第20話:ピースリリーの反乱

「これは…わたし一人では、どうにもならないかも知れない」


 目の前に広がるのは林と化した畑の野菜たち。ほんの3mくらいの長さの三うねの畑の野菜が家の屋根を追い越す勢いで伸び上がり、トマトがリンゴの木のように実り、きゅうりはヘチマかと思うほど。ナスも、ピーマンも鈴なりに実をつけて出血大サービスだ。


 土壌の栄養配分はどうなった。


 気になったジャガイモもカボチャも一個で何人分のシチューができるのだろうと思うサイズだ。


「これ、わたしにどないせえっちゅうんじゃ…」


 思わず、祖母がよく使った言葉を吐いてしまう。


「クルトさん、呼んでこよう」


 ミヤコは慌てて家の中に戻り、ドアの鍵を回した。


「あ、しまった。お線香とお供えを先に…」


 そうじゃなければ異世界への扉は開かない、と仏前へ戻ろうとしたが、開いたドアの先には階段があった。


「あ、あれ?」


 なんで?何で通じてるの?朝のお線香とご飯のお供えがまだ効いてる?念のため頭だけ突っ込んで様子を見る。いつも通りの食物庫のようだ。


「クルトさーん」


 呼んでみるが返事はない。


「日曜日だからな。休みかな?」


 そろそろと中に入ってみたが、誰もいないようだ。


「お店の方かな?」


 昨日のこともあったので、誰かの気配を感じたら速攻で逃げようと恐る恐る食堂のドアに近づいたが、店内は静まり返っているようだった。クンクンと匂いを嗅いでみるが、瘴気の匂いはない。そっと食堂のドアを開けると、一瞬何が起こったのかわからなかった。


 そこはジャングルだった。


「えっ?何?」


 ふと足元を見ると、にゅるにゅると何かがうねっている。


「ヒエィ!?」


 一瞬、蛇かと飛び上がったがそれは蛇でもミミズでもなく、根っこだった。目に見える速度で育っているピースリリーの根株からは大量の葉が食堂を埋める勢いでどんどん生え伸びて横に広がっていく。


「な、な、何が起こってるの!?」


 一瞬小人になった気になった。茎の太さがミヤコの腕ほどもあるピースリリー。その茎の隙間を掻き分けていくと、光の粒があちこちで飛び跳ねているのが見えた。


「もしかして精霊?」


 ミヤコが声に出して言うと、ピースリリーが成長をピタリと止め、光の粒も動きを止めた。目があるわけでも顔が見えるわけでもないのに、ミヤコは彼らがミヤコを見ていると感じた。


 ごくり、と唾を飲み込む。


「精霊さん?」


 ふわふわと光がミヤコに近寄ってくる。


「どうして、こんなことに、なってるの?」


 光がピタリと動きを止める。言葉に表すなら「ぎくっ」といったところだろうか。


「元に戻してちょうだい」


 ざわざわと光が動く。


「こんなの、お願いしてないよね。クルトさんにも迷惑でしょう。元に戻しなさい」


 1、2、3、と数えたが光はわたわたと動いているだけだ。


「………刈るわよ」

 

 ミヤコが声のトーンを落とすと、部屋の温度がスッと引いた。


 キャーーーーッという言葉がぴったりの動きで精霊たちは一斉に飛び回りピースリリーはあっという間に通常サイズに戻っていく。その数は床いっぱいに広がり減ることはなかったのだが。


 花盛りのピースリリーの絨毯の中にクルトがうつぶせで倒れているのが見えた。


「ク、クルトさん!」


 ピースリリーには毒性がある。部屋におけば、空気中の毒を吸い取り浄化してくれるこの植物も人間や動物の体内に取り込めば毒になるのだ。中毒性もあり肝不全を起こす可能性もある。ましてやこちらの人にはどんな副作用が起こるのかわかったものではない。精霊たちがどんないたずらをしたのかわからないが、まさか口内摂取をしたのではあるまい。


 ミヤコが慌てて近づくと、クルトが薄眼を開けた。ミヤコを見たクルトは力なく微笑み、ミヤコに手を伸ばした。


「ミヤ…」

「クルトさん!しっかりして!大丈夫?」

「精霊が…」


 ミヤコはクルトの手をしっかりと握りしめる。クルトの手はひんやりとして力が入っていない。ヒューヒューとクルトの喉から息が漏れる。


「あんたたち、クルトさんに何をしたの!?」


 ミヤコが限界の力を込めて、怒りを爆発させた。


 ピャッと光の粒はどこかに隠れ、食堂がビリビリと揺れ、まるで波紋のようにミヤコの怒りは広がっていった。ジュジュッという、何かが焼けた音がどこからか聞こえて来る。


「ち、ちが…うんだ、ミヤ。彼らは、助けて…くれた」

「えっなに?」


 プルプルと震える腕でクルトが指差す方を見てみると、窓の外に食堂から逃げ去ろうとする植物の群れが目に入った。毒々しい紫の斑点をつけた植物が黒いガスを吐きながら逃げていく。


「ビャッカランの…群れが、結界を破って…」

「ビャッカラン…」


 どこで聞いた植物だったか。クルトが以前、言った…


「毒の…!」


「ミヤの、植物と、精霊が、守ってくれた、から、」


 ミヤがはっとして周りを見ると、おどおどとした光の粒がこちらの様子を伺っていた。


「ご、ごめん!私勘違いして。みんな、助けてくれたのね」


 精霊たちはポワッとまた現れてクルトの周りに漂いだす。ピースリリーは、今度はゆっくりと根を伸ばして広がっていった。


「クルトさん、待ってて!」


 ミヤはバッと立ち上がると、自宅へ走って戻っていき、昨夜、仏前に供えた桃のチューハイを手に取った。


「おばあちゃん、ごめん!クルトさんに必要なの!おすそ分けしてね!」


 これが確か毒に効いたと言っていたよね。とミヤコは思い出しながら、今度は除菌スプレーの液剤を入れた大きなバッテリー式ポンプを一つ持ち出した。これには原液が入っていてスプレーの10倍ほどの強さだ。


 いかにミヤコといえど、普段はこれをそのまま使うことはしない。満タンになるまで水を入れるとその濃度は5倍ほどに薄まった。それから庭の物置に走り、庭の雑草に使う予定だったニンニクと唐辛子、重曹と酢で作った除草剤兼殺虫剤を手にした。


「見てなさいよ!」


 きっと目を細めて、勇者のようにさっそうと駆け出すミヤコ。食堂に戻ると、クルトは座り込んでキラキラ輝く精霊に囲まれていた。幻想的なシーンに思わず惚けてしまったミヤコだったが、すぐ我に戻り、カシュッと開けたチューハイをクルトに渡す。


「効果を試しながら少しずつゆっくり飲んでね」と言い、外に通じるドアに向かった。


「ミ、ヤ…!どこへ…!」


 まだ毒のせいで声にならないクルトに向き直ると、グッと軍手をはめた親指を突き出した。ミヤコは除草剤と除菌剤の原液を5倍程度に薄めたポンプを肩に担ぎ、作業用マスクを掛け、ゴーグルで目をかばう。


「精霊さん、私が外に出たらすぐドアを塞いでね!除草剤はあなたたちにも毒だから!」


 そう言って、ミヤコは勇敢に外に出た。


「この、身の程知らずの毒草め!!思い知れ!」


 すでに壊れた結界の隙間から逃げ出そうとするビャッカランの大群。


 先ほどのミヤコの怒りの際、放出された怒気に触れ蒸発した仲間を目の当たりにして、危険を感じ取ったビャッカランは我先にと逃げ出した。


 だが、ミヤコの怒りは静まらない。


「覚悟しなさい、白虎団!!!」


 白虎団ではなくビャッカランなのだが、言い間違えたことにすら気がつかないほど怒りを露わにするミヤコは、容赦無くホースを手に持った。


 ブシャアアア!


 ホースから噴きだされる濃度5倍の除菌剤と、もう一方の手に持った除草剤がミヤコの怒りの気に乗ってあたり一面に振りまかれた。液に触れた途端、ジュウッと蒸発するビャッカラン。一雫でも当たれば体内に吸い込まれ、中から発火させていく。その青い炎は焼くのではなく、体内の水分という水分を蒸発させ、風化させる威力だった。


「逃げるなあああ!」


 ミヤコの怒りは留まるところを知らなかった。


「掃除婦をなめるなよーーー!!」


 うおおおおっと女子らしからぬ雄叫びをあげて、ミヤコは逃げ惑う瘴気植物を追いかけ回した。


 汗だくになって、ポンプが空になり息も上がってきたところで、ようやくミヤコの怒りが収まり、クルトのことをようやく思い出したミヤコはフラフラと食堂へ戻っていった。


 ビャッカランが動く気配はもうすでにどこにも見当たらない。


 ミヤコが戻ると、食堂はピースリリーの花畑になっていた。呆然と突っ立ているクルトがミヤコを見つめる。


「クルトさん、容体はど、わっ?」


 二ヘラと笑って全てを言い終える前に、ミヤコは体の自由を奪われた。目をパチパチさせ、一拍おいてようやく自分がクルトに抱きしめられているのに気がついた。自分の体とクルトの体の間に挟まれたスプレーボトルがちょっと痛い。


「どうして君は…!」

「すみません」

「なんで謝るんだ!」

「え?えと、すみま…」

「謝るのはこっちだ!」

「あの…」

「…すまない!」

「いえ、はい」


 クルトはぎゅうぎゅうミヤコを締め付け、離そうとしない。どくどくと早い心音がミヤコの耳に届いた。


 ああ、心配させたのかな。


「クルトさん、ちょっと痛いので、離してもらえますか。スプレーボトルがここ、食い込んでまして」


 はっと我に戻ったクルトがそろそろと力をつるめ、咳払いをした。


「わ、悪かった」


 ふわりと風が舞い、ミヤコの服にまとわりついた瘴気が浄化される。クルトの魔法だと気がつく。


「クルトさん、もう大丈夫そうですね。よかった」

「ああ。ありがとう。…あの毒消しは例の?」

「はい。桃のチューハイです」

「あれは君が作ったのか?」

「いえ、普通にお店で買いました」

「そうか…」

「あ、でも。ひょっとしたら加護が付いてるかもしれません。今回の祖母の仏前に供えてあったものなんです。全部飲みましたか?」

「いや、半分ほど…あとは精霊たちが」


 二人が振り返って見ると、桃のチューハイは光に集られて缶も含めて跡形も無くなっていた。

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