異世界地獄

かがち史

異世界地獄


 そして俺は死んだ。


 それ自体は些末なことだ。痛みも苦しみももはやなく、それどころか浮遊感すら覚えるほど身体は軽い。

 問題は、自分が置かれたこの状況だ。

 すべてを包み込む闇。目の前にそびえ立つ光の門。そしてそこで俺を待ち構えている、ふたつの人影。

 門から溢れ出る光を背に受けて、その人たちの顔は見えない。


「ここは……」


 呟いた声に、人影の片方が応える。


「ここは、次なる場所への扉。続く先への門です。どうぞこちらへ」


 そして相手は、俺の名前を当然のように呼ぶ。名乗った覚えもないというのに。

 それでも他にどうするあてもなく、ふわりと浮き上がるようにして、俺は光の門へと近づく。距離を縮めると、門前の二人が若い女性だとわかった。


「扉とか門とか、どういうことですか? あなたたちは?」

「わたしの名はアダバナ。そちらはウツセミ。我々はここの門番です」


 にこやかな微笑みを浮かべたほうが、無表情で無言を貫くほうも紹介する。


「ご存知の通り、あなたの人生は幕を閉じました。通常であれば輪廻転生の輪に入っていただくのですが、尊き方々による協議の結果、あなたには、この門の先へ進んでいただくことになったのです」

「どうして、俺が?」

「あなたが特別だからです」

「……俺が……特別?」


 生きている時には一切されたことのない評価に、唖然と復唱してしまう。

 自分で言うのもなんだけど、俺は決して、特別なことを成し遂げた人間ではなかったと思う。自分を犠牲に誰かを助けたわけでもないし、立派な人格で社会貢献したわけでもない。それなりにいいことをして、それなりに悪いこともした、驚くほどに普通の人生だったはずだ。


「どうして俺が、特別なんですか?」

「それは我々がお答えできることではございません。尊き方々がお決めになられたことですから」


 にこりと笑って言われるけれど、俺は、胸の底から熱いものが湧き上がるのを感じた。ただ流されるように生きてきたその人生を、誰かが〈特別〉と言ってくれたことが、なぜだか無性に嬉しくなった。

 ――何度も諦めかけた人生だったけど、生きてきて、よかった。


「この門の先で、あなたには別の生を過ごしていただくことになります。ですが、それは通常の輪廻転生で向かう先とは別のもの。あなたという人格を維持したままで、別の生を過ごすのです」


 それはつまり、世に言う〈異世界転生〉というやつなのだろうか。

 現実にあるとは思っていなかった状況に、熱くなっていた胸が高鳴る。流行りものとしてそれ系の漫画やアニメを見ていた俺は、思わず身を乗り出していた。


「あ、あの! もしかして、スキルとかももらえたりするんですか?」

「すきる?」

「特殊能力みたいなものですよ、身体強化とか魔法耐性とか成長速度上昇とか」


 アダバナが、きょとんと首を傾ける。

 その様子に一応説明してはみたものの、アダバナの反応は薄かった。どうやら彼女が言う〈別の生〉には、スキルは存在しないようだ。

 まあいいか。

 前世の記憶を引き継げるだけで、ある意味チートみたいなものだし。


「我々がここで、あなたになにかを与えるということはできません。この門を潜った先で、なにがあなたを待ち受けているのかを、お伝えすることもできません」


 ――それでもあなたは進みますか?

 そう問うアダバナに、俺は、躊躇うことなく頷いた。


「それでは前へ。あなたが選んだその結果が、あなたを導いていくでしょう」


 満足げに微笑むアダバナと、変わらず無言無表情なウツセミ。二人に見送られ、俺は光の門を潜る。


 視界が真っ白に埋め尽くされ、そして――





          *





 そして、俺は目を開いた。


 〈別の生〉と言うからには新生児からのスタートを覚悟していたのだが、どうやら俺の新しい身体は、子どもくらいにはなっているようだ。きちんと視力がついている。

 まずは現状把握だと辺りを見回した俺は、しかし思わぬ光景に、呆然として固まった。


「……え?」


 四方を閉ざす鉄格子。

 頭をぶつけそうに低い天井。

 手足を伸ばすだけの余裕もない狭さのそこは、獣を閉じ込めるような檻の中だった。


「な、なんだここ!? なんでおれ、こんなとこに――」


 その途端、ガツン、となにかが頭上を叩く。空気と金属の振動に挟まれて震え縮こまる俺を覗き込んだのは、トカゲのような醜悪な顔だった。


「ウルセエゾ! 黙ッテロ人間風情ガ!」

「オイ、商品ヲ傷ツケルナヨ」


 キンキンと耳障りな声の会話はしばらく続き、俺は、自分が奴隷として売られるところなのだと知った。

 ……どういうことだ。どうして俺が奴隷なんだ。せっかく転生したってのに。

 隙を見て逃げ出せばいいのだろうか。それとも勇者や賢者が現れて、俺を救ってくれるのだろうか。

 わからない。わからない。わからない。

 混乱しているうちに、俺はどこかへ売られてしまった。子どもだからか競売にすらかけられない。俺を買ったのはドス黒く硬質な肌をした亜人だったけど、その縦長の瞳孔には、慈悲も同情も見当たらなかった。


 俺を買った相手は、俺を実験用モルモットとして扱った。

 どれだけの傷をどれだけの回復薬ポーションで治せるのか、あらゆる方法で試された。切り傷、刺し傷から始まって、打ち身、火傷、骨折、頭蓋骨陥没、内臓破裂、切断、剥離、壊死、腐敗……命の危険を感じるほどの傷を追っても、回復薬で致命傷だけを治されて、また半死半生の日々が続いた。

 死ぬに死ねない、死にたくても死ねない。

 人権もなにもない、物として扱われるだけの日々の中で、俺は、俺をこの状況に追いやったすべてを呪っていた。

 俺を物扱いするこいつらを。俺をこいつらに売ったあのトカゲ頭を。なによりあの――俺を騙した、門番たちを。

 あいつらのせいだ。

 アダバナだかウツセミだか知らないが、あいつらさえ俺の前に現れなければ。あいつらさえあんな甘言を繰らなければ。あいつらさえいなければ。あいつらさえ、あいつらさえ、あいつらさえ――


 憎み怨み呪い続けながら生きる日々は痛みの濃度を増し、救いも助けも勇者も賢者もなく意識は濁りなにもわからなくなって、それでも死ぬことだけはできないまま、俺は、その〈生〉を生き続けた。





          *





「――傷害と窃盗、器物破損、名誉毀損。その他もろもろ限りなく」


 輝く門の前に並び、徒花あだばなは歌うような口振りで相方へと話しかける。


「いつものアレ。イジメってやつ。この二、三十年で本当に増えたよねえ。少しくらいなら大丈夫って思うのかな? 自分だけじゃないから大丈夫って思うのかな? まあ確かに今回はね、どれも程度は軽かったらしいんだけどね」


 どれだけ言葉を重ねても、相方の空蝉うつせみは無表情を崩さない。それもいつものことなので、徒花もなにも気にしない。


「でもあの人は、ぜーんぶ他人のせいにして、反省の色がないから、あそこに落とすことにしたんだってさ」


 俺のせいじゃない。

 俺はやりたくてやっているわけじゃない。

 そんな風に心の内で責任転嫁する様を、尊い方々はすべて見ていらっしゃった。己の罪を認めず、他人にすべてを押し付ける愚かさを、すべて見透かしていらっしゃった。


 だからあのは、ああしてに落ちたのだ。


 ひらひらと踊るように両手を動かしていた徒花が、唐突に「あっ、そういえば」と相方へと顔を向ける。


「最近の亡者が、なんであんなに素直にこの門を潜るか、空蝉、知ってる?」


 空蝉はなにも答えない。

 しかしいつものことなので、徒花はそのまましゃべり続ける。


「なんとね! 現世で〈異世界転生〉っていうのが流行ってるんだって! その導入部分が、ここでのやり取りに似てるんだってさ!」

「…………」

「おかしいよねえ、自分がなにをしてきたか、自分でわかってないんだね。自分の罪を知ってたら、ここが地獄の門だって、普通わかるはずなのにね」


 どうして死後に異世界に行けると思っているのだろう。

 どうして自分がそれに値する人間だと思い込めるのだろう。


「おかしいねえ、変な子たちだよねえ」


 くすくす笑い、ひらひら踊る徒花を、空蝉は一瞥だけして無視をする。



 すべてを包み込む闇の中。

 輝く光の門の前。

 二人並んだ門番のもとへ、今また一人、特別な罪人がやって来る。




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