第19話:不安定な想い

 じっと背筋を伸ばして立ち、クローゼットの先を見つめるミヤは、小さくて細くて、今にも折れてしまいそうなのに強い。この確固とした強さは、この華奢な体のどこから出てくるんだろう。


 クルトはミヤコを斜め後ろからまじまじと見つめた。


 あんなに恐怖を瞳に映していたのに、今はそんな気を微塵も見せない。ふんわりした薄い虹色の気を纏い、じっとその先を見つめている。ふと、今日はいつもと違って赤いミニワンピースを着ているのに気づく。そこから覗いた足は黒いタイツに包まれているが、形良く体を支えている。


 くるんと巻きあがった長い睫毛がアーモンド型の目の周りを囲み、黒い瞳はより凛として見える。泣いたせいで、瞼が少し腫れぼったいが、それがクルトの庇護欲を掻き立てる。きゅっと一文字に結んだぽってりした唇にはほとんど落ちているが、淡い紅が引かれていて…。


『…クルトさんのことは、信じますから』


 クルトはその言葉を反芻して、頬が熱くなるのを覚える。突然湧き上がる独占欲。


『あのクローゼットからこちらに来るのは、クルトさんだけですよ。今までも、これからも』


 抱きしめたい。


 思わず本能のまま動きそうになる手を無理やり抑え、ぎゅっと拳を握る。食物庫の床で壊れた植木鉢の破片を黙って拾い集めたミヤコは、箒を取ってきますと言って廊下に戻っていった。


 はあ、と深く息を吐き、精神統一を図る。


「傷つける気は毛頭ないと誓ったじゃないか…」


 クルトは口の中で小さく呟いた。そばにいてくれるだけでいい。


「クルトさん?」

「あ、うん、なんだ?」


 いつの間にか戻ってきたミヤコがちりとりで床に落ちた土を集め、ミヤコの部屋から持ってきた別の鉢にピースリリーを植え直していた。


「あの、大丈夫ですか?色々あったから疲れました?」

「いや、僕は大丈夫だよ。ミヤの方こそ…」

「そういえば、さっきの人…まだお店にいるのかしら」

「ああ、そういえば。忘れてたな…」


 そういうと、クルトは店のドアを開けた。アッシュは暖炉の前で肘を両膝に置き、両手で頭を支えて座っていた。


「あ…。さっき植木鉢、頭にぶつけちゃったから結構痛かったかも」


 どうしよう、とミヤコは少し心配をしてクルトの後ろから頭をひょっこり出した。


「いや、あれは頑丈だから。…おい、アッシュ」


 アッシュはのろのろと顔を上げ振り返ると、ミヤコの顔を見て目を見開いた。ガタッと席を立つと後ずさり、逃げ場を探す。警戒心丸出しで明らかに怯えている。


「あっ…」

「さ、先程は大変失礼をした!乱暴なマネをしたことを謝る!」


 ミヤコとクルトは顔を見合わせた。


「アッシュ…」


 クルトが一歩前に出て声をかけるが、アッシュは一歩下がった。


「…」

「…」

「あの…」


 ミヤコが声をかけると、アッシュはビクッと飛び上がり背筋を伸ばした。


「お前、どうした?」

「な、なんでもありません!」


 頭強く打っちゃったんじゃ…。


 ミヤコはオロオロして、クルトを見た。


「アッシュ。さっき、お前の体内を駆け巡ったのは、浄化の気だ。別にお前に呪いをかけたわけでも、毒を這わせたわけでもないから安心しろ」


 呪い!?毒?そんな心配してたの!?


 ギョッとするミヤコの心情をよそに、アッシュはクルトの言葉にハッとしてパタパタと自分の体を触る。そうして気が抜けたようにがっくりと膝を曲げた。


「あれが…浄化…」

「お前のミヤに対する対応に精霊が怒ったせいで、強い冷気を当てられたがな。ミヤは精霊の加護を受けて、植物を使い聖女に似た力を発揮することができるんだ」

「えっ?」


 ミヤコも驚いて、クルトを見る。クルトはふっと笑顔を見せてうん、と頷く。


「ミヤは僕が精霊を使って植物を成長させると思っているだろうけど、あれはミヤについている精霊なんだ。僕は少し力を使って精霊が君に見えるように促していただけで、アレはミヤのためだけに動いているんだよ」

「そ、そうなの?」

「この鉢植えにも精霊が付いてたから、君を脅かしたアッシュと僕に強烈な浄化の力を吐きつけた。それで、アッシュの体内に溜まっていた瘴気が一気に浄化されたんだ。アッシュは討伐から帰ってきたその足でここに来ていたから、かなり瘴気が溜まっていたんだと思う。一種のショック症状が出たんだよ」


 ええ、信じられないとミヤコは小さく呟く。


「ミヤが、この鉢植えをここに置いておくだけである程度の気は浄化されると思う。ちなみに、食物庫に入れてあった素材が活性化してね。ずんぶん新鮮になっていたよ」


 クルトは思わぬ相乗効果だったと言って、いたずらっぽく笑っている。


「明日の食事が楽しみだよ。どんな効果が出るかな」




 *****




 その夜遅く、自分の部屋に戻ったミヤコは布団で今日起こったことを思い返していた。


「私に精霊が付いてるって…どういうことだろ」


 そりゃあ子供の頃から園芸はおばあちゃんに教えてもらって好きだったし、たいていの植物は死なずに育った。ハーブで作ったものは効果が高くて質がいいと言ってよく売れているのも確かだ。最近始めた養護施設の食事も美味しいと言って残さず食べる人が増えたと教えられた。

 

 栄養士としての力量だと思っていたけれど違うのか。


 でも。


 その精霊はどこから来たの?わたし達に見えないだけで本当はこの世界にいるの? 


 それにあのドアは?クルトさんはあの結界はわたしが作ったと言った。わたしが招待しない人は結界があるから入れないと。


 でも、あのドアは鍵だけでは繋がらない。あれは、おばあちゃんのお線香とお供え物をして初めて開いたのではなかった?あの鍵も精霊も、おばあちゃんと繋がっているのではなくて?わたしと異世界の繋がらなければならない理由は何?偶々あの世界とわたしが同じ軸の上にいたから繋がった?それとも科学では説明できないこと?それとも、わたしとクルトさんに、関係がある?


 ミヤコはそこまで考えて、かっと赤くなる。


 いやいやいやいや。何考えてるの。


 ミヤコが布団の中でゴロゴロしていると、ピーンとケータイがメッセージの着信を知らせた。


『もう寝てる?』


 俊則だった。すっかり忘れていた。


『まだ起きてるよ。寝るとこ』

『俺は今、目が覚めたところ』

『寝てたの?』

『酔ってたからな』

『あ、そうだった。吐かなかった?』

『大丈夫だった。ww 明日ヒマ?』


 ミヤコは、はたっと気がついた。

 

 ああ。これは、ダメだ。今のわたしは、まるで聡と同じじゃない。クルトさんと鈴木君の間で揺れ動いてる。鈴木君は既に気持ちを聞いてるけど、クルトさんは…。


 クルトさんはわたしをどう思っているんだろう。

 

 出会って早々、『ミヤの作るものが食べたい』とか言われたし。でもあれは、好きとかそういうんじゃなくて。何かとわたしの力が役に立ってるからであって。


 でも待って。


 わたし、恋愛はしばらくいいとか結婚は考えてないとか言って、どっぷりはまってるんじゃない?

 

 ミヤコ、しっかりしろ!恋愛脳は今はいらん!


『ごめん。明日はムリ』

『そうか。じゃあ平日?』

『火、木、土曜の夕方からなら』

『わかった。また誘う』

『ありがと。おやすみ』

『おやすみ』


 月水金の夜は、クルトさんの食堂で掃除婦の仕事があるから予定は入れないでおく。火木土は昼間養護施設の仕事。日曜日はわたしだけの時間だから、予定は入れたくない。

 

 鈴木君に今度会うときは失礼のないように、ちゃんと今の気持ちを伝えよう。



 *****



 夢の中で、幼いミヤコは黄金の草原にいた。


 昔おばあちゃんと一緒に来たどこまでも続く広い金の草原。金色の光がふわり、ふわりと宙を舞う。おばあちゃんが口笛を吹くと、光が踊りながら集まってくる。ミヤコも真似をして口笛を拭こうとするがスカスカと音が漏れるだけで、口笛にならない。おばあちゃんが笑って「ミヤコは歌を唄えばいいよ」と言う。それならミヤにもできるね、とわたしも笑って歌を唄う。軽やかに、声高く。天まで届けとばかりに両手を広げ、大声で。歌い終わって振り向くとおばあちゃんが笑顔で、とわたしの頭を撫でた。

 

 金色の光は、あたり一面に広がって、金色のシャワーのようにミヤコに降り注いで、だんだん光に風景が馴染んでいく。おばあちゃんの顔も光に包まれてぼやけていく。


「ミヤコ、あなたが………なったら………」


 おばあちゃんが何か言ったが、声が遠くて聞こえない。一生懸命聞こうとするが光の粒が大きくなって、そして光と一体になって、何も見えなくなった。



 ミヤコが眼を覚ますと、もうお日様はかなり高く上がっていた。


 なんだか懐かしい夢を見たような気がするが、よく覚えていない。キラキラの光に滲んで全てがぼやけていて、覚醒するにつれどんどん薄くなって行き、歯を磨き終える頃には何も覚えていなかった。


 祖母の仏前にご飯を備え、線香をつけてリンを鳴らすと、庭仕事の準備をする。時間は10時を過ぎていた。昨日とは打って変わって今日はいい天気で、暖かい。庭仕事日和だ。


 今日は、コンポストとビニールハウスの相談に近所の農家に行くんだった。まずはビニールハウスのサイズを調べなくちゃ。


 ミヤコは裏に回って、畑とハーブ園を目の前にして呆然とした。


「最近、こんなのばっかり…」


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