追憶のコトリ
毎度の事やけど宿主代わりの時は情緒不安定になるのよね。今回に限って言えばクソエロ魔王が出てきたくれたお蔭でだいぶ気がまぎれたけど、まだアカンな。四百年ぶりは結構キツイわ。やっぱり記憶の封印はそのままにしといたら良かった。それだったら今頃コトリは可愛い小学生だったのに。
記憶の封印が解けるって厄介なもので、封印されていた四百年分の記憶も甦っちゃうんだよね。つまりは四百年分の子ども時代から死ぬまでの記憶。だいたい十回分。そのうち三回も聖ルチア女学院に進学して、そのたびにルチアの天使になってクレイエールに入社しているのは悪い冗談みたい。
コトリも進歩がないな。でも記憶が甦ってしまうとこれも懐かしい。その時、その時は楽しかったもの。そりゃ女神が宿ってるんだから可愛いコトリになってるし、勉強だって、スポーツだって思いのままに楽しめたものね。仕事だってバリバリ。でもお互い知らなかったとはいえユッキーともずっと近かったのは驚き。
ユッキーもクレイエールに入社してたんだものね。それも互い違いだなんて後から見たら笑っちゃう。えっへん、クレイエールがここまで大きくなったのは首座と次座の女神のお力添えがあったことを感謝しなさい、なんちゃって。ということで四回目のクレイエールでございです。
ユッキーと一緒と言えば最後の時は高校まで一緒だったんだよね。あの氷姫がユッキーだとはさすがに後で知って仰天したもんね。あの時のユッキーの生い立ちが悲惨だったのはシノブちゃんと佐竹君が丹念に調べ上げてくれてたけど、コトリから見ればエレギオンの氷の女神そのままってところかな。もっとも高校時代は、そんな事を知らんかったから怖かった。
もちろんコトリだけでなく誰からも怖れられたんだけど、なぜか親近感はあったな。いくら記憶が封印されてても四千六百年も付き合いあるからね。そうだ、そうだ、思い出した。三年の夏休みの時には図書館で一緒に勉強したんだよね。というか教えてもらってた。あれも今から思えば不思議な取り合わせで、シオリちゃんもいたし、カズ君もいた。まさかカズ君を巡って、この三人が争奪戦をやることになるとは夢にも思わへんかった。
そんなユッキーの高校時代だけど、なんと言ってもユッキー・カズ坊の夫婦漫才。あれだけは毎度毎度不思議で仕方がないのだけど、あれだけ怖い氷の女神やってても、必ずユッキーの本当の姿を見抜く男は必ず出てくるのよね。その男を絶対に見逃さないのがユッキーでもある。
ユッキーが優等生なのは昔から一緒。それでもってあんな怖い顔するけど、本当はごく普通に男が大好き。でもってユッキーの恋愛テクニックはひたすらツンデレ一本やり。ツンといっても氷の女神のツンだから半端じゃないけど、デレになったときの落差はナイアガラの滝も真っ青ってところかな。
ツンしながらでも好きな男のためならなんでも出来ちゃうの。高校時代はあの氷姫がユッキー様をやるのにコトリも信じられなかったけど、あれも思い出せば毎回やってた。あれだけ一途に尽くされればどんな男だって落ちると思うよ。そこにトドメの超デレが見舞われたらメロメロになっちゃうものね。
コトリのスタートは性欲処理係だったから、男なんて突っ込みたがる種族としか見えてなかったのよ。次席女官から女神になってもトラウマがバリバリで、長い間『男嫌い』で通ってた。そりゃ、そうなるよね。トラウマに関しては未だに完全に消えていないと思う。薄れるのに千年ぐらいかかったかな。とにかく時間だけはテンコモリあるのがコトリの人生。
そんなコトリの癒しになったのがユッキーの恋。男にウンザリしてた当時のコトリから見れば、何やってるかわからないものだった。まあ、男に恋するって感覚自体を理解するのも大変だったのもあるけどね。なんで突っ込むしか能がない男を好きになるんだろうってところ。
男を好きになるのは無理やり理解したとして、好きになればトットとベッドに行って突っ込まれりゃイイのに思ってたんだけど、ユッキーの場合はそこまでがとにかく長いのよね。やれ目が合った、やれ話をしたとか、なにかの弾みで手を握ったとかで、そのたびに大騒ぎ。目をランランと輝かせてコトリに逐一報告するのよね。
男だって人間だから話ぐらいするとは思うんだけど、その時の表情がどうだとか、どう呼んでくれたとかで延々と、下手すりゃ何時間もコトリに話すのよね。ユッキーがあんまり楽しそうに話すもんだから、無碍にしたら悪いと思うから付き合うんだけど、コトリにすれば何がそんなに嬉しいのかわからなかったの。
そんな日々が『これでもか』って続いた後に、血相変えてユッキーが飛び込んでくるの。コトリにすれば、また主女神がヒスを起したのか、どっかから攻め寄せて来たのがいるのかと身構える訳よ。そりゃ、沈着冷静なユッキーが血相変えるっていえば、そっちを考えるじゃないの、そしたらね、
「キスしたの」
腰が砕けそうだった。そこからは、もう大変。半日はコトリを解放してくれなかったの。たかがキスだよ。コトリにとってキスなんて、突っ込まれる時に、
『そんなことをする奴もいる』
ぐらいの行為だったのよ。というか、最初の頃はもっと違うのを考えてた。口を使うのなら、口に突っ込まれた方をすぐに連想しちゃった。これはさすがに『いきなり』ってコトリでさえ思ったけど、聞いてると話が違うのよ。どうもにも噛みあわない話が続いた後に、
「ところでどこにキスされたの」
そしたらね、誇らしげに胸を張って、
「オデコやホッペじゃないよ、ここよ、ここ」
そう言って唇を指すのよね。とにかく有頂天のユッキーに話を合わせてあげないと可哀想だから、ずっと聞いてた。コトリにすれば、なんでキスだけで帰って来たのかさっぱり理解できなかった。そこまでいきゃ、突っ込まれるしかないだろうって。思えば殺伐としてた。
それでもキスすると言うのは『たぶん』だけど重大行為みたいだから、すぐと思ってたの。だけどね、そこからはまたまたキスの話ばっかり。何してるんだろうって思ってたのは白状しとく。まさかキスが終点みたいに誤解したこともあったわ。でもね、でもね、キスの話をするユッキーの幸せそうな顔を見るのは楽しかった。
どれだけ経ったかわかんないぐらいしてから、この世の幸せを全部背中に背負ったぐらい嬉しそうな顔でコトリに報告に来るのよね。
「一番大事なものを捧げた」
これもなに言ってるかわかんなかった。ユッキーが持っているもので、一番大事にしてそうな物を真剣にあれこれ考えたものね。そうよ、プレゼントでもしたのかと思ったの。これも噛みあわない話が延々と続いた後にやっとわかった。なんのことはないロスト・バージンだって。
でもさすがに同情したわ。あれって痛くて辛いものだから。まあ、ついにユッキーも突っ込まれて酷い目に遭ったんだろうから、慰めなきゃとしかぐらいしか思えないのよ。コトリの記憶で最初のロスト・バージンは・・・あまりにも痛くて、悲惨だったから今日は思い出したくないわ。そんな感じで、ここも話がかみ合わなかったんだけどユッキがーがいうのよね。
「うん、痛みはあったけど、それより一つになった瞬間が最高だったの。もう、夢中になってた」
このユッキーの恋騒動だけど、ユッキーだって定期的に宿主が変わるわけなんよ。そのたびにロスト・バージンがあるんだけど、毎回この騒ぎを繰り返すのよね。千五百年ぐらいそうだったはず。千五百年だよ、よくあれだけ舞い上がれるもんだと呆れたし、感心した。
今のユッキーは男にさすがに慣れたから、コトリと男遊びだって平気で出来るようになったけど、そこまで千五百年だよ。それとあの頃は一人落としたら、絶対に浮気なんてしなかった。宿主の寿命が早めに終わってしまったら、乗り換えた後まで追っかけてた。だから同じ男に二度目のバージンを捧げたこともあったぐらい。
でもね、本当癒された。癒されただけじゃないの、ユッキーがやってる恋がコトリの憧れになっちゃったの。きっと突っ込むだけが能みたいな男と別人種が世の中にいて、そういう男とはユッキーみたいに付き合わないといけないんだって。ここもツンデレはコトリの好みに合わないから純愛路線てところかな。
それでね、千年ぶりに男に恋したのよ。いや、あれは千年ぶりやなくてまさに初恋。で、純愛出来たかって、出来なかったのよね、それが。ほとんど一直線にベッドに直行になってもた。話を聞いたユッキーがあまりの早さにあきれてた。でもね、でもね、その男はコトリを救ってくれたと思ってる。だからコトリは純愛の一つと思ってる。
コトリにはとにかく恋愛経験がないのよね。知ってるのはユッキーの話だけ。とにかく男を喜ばさなあかんのだけは女の勘でわかるんやけど、やれ手をつないだ、やれキスしたでユッキーみたいに騒ぐ気になれなかったの。そんなコトリが思いつく、男が一番喜びそうな行為はアレしかなかったのが本音のところ。
アレに関しては記憶の経験回数は数えきれんぐらいあるから、どうってことはないだろうぐらいに高を括ってたのよねぇ。ちょっと不安だったのはブランクが千年ぐらいあった事だけ。でも、いざとなると物凄いトラウマに襲われたの。いざって、男と部屋に入った瞬間からだったんだ。
それでもなんとかベッドまで行ったけど、服を脱ぐのさえ手が震えてどうしようもなかったの。そりゃ、男とベッドに入って楽しかった思い出なんて一度もないものね。コトリはひたすら、
『またアレせなあかんのか』
こればっかり考えてた。だったら行かなきゃイイようなものだけど・・・出来心で、弾みで、勢いで、つい・・・失敗したと思った。相手はそんな複雑な背景を知らないわけやん、教えてもなかったし。たぶんたけど、まだバージンのコトリが怖がってるんだろうぐらいに勘違いしてたと思う。ここは話がややこしくなるけど、体はバージンやったけど。
それでも始まってもてん。そりゃ、男はそうするわな。でもコトリには悲惨すぎる経験がひたすら頭の中でフラッシュバックしてた。なんでベッドに来ちゃったのだろうとひたすら後悔してた。だって次は問答無用で突っ込まれて、男が満足するまで耐える時間が来るしかないやんか。
それでもやらせなきゃって、頑張っててんけど、あてがわれた時に限界が来てもてん。どうしてもダメだった。もちろん、コトリがどう思うおうが男は無理やり突っ込んでくるはずと絶望感に浸っていたら、男はひたすら優しいのよね。決して焦らないし、急がないの。コトリがちょっとでも嫌がったり、痛がったりしたら、
「だいじょうぶ?」
いくらでも待ってくれるの。信じられなかった。男なんて問答無用に突っ込むだけだって信じ切っていたから。なんかコトリの方が申し訳ない気分になっちゃって、
「だいじょうぶだから・・・」
こういうんだけど、絶対に無理しないの。それで、コトリをそっと抱き寄せてキスした後に、これこそ何言ってるか理解できないぐらい驚いたんだけど、
「今日はこれぐらいにしとこうね」
これがね、その次も、その次も、その次もそうだったの。いくら千年前で知られてないとはいえ性欲処理係の女にだよ。ひたすら感動してた。五回目の時はコトリも覚悟を決めた。もうどうなってもイイから、絶対に受け入れるって。どうしても入る時に過去のトラウマがフラッシュバックしてしまうのだけど、必死になって耐えた。これまでも抱かれた時はいっぱい耐えて来たけど、初めて違った意味で耐えた。ちょっとで嫌がったら入れてくれないから、歯を食いしばって耐えた。でもバレてて、
「やっぱり辛そうだね」
またやめられそうになった。この時に生まれて初めて、いや記憶が始まってから初めて欲しいと思ったの。そして言っちゃった。
「なにが起っても構わないから、今日こそ最後までお願い」
「次座の女神様のご命令ですか」
「違うわ、コトリの心からのお願い」
「かしこまりました」
そしたら五回目で初めてゆっくり、ゆっくり入ってきた。コトリが少しでも反応したら、必ず止まって待ってくれた。それもたっぷりと。十分にコトリが馴染んだのを確認したら、またそっと進んできたの。何度も何度も声掛けして気遣ってくれて、ほんとうに、ゆっくり、ゆっくりと。信じてもらえないかもしれないけど、三十分以上はかかっていた。
男が進むたびに過去のトラウマが薄れていくのがわかった。フラッシュバックは当然あったけど、これは違うって、心が、体が感じてた。深くなるほどフラッシュバックは消えていき、ひたすら受け入れるのに集中してた。ここでまたイヤがったり、痛がったりしたら、やめられちゃうから本当に懸命だった。いやもう夢中だった。この体では初めてだったから、少しは痛かったけど、全然気にならなかった。そしてついにすべてを受け入れた。ユッキーの、
『一つになった瞬間が最高』
これが全身でわかった。そしてもう一つわかったこと。突っ込まれると結ばれるは違うものだって、もちろん犯されると抱かれるも全然違うって。コトリは犯されて突っ込まれた経験は山ほどあったけど、抱かれて結ばれるのは初めてだったんだ。これこそコトリの本当の初体験で、やっと本当の男を知ることが出来たと心の底から感じてた。
これならコトリだってウエルカムだし、ユッキーが男に熱中するのも全部わかった。やがて男が動き出した。コトリを痛がらせないように、怖がらせないようにするのが体の奥から伝わってきた。コトリの頭の中は嬉しい以外に何も思い浮かばなかった。好きな男に抱かれるって最高。そう感じた瞬間にコトリの体がエライことになってもてん。あれは違う意味で恥しかった。いや、恥しすぎた。もう身の置き所もないぐらいやった。
コトリは記憶を女神として記憶を受け継ぐだけでなく、身に付けた技能も受け継げてた。前の宿主で覚えた技能は、ほぼ次の宿主に引き継げたの。それは良く知ってたけど、アレの時の感度まで引き継いでたのよ。アラッタ時代には無理やりやったけど悶絶どころか、悶絶の先まで経験させられていたけど、これが一遍に甦ってしもてんよ。
これがロスト・バージンかってぐらいコトリは感じて乱れてしまったの。終わった後に恥しくて顔も見られへんかった。ユッキーに聞いた限りでは、こういう時にはちょっと泣いたりしてシミジミした雰囲気にするものらしいけど、コトリはハァハァいうて、いかにも一仕事終りました状態だもの。たぶん、そうしか見えへんかったと思う。
絶対に嫌われたと思った。あんだけ痛がったり、嫌がったのはカマトトぶってたと考える以外にあらへんやんか。ホンマにあの時ばっかりは自分の体を恨んだわ。千年かかって知ることの出来た本当の男なのに、もう捨てられると観念しきっていたの。そしたらね、男はそんなコトリを力強く抱き寄せながら、
「あんまり痛そうでなくて、ボクもホッとした。初めての時は辛いって聞くから。そのうえコトリも喜んでくれて、こんな幸せなことはないよ」
コトリは泣いたよ。もちろん嬉し泣き。この後も何度か抱いてもらったけど、抱いてもらうたびに過去のトラウマが消えていくのがよくわかった。イイ男だったよ。コトリを癒すために遣わされたかのような男だった。あの男には叶うものなら、もっと、もっと、もっと、抱いて欲しかった。でもエレギオンを巡る攻防戦で死んじゃった。
戦死の報告が来た時に崩れ落ちそうになったんだ。もう殆ど崩れ落ちてた。そしたら、ユッキーがいつの間にか後ろに回って支えてくれた。
「コトリ、泣きたいと思うけど、もう少しだけ我慢して。私たちはここで泣けないお仕事なの」
エレギオンでは女神の男になるのは特別の意味があったの。ここまでコトリには男がいなかったから、ユッキーの男たちが作り上げてきた伝統なんだ。これはユッキーが望んだものじゃないよ、ユッキーを愛した男たちが作り上げたものなんだ。ユッキーの男たちはユッキーに愛されたことを異常なぐらい誇りに思い、ユッキーに相応しい男になろうとしてたんだ。
ユッキーの男たちが目指したのは、女神に愛されるからには男の中の漢でなければならないだった。彼らが追い求めたのは、高潔で、エレガントで、礼儀正しく優しさがあって、教養が自然に滲み出るなんて無理難題。中でも勇敢さは絶対だった。この辺は時代背景と置かれた環境もあるけどね。
ここで誤解して欲しくないのは、ユッキーはそんな男を選んだわけじゃないのよ。ユッキーが愛したのは、ユッキーの本当の姿を見抜いて恋してくれる男。だからそんな条件がそろってない男の方がほとんどだった。つまり、ユッキーに選ばれてから努力に努力を重ねてそうなろうとしたってこと。
他の条件を満たすのも大変だったと思うけど、絶対とされた勇敢さはとくに問題だった。当時のことで勇敢さとは戦場で示すものだったから。これだって、もともと強い男であればまだしも、そんなに強くない、いや弱い男だって勇敢さを示さなければならなかったんだ。こんなもの、少々努力したってすぐにはどうにもなるものじゃないやんか。
エレギオン軍は弱いから、勇敢さを戦場で示す機会は多いけど、どうしたって劣勢の局面で多く求められちゃうの。ううん、そういう局面で勇敢さを示すことが最高とされていた。優勢の局面での勇敢さは評価が低いのよ。低いというか、ユッキーの男たちはそう思い込んでた。
劣勢の局面でさして強くもない男が勇敢さを示そうとしたらどうなるか。当たり前だけど戦死率が高くなるのよね。死んだら元も子もないと思っちゃうんだけど、ユッキーの男たちは、そこでユッキーのために勇敢さを示し、女神のために笑って死ねることを最高の美徳としていたの。それぐらいの漢じゃなくちゃ、女神の男に相応しくないってね。ユッキーにどうしてそうなっちゃったのか聞いたことがあるの、ユッキーはすっごい悲しい顔をしてた。
「うちって軍隊弱いやん。ついウッカリだけど、一回だけベッドで愚痴をこぼしたことがあるの」
このユッキーのたった一回の愚痴が、ユッキーの男たちの最高の規範として脈々と受け継がれ高められたみたい。男ってなんて単純バカと思ったけど、愛し抜いた女の望みのためには命だって放り投げるほど一途になれるのかと妙に感心した。たぶんだけど、ユッキーが男を愛する一途さがそのまま反映されてる気がしてる。
でもね、コトリは死んで欲しくなかった。勇敢さはユッキーの男たちの規範であって、コトリの男は関係ないじゃない。だって、だって、記憶が始まって千年、やっと、やっと出来た愛せる男よ。卑怯者と呼ばれようが、後ろ指をさされようが、生きていてこそ愛してもらえるんだと。
だからコトリは頼んだんだ。そりゃ、もう必死になって頼んだ。すがりついて頼んだ。出撃せずに城内の守備に就いて欲しいって。それぐらいの配置はコトリならどうにでも出来るもの。城内でも会計係とか、兵糧係みたいなできるだけ安全な部署にいて欲しかった。なにがあっても、そうさせるつもりだった。そしたらね、爽やかに笑って、
「首座の女神様の男が勇敢さを示すのが最高なら、次座の女神の男は至高の勇気を御覧に入れて見せます」
そういって一度も振り返らずに出陣していったんだ。この日の相手は宿敵ズオン王国。城外での戦いは押され気味だった。その中でコトリの男は常に先頭切って戦い、何度もズオン王国軍を追い散らして見せた。でも、それだけ戦ってもその日の戦況は有利には展開しなかったの。
これ以上の城外決戦は無理と判断したユッキーは城内への撤収を命じたんだけど、ズオン王国軍はチャンスと見て執拗に追撃してきたの。撤収中の軍隊は特に弱いのよね。そのままじゃ、軍勢は壊滅、そこに付けこまれれば城門を突破されそうな危険な状況になったんだ。城内から援軍を出すにもロクな戦力は残っていなかった。
コトリの男は殿にいた。襲い来るズオン王国軍に何度も反転突撃を繰り返したわ。そうやって、少し押し返している間にエレギオン軍は城門に向かって撤収するんだけど、ズオン王国軍もすぐに態勢を立て直して迫ってくるの。そしてエレギオン軍は城門近くまでたどり着きながら、窮地に陥っちゃったの。
この状態で城門を開けば、エレギオン軍だけではなく、ズオン王国軍もなだれ込むのは間違いないし、城門を開かなければエレギオン軍の全滅は必至みたいな状況。これは後から聞いた話だけどコトリの男は戦い続けて疲労困憊の状態なのに、これ以上はない朗らかさでこう言ったの、
「これはどれほどの勇気があるかを示すために与えられた主女神の恵みだ。次座の女神は至高の勇気を持つ者にのみ真の微笑みを与えられる。次座の女神の男の勇気と競える度胸のある者は付いて来い。ただし何人たりとも次座の女神は譲らん」
それに応えた二十人ばかりが阿修羅のようにズオン王国軍に突撃していったの。たった二十人なのに押しまくり、蹴散らし、前線を見る見る突破し奥深くまで攻め込んだの。その間にエレギオン軍はなんとか城内に撤収。ただしょせんは多勢に無勢、一人また一人と打ち取られ、コトリの男も含めて誰一人帰って来なかった。
コトリはユッキーの男が戦死した時の事を知っていた。ユッキーは戦死報告を聞いても、涙一つ見せずに耐えていた。その勇敢さを褒め称えていたのも知っている。同時に握りしめた拳から血を流していたのも知っている。そうやって報告を聞いた後は必ず、
「コトリ、悪いけど疲れたから少し休ませて。その間、お願い」
そうやって部屋に戻り、翌日まで帰ってこなかった。だからコトリも必死になって耐えて、部屋に戻ってから泣くだけ泣いた。コトリも次座の女神、エレギオン国民は首座と次座の女神を常に見ているし、頼りにされている。ましてや今は戦争の真っ最中。二人には悲しむ時間さえ限られていた。コトリは微笑んで国民を元気づけなければならなかった。
翌日には無理やり笑顔を作って国民の前に出た。心の中は悲しみで張り裂けそうだったけど、コトリは微笑まなければならなかった。それが次座の女神のお仕事。そうしてるコトリの手をユッキーはそっと握りしめて、
「ゴメン」
ユッキーの辛さがコトリにもわかった。コトリは初めてだったけど、ユッキーはこれまでに何人も自分の男が死んだ報告に耐えてきたんだと。ユッキーが耐えたものをコトリも耐えなきゃいけないと、辛い日々を必死になって耐え忍んだ。
コトリの男たちも、ユッキーの男たちも立派だった。本当にイイ男たちだった。ユッキーはともかくコトリにまで至上の愛を貫き、誇らしげに笑いながら死んでいった。悔しかった、悲しかった、どうして死ななきゃならないんだって。だから自分の男には惜しみなく愛を注ぎつくした。持てる愛のすべてを捧げた。
こんな身分に生まれなかったら、こんな世界に生きてなかったら、こんな悲しい恋をしなくても良かったのにと今となっては思う。もっと平凡な恋をしたかった、もっと普通にラブラブして、時には喧嘩もして、
『あのロクデナシが』
そうやって罵りあうこともある関係。でも遠すぎる夢だった。あの時は他に選べる道が見つからなかった。コトリに勇気を見せるために勇んで出陣する男たちを、ひたすら見送らされた。今でもあの男たちの夢を見ることがある。あの男たちのすべてを覚えてる。顔かたち、喋り方、匂い、コトリを愛する時のすべてを。逢いたい、抱かれたい、コトリのすべてを愛してもらいたい。
もう逢いに行ってもイイと思ってる。あの男たちが行ってしまった世界に。でも行ったら、行ったで大変かも。一人じゃないからね。それでも無性に行きたい。もっともコトリが行く世界はあの男たちと違うかもしれない。あれだけの男たちを死に追いやったんだものね。あははは、死神とか疫病神みたいなもの。同じ世界に行けるはずないか。
やっぱり長すぎるよね、五千年。背負って、引きずる物が多すぎるし、重すぎる。いつまでだろう。まだ半分も済んでないとか言われたらゾッとする。コトリはなんのために生きているのか、なんのために生きつづけているかなんて遠の昔にわからなくなってる。本当のコトリが一体何をしたかったのかも忘れちゃった。
本当のコトリか・・・たぶんだけど、いたずら好きで、男が好きで、ちょっとオツムは軽いけど、それを愛されるぐらいかな。そして歳取ったら完全に人の良いオバチャン化して余計なお世話を焼いてまわるみたいな。これも自信ないけどね。さてエレギオンに行ってくるか。何が待っている事やら。
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