アドレス

恵瑠

第1話

 それは突然のことだった。電話がかかってきたのだ。それも固定電話ではなく、スマホの方に。登録していない番号が表示されているスマホを見ながら、私はその通話に出るべきかを悩んだ。かけてきた相手も携帯を使っているらしい。「〇九〇」で始まる番号だから、それは間違いない。

 以前なら迷いなく出ることも出来たように思うのだが、ここ最近はいろいろと物騒なことが起きているし、知らない人の電話になんて出ないに限る。そう思いはしたものの、予感? があったのかもしれない。いつもなら絶対に出ないと思うのに、私は恐々ながらスマホの通話ボタンを押していた。

「あっ!」

 私が出たのが意外だったのか、相手はひどく慌てていた。その証拠に、私が出た瞬間に驚きの第一声。

「えっと、職権乱用で申し訳ないんだけど、ヒデです。覚えてる?」

 一瞬の間があった。だけど、私がヒデさんを忘れるはずがない。それに、去年私が企画したイベントで、ヒデさんの近況は耳にしていた。

「覚えてるよ。久しぶり! 元気?」

「うん! そっちも頑張ってるっぽいね!」

「ありがとう」

「今年はやんないの? ギャラリー空いてると思うよ?」

「うん。やりたいけど、まだ企画の途中で」

「ふーん」

 取り留めのない会話が続く。一体なんの用事で電話してきたんだか。そう思いつつも、あの頃のように親しく話してくれるヒデさんが嬉しくて、ついつい無駄話が続いた。でも、久しぶりに聞くヒデさんの声は、幼いヒデさんの声を残しつつも、あの頃とはちょっと違ってて、あの頃から時間が相当に経過していることを感じさせた。

 ヒデさんと私は、小学校から高校まで同じ学校に通った。ヒデさんはずっと野球をやっていて、野球部のエースピッチャー。足がすごく速くて、私の目にはキラキラと眩しく映る男の子だった。

 高校卒業後は、野球の特待生として某有名大学へ進学し、有名銀行に就職したと噂で聞いたのだが、その銀行を辞めて、今は地元のJAの葬儀部署の課長さんだと聞いている。

 なぜ私がそういう情報を持っているのかというと、私は毎年、適応指導教室のお子さんとコラボして「詩画展」を開催している。その詩画展の展示場としてお借りするギャラリーがJAの持ち物であり、詩画展を開催中、受付をしていた女の子に「佳代さんって、ヒデさんの同級生らしいですね」と言わたことから、私は図らずもヒデさんの近況を知ることとなったわけだ。

 そのヒデさんが、何故私のスマホの番号を知っていたのかはすぐに分かった。詩画展を開催するために提出したギャラリー借用申請書には、私のスマホの番号が記載されている。さっきヒデさんが言った「職権乱用」というのは、そういうことか。私は一人納得した。

 お互いに懐かしく、つい話し込んでしまっていたけれど、ヒデさんは主要な用件を思い出したらしい。「そうだった! 俺、用事があってさ」そう加えて、慌ててその用件とやらを話し始めるヒデさん。

「小学校の野球部の九期生の集まりをするんだけど、今回俺が幹事なんだ。それで、佳代んとこのダンナ、出席してくれるかな? と思って。あと、名簿を作成しなきゃいけないんだけど、佳代んちの住所載せていい?」

 名前、呼び捨てになってるよ? そう思ったけれど、まぁトモダチだからね。にしても、いくら私の夫も同級生とはいえ、野球部の集まりのことなら夫に電話すればいいのに。そう思いながらも、私に電話してくれたのがちょっとだけ嬉しく思えた。

「じゃあ、ダンナに聞いておくよ」

「住所はこの申請書に書いてあるとこでいいんだよね?」

「うん。一応夫婦で一緒に住んでるから、ね」

 そこまで話すと、ふふっと微かにヒデさんの笑った気配がした。

「クラス会しようぜ? 佳代、幹事しろよ。連絡先分かるヤツだけでいいじゃん。名札とか準備しないで、誰が誰なのかあてっこして、笑ってやろうぜ。俺も住所調べるの手伝うからさ」

「わかった。じゃあ、野球部がGWくらいに集まるのなら、クラス会は夏ごろにする?」

「おう、そうしよう! 後でメールアドレス送るから!」

「分かった!」

 時間にしてたった数分の会話。なのに、なんだかちょっとむずがゆいというかなんというか。

 ヒデさんと私は、あの頃も今も、もちろん付き合ってなんていない。正真正銘それは間違いない。でも、お互いに「好き」だったのも間違いない。それは小学校六年生の頃から中学生くらいまでの話で、「恋」と呼ぶには幼すぎるくらいの儚いもので、お互いに「好き」だと思ってるのに言い出せなかったし、会えば憎まれ口ばかりを叩いてた。

 中学校の入学式の日、私が昇降口で靴を履いていると、ヒデさんがそうっと近寄ってきて、「佳代、何組になった?」とこっそり聞いてきたのを思い出す。「五組だよ」私がそう答えると、「俺、一組」と、ヒデさんはちょっとがっかりした顔になり。

 でも、そこは昇降口で、その日は入学式のため、父兄と同級生で溢れかえっていた。こっそりお互いにクラスのことを話しているなんてバレてしまったら、中学初日から冷やかされるのは目に見えていた。だから私は、そうやって男の子と二人で話しこんでいることが急激に恥ずかしくなり、言い放ってしまったのだ。取り返しのつかない言葉を。

 今思えば、なんてことないことだと思う。でも、中学生や高校生のときって、どうしてあんなに

異性が「特別」に思えてしまうのだろう?

「良かったぁ。ヒデと別々のクラスになって。せいせいするー」

 ヒデさんは一瞬ショックを受けた顔をしたけれど、すぐに真顔になって「ああ、俺もせいせいするー」と言い、その場を去ってしまった。いつものように、軽く「何言ってんだよ!」と突っ込んでくれることもなく、ヒデさんは去ってしまったのだ。

 笑うでしょう? たったそれだけ。たったそれだけのことなのだけど、私とヒデさんにだけ理解できる「大事な気持ち」は存在していた。誰にも言えなくて、誰にも気づかれないようにしていたけど。

 それ以来、ヒデさんは私に一切話しかけてこなくなった。私も話しかけなかった。取り戻したい気持ち、巻き戻せるならまき戻したい時間だと考えたりもしたけれど、その頃の私は、壊れたものは壊れたままで、修復することは不可能だと思い込んでいた。幼かったのだ。お互いに。

 今はお互いに結婚し、子供がいて、仕事をしつつ生活をしている。お互いに再会したからといって、あの幼い恋が発展するわけもないのだけど、なんだかちょっとだけわくわくというか、どきどきというか、あの頃のトキメキを思い出せたことが素直に嬉しく思えた。

 ただ……その後すぐにヒデさんから「俺のメールアドレス」と送られてきたメールの件名は「恥ずかしい」で、そのアドレスは……


「hide-oppaipaipai@××××××.ne.jp」


 サイアク! あの頃の爽やかな少年はいなくなり、ただのオヤジになっている模様。

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アドレス 恵瑠 @eruneko0629

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