第4話 黒い手
「えっ!」
区役所から届いたFAXを見た桐生は思わず声を発した。
亜希子は小学校四年から高校一年まで、富山に住んでいた。愕然とした桐生は長大息を吐くと顔をクシャクシャにして、悲鳴とも奇声とも区別の付かない声を上げた。この儘、辞職して逃げ去りたい衝動に駆られた。
だが、結局、デカ魂が、その衝動を阻止した。
……こうなったら、徹底的に調べるしかないか。
桐生は、魚住に電話で概要を伝えると、亜希子の戸籍抄本をFAXで流した。
間も無くして、魚住から返信があった。
《――林亜希子、当時十六歳は富山駅前のバーで働いていたところを補導され、本署に一晩、留置されています――》
……到頭、板倉と繋ってしまった。……もう駄目だ。
タイマー付きの爆弾がカウントダウンする光景を桐生は思った。
と、その時、再び、魚住からFAXが届いた。
「よーしっ! やった!」
その内容を読んだ途端、桐生は一転して喚声を上げた。
《――本署で看守をしていた中に、飯田庸次というのが居ました。飯田は、昭和△年、今から三十年前に退職しており、最近になって、偶然、不動産屋を営っている飯田を東京で見掛けた、という噂を署員が耳にしたとの事。その情報を板倉が知り得た可能性があります――》
桐生は魚住に感謝をした。
東京で不動産屋を営っているという飯田庸次を捜し出すのは容易かった。
飯田の顔を見た途端、トレーシングペーパーに、コピーした写真を重ねたかのように、亜希子が描いた似顔絵と合致した。
観念したのか、飯田は
「突然、電話を寄越した板倉は一方的に事を進めた。
『わしや、わし。富山県警で一緒やった板倉や』
その名前を聞いた途端、不吉な予感がした。
『久し振りやぁちゃね。今、近くにおるがぁよ。お茶でもしたかぁちゃね』
その時、これで俺の人生は終わるのかと思った。
板倉は会社の前でうろちょろしながら、俺が出て来るのを待っていた。
板倉の要望通りに、先ず、日本料理店で鱈腹食べさせると、次に歌舞伎町のキャバクラで遊ばせた。
それで気が済んだのかと思ったら、とんでもなかった。
『わしも五年前に退職したがぁちゃ。あんたは三十年前に退職したがぁやったね。ハッハッハッ……』
板倉の下品な笑い方が耳障りだった。
『食べて行くがぁも金のかかるがぁよ。取り敢えず100万ばっか頼むがぁちゃね』
その場凌ぎで承諾するしかなかった。
これで解放してくれるのかと思ったら、小腹が空いたからと、通りの中華料理店に勝手に入って行った。
酔っ払って思考回路が麻痺した板倉が暴言を吐くのではないかと、気になって、ハラハラしていた。
中華店で、また、酒を注文した板倉を、俺は憎しみを込めて睨みつけた。
どうにか、クリアすると、やっと板倉が腰を上げた。俺がレジで領収書を請求すると、『貰っとくが』と、板倉はその領収書を自分のポケットに入れた。
通りで、タクシーを拾うと、歩いて直ぐのホテルまで同乗した。
ホテルの前で一緒に降りると、板倉は、『明日行くから金の用意をしとかんばぁちゃ』と念を押すとホテルの中に入って行った。
ホテルから然程遠くない自宅まで徒歩で帰ろうと、歩き始めて、間も無くの事だった。……この
そう、思った途端、俺は
コートの襟で顔を隠すと、両手をポケットに入れ、急ぎ足でホテルの人込みに紛れた。
話の序でに聞いておいた客室番号をノックすると、板倉が訪問客の確認もせず、行き成りドアを開けた。
俺の顔を見るなり、
『何や、お前やったがぁか』
と、嫌な顔をした。この時、誰かが訪ねてくるのだと思った。……よし、チャンスだ。そう、思った瞬間、俺は勢いよく、板倉の腹を目掛けて突進した。
机の角に後頭部を打付けた板倉は微動だにしなかった。
板倉の背広からアドレス帳を盗み、ハンカチで内側のノブを握ると部屋を出た――」
飯田の話が一段落ついた。
亜希子のシロが決定した瞬間、桐生は腹の中で
「……そもそも、どうして、強請られていたんだ?」
「…………」
桐生の問いに、飯田は、らしくもなく
……先刻の流暢なる語りっ振りはどうしたんだ?
「……富山県警で看守をしてた時……留置されてた少女を……犯しました」
「何っ!」
……それが、亜希子だと言うのか? ……まさか。
「……あれは、暑い夜だった。留置場にはその少女一人しか居なかった。薄い掛け布団からはみ出た張りのある白い脚が、俺の理性を麻痺させた。
抵抗する少女の口を塞ぐと、力づくで犯した。
処女だった事に驚いた俺は罪悪感の中で、自分を正当化する為のマニュアルをその耳元に囁いた。『未成年のくせにバーで働くような不良の言う事なんか、誰も信じないさ。他言してみろ、お前に挑発されたと言ってやる』と。……少女は無言で俺を睨み付けていた。 それを、板倉に目撃されて、『飯田、警察官としてあるまじき行為だがぁな。どうするがぁ? 臭いめしを食うがか、金で済ますがぁか?』……一生
……その少女が亜希子でない事を願いながらも、桐生の気持ちのどこかに、嫌な予感があった。
「……その少女の名前を覚えてるか」
桐生の問いに飯田は首を横に振った。
「……顔は?」
「そんなの覚えてませんよ」
飯田がアホらしそうに鼻で笑った。
途端、桐生の拳が飯田の顔面を直撃した。
「デカ長!」
調書を取っていた三島が慌てて桐生の体を押えた。
椅子から転げ落ちた飯田は顔に手を当て、じっとしていた。
「……犯した少女の顔も名前も覚えてないのか? ……その少女は、どんな思いで、お前の脅迫を聞いていたんだろな……。警察という権力に、抵抗する事も出来ない弱い者をなぶり者にして、人間として恥ずかしくないのか! ……その後、その少女はどんな人生を送ったんだろな……。幸せになってくれているといいな」
桐生は亜希子の身代わりなった気分で、目頭を熱くした。
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