第23話:緑の砦改革 其の二

 全くもって、考えられないことをする。


 魔性植物が周囲を囲っているから緑の砦には植物は置かない。


 常識的に考えればそうだろう。もし大量の瘴気に触れれば無害な植物はほとんど魔性植物にとって代わり、人間に襲いかかる。特にこの東の魔の森イーストウッド地域は凶暴性魔性植物が多く、何人もが命を落とした。この緑の砦も僕一人が管理をするだけで、ここに来て干渉しようとする上部の人間もいないほどだ。僕がミヤに頼んだのも、断られることを前提にしたことだった。ミヤにはこの世界の事情など関係のないし、何のために自分の命を危険に晒さなければならないのか、考えればすぐ答えが出るだろう。


 ただ、僕が。ミヤを離したくない。一緒にいたい。甘えだとわかっているし、頼ってはいけないと思ってもいる。住む世界が違うのだ。なのに彼女の存在がどんどん僕の中で大きくなって溢れ出してくる。心地よいハーブの香りのように、すっと心に染み込んで離れない。


 あの男が現れなければ、こんな感情に煽られて取り乱すこともなかったはずだ。無防備にあいつの腕の中にすっぽりと囲われたミヤを見たら頭に血が上って、子供みたいに張り合ってしまった。ミヤの世界に住んで、自信にあふれたあの男。どんな過去を共有しているのか、どんな仲なのかなんて考えたくもない。


 ミヤはあの男を選ぶのだろうか。


 僕に通じるあの扉を閉めて、二度と会えなくなるのだろうか。


 そんなことは、させない。


 そんな感情が一瞬頭によぎって、バカなことを口走った。


『僕の店で、働いてくれないか』


 言い訳もいろいろ言ってみたが断られると思ったのに、ミヤは一瞬驚いてから笑って、わかったと答えてくれた。信じられなかった。彼女はわかっているのだろうか。命を危険に晒していることを。僕の言葉の裏にある気持ちを。


 そのあとで、彼女の言った『緑の砦改革』には耳を疑った。


「ここを緑の砦にふさわしい場所にしましょうよ!」

「何をする気だい?」

「文字通り、緑でいっぱいにするんですよ」

「緑でって。ミヤ、ここは植物が一番危険なんだよ」

「大丈夫ですよ、精霊がいますから!」


 ミヤが持ってきた植物は、すべて空気清浄や除菌消臭などの効果があるらしい。そういえばこの間もそんなようなことを言っていたっけ。聞いたこともない名前の植物だったから聞き流していたが、まさか本当に持ってくるとは。


「アロエベラは怪我にも効くんです。肉厚の葉は中身を食べることもできるし、傷口に塗れば殺菌効果もあります。だからこれはお店の周りに植えて、と」


 店の入り口に植えると、元は小さなアロエベラも精霊の力を借りてすぐ巨大になった。

 これはクラブドラゴンのようで、もしこれが魔性植物になったらと思うと少し恐ろしい気もするが、そんなことは思っても口にできない。おとなしくここでじっとしていてくれることを祈るしかない。


 そしてサンスベリアという植物もまた毒性の高い魔物のスネークアローを思わせる容姿で、毒々しくねじり上がった縞模様の先の鋭い植物。


「本当に大丈夫なのか」


 さすがに不安になりミヤを見れば、グッと親指を上げてがっつり笑った。この顔に文句を言える奴がいれば、見てみたい。彼女は不意打ちでこの笑顔をよく見せる。それがどんな威力を持つか全然気がついていないようで、こちらはいつでも構えていなければ簡単にノックダウンされてしまう、最強の技だ。


 本当に彼女が聖女だとしても僕は疑わない。彼女ならきっとこの笑顔で魔物すら浄化させるだろう。


「サンスベリアはとても丈夫で過酷な環境でも割と育ちやすいんです。アロエほどの薬草効果はありませんが、疲労回復効果と空気清浄効果があるんです。室内でも育ちますが、まずは転移ポイントからお店の入り口に植えましょう。そうすれば、討伐隊の人が転移ポイントからお店に入るまでにすっきり爽やかになるかもしれません」


 そう言ってミヤが転移ポイントの入り口にサンスベリアを植えるとすかさず精霊がそれを成長させ、ミヤがまた株分けをしてどんどん道を作っていく。サンスベリアは上へ上へとねじり上がり、3メートルほどの高さの生垣になって店と転移ポイントを結ぶ道になった。


 言われれば、この植物のトンネルは清々しくヒンヤリする。


「さてと。ここまでは大きめのプラント中心でしたけど、これだけだど寂しいのでお花も植えようと持ってきたんです。これはお茶にもできるしきっと役に立ちますよ」


 そう言ってミヤは小花の苗をいくつか箱から取り出した。


「これはカモミールって言って、免疫力を高めたりリラックス効果が高いんです。摘み取った花は乾燥してお茶にできます。それからこれは、アロマティカスと言って…」


 彼女の頭の中は薬草という薬草でいっぱいだ。まるで物語に出てくる始まりの魔女のようだ。薬草にも食材にも精通している。それともあちらの世界はみんな彼女のようなのだろうか。


 どんどん植物を増やしていくミヤはとても生き生きしていて、まとわりつく精霊がミヤの玉のような汗を掬い取っては空気に散らしているのが、キラキラして眩しい。


「アロマティカスは火傷などの炎症に効くらしいです。日本ではアロエの方が知られていますけどね。これはグランドカバーにしましょう。クルトさんはどこら辺で朝練をするんですか?」

「特に場所は決めていないけど、素振りとストレッチは中心であとは周囲を走りこんだりしてるから」

「なるほど。運動場と同じですね。それじゃ、ランニングスペースは大きめにとって、アロマティカスはピースリリーに沿って中心を避けて…」


 そうこうしているうちに、ミヤは緑の砦を本当に緑でいっぱいにしてしまった。


 爽やかな香り、少し甘い香り、香ばしい香り。


 ここは本当にさっきまでいた場所と同じところなのかと疑うほどだ。その中心にミヤは居て、僕は眩しくて愛おしくて涙が出そうになった。


 その後、ミヤは店内に入り、店の中も植物でいっぱいにした。目まぐるしく変わる風景とむせかえるような花の香りに、軽い目眩を起こした僕を心配して顔を覗き込んだミヤを捕まえて、気がつくと僕はその小さな赤い唇に吸い寄せられるように、軽く掠めるようなキスを落としていた。


 しまった、と思ったが既に遅かった。


「…すまない」


 顔を見れなくて、僕は顔をミヤの肩に埋めて抱きしめた。心臓の音がばくばくと響く。


 逃げないでほしい。怒らないでほしい。


 そう思いながら、ぎゅっと目を瞑って突き放される時を待った。でもミヤはそっと僕の背に手を当てて、ポンポンと赤子をあやすように叩くと「大丈夫」と何度も言った。


 どういう意味だ?


 大丈夫?


 僕を受け入れてくたということか?


 それともキスをしたことを気にしていないということか?


 顔を上げると、ミヤは耳まで真っ赤にして苦笑した。


「食堂に出すメニューは考えてくるね」


 そう言い残して、ミヤは走り去ってしまった。




 *****




 顔が熱い。


 ミヤコはクローゼットの扉を閉め鍵をかけて座り込んだ。


 唇が触れた。


 ほんの一瞬だったけど、クルトさんの唇がわたしの…。


「うわあああああ!」


 顔を両手で塞いで雄叫びをあげて、ミヤコはぱたっと横になり膝を抱え込む。


「十代の小娘じゃあるまいし!キスなんかいっぱい聡としてるし!それ以上もしてるし!」


 …すまないって何?


 キスして、すまない?


 それともアクシデントで唇触っちゃった、すまない?


「なんで、謝るのよ!!」


 バンバンと床を打ち付けるが、答えは出ない。

 心臓が口から飛び出してきそうだ。


「自分がこんな乙女反応するとは思いもしなかった。イケメン、怖いな」


 ドキドキが落ち着いて我に返ったミヤコは、肌寒くなってきたのでふらふらと立ち上がり、風呂に入ることにした。ミヤコが一番落ち着ける場所。今日はラベンダーよりもローズオイルを落として温まろう。それからお酒を飲めばゆっくり眠れるし…と考えて気がついた。


 酒がない。


 買いに行かなければならないが、酒屋には俊則がいる。どんな顔をして会えばいいのか。


 大体なんで鈴木君はあんな風に挑発したんだろう。そうでなければ、クルトさんだっておかしな気分にはならなかっただろうのに。友達を仕切り直すつもりでって言ったくせに。「俺とミヤコの仲だ」なんて言っちゃって。誤解されるじゃない…。いや、待てよ。誤解されたって別に、関係ないじゃない。


 恋人同士でもないんだし。


 別に…。


「今日は酒の気分でもないか…」


 ミヤコは諦めて、風呂に入った。メニューも考えるとクルトに言った手前、朝食、昼食のメニューはいくつか考えるべきだろう。はあ、と今週何度目かのため息をミヤコはついた。

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