第24話:眠れぬ夜は君のせい〜鈴木君の想い〜

 最初に出会ったのは小学校の4年生だった。うつむいてしかめっ面の女の子。


 それが真木村都だった。


 長い黒髪をツインテールで縛り、小さくて怯えた猫みたいだった。真木村は祖母に連れられて校門に立っていたが、入りたくないと駄々をこねていた。小学4年にもなって、なんで低学年みたいなこと言ってるのかと思って声をかけた。


「転校生?職員室まで一緒に行こうか?」


 真木村はびっくりして、まん丸な目を大きく開いてぽかんとしていた。パチパチと長い睫毛を何度も瞬かせてから少しアゴを引いて、睨みつけられた。それからムッとした表情になってツンとそっぽを向いて「ほっといて」と勝手に歩いて行ってしまった。


「変な奴」


 それが最初の印象だった。真木村の噂はすぐに校内に広まった。もともと小さな学校だったから転校生が来れば注目の的になってしまう。それどころか、彼女には両親がいない。離婚して捨てられたとか、不義の子だったとか陰口もたたかれていたし、親から付き合うなと言われていた子供もいた。


 そんな噂が流れても、友達が周りにいなくても、真木村は平然として無表情でいつも一人だった。その頃俺にはたくさん友達がいて、真木村のことなんか気にもしていなかったんだと思う。


 あの日、あいつを見るまでは。


 夏休みに入って、俺はいつも通り豊と康介、有香と一緒にプールへ行った帰り、コンビニでアイスを買って家に帰る途中だった。そこが真木村の家だとは知らなかったが、何気なく笑い声の方に顔を向けると、そこには祖母と一緒に畑仕事をしている真木村を見つけた。とうもろこしか何かを収穫していたのだと思う。


「おばあちゃん、見て、見て!こんなに大きいのあったよ!」


 そう言って笑った真木村に、俺は恋に落ちたんだと思う。キュンとした。あんなに可愛いのに、なんでいつも笑わないのだろう。そうすれば友達だってすぐにできるのに。その日、真木村は髪を一つにまとめて頭のてっぺんで団子に丸めていた。こぼれた髪が汗で首筋に張り付いているのを見て、意味もなくドキドキした。肌にぴったりした黄色のシャツと白い短パンから覗いた細くて白い足が目に焼きついた。今でも思い出すと腹がキュッと絞められる思いがする。


 以来、俺はあいつの後を追いかけた。


 あの笑顔を俺に向けて欲しかった。


 中学に入る頃には少しは気心が知れてか、一緒に登校するようになった。幸いクラスも3年間同じだったから、時間をかけて俺のものにしようと、豊たちも巻き込んで友達気取りだった。


 俺は勉強も頑張ったし、部活も頑張って参加した。テニス部は女の子にモテると聞いて入部して、これでもかと思うほど夢中で構い倒した。中学3年の時には生徒会長にも立候補して、あいつに書記を押し付けた。それこそ俺のプライドが削れるほどアピールを重ねたが、あいつは結局最後まで俺に見向きもしなかった。


 俺は最後の最後まで「鈴木君」だった。


 高校に入ってから、いろんな女の子と付き合った。校内でかわいいと評判の子、同じテニス部の女の子、演劇部の女の子、1学年上の先輩。その誰にもあいつほど夢中になれなかった。


 豊は「それが初恋っていうもんなんだよ」と知った顔をして言った。康介は「真木村ちゃんは俊則にとっての永遠の女神」と神格化していたし、「きっちり失恋しておけば拗らせなかったのに」と有香にまで言われた。


 そんなものか。


 初恋だから。


 演劇部だった先輩に芸能界に誘われて、ふらふらついていったものの、もともと華やかな世界に興味がなかったから腹黒い人間を目の当たりにして、嫌気をさしてとっとと帰ってきてしまった。


 真木村の叔父である哲也さんの家に配達に行った時、あいつは東京に行って結婚するらしいという話を聞いた。完全に失恋だ。その時、俺はまだあいつのことを想っていたんだと気がついて泣いた。もう諦めなくちゃと思っていたのに。


 あいつは結婚を破棄されて傷心で帰ってきたのだと聞いた。


 これは、俺に巡ってきたチャンスじゃないか。


 もう一度。


 もう一度だけ当たってもいいんじゃないか。


 真木村都。


 俺の名前を呼んでくれないか。


 お前をミヤコと、今度こそ呼ぶことを許してくれないだろうか。


 飲みに誘ってみれば、あいつは信じられないほど鈍感だったということに気がついた。俺の精一杯のアピールは暖簾に腕押し、糠に釘だったようだ。ということは、まだフラれたわけじゃない。今度ははっきり告白した。好きだと、ずっと好きだったと伝えた。これからゆっくり距離を詰めていけば。


 そう思っていた。


 日曜日はミヤは家にいるよ、と哲也さんがビールを買いに来てそういった。多分庭いじりをしていると。

 そうか、あいつは昔から庭いじりとか、畑仕事が好きだったもんな。それじゃ昼飯ぐらい誘ってもいいだろう。ほんの1時間くらい顔を見てもバチは当たらないだろう。


 そう思ってあいつの家に行ったら、男がいた。


 あの赤い髪のクルトとかいう外人。


 俺と同じ目をして、「ミヤ」と呼んで、あいつを見ていた。食堂の経営者とか言って、なんで畑仕事手伝うんだよ。おかしいだろ、それ。なんできゅうり持って見つめ合ってんだよ。全然説明になんねえだろ、なあ。外人のくせに日本語ぺらぺらでその上「紳士らしくない」だと?ふざけんな。お前みたいに馴れ馴れしく名前ですら呼んでないんだよ!


 むかつく。


 行かなきゃよかった。


 あいつ留学先からミヤコを追いかけてきたんだろうか。背の高さも体格もあいつに対する接し方も敵わなかった。知らん顔で笑って、あそこからミヤコを攫っていけばよかったんだ。かっとして、バカなことをした。


 あのまま何もしなければ、あいつもミヤコもきっと気がつかずにいたのに。お互いの気持ちなんてわざわざ教えてやることなんかなかったんだ。あいつの笑顔をあんなポッと出の奴に取られたくなかったのに。


 もうズタボロだ。


 ちくしょう。


 飲み会の時、友達から仕切り直しだなんて悠長なこと言ってる場合じゃなかったんだ。酔ったふりして押し倒して俺のものにして仕舞えばよかったんだ。そんなことしたって、俺に振り向かなのはわかってるけどさ。


 もう、俺にチャンスはないのかな。どうせならはっきり振ってくれよ。そうしたら俺もきっと、諦められるからさ。


 ちくしょう。



 *****



「フラれたからって店は無くならないからな」


 俊則の父は容赦なく言い放った。


 今日は俊則が昼に抜け出したので、夜番を交代することになったのだ。どうせ夜10時までだ。あと2時間もない。チッと舌を鳴らすと、俊則は陳列台の商品を整頓し始めた。自動ドアが開き客が入ってきたことに気づき、面倒臭そうに顔を上げる。


「いらっしゃいま…せ」

「あ…こんばんは」


 ミヤコだった。俊則は少し眉を寄せ、ちくりと痛む胸の痛みを無視した。


「あ、あの。今日は…ええと、ごめん?」

「謝らなくていいよ。…こっちこそ、悪かった」


 俊則がそういうと、ミヤコは少しほっとした顔をした。


「あのあと、大丈夫だったか?」

「あ、うん。畑の方は、大方終わってたし」

「そっか」

「あ、あのさ。あの…」


 俊則はミヤコが次に発するであろう言葉を先読みしながら、眉を寄せて目を閉じた。


「あの人と…付き合うの?」


 絞り出すように聞くと「えっ?」と意外な反応が返ってきた。俊則が目を開けると、ミヤコは真っ赤になって目を開いていた。口をパクパクとしているが言葉がなかなか出てこない。


(ちくしょう、かわいいな)


「な、なんでそうなるの?」

「…違うの?」

「ち、違うよ。、クルトさんはわたしのことなんて別になんとも思ってないから」


、か。)


 ふっと自虐的に俊則は笑うと「そう」とだけ答えた。


「真木村さ、俺がお前に惚れてるって言ったのわかってるよな」

「…う、うん」

「俺、見込みなしかな」

「……っ」

「はっきり言ってもらえると、こっちも助かるんだけど」


 ミヤコは眉間にしわを寄せて、うつむいた。その顔が初めてミヤコに会った時のしかめ面と重なって俊則は苦笑した。


「初めてお前の顔見た時と同じ顔してる」

「…いつよ、それ」

「お前が転校してきた日」

「そんな昔の話」

「変わってねえんだもん」


 ははは、と笑う俊則にむうっと口を尖らせて睨むミヤコ。俊則は切ない顔を隠さず、ミヤコに手を伸ばし顔にかかった短い髪を払う。


「俺、マジでお前のこと好きだ。諦めろっていわれるまで諦められないんだよ」


 そう言うと、俊則はそのままミヤコの柔らかい頬に触れ、耳から後ろへ髪を掻き分けて首の後ろを支えると、愛おしそうに顔を近づけた。


「…ゴメンッ!」


 頭を横に振って、手を振り払うミヤコは涙目になって俊則を見つめた。顔は真っ赤で震えている。


「ごめん、なさい。わたし、本当にごめんなさい。でもわからないの。自分がどうしたいのか。どう接していいのか。中途半端な気持ちであっちフラフラ、こっちフラフラして。だからこのままじゃ鈴木君にも迷惑かけるからっ」


 ミヤコはぺこりと頭をさげる。


「わたし、やっぱり鈴木君の気持ちに応えられません。ごめんなさい」


 払われた俊則の手はしばらく宙を彷徨っていたが、ぎゅっと握り締められてそれから力なく体の横に垂れ下がった。


「わかった。…さんきゅ。きちんと考えてくれて。今はちょっとムリかも、しれないけど。友達として付き合えれば、いい」

「…うん。ありがとう」

「あと、店には普通に来てくれて構わないから。お得意さんだしな」

「ふっ…ありがとう。本当はお酒買いに来たの。買わずに帰るの辛いなと思ってたんだ」

「飲兵衛だからな」

「売上に協力してんのよ」

「へへっ。……まいだりぃ」




 寒さが鼻にツンとくる夜だった。

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