第13話:君は聖女
「実は、君のことは国王に話すべきじゃなかったと後悔していたんだ」
握っていた手を離して、クルトはソファに深く座りなおした。ミヤコも離された手がすっと冷たくなるのを感じながら、ワインを持ち直しクルトの話を聞く体制に入った。
「君と話した後、僕はすぐに国王に面会を求めたんだ。視力が…ほとんど失明しかけていた視力が戻り魔力も戻った。毒素が体から抜けたことが嘘みたいで嬉しくて、聖女の力ですら直せなかったものが治った、と考えもなく言ってしまってね」
はあ、とクルトがため息をついたので、ミヤコも「ああ、それで聖女のプライドを傷つけたんだな」と理解した。
「僕の国の聖女は国王の妃でね。でも、聖女というのは純真無垢で神に仕えなければいけない。国王ですら、その、手を出してはいけないんだ。わかるね?」
「はあ。白い結婚とか言う奴ですね」
「それで、誰かに汚されるよりは王が保護をしたほうがより安全だということでね。その当時王はまだ若く、正妃がいなかったから聖女が正妃ということで落ち着いた。そのあとで、側室として実質の王妃を娶り全ては丸く収まったはずだったんだ」
ああ、これは、ダメな話なんだな。丸く治らなかったということなんでしょう。王様が手を出したか、聖女が乱れたか。
ミヤコはふんふん、と頷いて先を促した。
「しばらくして、実質の王妃だったカサブランカ妃が崩御して、王太子は聖女によって育てられた。その王太子が15歳になった年に、あのバカ…失礼、モンファルト王子が聖女を襲ったんだ」
「ええっ!?」
ナンテコッタイ。義母を襲う子供ってどうなの!?どういう教育をしたの?
「その、貞操は守られたらしいんだけど、それ以来聖女は集中力が欠けたというか、なんかこう守るべきものが変わったというか。とにかく、国のために聖女の力を使うよりも、自分の身を守るために力を使うようになってしまって」
「……まあ。気持ちはわからないでもないですね。」
「この数十年、聖女の瘴気の浄化能力が落ちてきていてね。神官たちも頑張っているんだが、20年ほど前に魔性植物の方が活発になって
「えっ。クルトさん、討伐隊員だったんですか」
討伐隊って、魔物ハンターってやつですよね。危ない仕事なんですよね。あっ体調崩していたのって、もしかしてそのせいだったのかな。
「討伐隊長だった。ビャッカランの毒を受けるまではね。それで隊を脱退したんだ。視力が落ちて魔法も使いこなせなくなったから仕方がない。それから3年ほど、ここで食堂の経営をしながら薬の研究をしていたんだ」
どこか苛立たしく、吐き出すようにクルトは続けた。
「だけど、それはそれでよかったんだ。聖女の力が弱ってからそれまで魔法と彼女の力だけで医療が進んでいて、薬草については忘れ去られていた。薬草を探すのも育てるのも時間がかかるし何より魔性植物の瘴気にかかったら全滅するか魔性植物になるかだったから。でも昔の人は薬草を使っていたし、ポーションも作っていた。
その調合方法を調べるのに何年もかかってしまって。なんとか回復薬は作れるようになったんだけど…解毒剤は無理だった。僕の毒はすでに全身を廻っていたし情報が少なすぎたというのもあるけれど、何せ片目は使えないし、体力もかなり落ちていたからね。本当にもうダメだと思った。ミヤのあの飲み物は本当に僕にとっては奇跡だったんだ」
そこでクルトは顔を上げて、ミヤコを見据えた。
「ミヤの知識は、僕にとってとても大事なことなんだって解ってもらえたかな?」
「はい…まあ。でも聖女は無理ですが」
「時々でもダメか?」
「…あの、聖女って純真無垢じゃないとダメって言いませんでした?」
「うん?」
「えっと、わたし、純真無垢じゃないんで」
「…えっ」
「…えって…ええ、まあ」
「す、すまない。ちょっと不意打ちを食らった」
「ええ?」
「ミヤはその、まだ16かそこらだろう?」
ああ、そうきたか。
異世界人にとっても脅威のアジア人の奥義『見た目若くて年齢不詳』。西洋人でも騙されるアジア人の容貌は異世界人にも通用したのか。
「わたし、25歳です。ついこの間まで、結婚を前提に付き合っていた人がいたんで。処女じゃないんです、あいにく」
クルトは大口を開けたまま、真っ赤になって硬直して何も言わなくなってしまった。暴露してから、恥ずかしくなったミヤコはちょっと不機嫌に顔を赤らめて、横を向いた。
「…相手が二股かけてて。向こうの女の家族が、権力を奮って彼に将来の仕事を斡旋したので、向こうの女と結婚するからってことになって。もういいや、と思ってとっとと実家に帰ってきたんです。あんな節操のない男は、こちらからも願いさげでしたから。ここは祖母の住んでた家で、わたしも昔はここで育ったんですよ。こんな扉があるとは、思いもしませんでしたが」
一気に言ってしまうと、何だかすっきりした気分になったので、ミヤコはもう一口温くなったワインに口をつけた。
「なので、聖女は無理ですよ。でも、食堂のお掃除くらいならお手伝いできますけど?」
ミヤコがそう付け加えると、その機会を逃す手はないと思ったのかクルトは我に返って嬉しそうに目を輝かせた。
「それでは、契約を結ばないか?タダ働きとは言わない。給金…は価値が違うかもしれんな。僕もこちらで手伝えることがあれば手伝うというのはどうかな。僕は精霊と意思の疎通ができる。ミヤのハーブ園の育成を早めたり、加護をつけたりのお願いもできると思う。それで作った例の除菌剤やら洗剤やらを使って、僕の店を掃除してはくれないだろうか。もちろん収穫は僕も手伝おう」
「それは助かります」
ああよかった、とクルトは余程気を張っていたのかどっかりと坐り直し、ぬるいワインを一気に煽った。
まあ、いわゆる掃除婦みたいなものだものね。あの悪臭をなくすためなら別に問題はない様にも思う。なんかよくわからない効果が付いてるけど、健康的にいられるなら、それくらい。
それに収穫に男手があると助かるのは本当だし、もう少しこのイケメンと関われると思うと…。
いいじゃん、それくらい。ねぇ?
「もう少し、ホットワイン飲みますか」
とミヤコが聞けば、にっこり笑って是非と答える。
ミヤコはキッチンに戻って、新たにホットワインを作り、ついでにつまみも、とグリッシーニにスパニッシュハムを巻きつけたものとピクルス、オリーブを持ってきた。
「ミヤにかかると、食べ物は魔法にかかったように美味しくなるな」
クルトは温かいワインを受け取ると、目の前に差し出されたつまみに目をむいた。
ミヤは留学で学んだことや、祖母から学んだことをかいつまんで話し、別れた恋人との経緯も語った。二人とも少し飲みすぎたのかも知れない。ミヤはすっかりくつろいで、舌もよく回った。クルトがウンウンと相槌を打ったり、眉をしかめて意見をしたり、一緒に笑ったりしたのでミヤもついつい話し過ぎてしまった。
その内、クルトもポツリポツリと自分のことを話し始めた。
「僕にも、婚約者がいたんだ。マリゴールドと言ってね、王族の娘だったからちょっと堅苦しいところもあったけど笑顔の可愛いしっかりした人でね。僕と同じ風の使い手だった」
ミヤコは小首を傾げ、頷いた。
「いた」ということは今は「いない」のだろうか。
「僕が毒にやられて、風魔法が使えなくなって…彼女も去っていったよ。僕らみたいな討伐隊員が魔法を使えないのは、無駄に等しいから。役立たずのレッテルを貼られて、彼女を幸せにすることはできなくなった」
「それは…辛かったね」
「それは、まあ……。でも、そのおかげで僕はゆっくり自分を見つめ直すことができた。世界の価値観もこの3年の間に変わったし…何よりも君に会えた」
クルトは揺れるワインを見つめ、フッと笑う。
「王に会いに行った時にさ、しゃしゃり出てきた聖女になんと言われたと思う?毒が抜けてよかったとか、討伐隊の皆は大丈夫かとかそんなことじゃなくてさ。回復したのならさっさと討伐隊に復帰しろ、だったんだよ。その上、討伐が終わったら、マリゴールドとの復縁も考えてやるだってさ」
あはは、とクルトは自笑する。
「クルトさん…」
「マリはもう他の男と結婚して子供もいるのにだよ。神殿にどっかり腰掛けて、聖女らしいこともしないくせに『男はみんな聖女を汚そうとしている』とか被害妄想にかられて表に出てこなくなって、挙句君を連れて来いとか…」
「ふざけるな、ですよねえ」
クルトの表情がだんだん険しくなってくるのを見て、ミヤは宥めようとその先をつなげて言う。思わず握りこぶしにもなってしまった。だが、クルトははっとしてミヤコの顔を見上げ、途端に表情がゆるゆると崩れ、泣きそうな顔で笑う。
「本当に、何度も言うけど。ミヤに出会わなかったら、僕は今生きていなかった。あの日の瘴気できっと…」
だから、とクルトは付け加える。
「ありがとう、ミヤ。君がどう言おうと、僕にとって君は聖女だ」
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