第59話:西獄谷<ウエストエンド>
吐く息が白い。
床を軋ませないように、そっとドアを開け廊下に出ると、廊下に備え付けられた魔石が薄暗く足元を照らした。
町の外壁に沿って植えられたピースリリーとミントが瘴気を綺麗な空気に変え、
「シロウ…」
ほとんど聞こえない声で白いマロッカを呼べば、シロウは音もなくミヤコに近づいた。鼻を擦りつけ挨拶をする。
「お願いね」
ミヤコはシロウに跨ると、バッグから薬草の種の入ったバッグを取り出した。
シロウはその体の大きさに似合わず、足音を潜ませて外門へと向かう。
「もう出発ですか」
「はい。先にやらなければならないことがあるので」
ミヤコがわずかに微笑むと、門番は怪しむ風でもなく通用口の門を開ける。
「お気をつけて」
「ありがとう。あなたも」
かつっとマロッカは蹄を鳴らし、軽やかに駆け出した。精霊たちがほんのり光を提供し、先を照らす。精霊に加護されたマロッカとミヤコに襲い掛かるような魔獣もいない。本能的に恐れるのが普通だからだ。もちろん狂獣と化した魔獣に至っては分からないが。
ミヤコは少しずつ種を蒔きながら、静かに歌う。月の光を受けて、若芽が芽吹きゆったりと広がっていく。それは次第に大きくなり、そびえるように樹木へと変化していく。
まるで西獄谷への道を塞ぐかのように。
町とそこに住む人たちを守るように。
小一時間かけてミヤコは今、瘴気の渦巻く西獄谷を目前に構えていた。
「ぐ…嘘みたいに臭い…。意識持ってかれそう。鼻がもげる」
カバンに詰めてきた掃除用のマスクとゴーグルを着用する。
「こんなのわたし一人で浄化できるんだろうか…ちょっと自信なくしてきた。そういえば、ふと思い出したんだけどさ、シロウ」
マロッカに返事を求めるわけでもなく、独り言をつぶやいていくミヤコ。
「スライムってこの土地にいるのかしら。スライムってなんでも浄化するって思ってたんだけど、そんなのいたら楽よね。あ、でも魔獣化してたらわたしが襲われちゃうのか。それは怖いな」
パラパラとラベンダーとローズマリーの種を周囲に蒔く。
「さて、と」
ミヤコはこほんと喉を鳴らした。
「いるんですよね、皆さん?」
ひゅっと一瞬気が滞ると間をおいてくると、クルトとルノーが姿を現した。
「ビ、ビックリっス。なんでわかったんっスか」
「まったくだ…何時の間に気を読むようになったんだ、ミヤは」
ミヤコは振り返りながら、笑った。
「だって、みんなそんなに精霊つけてたら街灯みたいですよ」
「だーかーらぁ、ばれるっつっただろーが」
アイザックが遅ればせながらクルトたちの後から現れて、頭をかいた。
「嬢ちゃんには斥候も諜報員も意味ねえかもなあ」
「いえ、それは皆さんが精霊に好かれてるからですよ。せっかく隠れて出発したのに意味なしでした。いつからここに?」
「ちょっと前に。なんで一人で行こうとしたんだ」
「一人でないとダメだからですよ」
「何をするつもりだ?」
クルトがミヤコへ近づくと、シロウが威嚇をした。
「ミヤ、何を」
「クルトさん」
拒絶されてクルトは目を見開いて固まった。クルトの目はミヤコを凝視し、不安と苛立ちを現している。ミヤは苦笑してクルトを見つめた。聞き分けの無い番犬のようだ。
「ごめんなさい。クルトさん」
「何を謝る?」
ミヤコはクルトを見つめ、そしてルノーとアイザックへ視線を移す。
震えるように息を吸い込むと、ミヤコはわずかに口を動かした。溢れでるのは静かな
「な、にを…」
一瞬の眩暈の後、何が起こっているのか気がついたクルトが手を伸ばすが、その場に崩れ落ちた。続いてルノーもがくりと膝を落とし、眠りについた。だが、アイザックは不敵に笑みを貼り付けたまま、距離をとってミヤコを睨みつけている。
「……精霊さん?」
きゃー。
「何で効かないの?」
きゃー…。
「そりゃ、嬢ちゃん。俺が誰よりも精霊に好かれてるからだろ」
「……アイザックさんのためなのに」
ミヤコは口を尖らせて不満げに呟く。
「あんた一人でここに立ち向かうのは無理だろ。俺が守るって決めたんだ。好きにさせろや」
「嫌です」
「強情だとは思っていたが、俺もそうなんでな。ついてくぞ」
ミヤコははあ、とため息を吐き天を仰いだが、時間もあまりない。カバンの中から桃の酎ハイを3本取り出し、精霊に手渡すとクルトとルノーの倒れた体の横に置くようにお願いする。そしてもう一本はアイザックに渡した。
「美味しい
桃の酎ハイはクルトたちとっては
「
マロッカが踵を返し、ミヤコを乗せて結界へ向かう。
ぽかんとして話を聞いていたアイザックは、しかしダッシュでシロウに飛び乗り、尻を平手打ちした。シロウは『貴様!』とアイザックに文句を言うが、一度頭を振ると諦めた。
「ちょっと!アイザックさん!?」
「魔獣は任せろ」
マロッカは大きく飛び上がると結界へ突入し、ははっとアイザックは笑った。ミヤコは慌てて覚醒の歌を歌い、精霊に乗せた。
「日の出とともに届けて!クルトさんたちをしっかり守ってね!」
きゃー!と精霊たちはクルトとルノーに張り付いた。
マロッカはポーンポーンと跳ねるように森を駆け抜け、魔性植物も魔獣も日の光のような精霊に囲まれたミヤコたちを避けるように奥地へと隠れた。
「妖精王は日の出前に見つけないと!」
「なんでだ?」
「精霊王が言うには、闇落ちした妖精は夜の方が力が強いんです。だけどその分、浄化の言霊をぶつけた時のダメージが大きい。もともと妖精は光の生き物ですから、核が浄化できれば強大な光を生み出すそうで。その光が谷を浄化します。その後で、水の大精霊を救うことができれば、この谷はおのずと浄化される」
アイザックはほう、と目を見張るがすぐにふに落ちないように首を傾げた。
「それで、なんでハルクルトたちを眠らせたんだ?」
ミヤコはぐっと口を閉じたが、意を決して告げた。
「それは、わたしが言霊を使わなくてはいけないからです」
「さっきから言ってるが、その言霊ってのはなんだ?」
「精霊の歌よりも強い…命令のようなものです。精霊にお願いするのではなく、強要するもの。下手をすれば精霊の命を奪い、私の命を削る…そういうものです」
「…は」
アイザックは何をバカな、と思ったが、ミヤコの真剣な顔を見て言葉が出なかった。
「わたしがうまくコントロールできなければ、周囲にも被害が出ます。……
「
「たとえうまくコントロールできたとしても、妖精王の純粋な光に当てられたら、普通の人間は耐えられません。100パーセント純粋な人間なんていませんから、妖精王の光をまともに受けたら心は焼かれ、精神が保てない。だから、夜明けと同時にみんなが起きるまでに妖精王を浄化させないといけないんです。眠っている人間に害意も殺意もありませんからダメージは少ないはず。あとは、水の精霊王の結界が壊れないことを祈………わっ!?」
突然シロウが驚いたように足を止め、ミヤコは前のめりに吹き飛ばされた。アイザックも同じように放り出されたが、うまくミヤコを抱き込み茂みに転げ落ちた。
「大丈夫か、嬢ちゃん?!」
「アタタタ…はい。あ、ありがとう……っ!?」
ズズッと地面がしびれたように震え、目の前の木が一瞬にして枯れ落ち、スライムのような透明な何かが視界に飛び込んだ。
「やべえ!」
アイザックがミヤコを抱えたまま、後ろに2、3回飛び去った。
アイザックに引っ張られるまま、ミヤコは目を見開いてその
谷よりも高くそびえる
人型ではなく、動物でもない森のように盛り上がった透明なゼリーのようなもの。苦しそうに唸り上げるそれは、触るものを汚染し、毒を撒き散らすように液体をぼたぼたとこぼす。そのあとは沼になり、瘴気がうごめいた。
「まさか、これ妖精王………!」
「嬢ちゃん…やべえぞ、これ!標的がでかすぎる!」
「アイザックさんは逃げて!川に沿って上流へ!」
「お前を残していけるか!来い!」
「行って!早く!」
ミヤコは浄化の歌を歌う。生まれようとした魔獣は吹き消すように風に撒かれるが、後から後から魔獣は生まれ出てくる。
キリがない。
ミヤコはぐっと眉を寄せるが意を決した。
「消えろ!」
ミヤコは出来上がった沼地に向かって言霊を使う。
キンッと空気が張り一瞬の間の後、周囲に爆風を起こした。瘴気の沼は瞬時に固まり、ボロボロと崩れ砂と化した。
「うおっ!?」
アイザックはまるで木の葉のように吹き飛ばされ、ゴロゴロと受け身を取る。
「早く行って!シロウ、アイザックさんを!」
ミヤが声を上げると精霊たちが爆風を起こし、アイザックを巻き上げた。風魔法でもなくアイザックには抗うすべもなく、またしても吹き飛ばされる。嵐に翻弄された紙のように風圧を受けて、アイザックは身を翻した。
「おいっ!嬢……っ、くっ!」
ミヤコを呼ぶ焦った声も虚しく、自身を守らなければ大岩に打ち付けられて命を落とすかもしれない危機感を覚え、アイザックは防御魔法を使い吹き飛ばされるがままにミヤから遠ざかっていった。
残されたミヤコはぐっと歯を食いしばり恐怖に耐える。
「闇落ちした妖精王がデイダラボッチだなんて、聞いてないよ!
両手には薬草の種。ミヤコは大きく息を吸った。
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