第28話:逢いたくて

 目覚めは最悪だった。


 会ったこともない祖父の話、祖母の噂、他人が思う扉の向こう側の存在、おまけに私の恋愛話。どれもこれも当事者でない人がとやかく言って、さもありなんと忠告する。


 うざったい。


 それがミヤコが感じた最初の一言。小さい町の中でよっぽど退屈と見える傍観者たちは言いたいことを言い、あることないことを噂する。


 ミヤコは特別反発心が強いわけでも、人間嫌いなわけでもない。ある程度他人が自分をどう思うか気になるし、できれば悪く思われたくはない。だけど、どうしようもないことだってあるのだ。


 例えば、両親の離婚。


 例えば、聡との最悪の別れ話。


 例えば、異世界に通じる扉。


 ミヤコが選んだわけではない。


 なんとか自分なりに対応して生きようとしているのだ。


 昨夜飲んだ酒も良くなかった。考えてみれば、クルトさんと濃度の濃いリキュールを飲んだ後ですでにほろ酔いだったのだ。その後で日本酒なんか飲むんじゃなかった。


 今日は養護施設の仕事がある。のろのろと布団から出ると、昨日はお風呂にも入らずに寝てしまったことを思い出して、すっきり目覚めるようにイランイランのオイルをバーナーに落としてキャンドルを灯し、シャワーを浴びた。


 養護施設の仕事は朝早く始まる。朝食の準備と昼食の準備をしなければならないから、6時半には厨房に入る。9時から10時まで休憩に入り、今度はランチの準備だ。ミヤコの仕事は2時半で終了だが、今日は所長から呼び出しがあったので、仕事が終わり次第、署長室へと向かった。


「真木村さん、患者さんからもスタッフからも評判いいわよ」

「ありがとうございます」


 若杉夏子はこの養護院の署長で、50代の女性だ。穏やかな性格とほっそりした容姿が人気のイケメンキャリアウーマンである。ミヤコはもし自分が一生独り身ならこんな女性になりたいなと密かに思う人だった。


「それで、あなた結婚相手をお探しなんですって?」

「は?」

「そういう噂があるのだけど、違うの?」


 また、噂か。どこのどいつがそんな無責任な噂を流しているんだろう。私に恨みでも?


「全くのガセです。探してません」

「あら、そうなの」

「どこからそんな噂を聞いたんですか?」


 所長はにっこり笑うと「さあ、どこからかしら」と首をひねった。


「ただね、結婚相手を探してるのならうちの息子はどうかと思って」

「……いえ。すみません。今は全然そんな気持ちがないので」

「でもあなたもう25歳でしょ。そろそろ真剣に探してもいいんじゃないかしら?フラフラしてると行き遅れるんじゃない?周囲の目も気になるでしょう?うちの、お買い得よ?」


 そら、きた。「結婚相手を探してる」噂じゃなくて「フラフラしてる」噂を聞いたんでしょう。


「すみません。フラフラしてるつもりもありませんし、東京から戻ったばかりなのでまずは落ち着きたいんです。仕事もちゃんとしたいですし。結婚とか恋愛は二の次で」


 そもそも、私は自分の店を持ちたいのだ。第一ゴールがそこなのに、なんでスタート前からつまづいているのだろう。


 ミヤコはムカムカする気持ちを抑えながら所長室を出た。最悪の朝に輪をかけて気分が悪い。今日は厄日だ。さっさと家に帰って大人しくテレビでも見よう、と考えて気がついた。テレビはベッドと共に捨てたのだ。ますますテンションが下がってしまう。パソコンの画面で見るのもいいが、引きこもりになったようで気が滅入る。


 仕方がない。庭の手入れをして落ち着こう。そうだ、おばあちゃんの部屋が書斎になっていたっけ。何か面白い本があるかもしれない。


 気を取り直して、ミヤコは買い物をしてから家に帰ることにした。



 ***



「ミヤコちゃん、しばらくうちの店来ないでくれるかなあ」


 鈴木酒店の主人が会計を済ませようとしたミヤコに言い放った。


「え?」


 目を瞬いて、主人の顔を見る。困ったように薄ら笑いをしているが、その目には軽蔑と中傷の色が浮かんでいた。


「うちのバカ息子が、あんたに熱を上げていただろう。最近仕事にならないんだよねえ。わかるかなあ。いやあミヤコちゃん、結婚やめて帰ってきただろう?あのバカもまだ希望があるとかなんとか言ってたんだけど、あんたもう他に男を連れ込んでるそうじゃないか」


 なにそれ。信じられない。クルトさんのことそんな風に思ってたわけ?噂の出所がまさか鈴木君だったとは。


「わ、かり、ました。ご迷惑を、おかけします」


 子供じゃあるまいし、いい年した男が。親に頼んでわたしに来るなと?あの時は、店に普通に来て構わないとか、言ってなかった?クルトさんのことだって説明して納得してたんじゃないの?


 ミヤコは支払いをすませると、早足で帰路に着いた。胸をこぶしで殴られたみたいだ。ずくずくと痛みが走る。わけのわからない感情が腹の中を走り回るような不快感と圧迫感。荒れ狂う嵐の海に放り出されたような気がして、呼吸が浅くなる。


「ミヤちゃん、ちょっと話があるんだけど、今夜いいかしら」


 感情のこもらない瞳で呼ばれた方を見ると、叔母が玄関から顔を出してミヤコを呼んでいた。


「叔母さん」

「夕飯でも一緒にどう?」


 今度はなに?誰も彼も、笑顔を貼り付けて毒を吐く。叔母さんも叔父さんも淳兄さんも結局みんな一緒。


 また突き放される。あの時みたいに。


 味方は何処にもいない。


 確かなのは、自分の立っている場所だけ。


 望むな。


 期待するな。


 頼るな。


 おばあちゃんだけが。


「すみません、おばさん。今日はちょっと具合が悪くて」

「あら、大丈夫?薬は飲んだの?」

「少し寝れば、大丈夫だと思うから」

「そう?それじゃまた今度ね。ちゃんと寝るのよ?」

「…はい。ありがとうございます」

「ミヤちゃん?本当に大丈夫?」


 いつになく他人行儀な態度のミヤコを訝しげに見つめ、そう聞いた和子にミヤコはもう答えることはできなかった。無表情にお辞儀をして、自宅へと帰っていく。そんなミヤコの後ろ姿を和子は心配そうに見送っていたが、ミヤコが和子に振り返ることはなかった。


 買ってきた食材をキッチンに置き、祖母の仏前に座る。いつもの通り、お供えを置き線香を立てる。リンを鳴らすとぼんやりと祖母の写真を見る。


 そういえば、この仏前にはおじいちゃんの写真がない。なぜ疑問に思わなかったのか。離婚をしたのかと思ってたから?未婚で子供を産んだと聞いていたから?緑の砦に祖母は本当にいたのだろうか。ミヤコはあそこに本当に行ったのだろうか。


「おばあちゃん、なんで死んじゃったの」


 会いたい。


 話がしたい。


 祖母の写真を眺めて質問を投げかけるが、その答えは返ってはこなかった。



 日が落ちて辺りが暗くなって来るまで、ミヤコは祖母の仏前でぼんやりと座っていたが、気がつくと縁側の窓からふわりふわりと庭に浮かぶ精霊の光が見えた。ミヤコはふ、と目を細め庭へ向かう。


「クルトさんはいないのに、今日はどうしたの?」


 ぽつりと誰に問いかけるでもなく庭に出ると、精霊はふわりふわりとミヤコに近づいてくる。


「ふふ。優しいね。慰めてくれてるの?」


 ミヤコは縁側から外に出ると、微笑んであの歌を口ずさんだ。静かなメロディが辺りに浸透し、精霊が震える。精霊の鎮魂歌レクイエム。あの日、緑の砦でおばあちゃんと歌ったあの唄。

 

 20年前のあの日。


 おばあちゃんは誰のために歌ったの?


 おばあちゃん、会いたいよ。


 ミヤコの歌声は静かに夜空に染み込んでいった。




 *****



「ミヤ…?」


 緑の砦で薬草を調合をしていたクルトはふとミヤの声が聞こえた気がして、顔を上げた。

 

 今日はミヤが来る日ではない。明日の朝彼女に会えるだろうが、彼女の歌声が聞こえたような気がした。空耳だろうか。


 クルトは砦の研究室の窓から外を見る。日の暮れた外は暗かったがミヤコが植えた植物は精霊達の光でぼんやりと輝き、静かに留まることなく空気を清浄にしていく。今日も結界の中は澄み渡っていて、昨日以上に討伐隊員達で溢れていた。


 昼食時には目の回る忙しさだったが、戦士たちはただ植物に囲まれているだけでも満足をしていた。何人かは結界内の訓練場を利用して、練習試合をしたりトレーニングをしたりして過ごしていたし、のんびりと座って外で食事をする者もいた。今まででは考えられないほどのゆったりした時間がそこにはあった。


『聖女に会わせてくれよ、クルトさん』


 朝だけでも何度その言葉を聞いたことか。


『ミヤは聖女じゃないし、今日はいないよ』

『聖女じゃなくてなんだよ、この力』

『バーカお前、あれだ。薬師ってやつだろ』

『チッゲーよ。土魔法の魔導師だ。ものすごい魔力を持ってるヤツ』

『ええ、魔導師?魔術師長よりすごいだろ。それ』


 誰も彼もが彼女の噂をする。やはり押さえておくのは無理か。


『ミヤ様は偉大なる精霊王の愛し子だ』

『黙れ、アッシュ。それも勘違いだ』


 いらんことを口走る男だ。その言葉がどれだけ波紋を呼ぶのかわからないのか。


 あの日以来、アッシュは朝も昼も時間を作ってはここに来てミヤに会わせろとうるさい。国王に促されているだけのお前なんかに誰が会わせるか。だいたい、僕には権限が全くない。どんなに逢いたくてもミヤが来てくれなければ会えないのだ。もしミヤがあの扉を閉ざしてしまったら。二度と開けなかったら。


 クルトは窓の外を眺めながら知らずうちに眉をひそめ、震える拳を握りしめた。考えただけで恐ろしい。会えない日が怖いだなんて。これでも風の赤獅子と呼ばれた戦士か、と自分でも笑いがこみ上げるほど滑稽だ。


「明日には会える。大丈夫だ、彼女は来てくれる」


 そう自分に言い聞かせなければ、あの扉の前でずっと待ってしまいそうだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る