第53話:執行人

 ミラート神は精霊王の約束を民に伝えた。


『心せよ。

 忘れることなかれ。

 我らは精霊王の恩恵の内にある。

 ミラート神国は精霊王の守護の下で栄える。

 精霊王の教えを違え道を外した時は、愛し子が現れその道を正すであろう。

 だが愛し子に害を為すとあれば。

 精霊王はミラート神国を見放し、我らは全精霊を敵に回し無に帰すであろう』



 *****



「是等は元々司書館にあったものでな。初代聖女降臨の時から神官と司書官が文献として後世のために残したものだ」


 アイザックが棚に収められた文献を手に取りながら、クルトとミヤコに言った。


 ミラート神国に現れた聖女は当時、聖なる力を使い人々に魔法の使い方を教えた。生活魔法や防御魔法、回復魔法などを伝授された人々は感謝し、聖女を讃えた。人々の生活は向上し、怪我や病気で亡くなる人も減り寿命が延びた。


 しばらくして初代聖女は忽然と姿を消し、人々は悲嘆にくれた。だがある日、魔法を極めた先人が召喚魔法を編み出し聖女を呼んだ。


 呼ばれた聖女は、初代聖女とは違い、薬草や魔石を発見し人々に使い方を教えた。自然と共に生きることを覚えた人々は初代聖女の教えと二代目の聖女の教えを合わせ、農耕を覚え薬師が生まれた。時を追うごとに薬師は魔術を交えてポーションや毒消しを作り出し、人々の生活はますます向上していった。


 その間に、魔導師や魔術師は魔獣と人間を掛け合わせ獣人族を作り出した。獣人は寿命が短かったが、特殊能力に優れていたため兵士として使われ、町や村を守った。


 その頃になると、人々は聖女が教えを説きその役目を終えると消えてしまう事に気がつき、度々聖女を召喚する事になった。


 何代目かの聖女を降臨させたある日、ルブラート教徒がミラート神国を襲撃した。人々は戦い、持てる知識を持ってルブラート教を押し返した。だがその戦いで森は焼かれ薬草不足に陥り、動物や魔獣は住処を失い森を追われた獣が町や村を襲い、世界の均衡は崩れた。


 そんな時、新たに現れた聖女が薬草など要らぬといったのだ。


 薬草などがあるから争いが起こるのだと。自然は人々を脅威にさらす悪なのだと。精霊は人間を奴隷にし、精力を食らうと言った。精霊が魔獣を動かし人に害をなす。森と精霊は魔獣とともに抹殺すべきだと言った。


 自然と共に暮らしていた人々はその意見に憤慨した。


 魔力の少ない人々は自然とともに生きるのが普通だからだ。農耕や狩猟がなければ生活はできない。精霊が人間に害をなすのは、人間が必要以上に自然を害するからだと。


 自然を捨てた者たちは自身を貴族と呼び聖女を讃え、そうでない者達は薬師と自然を善とする魔女に従い、流浪の民となり自然とともに生きようとした。


 そして聖女は結界を作り出し、王都と町を分けた。


 王都は結界で強化され、転移ポイントを作り許可のない者は出入りができないようになった。


「現聖女が現れておよそ20年。その聖女がもたらしたのは不調和と貧困だ。結界は綻び、王は贅沢を極め、人々は魔獣と瘴気に脅かされる生活を強いられている」


 ページをめくりながらアイザックは続ける。


「『世界が乱れ危機に陥った時、愛し子は現れ、それに追随して執行人も選ばれる。ミラート神が定めた執行人は仲間を集い、愛し子を支え守り、行く末を見極めなければならない。愛し子が害された時、聖なる執行人はそれを見定め審判を下す』か」


「聖なる執行人……聞いたこともない」

「ったりめーだ。誰もが知ってたらもみ消されていただろうよ」


 クルトが言うと、アイザックが淡々と告げた。


「俺がその使命に目覚めたのは今の聖女が現れてからだと思ったんだが」

「お前が執行人だというのか?」


 クルトが目を見開いてアイザックに尋ねた。


「ああ。ルノーもそうだ」

「ルノーも」

「さっきルノーに渡した腕輪は伝達石と言って執行人が持つものでな。俺が認めた執行人に渡すようになってる。お互い意思の伝達ができる便利な古代遺物アーティファクトだ」


 ミヤコもホロンの水場での戦闘ぶりを思い出しながら呟く。


「ルノーさん、すごく強かったですよね。アイザックさんと戦った時」

「あいつが真名を名乗った時に仲間だと初めて気がついた」


 アイザックは聖女についての文献を棚に戻し、ため息をついた。


「俺の祖先は神官であり、善の魔女だった。俺自身は神様なんてあんま信じちゃいねえし、魔女の子孫だって言われても特に薬草についても知らねえ。物心がついた頃から精霊が見えて、強くなれと言われてきたのが不思議だった。なんで強くならなきゃならねえのか。だが、生きるために必要でもあったし、強くなるのは楽しかったからな。……それが20年ほど前、俺が守りの執行人だってことをはっきり意識した。いろんな記憶が溢れ出して愛し子を探さなきゃいけないと気がついた」


 そう言うと、アイザックはミヤコを見つめた。


「嬢ちゃんが精霊王の愛し子なのは疑いようがない。来る時が来たってことだ」


 ミヤコは唇を噛み締めた。東の魔の森を作った際に世界均衡が乱れたのだ。祖父であるアルヒレイトはミラートとの約束を覚えていないが、ミヤコがこの世界に戻ってきた時のために、何か約束をしていたのかもしれない。世界の均衡を戻すために。


「そんな大それた意識もなく、ここにいるのだけれどね…」

「けど、あんたが東の森の瘴気を払ったのも、聖域を生き返らせたのも事実だ」

「僕を救ったのもミヤだな」


 アイザックが視線を移すと、クルトも真剣に頷いた。


「お前が元から執行人じゃないのが不思議だけどな。まあ、神のする事は俺たちはわからん。だが俺たちは仲間を集めなくちゃなんねえ。そこにお前がいれば心強いが」


 アイザックはニヤリと口元を歪ませる。当然、力になるよなとでも言いたげだ。


 クルトは頷くとミヤコに顔を向けた。ミヤコもクルトを見上げる。


「僕はミヤが誰であれ、君を守るためにここにいる」

「よかったな、嬢ちゃん。逃げたくても逃げられねえぞ、こいつからはな」


 そう言うと、アイザックは泣きそうな顔をしたミヤコの頭をクシャクシャとかき混ぜた。


「難しく考えることはない。ミヤが良かれと思うことをやればいいよ」


 クルトは眩しい笑顔をミヤコに向けた。



 ***




「執行人か…」


 ルノーの話を聞いて、アッシュは眉をしかめる。


「現国王は自身の保守に雁字搦めで、俺たち国民に見向きもしていない。聖女もいるだけで役にも立ってないし、そもそも聖女かどうかすら怪しい」

「討伐隊も道具のように扱われているしな」

「王宮魔術師だって怪しいもんだし、聖職者もミヤさんのポーションに比べたら回復力も少ないしな」

「ミヤさんの植栽で俺たちの砦も守られたんだろ」

東の魔の森イーストウッドだってミヤさんの歌で浄化されたんだし」


 討伐隊員たちは元よりミヤコに陶酔的なまでに信頼を置いている。ミヤコを守れなどと言われるまでもないと思うほどだった。


「それは国に反逆しても、ということか」


 それでもアッシュはルノーに懐疑的に言い放った。


「俺は神など会った事なければ信じてもいないが、国王は実在するし、国王なくして国はならん」


 アッシュを見極めようとルノーは目を細めた。


「俺も神は会った事もないっスよ。……でも愛し子の、ミヤさんの力はこの目で見極めた。アッシュ隊長は王の権力か国民の命か天秤に掛けられますか?」


 周囲の気温が下がったように感じ、討伐隊員たちはごくりと二人の様子を伺う。


「国王は人間だ。替えがきく。国民なしに国は作れないと思いませんか、アッシュ隊長」


 ルノーはだらりと手を脇に下げているものの、隙がない。


「俺の存在意義を知られたからには、ここで決めて貰わないとね。アッシュ・バートン」

「……」


 視線だけでルノーは隊員たちを見渡す。うっすりと笑みを浮かべたその目は笑っていない。


「俺の特殊能力、知ってますか?」

「特殊、能力?」

「ええ。特殊能力っス。俺、執行人にとっての味方と敵がわかるんっス」

「っ!」

「…この結界…敵と見なした存在はね、ここから出る時、ここで話したことの記憶を失くすんっス。だから命を取ろうとかそんな物騒な事はしないっスけどね。一応ここまで仲間として生きてきたし」


「……無理やり従わせる気か」

「まさか」


 ルノーはニヤリと笑う。


「迷ってるヤツも協力できないってヤツも、今なら結界から出て行ってもらって構わないっスよ。……ただし」


 隊員たちはお互いの顔を見渡してごくりと喉を鳴らした。


「記憶を失くすっていうのはどうしても副作用があってね。人によってその副作用は変わるんで、どうなるって言えないっスけど」


「……お前に従うとした場合、何を強要するんだ」


 アッシュが奥歯をぎりりと噛み締めるように問うと、ルノーは鼻で笑った。


「……何も。一人ひとりにできる事は限られる。命を懸けろとか、誰かを殺せなんて無茶は言いませんよ。ただ、愛し子に害をなさないと契約を結ぶだけです。ミラート神国を、人々をあるべき形へと導くだけです。あ、執行人について口外できないなどの縛りはありますけど」


 アッシュが探るようにルノーの目を見つめるが、ルノーはいつも通りのヘラッとした笑顔を貼り付けたまま、アッシュを見返しているだけだ。


「さあ、どうします?」


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