたのでもない。

 ただ不安に震えていた、いるだけだ。

 おれがいない時間を。その帰還までの時間を。

「ごめん」

 コウは素直に詫び、彼女を抱きしめた。

「反省してる?」

 泣き笑いの内に彼女が聞く。

「してます」

「本当に」

「必ず、生きて還る、絶対に、本当だ」

「よし!!」

 ルセットは涙をぬぐい、ちゃらり。

 ごついキーをコウに手渡した。

「帰還率大幅アップのアイテムよ」

 GP03、とタグにある書き文字は場違いに可愛らしい。

 アナハイム・エレクトロニクス所属、ドック船、「ラビアン・ローズ」。

 アナエレ本社と同様連邦軍の統括下にあり、さらに現在は臨時指揮所であり野戦補給、整備場ですらあった。早い話が全く便利使いされている真っ最中だった。

 周辺に駐留しているのは「アルビオン」を筆頭にマゼラン級が二隻、サラミス級が五隻、コロンブ級が一隻。何れもコンペイ島から落ち延びて来た戦力だった。

 云わばこの帳簿に存在しない戦力を取り込み、「アルビオン支隊」は臨編されていた。コーウェンに向け非公式に最新情報を発したのも、当然この部隊を率いるシナプス司令による判断である。

 部隊は「ラビアン・ローズ」からの根こそぎ徴発により戦力の維持を企図していた。シナプスとしても心苦しいものはあるが已むなし、と既に割り切っている。所有する戦力もその一環であり、先にデフラが移乗し調整を急いでいたGP-03も戦力化が間に合った。

 部隊の次の目標は、現在守備が手薄な搬送コロニーの護衛部隊への合流だった。が。



 15.


 ノイエ・ジールを評して当時アナベル・ガトーは、

「素晴らしい!ジオンの魂が具現化したようだ」

 と手放しで賞賛したと伝えられているが側近には、

「火力礼賛の成れの果てだな。優秀だがつまらん機体だ」

 と洩らしていたという。

 事実とするなら軍人ではなく武人、と毀誉褒貶されることの多い彼らしい逸話である。

 対して、コウ・ウラキは当時、デンドロビウム搭乗の感想を聞かれ、最も近しい戦友であるキースに、

「最強だけど最低の機体さ。彼女には悪いけどその、余り好きになれないな」

この様に応えたという。

 これも実に彼らしい言葉だろう。

 では、戦場の実際に彼らはどう臨んだのであろうか。それを確認してみよう。


 幸福な男だった。

 実際に強運でもあった。

 ソーラレイの直撃も免れ、ゼダンでの激戦をも最前線にあって生き抜いて来た。

 そして今、同僚の多くがコンペイトウに引き抜かれて行くさまを、彼は羨ましく思った。

 彼の地であれば戦功も立て放題だろう、と。

 一年戦争後、今回の紛争は一遇の好機だと彼は感じていた。

 だが彼に割り当てられたのは退屈な警護任務だった。

 戦略物資であるコロニー護送の任務だ。貴官を就ける意味を理解してくれるものと思う。

 言葉を飾ろうが所詮、閑職だ。言葉にも表情にも出さなかったが。

 しかしやはり、彼は幸福だった。

 彼等は来たのだ。


「敵襲か!」

 司令官の声に堪え切れず溢れる歓喜の響きに、管制士官は怪訝な表情を浮かべたが機械的に復唱する。

「敵らしきもの、数、識別不能1、ビグロ改1、14改12、方位、2-8-6!」

 左舷前方からの反航戦だ。

「合戦準備!総員、CICへ移動!」

 艦長が交戦を宣言する。

 移動後、直ちに彼は問いただす。

「識別不能、とは何だ。報告は正確に行え」

「識別不能なんです」

 オペレータが要領を得ず、首を振って答える。

「如何なる意味でも、既存の、現在確認されているデータに照合出来るものがありません。新型です」

 新型。

 DFが新型機を設計、製造する体力を持つとは思えない。

「つまり、アクシズか」

 いくら数があろうと14はものの数ではない、ジムカスのスコアにしかならない。

 ビグロ改も、少し手こずるだろうが何とかなろう。

 アクシズの、新型。反応の強さから恐らくはMA。

 戦功の糧でしかなかった存在が、不意に敵として対峙する不気味な感覚を、

 勝ち戦しか知らない彼は、今初めて味わっていた。


 連邦軍、最新鋭機群による分厚い哨戒圏が進撃路前方にある。

 まともに突っ込めば、特に後続部隊が甚大な被害を被ることは必至だ。

「さて、見せて貰うぞ」

 ガトーは短く独語すると、ジムカスの群れに単身猛然と切り込んでいく。


 マゼラン級、旗艦「ダンケルク」CIC

「なんだこいつは」

 兵が発したその言葉が、崩壊の始まりだった。

「効いてないのかこいつ!」

「畜生!畜生!」

「支援を、支援を要請するわああぁ!!」

「ビグザムなのか?!」

「いや足はない」

「またやられた?!」

「黙れ貴様ら、その汚い口を閉じろ!」

 各員が無秩序に吐き出す私語で回線はたちまち埋まる。

 エリア・リーダーの指示も通らない。

「各機、勝手に集結するな!戦区を守れ!」

 防空統制官の怒号がそれに重なる。だが効果はない。

 その正体不明機は単騎でジムカス1コ中隊からなる防空網を突き崩し、周辺の機を招き寄せしかも片端から撃墜していく。穴は広がり、14改が易々と浸透してくる。

 MS戦はしばしば急激な展開を見せ宇宙ではこの傾向が特に顕著であり、その際、戦況の推移に戦闘管制が追随できないことは珍しくない。この場合でも最早、出撃各機の働きを傍観する以外何も出来なかった。

 そしてやはり彼、艦隊司令は幸運だった。

 指揮官先頭を標榜し艦隊の先頭に旗艦を置いた彼は、自らの決定的な敗北を確認する猶予もなく此の世から立ち去れたのだから。

 

 目に付く敵機をあらかた叩き落とし、敵先頭のマゼランを潰すとガトーは一息付く。

 同時に、自分の乗機としてこの機が選ばれた理由も今は理解出来た。

 ノイエ・ジール。

 この火制範囲、そして火力。

 正しく使えば戦場に破壊的な影響を与えるが、下手をすれば唯のマトだ。

 なるほど、私にこれを使えというのか。

 次の標的、サラミスをエイミングする間に通信が割り込んで来た。

「ガトー。敵が投降を願い出て来た。指揮官は戦死、次席指揮官も自決したそうだ。どうする」

 ガトーは軽く眼を閉じ、往信する。

「受け入れるしかなかろう」

 コロニー奪取は、あっけなく成った。


 南米・ジャブロー。中央作戦情報司令室。

 移送コロニー略取の報を受け室内は騒然としていた。

「ばかな。あれだけの戦力が手もなく破られたというのか」

 どよめく上官たちにコーウェンは毒づく。

 どれだけの戦力を投じたというのか。1個艦隊ではない、戦隊、ではないか。

 どこまで敵を侮れば……。

「いや、コロニーは月を迂回」

 もう我慢の限界だった。

「ブラウン・メモはこの際お忘れ願いたい。あれはただの紙キレです!」

 無礼だぞ、コーウェン君。静止の声も耳に入らない。

「現在のコロニーがここ。これがブリティッシュ相当の運動量を獲得した場合」

 コーウェンは作戦表示画面に割り込みを掛ける。

「ご覧下さい。3日掛からず阻止限界点に達します。2基のコロニーがここに落着するのです」

 阻止限界点。字義通り地球落着阻止の最終座標である。

 どよめきは更に高まる。

 ど、どうすればいいのだ?!。細い悲鳴のような声が上がり、それを契機にわっと私語が溢れ返る。

「直ちに」

 その低く太い声だけが喧噪を貫き、響いた。

「ルナツーの全戦力を進発させましょう」

「ぜ、全戦力かね」

「左様です。戦力を出し惜しみする時ではありません」

 発令準備に向け慌ただしくスタッフが動き出す中、コーウェンは続け様に発した。

「もちろん、グラナダからも根こそぎ動員を掛けましょう。稼働全艦に全力加速を命じます。とにかく迎撃線に戦力を載せるのが肝要です。足りない推進剤は必要であればフォン・ブラウンから供出させます。最悪文書の時系列は前後して宜しい。事は急を要します。後の事は後に任せましょう。宜しいですかな」

 スタッフが言い交わす事務連絡以外、喧噪は既に消滅していた。

 そして抗う声は無かった。

 全く、自身、かけらも望んでいなかった形で、否、自身が最も嫌悪する形でコーウェンは、実質的に連邦軍、その全力全権を掌握していた。

 そして一方。

 今、敵至近に存する自分の私兵に向け、苛烈に過ぎる断を迫られていた。



 16.


「求むライダー。ザク系機体1機有り。先着1名。」

 ぱちくり。

 ガレスは思わず我が眼を疑う。

 茨の園。補給作戦統括本部室。

 補助艦一隻余さず出払った、隣の港湾部はもぬけのカラだ。

 そして補給部もまた、弾薬糧食最後の1カートンまで吐き出し尽くし、その業務は、使命は前線の決着を見る前に果たされている。

 否応なしの決戦態勢がここにも見て取れた。

 これが最後の、我々ジオンの戦いなのだ。

 ガレスもそう決意していた。

 そして、自分の戦いはもう終わったのだと。

 戦場を替え、今日まで戦い続けて来た。

 ここでの自分の役目は尽きたのだと。

 今、この瞬間まで。

 戦勝か、それ以外か。

 何等かの結果が報じられるまで、彼らは正に「急いで待て」以外の何者でもなかった。

 データベースを無意味に手動でぽちぽちとクリアしながら、何を期待するでなく機械的に定期メールをチェックしていた手が止まる。

 着信、1。

 開いて呆然としていたガレスは我に返ると猛然と返信していた。

 反応は直ぐだった。内線が鳴る。

 震える手で取り上げた。

「すみません、内線3721、補給部のナンディ・ガレス課長、殿、でしょうか」

「ジャルガ・ンダバル上等兵、か」

 ガレスは咳き込む口調で訊ねる。

「そっス。えーと、高機動ザクっスか。何年前ですか。まあいいか」

 相手はぶつぶつと独り呟く。

「思えば相手が見付かっただけで奇跡ス。こっちもまさか。じゃ最寄のエアロックまで点検兼ねて移動しますんで。着いたらまた連絡しますそれじゃ」

 どこか自己完結気味な相手はそのまま切れる。

 ガレスはまた、しばらく受話器を握りしめたまま凍りついていた。

 今までも前線勤務を志願して来なかった訳ではない、否激しく具申してきた。

 もちろん、それが通るはずがないことも理解していた。

 どちらかといえば供給過剰な、そしてどれだけ言葉を飾ろうが所詮消耗品でしかないライダーに、ようやく育った得難い熟練軍官僚を充当するはずもない。

 それら事情を十分理解した上での、頑迷な、意地でもあり、また自身への言い訳でもあったのかもしれない。

 執務デスクの下に放置していたジュラルミンケースを取り出し、置いた。

 軽く埃を払う。

 鈍く光るそれを暫く眺めた。これは俺の墓だとガレスは思う。

 鎮め、葬り去ったはずなのだ。

 違う。

 ここにあるこれはでは、何だ。

 開いた。

 使い込まれた、ジオン軍制式ノーマル・スーツ。

 俺も、亡霊そのものだった。

 手に取り軽く握る。懐かしい感触が指先に宿る。

 何をしてるんですか、課長。

 怯えの響きが、届いた。

 上げた視線の先で、彼女は震えていた。

「いつも、仰いますよね。矢弾に身を晒すだけが戦いじゃないんだ、戦士としての誇りを以って各自職務を遂行すべし、って」

 マイカ・ベルモント軍曹の詰問、否懇願にガレスは苦笑で応えた。

「嘘だったんだ」

 マイカは目を開く。

「うそ、って……」

「すまんな」

 言葉を失う彼女になんとなく一言詫びてみる。

 そして彼は場違いに思った。軍曹、ヘタに化粧しない方がいいんじゃないか。

 というか、なんでこの娘は突然泣きじゃくってるんだ。

 当惑と共に立ち尽くすガレスの脇で内線が鳴る。


 なんだコイツは。ブースターの化け物か?!。

「いやこれ99%使い切りますこれでギリです」

 ガレスの気配に若い男は素早く言い添える。

「てか急ぎましょう乗りましょうコンソル周りは高機動まんまスから」

 メンテじゃないのか君、というガレスの怪訝な視線に。

「ああタンデムなんスこれ」

 ジャルガは再び即答し、自らハッチを開く。


「つまりこれは、どう考えるべきなのかな」

 流れる空気には微妙、というよりも奇妙なものがある。

 グワデンCIC、作戦情報室。

「稼動全力。それ以上でもそれ以下でもないでしょう」

 茫漠とした問いかけに情報参謀が簡明に回答する。

「グラナダのプロペラントは使い切った模様です。フォン・ブラウン政庁にまで余剰物資の供出を要請したとの情報もあります」

 徴発ではなく要請、であるのは未だに連邦議会が今回の”事態”を「戦争」と認証していないが為であり、軍もまたそれを望んでいないから、でもある。

 グラナダからの新規戦力投入。その評価と対応決議の席上。

 進発したのはマゼラン級らしきもの四隻を基幹とする、他、巡洋艦12、補助艦艇4。

 我がデラーズ・フリートを叩くに、必要にして十分な戦力であるとは言える。ソロモン、アバオクからあれだけ毟られたにも関わらず。流石というしかない。

 が、額面上から言えば、先刻撃破したコロニー警護群にケが生えたようなもんだ。

「捨石か。ルナ2本隊の」

 吐き捨てる様な戦務参謀の言葉に。

「いや、寧ろもう少し待つべきだったんだ。それでルナ2と連携出来る」

 航宙参謀が首を傾げながら異議を発する。

「我が戦力を過少評価している可能性も考えられます、例えば、警護群の戦意に不足があったのでは、等と」

「あらかた投降して来たからそれは事実だな」

 苦笑、失笑の細波。

「グラナダで叩き、ルナ2は保険か。大した自信だな」

「いや、逆かもしれん。グラナダは牽制で本隊はあくまでルナ2」

 航宙参謀が再び疑義。

「我が方を分断し、各個撃破か。我らがそれに乗るとでも」

 戦務参謀の皮肉に。

「死兵の可能性は捨て切れん、厄介だな。邀撃戦でいこう、先にMSを叩く。艦隊特攻なら再度殲滅する」

 作戦参謀の総括に各員が同意。


 地球軌道近傍宙域。

 マゼラン級「ベルリン」。

 ハンガーでは多数のデッキ・クルーが激しく”飛び交い”作業に忙殺されている。

 その一、機体整備班でのちょっとした私語。

 あーウチの大将だいじょうぶなんか、なーんかいっつも独りでぶつぶついってっけどさー。目がイっちゃってるし。

 いやそれがさ。大戦では大したエース、だった、らしいぜ。

 ふーんなるほどねえ。まだ若いのに軍もかわいそうなことするよね。

 まったくねえ。やだやだ……。ライダー目指したトキもあったけどさあ、メンテでよかったよオレ。

 うんうん……。


 「……来る」



 17.


 南米、ジャブロー。

 地下深くの全没構造にあって陽の光とは無縁の世界だが、環境に配慮して、純軍事施設を除く生活空間に対しては、官舎を含め太陽光と寸分変わらない照明が降り注いでいる。

 勿論照明は時間に応じて変化する。星空も映し出す。

 今は、その部屋にも窓から、西日に似た光が差し込んでいた。

 将官に与えられるものとして広過ぎもせず、適度に十分な空間。

 部屋の調度は質素ではあるが、冷たい感じはしない。執務卓の上には洒落たデスクスタンドがあり、また、脇にはなかなかに作り込まれた、帆船のオブジェがあるのが目に付く。

 ビクトリア号。人類初、地球一周の偉業を成し遂げた、僅か4隻で出港したマゼラン艦隊唯一の、生残艦である。

 最後に座乗指揮した艦、マゼラン級の艦名がそれだった。退艦の際、クルーから寄贈されたものだ。今もホコリ一つなく、大事に扱っている。

 ア・バオア・クーで中破しながらなんとか生き延びたその艦も結局、コンペイトウ沖に沈んだらしい。

 今はまだ部屋の主であるジョン・コーウェンは手を止め、ふとその帆船を見た。

 よく出来ている。

 そう彼も誉めていた。今もスペインに停泊している現物を単純にスケール・ダウンしたのでなく、僅かなデフォルメが生きている、と。

『ジオンに兵無し』

 コーウェンは独り、苦い微笑を浮かべる。

 それは、ルウム戦の、その”大敗”について開催された公聴会での席上だった。

 彼は総てを受け容れ、一切、弁明の言葉を発しなかった。

 今後の彼我の趨勢について、貴官に意見があれば伺いたい。

 半ば弾劾裁判、言論を用いての公開処刑と化したその一幕の最後に発せられたのが歴史的な、運命的なその質問だった。

 彼は静かに語った。

 私はこの眼で、ジオンというものを見て来ました、否、見せられて来ました。彼らは私に、自らの強大さ、精強さを伝えたかったようです。しかし、私には別のものが見えました。敢えて申しましょう、ジオンに将無し、また兵無しと。皆様御存じの通り、軍というものは一日にして、或いは高性能な兵器によって成るものでもありません。彼らは余りにも若い。その若さは強さでもあり、それを頼んでの、今回の事態でもまたあるのでしょう。しかしながら、私たち同様、いやそれ以上に彼らも疲れ果てているのです。現在の彼らにこの地球への、侵攻の意思も、また制圧の能力もありません。彼らの、ザビ家の犯した数々の暴虐については、私も言葉がありません。それを咎めるも、正しく正義の道でありましょう。さりながら、既に我々同様彼らもまた、これ以上の戦いを望んではいないことについて、身命に賭して、確信しているところでもあるのです。

『公国は現在、攻勢限界にある。そして彼らの戦略に地球侵攻は存在しない。名誉と理性の講和か、それとも苦難と無慈悲な継戦か。その決定に従う』

『ジオンに兵無し』

 穏やかに確言する、であるが故、見る者に安堵と自信を与える彼の姿は、瞬く間に地球を席巻し、埋め尽くした。

 熱狂の中選択されたのは暴虐のザビ家独裁体制を討つ、粉う方なき正義であった。

 シビリアン・コントロールの回答がなされた後の彼は、闘将そのものだった。

 主戦派の神輿に自ら喜んで乗り込み、そのまま驀進した。MS戦力整備の先鞭を付け、艦隊の再編成にも目処が付くと、オデッサ奪還では自ら陣頭に立った。

 その時彼は既に地球の、救世の英雄だった。

 何故ですか。何故この上、貴方が前線に立つ必要があるのです。貴方こそが南米に在って、いまこそ大局を見据える座に就くべきではないのですか。

 あの日この場で、コーウェンは烈しく詰め寄った。

 胸中には期するものがあった。

 誰にでも解ける算数の結果は、今揺ぎ無い形で実現化している。

 我が方には既に、戦後を睨んでの構想を画く余力さえある。

 戦後体制、それは。

 彼を。

 もう一段高く担ぎ上げ、そして一気に……。

 だが、彼が発した余りにも当然の言葉が、コーウェンの決意を溶かし去ってしまった。

 軍命だからな。

 全く感情を含まない、乾ききった一言だった。

 すんでのところで、コーウェンは救われたと思う。そして言った。

 貴方はまるで、サイゴーの様だ。

 サイゴー、と繰り返し、ああと漏らすと混ぜっ返してきた。

 私は悲劇の英雄は嫌いだ。ロジェストヴェンスキーももう懲り懲りだ。同じジャップならそうだな、今度はトーゴーでも演らせてくれないか。

 笑った、実に楽しげに。

 それにこれは。

 向き直り、柔らかい目で見つめながら。

 私の戦争なんだよ、ジョン。

 ぽつり、と加えた。


 月方面軍第5艦隊所属第58任務部隊。

 司令座乗艦、マゼラン級「カリスト」。

 プレ・ビンソンでも前期型に類別される、所謂”ジュピター・シスターズ”の希少な現役艦である。

 貴重、ではない。艦歴も名誉や栄光とは程遠い。

 整備不良でルナ2に留まり、ルウムの惨禍を免れたはよいが続く逼塞、閉塞の日々。遂に現れた開囲軍に合流、グラナダまで共に攻め上がったが戦働きらしき戦果はこれが唯一。後輩たちに押し退けられ、終戦復員軍縮の煽りもあり優先度は常に最底辺。改装の順番を夢見つつ、新兵を乗せてみたりにわかアグレッサーを演じたりしながら艦籍簿とモスボールの間を彷徨うような、寄る辺無い航宙を続けながら今日という日を迎えている。

 旗艦に選定された理由は、まずルナ2退避中、ヒマに飽かせて増強された対宙火力が以外に優秀であること、そして、戦訓を反映しつつも、工程短縮を含め簡略化の方向で再設計されているビンソン型に比べ、前時代的な意味でのそれだが、フェイル・セーフの冗長余力やダメコン等を評価すれば幾分、より堅牢であること。最後に些細だがジオンのドクトリンに照らして、露天繋止以外MS運用能力が確認出来ない当艦に対し、評価の低減、及び攻撃優先を下位に設定されるであろう可能性を期待し得ること、となる。

 要約すれば陣形の中央にあって、あらゆる材料を用いて生残することを目的としている。

 怯懦ではない。旗艦とはそうした性質のものだ。永年、最強艦をその座に据えて来たIJNも最後はそれを理解し、通信機能を充実させた軽巡を選んだ。前時代、世界最強を誇ったUSN第7艦隊の旗艦「ブルーリッジ」に至っては、群立するアンテナと情報を操作する大量のスタッフ、C4Iをそのままに体現する存在まで適応進化を遂げている。

 万年准将として冷遇されていたのを今回コーウェンにより特進され、司令に据えられたブレックス・フォーラ中将も、決して猛将の類ではないが戦意に欠ける将ではない。

 しかしながら、艦隊に司令の持つ闘志が横溢しているかといえば、難しい。

 旗艦がそうなら他も似たモノ同士で、錬度に深刻な不安を抱える艦に”持病”持ち。PoWばりに整備員を乗艦させている艦があれば、カラ船に錬度は信頼出来るが艦隊勤務は未経験の基地部隊を搭載した臨編母艦も居る。勿論、全艦で作戦行動を取るのはこれが初めて。

 もっともらしくフリートナンバーを付与されているが内実は斯くの如し。どこからも引き取り手が無かった”戦力外”を掻き集めて何とかそれらしく見せている、見せたい見て貰いたい。これこそ正に、DF情報参謀の評価による稼動全力の全容だった。

 艦がそうなら搭載機も推して知るべし。上はジム改(ジムカス完売)から下はザニーまで、バラエティに富むというか控えめに評して、否応なし、力いっぱい間違った方向に”コンバインド・アームズ”している。まあ史実でも正面戦力として複葉機と単葉機とジェットを同時代で同時並行運用した軍隊も存在するがそれはそれ。

 レイテオザワかラスカンか。哀愁漂うが零落すれば大抵何でも誰でもこうなる。

「我々の戦いが尋常ならざる事は諸君も既に知る処であると思う。今、勝利は必要とされていない。1秒でもよい、敵から時間を奪え。1発でも多くの射撃を誘発し、疲労を与えよ。唯の一艦、1機をも喪われることを私は許可しない。生き延びよ、その努力を尽くし責務を遵守せよ。各員に一層の奮励を期待する」

 敵機襲来の交戦開始前、発せられた訓辞は悲壮を越え、苛烈に響いた。

 規模は約1コ大隊。現在確認されているDFの陣容から推計すれば、これはほぼ総攻撃と評価してよい。

 しかしフォーラは内心安堵の思いがあった。

 何とか喰いついかせた。この上は……。

 戦況表示に潜む違和感にフォーラの思索は止まった。何だ、この敵は。

 戦爆連合では、ない、だと。

「いかん!、ここは」

 退け、エリアディフェンスと連携し深く守れ。

 言葉を呑み込む。間に合う訳がない。

 見切られた。智将は独り、自身の過誤を噛み締める。


 当然、艦隊を守るべく前進布陣した直援群は思わぬ異変に見舞われていた。

 敵は突破の素振りも見せず全力で殴り掛かって来た。

 どういうつもりだ、こいつら本当にジオンなのか。

 当惑の中、直援各機は全力迎撃で応じる。

 だが、質量共に圧倒され、一方的に蹴散らされた。敵はアタッカーを含まず、編成全機をインターセプターで固めていた。質でもそうだ。ジム改は何とか互角にやれているが、敵は14改。ましてジムコマ、ジムではひとたまりもない。おまけにMA、さんざんウワサに聞いていたビグロ改まで参加していた。

 時間すら無駄にしなかった。スコアも追わずに整然と後退する敵を尻目に戦闘が終わる。交戦時間は5分を切った。


 フォーラは予見した結果を苦渋と共に追認していた。

 被撃墜こそ免れたものの、部隊は深刻な損害を被っていた。

 ほぼ総ての機体が例外無く損傷を受けていた。軽微なものもある。しかし現時点で過半が要整備状態にあった。

 コーウェンから受けた命令は、遅滞だ。

 可能な限り現有戦力の維持に努め、かつ脅威として敵に急迫せよ。

 矛盾だらけの内容だが現状を認識しているフォーラは、その意味する処の意義を理解すると共に、遂行に向け精励している。

 艦隊特攻に擬した遅滞防御作戦。だが。

 ファイター・スイープとは。ぬかった。

 ジオンという軍隊の性質を硬直的に捉え過ぎていた。否。

 フォーラは痛恨の思いで自身の錯誤を突き付けられる。

 あれはジオンではない。ジオンの敗戦を受けて戦い続けている、デラーズ・フリートだ。

 フォーラは非情の作戦頭脳を巡らせる。

 戦力維持には既に失敗した。

 だが。撤収が許される状況ではない。

 可能な限り、戦力回復を継続しつつこのまま距離を詰め。

 敵が我が方を殲滅に掛かる機会を捉え、逆檄を加えるしかない。

 しかし、とフォーラは当然の疑問を思う。

 ルナ2はどう動くつもりでいるのか。


 現在、作戦局面に於いて、連邦軍最大戦力を掌握する、ルナ2。

 そのルナ2もまた、既に南米の指揮下には無かった。

 コンペイトウを支配下に置いたジャミトフ・ハイマンは次いで、自身の右腕であるバスク・オムを大将に叙した上でルナ2の指揮を命じた。

 当然南米はこの人事を不当とし、完全に黙殺したのだが事後、ルナ2は一切の呼び掛けに応じず、南米に対し音信不通となった。

 事態にあって不気味な沈黙を続けるルナ2が、バスク・オムの統制化にあることは明白だった。ここでもまた、クーデターは準備されていたのだ。

 そして、デラーズ・フリートによるコロニー略取に際し、初めて自ら意志を表明した。

『これよりルナ2の戦力を展開し、デラーズ・フリートを捕捉殲滅する』

 それは一方的な宣言だった。

 作戦及び投入戦力についての、コーウェン及び南米の情報要求について、

『我らが全力を以って、迎撃する』

 との回答のみで、内容については明かさず、再び沈黙に戻った。

 暫くして、ルナ2より大規模な赤外反応が観測され、解析の結果、全力出撃に近いその戦力規模が確認された。

 コーウェンの役目も、終わった。


 少しの物思いに日が暮れ、スタンドが灯っていた。

 コーウェンは書類棚に目を移した。

 そこには数ミリの厚さに達する、公文書の束があった。

 その1枚1枚に対して逐一、理由と経緯と結果を説明した上で、情理を尽くして侘びの言葉を探さなければいけない。

 何回銃殺されれば始末がつくのかも見当が付かない、軍規違反の山、その証拠が目の前にあった。

 今日まで傷一つ付けずに来た経歴が、僅か数分で墨より黒く汚れてしまった。全く、慣れないことはするもんじゃないがしかし、我ながらよく仕出かしたものだとコーウェンは

奇妙に感心する。

 彼が生きていれば、何かが変わったのだろうか、と思うときもあった。

 政治の責任を、軍人が取ることは正しく必要なのかと。

 彼は黙って従った。

 結局俺もそうすれば良かった。少し騒いでこの有様だ。

 だがこれも悪くはない、とコーウェンは思う。


 勝報に接し、少し明るい空気がある。

 グワデンCIC、作戦情報室。

 作戦が成功し、参加将兵全員に勝利を贈る。

 営業が成績を出すように、それは職責として求められる結果ではあるのだが。

 単純にやはり、嬉しい。参謀冥利に尽きる、至福の時間である。

「さて、どうするかな」

「素直に退いて貰いたいもんだ。これ以上苛めても仕方ない。勇気ある決断を望むね」

「ムリだな。敵はまだ一度も殴っていない。距離を詰めるしかあるまい」

「第二次攻撃ノ要アリト認ム、ね」

「もう一押しで潰せるって?まあそうしたからな」

「母艦はともかく、迎撃機はあまり質が良くなかったようですね。N型は使い切っているようです」

 全力出撃に近い攻撃で敵に痛打を与え、部隊は損害皆無、全機全速発揮で帰還途上にある。

 現在、艦隊はほぼ丸裸だが、現在の情報からも、その延長線上にも脅威の存在は認められない。

 彼らはもう少し慎重であるべきだった。

 敵もまた勝利を渇望し、それに向け努力を積み重ねていることに対して。


 宇宙という戦場において、その戦力投射範囲は意味を持たない。それは無限遠を有する。

 勿論、様々な条件によりこれは実質的な制限を受ける。

 一つは交戦可能時間能力。

 一つは軌道の選定による往還能力。

 上記2要素を無視出来れば、初期の命題が成立する。

 これは可能か。誰にでも判る様に不可能だ。勝敗に関わらず作戦の度に常に一定戦力を確実に損耗する事を条件付けられた軍隊など存続出来ない。無制限の損耗により崩壊するしかない。

 では、この制限要素はどれだけ緩和可能であるか。

 示唆するものは以外な場所にあった。

 地球戦線で公国が示した奇抜な戦力運用がそれだ。

 本来は爆撃機であるドダイ。その積載余力を利して、あろうことかその上にMSを搭載して見せたのだ。なかなかの効果であり、地球圏では何かと阻害要因の多い公国側MS戦力の機動範囲を大きく向上させると共に、限定的ながら航空作戦能力をも獲得していた。

 連邦軍は考えた。我が軍でもこれが出来ないだろうか。

 地上で必要とされたものではない。ロジスティクスは始終彼らのものであり、部隊の移動や展開で解決すべき課題は特に発生しなかった。

 やはり宇宙だ。

 MSは、母艦の存在によりその運用を拘束されざるを得ない。

 その制限を脱した、MS単独による高速打撃軍が構想され、実現に向け動き出していた。


「ふん、グラナダが少しは働いてくれたらしいな」

 チーム・アルファを率いる部隊指揮官は一言で状況を要約する。

「よし、1隻でも多く喰って帰るぞ。全機突入」

 チーム・アルファはジムカスのセンシング向上機、ジム・クゥエルにより編成されている。ブラヴォはジムキャノン2。

 各機はプラットホームに搭乗していた。宇宙砲台、「バストライナー」として開発されたものから砲を撤去した、推進部を原型としている。

 僅か2コ中隊、18機だが部隊は最精鋭だった。

 連邦宇宙軍特別武装警務隊。

 通称、「ティターンズ」


 デラーズからの要請を待たず直ちに全機全艦が全力迎撃に移行する。

 そして彼女自身も即断していた。「私が出る」

 当然の様に沸き上がり掛ける喧騒を一喝し、宣した。

「これでハマーン・カーンもアクシズの総帥だ。指揮官先頭はジオンの習い、愚昧なれど、私も一度立って見せねば兵も納まるまい。寧ろこれは好機なのだ。私は出る。続く者は続くがよい」


 懸命に阻止線を張らんとしてあっさりと撃破されていく再生機らしきものや06、09改もものの数ではない。

 アルファの突破に追随してブラヴォの中で先行していたその機は、イヤなものをセンシングしてしまう。強い反応。MAが1機、あもう1機。

 1機は同定出来ない。コロニーはコイツにやられたのか。もう1機は。

 同定した。

 ありえない。ライダーは自身の知覚を疑った。なぜだ。というかこのデータ入れたバカはどこのどいつだ。

 

「出撃要請ですが」

 操艦というより副官に近い位置にいるコッセルが告げる。定時連絡であるかに平静に。

「発艦準備中。そう伝えな」

 強い調子で応えながらシーマは席を立つ。

「どちらへ」

「デッキに行く。発艦準備だよ」

 急ぐ様子も見せず、シーマはCICを後にする。

 しかし内心には烈しく立ち騒ぐものがあった。

 歴史が……今あたしの手の中にあるのか。

 

「……トンガリボウシ」

 空耳か?。

「誰だ!作戦中に私語をするな」

 ばかやろう、あれが見えないのか。センシング・レンジの差異を忘れたライダーは絶叫する。

「居るんですよ!あそこに!あのエルメスが!!」


 便利なものだ。想うだけで動く。

 彼女は視る。それだけで判る。

 ひときわ強く輝く、意思の存在。おまえがそうか。

 墜ちろ、俗物。


 エリアリーダー、撃破。

「NT!!」

 警報が飛び交うが、無力だ。却って恐慌を掻き立てている。

「マジか、マジなのか?!」

「ずるいよずるいよ」

「ジオンめ!化け物め!!」

「待て、退るな!勝手に後退するな!」

 NTの恐怖はアウトレンジの一言に尽きる。

 もし、互いが交戦可能距離にいれば。つまり先にも上げたセンサが有する分解能の範囲であれば、その、敵機の姿勢情報から戦闘情報支援システムが脅威評価を助け、射撃準備を見つければ警報の一つもくれる。

 だが、NT相手にはこれが全く通用しない。

 1機のNTが戦場を支配する。

 連邦が恐れ続けてきた悪夢が、再び現実化しようとしていた。

 その機はブラヴォの後端にあって、真っ先に逃亡し掛けていた。

 全力発揮の寸前でそれに気付き、我に返る。

 友軍機?あんなところに。


 一条の射線が戦場を縦貫した。


「外したのか」

 意外そうに射手が呟く。

 その機体は旧型の、しかも実験機だった。

 元型機は一度、公国の工作活動により破壊されている。

 しかし戦後その機は、その者の為に再び用意されていた。

 RX-78NT-1。

 ペットネーム、「アレックス」

 ジオン残党、デラーズ・フリートに加えアクシズの参戦。

 敵がNTを投入して来る可能性は低くない。

 マゼラン1艦をブースター代わりに使い潰し、大量のタンカーと共に。

 彼もまた、投じられた。

 2射目を狙いながら。

 NT-1は緊急回避。


「バカモン何をする味方だぞ!!」

 激昂するサブ・リーダーはしかし、別の機に背中から沈黙させられる。

 NT-1を狙い撃った機は仔細構わず回線を開く。

「聞こえているか。あれは私の女だ」

「誰だ、何を」

「ハマーンはやらせんよ、アムロ・レイ!」

「……シャア、なのか」

「ララァを殺して、まだ判らんというのか、アムロ!!」

 その一言は、アムロを白熱する。

「おまえが、おまえが言うのか!!シャアァァ!!」

「退がれハマーン!この男は、我々を、我ら総てに仇為す魔物だ!!」

 声ではない。しかしその意思は確かに、届いた。

「言わせておけば!!」



 18.


 ピケット外郭のさらに外、の戦況はよく判らない。

「ルナ2からの威力偵察だった模様です。アクシズの部隊により迎撃、撃退に成功した模様。」

「戦果、確認撃墜2。被害、被撃墜4、サルベージ中」

「カーン総帥より直接入電です。お廻してして宜しいでしょうか?」

 デラーズは一つ頷く。

「喜んでお受けしよう」

 いいながらデラーズは席を立つ。現れたハマーンに向け直立不動で見事な敬礼を捧げる。

「総帥直々の御親征、恐悦至極にあります!」

 少女総帥は柔らかい笑みを浮かべた。

「よい経験だった。ハマーン・カーンもこれで武と勇の有るを示した。貸し借りは無しだ、よいな、エギーユ」

「仰せのままに」

「それではまた、後に」

 通信、終了。

 席に着き直しながらデラーズは密かに感心する。初実戦を微塵も感じさせぬあの悠揚。これが器か。


 胆力の限界だった。

 直後。

 堪えきれず、彼女は激しく嘔吐していた。

 同時に慟哭していた。

 撃墜の直後、敵機ライダーの思念が彼女に雪崩れ込んで来た。

 妻が、息子が、生まれたばかりの娘が、その帰りを待っていた。

 苦痛、無念、恐怖。

 周囲のライダーがそれを増幅した。

 敵、味方。

 その1戦力単位それぞれの背後にある、膨大な関係。

 理屈では判っていた。

 判っていた、はずだ。

 兵というものは。

 戦争というものは。

「たすけて……あなたならそれができる……」

 

「次!本隊が来るぞ。着艦収容急がせろ!」

 防空統制官が声を張る。

「準備出来次第直援に上げろ。こちらから叩く機会はない。全機全機種全力迎撃だ!」

「ガトー少佐より前進配備の申請」

「許可する。突出に注意」

「来た、来ました!反応多数!」

「ガトー隊、交戦突入!」

「直援急げ!」


 まばらな06に交じる強い、反応。

 コイツが”コロニー殺し”か。確かに厄介そうだが、この数なら。

「各機。06は無視して構わん、エスコートはMAに集中。アタッカーの突入を支援する」

 第一派を率いる連邦エリア・リーダーは断を下すが。

 相手が悪過ぎた。


「敵第一派、撃退に成功した模様」

「ガトー機全弾射耗。少佐、帰還します」

「直援展開開始します」


 デラーズが口を開く。

「ガトーを休ませよ」

 作戦に初めて、総指揮官が指示を出した。

「別の者を出すように」


「続いて来ます!第二派です!」

「ヴァル・ヴァロ、出撃準備完了」

「投入を許可する」

「ノイエ、準備よし」

「出せ。但しゴールキーパーだ」


 デラーズ・フリートの対宙防御戦闘は成功していた。突入に成功した機はレズナー搭乗のノイエ・ジールが確実に撃破していく。

 しかし、DFの全力防御に対する連邦の断続打撃は、確実な損耗を与えていく。獲物はヒートホーク一振りという機が居れば、現地調達、鹵獲ビームライフルを撃ちまくっている者もある。

 その破断限界は誰の目にも明らかだが。

 それでも、進むしかない。


 既に深夜だが、手元のスタンド一つで済ませていた。

 作業は終わった。作文は得意な方だ。

 流石に少し疲れを覚え、コーウェンは軽く眉間を揉んだ。

 自決の気概がない彼では無かった。

 例え無駄でも、自己満足であろうと、最後まで部下を護る舌だけは残したい。

 いや。

 天井を、その先に続く遥かな戦場を見ながらコーウェンは詫びた。

「すまん。私もすぐに行く」


 目を閉じ、息さえ止め。

 無音潜行の如く静かに。巡航ミサイルの如く確実に。

 そのものは忍び寄った。

「全軍全速!!突撃!!」

 相対速度で身を包んだMCを突き破り、戦場に浮上する。


「ソロモン方面だと?!」

「ばかな今更。敗残か?」

「違います!あれは、あれはガラハウ中佐から報告があった……!!」


 唯一度。用いられた秘話交信でコーウェンは次げた。

 グワデンと刺し違えてもよい。デラーズの首を獲れ。

 彼は一言、応じた。

 Sir,yes,sir。

 コロニーは所詮巨大なデブリだ。作戦目標はあくまでDF。

 そしてその指揮官、作戦頭脳たるエギーユ・デラーズ。

 デラーズの排除に成功すれば。この戦いは終わる。

 グラナダとの連携も最後まで考えた。

 だが、今度こそ察知されるわけには、サイドローブを拾われる危険を冒すことは出来なかった。

 最後までその存在を秘匿し、可能な限りまで距離を詰め。

 艦隊特攻。

 無論。特攻であることを知るのはシナプスのみ。


 彼女は既に部隊を引き連れ発艦し、艦隊に同航していた。

 飛び交う平文を醒めたまま聞き流している。

 来たか、アルビオン。

 これでグワデンは沈む。デラーズも死ぬ。

 そしてジオンは再び、負ける。

 あたしはそれをここで眺めていればいい。

 最高の舞台だ。


 本当に、そうなのか。


 違う。

 デラーズは私がこの手で。

 違う。違う。

 違うんだ。

 本当にこれでいいのか。

 デラーズは死ぬ、ジオンは負ける、あたしは満足だ。

 満足。これで。

 冗談じゃない。

 これがあたしの運命だというなら。

 いまこそ、変えてみせる。

 決して忘れはしない。しかし。

 シーマ機は一瞬、背後を。

「グワデン」を、見る。

 命冥加なやつ。

 勝たせてやるよ、せいぜい苦労しな。

 隊内回線を開き、発する。

「さあ出番だよ、しゃんとしな!」続けて訓じる。

「征くよおまえたち!敵はあのガンダムだ!相手に不足はない、これで値も釣り上がるってもんさ!!」

 機体は新型。燃立つ真紅。

 GPの異母兄弟、ガーベラ・テトラ。

「あ、あの。化け物はどうしますか」

「化け物同士でやらせるがいいさ」


「ガラハウ中佐より入電。ワレゲイゲキス。以上」

 CICにどよめきと、それを圧する歓声が挙がる。

 そうか。

 デラーズは暫し、瞑目した。

「合戦準備!左砲戦!」

 艦長が対艦戦闘を呼号する。

 だが準備だ。「グワデン」は厚く護られているが故に、今は火力発揮の余地はない。


「キース!頑張りすぎるなよ!アデル、面倒を見てやれ。ライラは火消しを頼む。ベイトとモンシアはライラから離れるな」

 ここは艦隊戦の支援だとバニングは割り切る。

 敵は輪形、我は横隊。

 砲力で我が方が優る。

 これを支えきれば、押し切れる。

 敵直援が、来る。


 コウが受けた命令はシンプルだった。

 グワデンを喰え。それだけだ。

 誰もコウに向かって来ない。

 ただ、1機を除いて。

 発信は完全封止だったが傍受はしていた。

 ”コロニー殺し”この機が。


 GP-03の存在はDF側でも早期の段階で察知していた。

 作戦そのものを阻害し得る、重大要素として。

 機体そのものを抹殺する工作も行われたが、失敗した。

 ケリィ・レズナーもそれを知っている。


 この機は脅威に過ぎる。

 俺が当たらなければ。最悪、相討ちでも。

 コウは決意する。

 ** crossrange? **

 近接戦闘、ホント?。

 承認。


 コウはだめか。あれで十分だな。

 バニングは戦場を見渡す。

 正攻法か。このまま押し続ければ。

 また1機落ちた。

 バニングはそれを見た。識別不能。

 新型か。指揮官機か。

 赤いの。


 シーマもそれを見た。

 フルバーニアンか。

 それが全力か。

 おいで、ガンダム!。


 その艦は戦い続けて来た。

 ソロモンを、ア・バオア・クーを。ガトーと共に。

 そして今、軽巡の身でありながら戦艦を、「グワデン」を護り抜きその使命を終えた。

 立派な最期だった。

「 ペールギュント、轟沈!!」

 悲痛な報告に。

「陣形を崩すな」

 艦隊司令が冷厳に発する。

「回収急げ」

「それが……脱出の形跡がありません」

「再度、命じる。脱出を許可する。徹底せよ」

 デラーズが重い声を出す。

「復命、脱出を許可する。全艦に再度通達」

 全く臆することなく、穴を埋めるべくチベが退がって来る。

 だがそれは。


 ** 1st tag app : gwaden **


 撃てるよ?。機体が告げる。


 射線が通る。


 瞬間、コウはブレイク。

 全速後退。ノイエを突き放す。

 エイミング。


 背筋が冷え付く。

 気付いてしまった。

 アルビオンで200人。

 あれに、どれだけ乗ってるんだ。


 バニングもそれを見て取った。

「撃て!!ウラキ!!」

 自身、激戦の最中に怒鳴り付ける。

「どこ見てるのさ!!」

 左腕が。

「撃て、中尉!責任は私にある!!」

 シナプス自ら督戦。

 だがコウは既に決断していた。

 ボイス・コマンドで「グワジン」を呼び出しながらその構造を目標にオーバーライト。

 CICに向けエイミング。


 割り込みが掛かる。


 03何を!!怒声は凍て付き砕け散る。


 ** pri tag app:gp-02 **


 行っちゃうよ、いいの? と激しく明滅。



 19話


 機体は珍妙な火器を背負っていた。それは光学兵器よりも遅く、質量兵器より弱い。

 電磁加速砲。通称、レールガン。

 超重MA、機動要塞「ビグザム」の落し子だ。

 重防御重火力、そして連邦の主兵装である光学兵器を無力化するI・フィールド。この機の開発は後の敵機を予見させた。

 的確な迎撃を期して磨き抜かれた長槍。

 その標的は今現れた。

 これ以上にない強大な存在として。

 構造はMAに近いがそれ程の剛性は持っていない。元来的な意味でウェポン・キャリアであり、そんな兵種は実在しないがいうなら空間自走砲、とでも呼ぼうか。MSが跨乗して運用する機動砲座「スキウレ」のコンセプトを更に進めた感じ、だろうか。

 つまりジャルガのフル・スクラッチ機なのだが。

 機体は最大出力を維持した定常加速を継続している。

「生きてるか!、メンテ」

 ガレスの呼び掛けに。

「なんんとか……」

 ジャルガは気丈に応じる。ヴァルよかマシ。

 既に戦域に突入していた。

 その前方。直交軌道で射界内に出現進入した敵機目掛け、側方航過に微修正しつつ行き掛けの駄賃とばかり、ガレスは無造作な射撃を浴びせる。


 さすがに疲れた。

 どうして、百戦錬磨と自称して羞じないエース・ライダーであるベルナルド・モンシア中尉にして一分の気も抜けない過酷な戦場だった。

 艦隊護衛、敵機迎撃、友軍機支援、警戒。いつもの職場といえばそうなのだが艦隊特攻の直援ともなると空気が違う、敵の密度も。自機の安全確保は最低限というか後回しだ。

 どれ程精強な戦力であろうと、継戦により不可逆的に増大蓄積される疲労という魔物は、対象を着実に侵食、弱体化させる。兵士一個人であるなら尚更当然だ。

 なんだ。こんな”裏側”から敵機。

 迎撃か回避か、或いは友軍に預けるか。

 反応が、遅れた。

 生死の表裏。あまりにも容易く移ろう戦場で自らめくり上げる。

 敵は、早い。

 自分で掴んだカードを彼は知っている。

 だが今、既にそれを手放す手段が自身に無い事も判る。

”もし最期、それでも余裕があったら使ってみて”

”エンギでもねぇお守りだなヲイ”

 コンソル外縁、応急工事されたボックスのボタンにG、の刻印。

 このトランプ、エースかジョーカーか。

 自らを頼めない者には死を。それもまた酷薄な戦場の真理だが今結果が出ている以上、頼むは他力しかない。

 迷いなくモンシアはそれを、押す。


 ** ive con : run gp **


 緊急回避措置を受命し起動したGPエミュレーションは機体を制御下に置く。

 同時に戦況把握。

 自機に向け接近する高速運動体を確認。

 算定:回避不可能。

 直接照準は却下、公算射撃による迎撃を決定。操縦操作に還元するとミクロン単位の精度で散布界を制御しつつ頭部バルカンが唸る。瞬時に全弾射耗。

 迎撃撃破された弾体はしかし、微小な飛沫をなお軌道前方に投射。獲得していた運動量そのままに標的を叩く。

 大気圏突入もかくやという衝撃、振動にモンシアは振り回される。


 ** yve con : end gp ** 


 現在至近での脅威評価対象不在。

 機体は制御をライダーに返す。

 盾は全損機体は半壊、結局至近でショット・ガンを喰ったような大損害だがライダーにはキズ一つない。これで随分”マシ”な結果なのだろう。

 アラートが明滅し始まったら終わっていた。

 助かったぜ、デフラ。

 安堵の吐息を漏らしながら。

 もうここは俺たちの居場所じゃねぇのか。モンシアは戦慄を覚える。


 アルビオン、CIC。

 GP-02出現の報に騒然となるクルーに和する事無く、艦外映像の一点を凝視する視線。

 地球方向。

 瞬く光源。無論真空の宇宙で星は、瞬かない。

 アルビオン操舵手、イワン・パサロフ大尉はスティック片手に自己権限内で、その一角にズームイン処理。

 現れたのは虚空に群集する無数の反射光源。

 これはソーラ・システムの展開か。

 スキッパーズシートのシナプスもそれを目にする。

「この艦隊運動戦の最中に要塞砲だと……何を考えているルナ2」

 艦長権限で割り込み更に詳細を追うシナプスの言葉が途切れる。

 ソーラ・システムの警護位置にある艦艇群。

「通信。モーリス少尉、

 発、アルビオン支隊シナプス、

 本文、密集を解け、

 宛、ルナ2所属各艦。

 平でいい、判るまで繰り返せ」

 低いが太く、シナプスは命じる。


「沈めデンドロ!!」

 精密照準射撃中か。運動量ゼロ浮き砲台状の目標に向け好機とばかり、射界圏外から裂帛の気合と共にガレスは叩き込み、再襲撃軌道に向けブレイク。

 ブレイク。

 先の通り機体の剛性は低い。線形加速機動を維持したままに加えられた直交ベクトルで応力限界超過、機体はあっさりリミットオーバー。

 文字通りにブレイク。

 あちゃーだからMS乗りは……。

 衝撃と共に薄れ行く意識でジャルガはボヤくがまぁこれも人生だ。


 初速が遅い。

 今なら撃てる、当たる。

 撃つ。

 外れる。

 射撃終了と同時にブレイク。最後の瞬間干渉した外力をコウは直観で処理しつつ同時に右舷パージ。

 誘爆はない。しかし停止から高機動遷移中に宙力重心をロストした機体はアンコン。

 見逃すケリィではない。

 ノイエ吶喊。03は自己判断でニュートラルマニューバ。

 コウは眼前の敵機に向け全火力発揮。

 それを無視してデンドロを止めに掛かるケリィだったが戦場でのインシデントが生起。先にガトーが一瞬だけ使ったモードがアクティヴだった。

 ノイエは自機に対する脅威の飽和を感知。

 緊急回避によるシザーズと共にフルオート迎撃モード起動。

 実時間0.8秒。リミットキルでオーバーブーストを叩き出すデンドロは駆ける。


 戦術局面、手持ちのMSについては積極かつ有効的に動かしていたバスク・オムの作戦構想については現在でも不明な点が多い。最も有力な説は、『1年戦争の象徴でもあるコロニー爆撃を、連邦勝利を確定したソロモン攻略戦に於いて決定的な破壊力を示したソーラ・システムによりDFと同時に砲撃焼却、阻止、勝利することで獲得されるプレゼンスへの期待』がその主軸にあったとされるが、それが具体的にどの様な経緯で結実したのかは更に不明瞭だ。


 コウは02を、それだけを追う。

 目標高速機動遷移中。交じる乱数加速。

 だが戦術状況で用いるものではない。本来は航宙での軌道秘匿手段だ。

 兄は弟のアルゴリズムを見切る。

 撃つ、外れる。


 02は全力加速。推定出力はオーバーブースト。


 コウもオーバーブーストを維持。命数など知ったことか。


 加速で勝つ。

 距離が詰まる。

 撃てる、だが残弾が無い。

 一瞬だけ、リアクターが要る。

 間に合うか。コウは問う。


 クゥエル3機を相手に単騎で激烈な剣戟を交わしていたNT1は不意に、ブレイク。

 距離を取りながら地球方面に向け加速機動。

 彼方に向け連射を加えるがそれは、あらゆる意味で限界の涯にある。

 がら空きの背後から1機のクゥエルが取り付く。

「離せ!判っているのか、あれは!!」

「無論だ」

 アムロの問いに回答は明快だった。

「あれは」


 1発の核弾頭。それが総ての始まりだった。

 練り上げられた作戦の、その空白の1点が埋まらなかった。

 1機でいい。

 信頼出来るキャリアが、ランチャーが、どうしても、要る。

 当初はゲルググが、ガトー専用機の改修が見込まれた。

 だが足りない。

 MAでも無理だ。柔軟性に欠ける。

 その渦中、GP-02の存在は浮上した。


 機密性の故か。

 それは茨の園に流れ付いた。

 戦術兵器であるMSの開発に注力する一方。

 戦略兵器として。

 その使用により戦局を決定すべく、産まれた。

 地上より、ジャブローを撃砕すべく。


 爆発威力、6000Tt。


 光芒は総てを圧し、虚空を灼熱する。


『聞いているかダカールの諸君。私はデラーズ・フリート総司令、エギーユ・デラーズである。見ての通り、諸君らを護る力は、今、消失した。しかし我々には未だ力があり、それを行使する意思も存在する。民生施設からも確認出来ると思う、軌道爆撃が最終段階に入った』

 シナプスの用兵と寸分変わらず、それらは自身を秘匿しつつ地球に忍び寄り、加速再開により赤外反応として自ら存在を暴露していた。

『目標を告げる。

一つ、ダカール!。

一つ、ニューヤーク!。

一つ、キャリフォルニア!。

一つ、トリントン!。

一つ、ペキン!。

一つ、マドラス!。

一つ、オデッサ!。

一つ、ベルファスト!。

コロニー2基はジャブローに落着する!。』

 デラーズは一度言葉を切る。

『しかしながら我々は、これ以上の破壊と殺戮を欲してもいない。私は諸君らに二つの選択を示す。名誉ある降伏か、徹底抗戦か、その回答を請う。』

 デラーズは手元に視線を送り、頷き、続ける。

『今から5分の猶予を与える。その超過は我々では無く物理学が支配する、この意味を諸君らが理解し、また信じる事を私は願う。賢明な、理性ある回答を我々は期待している』


 連邦軍を、その前線を攻勢発起点である地球圏まで突き崩し、叩き落す。

 攻勢作戦、「バグラチオン」はここに終結した。

 そして支作戦たる、ジオン永年の悲願、地球連邦政府の降伏もここに成就した。


 爆砕処理された弾体とコロニーは突入角度そのままに地球大気で燃焼。

 微細なそれらは総て大気上層で燃え尽きるが、昼夜を分かたず流星群として地上を照らす。

 無辜の市民は歓声で。

 立場ある者は恐怖し、それを見上げた。



 星の屑は成った。



 Sunrise


~我々は作戦初期の段階より、核の保有と行使の意思あることを繰り返し、表明してきた。しかし彼らは其れを信じようとしなかった。無理もあるまい。彼らは我等が失敗したことを確信していたのだから。しかし、今少し慎重でありさえすれば、我々が一度たりとも、その奪取について言及してはいない事について、いささかなりと疑念を持てたと思う。そしてまた彼らは、GP-02が政治的存在として扱われることを危惧していたようだが、先に述べた通り、我々にとっては始終、彼の機材は純粋に軍事上での作戦戦術の単位に過ぎず、機材が最終的に作戦で果した戦略的打撃力も軍事的要請以上のものでは無かった。~

 地球焦土作戦という可能性への問いについては、明白にこれを否定している。。

~それは作戦の如何なる段階に於いても存在しなかった。もし、それが我々の目的であったなら、選択を与える事無く、一方的に地上全土を灰燼に帰すことは十分に可能だった。しかしそれは、我々の望む処では無かった。実際、我々に交戦継続の用意は無かったのだ。考えるがよい、つぶて一つ与えられず井戸の底で震える者と、それを見下ろす者の関係をだ。我々は当時敵に良識あるを信じ、それは叶えられた。その意味に於いて我と彼の間には最低限の信頼関係があったのだ。~

<デラーズ・フリート その終わりの為の戦い:エギーユ・デラーズ>

 新政府により、安全保障問題担当名誉顧問に叙された彼は、世上においてはその重職を意識されること無く、趣味であった薔薇育成のマスターとしてその名を歴史に留めている。少なくない子種も遺し、現在もデラーズの姓は十分盛名である。


 地球連邦並びにその行政府機関の全面解体については、逸早く全会一致の結論を得ていた。

 地球連邦が保有していた総ての生命財産は、暫定地球統治委員会の管理する処となった。

 占領政策は苛烈を極めた。殊に前政府に巣食っていた不正と不公正は上下を問わず、これを徹底的に糾弾された。

 しかしそれは、委員会が悪逆非道の独裁者として地上に君臨する事を、同時に意味するものでも、また無かった。

 むしろ彼らは、自身が公正かつ寛容であることを意識して努力し、ともすれば独善に陥り勝ちな局面を都度、第三者的な良識に照らし修正していた。

 その顕著な事例が、戦争犯罪との取り組み方に見られる。

 当然にして彼らは事後法も持ち出さなかったし、正義や平和を声高に叫びもしなかった。

 デラーズ・フリートの作戦に協力したサイド3船籍の民間船が無警告で撃沈されていた。

 撃沈を命じた士官は厳罰に処された。

 撃沈を実施した兵は微罪に留めおかれた。

 そして、無許可で可能な限り救命回収に参加した部隊は、当時の政府に代わり、その行為を賞された。

 前時代、地球で戦われた2度の大戦。欧州と極東で、敗戦国に向け実施された、軍事史上でも歴史的にも卑劣かつ破廉恥な汚点。それを良き反面教師と掲げ己に陰なきよう精励したのは確かであるらしい。頻繁にニュルンベルク、トーキョーという言葉が否定的な響きで法廷を飛び交ったことが記録されている。


 火星、アルカディア平原。

 かつて構想されたテラ・フォーミングは完全に放棄され、月面開発計画に準じた機密構造の都市市街区の造成が昼夜突貫、急ピッチで進められている。

 その工事現場の一角、実質観光以上の意味はないだろうが現地視察の名目で現在、この地を非公式に訪問している財界団のその一家族の姿がある。ワーカ、と称される、汎用装脚装腕の作業機械。その整備場だ。

 大きいものなら全高10mに達する。巨人たちを世話するべく設けられた空間は贅沢なまでに広大だ。

「うちのパパの方が強いんだから!」

「なにいう!うちの父さんに決まってる!」

「じゃあ勝負だ!」

「わあー!」

「がんばれー!」

 子供のはしゃぎ声が表から届く。

 そして女房連は全く、女という生き物はどうしてこう話が無限大に続けられるものやら。

 それをいつもの様に二人、半ば呆れつつ差し向かいで黙々と杯を干す。


 玉座は空位のままだった。

 デラーズは端から何の興味も示さず。

 意外にも、カーンもまたそれを欲しようとはしなかった。

 ジオンの名も語られる機会が無い。

 否。

 請われてその座に就いた男こそがそれだった。

 キャスバル・レム・ダイクン。

 ジオン公国建国の父、ジオン・ズム・ダイクンの実子、遺児である。


 委員会はその役目を終え廃止された。

 そして臨時政府が発足する。

 だがそれは同時に準備政府である。

 行政府の空白に、民は一日たりとも生きられない。

 委員会に引き続き臨時政府が承認する、旧軍のロジスティク活動がそれを支えた。旧軍物資の放出、配給により地球の民は生かされていた。

 そして同時に、地上から、地球からの全人口移転も既定事項であった。

 ピープルドライブ。拡張工事が進められる宙港周辺に収容施設が建築され、臨時政府が慌しい実働準備に奔走する中、前委員会の策定実施に従い、地上民は住処を追われて行った。


 景気はどうです。

 作業着のまま胡坐をかく、目付きも柔和な整備士以外には見えない男が柔らかい声で尋ねる。

 エクソダス特需は未だ、堅調だ。

 問われた男は短く応える。

 ”生き馬の目を抜く”財界の前線で磨かれたものか。薄色のサングラスの奥に輝く眼光は鋭く、強靭な光を帯びている。

 今のが唯一の会話らしい会話だった。二人はまた静かに杯を重ねる。


 銀河連邦、とは寝耳に水というか唐突に過ぎた。

 だが、臨時政府が将来構想として発表した、太陽系近隣の恒星系、グリーゼ876への具体的な入植事業案が、その意図する処を示していた。

 太陽系から出立する移民団の編成、現地への搬送、入植の実施と後続受け入れ体制の整備、生産力の育成に太陽系からの資金の招聘、その回収、そして段階的な自治権付与と完全自立までの支援、そして独立。

 最後に、銀河連邦加盟に対しての条件認定とその意思の確認。

 なるほど、銀河連邦であるべきであった。

 そこには、人類の相互信頼と不和の回避。

 特に、独立に名義を借りた同族相撃の様な、不幸にして非効率極まりない事態は二度とあってはならない、そうはさせない、やらせはせん、という、非情なまでに確たる意思が存在していた。

 机上の空論と嗤うか。男は世界に問い掛けた。

「悉く総て、事の創まりは机上、否、人の意思にある。それを机上に終わらせるか、確実に形と為していくのか、これも同じくまた、人の意思に他ならない」

 決して雄弁ではなかった。訥々と男は説いた。

「私、キャスバル・レム・ダイクンはニュータイプである。そうなのだ、我々同士は判り合える。その事を諸君らに訴えることを、しかし私は欲しない。諸君らは判らないという。だから、私は語り掛けよう。諸君らが望む限り、理解を求める限り、その疑問に私は答えを与えたいと思う。それは法であり、また言葉なのだ」

 ベーシック・インカム。人の生存を約束する。

「そして私は、敢えてダイクンの名を捨てよう」

 相続の全面廃止。機会均等と富の再分配。

「私一個人、クワトロ・バジーナは約束する。諸君らが欲するのであれば、私はそれに応えたい。人類に幸福の標を掲げ、その先頭に立とうと」

 財源は意外に潤沢だった。

 一部、常設治安軍を残しての軍備の撤廃。

 かつて、戦闘機械1基と福祉とのトレード・オフが盛んに揶揄され、喧伝されていた、その理想の実現だった。

 因みに、新体制発足に至る経費については、セイラ・マスなる富豪が自弁したとウワサされたが、一ホスピスの館長に生涯を捧げた彼女は、笑ってこれに応えなかったという。

 そのホスピスは半官半民の施設で、特に戦争障害者、精神的外傷を負った者の療養に努めたという。実績も豊富で、今MSボールレディースで人気実力ナンバーワンのサエコ・ムラサメ選手も元はここの患者だった。

 そう、MSボールだ。

 読んで字の如し、戦闘機械であったMSを使った、ラグビーとフットボールとサッカーを掛け合わせた様なルールで競われる、今最も人気のモータースポーツだ。

 スタープレーヤーには当然、実戦経験者が多い。あのアムロ・レイもチームを率いて参加している。物凄くキツめのレギュレーションを受けながら、自身試合に臨むこともある。

 エンターテインメントを提供する一方、外宇宙探査等の開発事業も積極的に推進されている。深宇宙探査、大型巡航探査艦、ダイダロス級の2番艦、「イカロス」の艦長を務めるのは、前事変でデラーズ・フリートを震撼させた名指揮官、エイパー・シナプス。


 明るいハナシだけではない。暗殺の危機は常に存在した。

 が、情報局でも精鋭中の精鋭、内務班班長を務めるシーマ・ガラハウ部長、副班長で右腕のナカッハ・ナカト課長のチームにより、それは総て未然に回避された。

 そして秘密主義とは無縁の、公正公明な司法により、総ては白日の下に晒され、処理された。

 死刑は既にない。

 テロリストは繰り返し問われた。何故行ったのか、何を期待したのか。

 彼らにも言論の機会は設けられたが、その正義は主張すればする毎に色褪せ、民心を喪っていった。

 想像以上の長期政権の予感に本人はこれでは独裁と同じだと困惑し、在任期限を4年に限る法案も可決されたものの、この勢いでは再選は確実だ。妻、ハマーンの後援もあれば、一人気を吐くフォーラ以外、当分の間、互角の政敵は現れてくれそうにない。長女のミネバは既にタレントとしても有名で賢察な生長を示していることもあり、七光りに甘んじない、彼女自身の能力として早くも最年少二世議員の誕生は確実視されている。


 整備士は客の顔を眺め、ふと自身のたるんだ下腹を見下ろし、想う。

 あれほどに充実した時間が、あっただろうか。

 これからあるだろうか。

「少尉」

 客は突然呼び掛けた。

「いや、”少尉”は止めましょよ、少佐、あぁ男爵」

 ”少佐”は聞いていない。

「私にとて感情はある。判るか少尉」

 ”少尉”は小さく頷く。

「あの一発がどれだけの命を奪い、また世を変革するか。私が考えなかったと思うか。ああ、当時私は一ライダーだ、軍人として命令に忠実で、勝利に貢献する、それは当然至極だ、しかし。私は責任が持てなかった。あの代償にどれだけの将来を勝ち得るのか。無論、連邦打倒は我々の、スペースノイドを代表する悲願だった、しかしその手段として……」

 ”少尉”は”少佐”をぼんやりと見ながら、へぇ、けっこう酔うんだと不思議に。

 安心した。


「ガトー!!」

 コウは寸分の躊躇無く全パーツパージ。

 コア・ユニット、「ステイメン」で突撃する。

「来い、少尉!」

 GP-02、ガトーも真っ向から受けて立つ。

「ステイメン」は既にライダーの、コウの戦術戦闘が推計出来ない。カレントエントリーは当然マニュアル。

 既に敵同士ですらない。

 漢と漢の。

 互いに獲物はビームサーベル一振りのみ。

 機動性で優越するのは宇宙専用機であるステイメン。

 コウは自機にワルツを躍らせるような軌道を描きつつ02を周回、突き入れる。

 無論ガトーはその総てを受け止め、逆にカウンター。

 ステイメンの頭部アンテナセンサが切り飛ぶ。だがそれはコウの誘いだった。

 02の右手、3本の指が飛ぶ。

 ガトーはすかさず持ち代え。

 その隙をコウは瞬時に刺突。

 ガトーはそれを、既に不要の右腕で受け止めそのまま体捌き。突き入れる。

 もはや戦術はない。

 格闘反射の凄まじき交叉。

 闘志と闘志の叩き合い。

 いつからかコクピットに雑音が交じる。

 なんだこれは、神経攻撃か。

「コウ!!」

 明白な呼び掛けを、判別した。

「キース?」

 キースは絶叫する。声が枯れ掛けている。

「終わった、おわったんだ、コウ!!」

 おれたち負けたんだ……。小さく加える。

 ガトーの剣はコウのコクピット背面を。

 コウの剣はガトーのコクピット前面を。

 浅く抉り、止まっていた。

 手が出せずただ両機を見守る、敵味方を問わないMSの群集が二人を取り巻いていた。


「あなた、そろそろお時間よ」

 想い沈む二人を、その声が引き戻した。

 男爵は少しフラつく足で立つ。

 整備士夫婦はそれを玄関まで見送る。

「それじゃルセ、またねー」

「また来てね、ニナー」


 コウ・ウラキの名は戦史には記されていない。

 しかし、異例の”不殺のエース”として、そして何よりあの、”ソロモンの悪夢”と互角に戦った漢として、その名は伝説と化している。

 男二人は握手でなく、軽く拳を交わす。

「いずれ、戦場で」

「全くだ。宇宙人でも攻めて来るがいい」

 アナベル・パープルトン男爵が型通りに応じ。


 微笑みと共に二人は分かれる。それぞれの戦場へ。


 人は判り合える。

 語り、歩み寄ればいい。


                                       了


---


 謝辞


 完結しました。

 まずこの場をお貸し戴いたシルフェニア様。

 そして今、お読みになっている貴方。

 この物語はその為に生まれました。


 有難うございます。


 出之拝


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