アラッタの残照
今日は土曜日。ユッキーさんが遊びに来てくれました。魔王の襲撃に備えてボディ・ガードとして住んでもらっていたのですが、子どもたちが懐いちゃって大変です。ミサキはどうしても首座の女神として気後れしてしまう部分があるのですが、子どもは関係なく優しいお姉さんみたいに来られるのを楽しみにされています。ユッキーさんもコトリ専務と同様にいかにも楽しそうに遊ばれます。今日はこのままお泊りをお願いしています。子どもたちが、
「明日もユッキーと遊ぶんだ」
ユッキーさんもユッキーさんで、
「だったらUSJに連れてったげる」
なんて言い出すもので大興奮状態になってました。子どもたちが寝静まってからお話です。ミサキが興味があるのは昔のお話。コトリ専務だって生きてる歴史みたいなものですが、ユッキーさんも同じだからです。それとコトリ専務はしばしば話が脱線されて、なんの話をしてるんだろう状態によくされてしまいますが、その点でユッキーさんは安心して聞かせてもらえます。えへへへ、ミサキも立派な歴女になれそうかな。
「ところでエレギオンはアラッタから来たのですよね」
「そうよ」
「アラッタではユッキーさんは大神官家の娘だったのですよね」
「そうよ」
とにかく神は平気でウソを吐くというか、なかなか本当のことを話してくれないので注意が必要なのはよく知っています。ですから歴史の真実を聞かせてもらおうと思うと、こちらもある程度の勉強が必要です。
「いわゆる王なんですが、エジプトではファラオと神はイコールです。でもシュメールでは神の言葉を授ける神官王の形態ではなかったのですか」
「必ずしもそうじゃないよ。ナラム・シンは神イコール王だったわよ」
「でも例外的じゃないでしょうか。アラッタの神と王の関係はどうだったのですか」
ユッキーさんは微笑みながら、
「ミサキちゃんも良く勉強してるね。じゃあ、聞いても良いかな。そもそもアラッタってどこにあった?」
いきなり難題です。アラッタの名は『エンメルカルとアラッタの領主』と『エンメルカルとエン・スフギル・アナ』に残されていますが、実は所在地は現代考古学でも特定されていません。
「エンメルカル王がシュメール文字の発明者と伝説ではなってるのを知ってるよね」
「アラッタへの使者が王の長い口上を覚えきれなかったので文字を発明したってお話ですよね」
「ま、古代中国、商の二十二代目の王である高宗武丁が甲骨文字を発明した話みたいなものだけど、実はちょっと違うのよね」
ユッキーさんの話では、アラッタとの交易のためにアラッタの文字を覚えたとされます。
「アラッタがシュメール文字の源流なんですか」
「そういうこと。交易では約束事が多いけど、文字がなければ口約束になるじゃない。ウルクの商人もアラッタの商人に何度も騙されたみたいで、これを防ぐためにアラッタの文字を覚えたのよ。当時も交易はかなり広範囲で行われていたから、文字で契約するのがウルクだけでなくシュメール全体に広まったぐらいかな」
それだけ工芸都市、交易都市だけでなく、文化の面でも先進地帯であったのがわかりますが、これだけではアラッタの位置の特定はできません。
「アラッタは『エンメルカルとアラッタの領主』ではウルクから七つの山を越えたエラムにあったってなってますが、エラム王国ってスーサが中心の国で、そこから南東部に広がっています。ウルクからなら川こそ越えますが山は越えない気がします」
「そうよ、ウルクは自衛隊が行って有名になったサマーワあたりになるけど、あそこはユーフラテス川の沿岸都市みたいなものじゃない。そこからスーサに向かうとチグリス川は越えるけど七つの山なんて大層なものはないわ。スーサはザグロス山脈の麓、デズ川の沿岸だからね」
「でもアラッタはエラムにあったのですよね」
「そうだよ」
エラムは土地の名前も指しますが、文化圏の名前も指すとされます。また、もともとはハルタミもしくはハタミであったのが、シュメール語になる時になまってエラムになったとされますが、
「現代考古学ではそうなってるみたいだけどエラムが先よ。エラムの中のハタミの勢力が強くなった時にそう呼ばれた時期があっただけ。シュメール語にエラムが残ってて、元に戻ったぐらい」
ユッキーさんがそう言われるなら、そっちが正しいのでしょう。
「単純にはね、シュメールよりエラムの方が早かったの。大雑把にいうとイラン高原から文明が先に起って、これがエラム文明となってザグロス山脈を越えて、ミサキちゃんの言うエラム王国を形成したぐらいでイイと思うよ」
「ではチグリス・ユーフラテス流域は?」
「文明は大河に沿って起るというけど、大河は氾濫しやすいの。ある程度の治水技術が確立しないと定着して農耕を続けるのは無理なのよ。そりゃ、何年かに一遍ずつ洪水で跡形もなく流されたら大変じゃない」
「だからエラム王国はわざとチグリス・ユーフラテス流域を避けてるのですね」
「そうと見て良いわ。ある程度の治水技術が出来上がってから成立したのが、ウルクを中心にしたシュメール文明ぐらいよ。当時としては後進文明なのと、農耕地帯ではあったけど鉱物資源がなくて、エラムから買ってた関係ぐらいになるわ」
ぼんやりとミサキの頭の中に当時の勢力地図が浮かんできました。イラン高原から南下して今のイラクの南東部に成立したエラム文明圏と、チグリス・ユーフラテス流域に成立したシュメール文化圏が並立したぐらいです。ついでに言えばチグリス・ユーフラテス上流地域のアッカド文化圏と鼎立状態ぐらいでしょうか。
「シュメール側は後進ではあったけど農耕地帯だったから人口が多かったのよね。それと戦争になれば当時の事だから後進国の方が強いのよ。エンメルカルは四百二十年間在位したってシュメール王名表にはあるけど、そんなに長生きする訳ないじゃない」
「つまり記憶を受け継ぐ神が魔王型組織として続いていた」
「たぶんそうだと見てる」
エンメルカル王はウルクから勢力を伸ばしてスーサを手に入れ、さらにアラッタに迫ったそうですが、
「アラッタはどこだったのですか」
「今の地名で言えばジロフトよ。ここはイラン高原の文明地帯とエラムを結ぶ要衝で、今ならアフガニスタン北東のヒンヅークシ山脈奥にあるサルイサンク鉱山からラピスラズリを運び込んだりしていたの。当時のダイモンドみたいなみたいなもの」
「そこを狙ってエンメルカル王が」
「そういうこと」
ジロフトなら山の中だから七つの山を越えての描写も確かに合うわ。それにスーサを中継基地として攻め寄せたのなら、地理的にも無理はないと言えるし。
「ユッキーさん。話を戻しますが、アラッタでの王と女神の関係はどうだったのですか」
ユッキーさんは昔を思い出すように、
「神って普通は形而上の物じゃない。それが本当の神が現われたもので、それまでの神官王は権威を失なって追放されちゃったのよ。そのまま主女神が王になりそうなものなのだけど、主女神は神の地位に留まり王は別に指名したの」
「それって・・・」
「そう、エレギオンと同じスタイル。ミサキちゃん、残念でした。わたしは大神官家の娘だけど、神官王の王女じゃないの。あくまでも女神が君臨してから取り立てられた大神官の娘よ」
聞きたいことはバレてたんだ。
「神殿って大きかったのですか」
「どっちのほう」
「アラッタの方からお願いします」
「えっと、えっと、メートル法でいうと四百メートル四方」
「お、おっきいですねぇ」
「二段目が二百五十メートル四方」
「えっ、二段目があったってことは・・・」
「五段構造で高さは七十メートルを越えてた。そして、最上段に続く長い階段が作られてて、最上段には女神の至誠所があったよ」
「それってジグラット」
「それはアッカド語だけど、シュメール語ならウ・ニルね。当時はエ・ドゥル・アン・キと呼ばれてた」
エ・ドゥル・アン・キとは『天と地を結ぶ家』ぐらいになるけど、
「それって二プルのジグラッドの名前じゃ」
「はははは、名前盗られちゃった」
日干し煉瓦で作られていたそうですが、ギザの大ピラミッドの底辺が二百三十メートル四方ですから、高さこそ劣るものの壮大な建物であったがわかります。
「ではエレギオンの大神殿は」
「こっちは正面が五十メートル、奥行きが八十メートルで、高さが二十メートルぐらいだった」
「アラッタの神殿に較べると随分小ぶりですね」
「まあね。その代りに四方は二重の円柱で取り囲まれていて、さらに奥に壁で二重に囲まれる構造だったの。それでもって全部石造」
「それって・・・」
「そうねぇ、パルテノン神殿を思い浮かべれば似てるかもしれない」
こっちはこっちで超豪華だ。聞くとエレギオンの主要な建物は可能な限り石造にしていたそうですが、庶民の家は日干し煉瓦だったそうです。木造は森林資源が危なかったのでかえって贅沢だったようです。
「ユッキーさんにとって故郷はアラッタですか、エレギオンですか」
ユッキーさんはしばらく何かの思いに耽っていましたが、
「やっぱりアラッタかもしれない。そりゃ、エレギオンの方が圧倒的に長いし、エレギオンも故郷だけど、わたしもコトリも記憶の構造がちょっと特殊なの」
そりゃ、五千年分の記憶を持つだけで特殊すぎますが、
「エレギオンには子ども時代の思い出が無いのよねぇ。わたしもコトリも席を空ける訳にはいかないから、移り変わるにしてもせいぜい十代の半ばぐらいだし、見た目は若いけど、中身は前の続きなのよ」
そっか、そうだよね。五千年の記憶と言っても、子ども時代の記憶があるのは、アラッタの次は日本で記憶の継承を封印した時代まで飛んじゃうんだ。
「ミサキちゃんも気が付いたと思うけど、子ども時代の記憶はアラッタの次は日本なんだけど、本当の意味の子ども時代はアラッタになっちゃうのよね。本当の意味の両親とか親戚とかもね」
ここで、
「アラッタに行ってみたくないですか」
「そりゃね。でも行かない方が良い気がしてる。前にエレギオン行ったじゃない。コトリに聞いたかもしれないけど、帰りたくなかったよ。あのままあそこで野垂れ死にたいって真剣に思ったもの。なんとか振り切って日本に帰って来たけど、次は自信ないもの。エレギオンでもそうだから、アラッタはなおさらになるかもしれない」
「コトリ専務もですか」
ここでユッキーさんはため息をつきながら、
「コトリはアラッタよりエレギオンの方が思い入れが深い気がする。そりゃ、コトリは女官になるまで奴隷だったからね。たぶんコトリにとってのエレギオンは青春そのものの気がしてるわ。青春なのはわたしも同じだけど、コトリにはアラッタはあんまり良い思い出がなさそうだもの」
「だからあの時に」
「そうよ、コトリも次に行けば自信がないだろうし、わたしだってそうなの。でも、行くわ」
「それって」
「何度もコトリと話し合ったの。でもね、理屈では行かない方が良いのはわかってても、二人とも最後はこらえきれなかったのよ。前に行っちゃったものね」
まさかお二人は、
「お願いです。帰って来てください。ミサキは、ミサキは・・・」
そこからユッキーさんは呟くように歌い始めました。ミサキにもなぜかその意味がわかります。
「恵みの主女神が祝福す
この地に栄えあれ、
この地に幸せあれ、
この地に実りあれ、
主女神の恵み疑うべからず、
その心あらば必ず叶うべし・・・」
ユッキーさんはニコッと笑われて、
「ミサキちゃん、生に倦みつかれたわたしもコトリも生き続けているのは、過ごしている瞬間、瞬間に意味を見出し続けているからなの。今だってそうよ、まさか癒しの女神や輝く女神と、再びこうして話せる日が来るなんて夢にも思わなかった」
ユッキーさんは遠くを見ています。
「わたしは自殺を好まない。もし最後が来るのなら主女神の下に戻る時。だからコトリは連れて帰ってくるって約束するわ。コトリを待っている人がこれだけいれば、生き続ける理由としては十分だからね」
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