A LONG VACATION

Joyman

レコードに針を落とす

 区画整理された水面に輝くのは君のすがただけではない。内側から覗くタイルは空気の面に向かって光を伸ばし、鋭角60度でバラまかれた結晶が君の肌を照らす。遠影のビーチのトビウオたちは、夜毎昼毎バカみたいに飛びはねており、その騒ぎはいずれ全天を覆って雨を降らせるのだろう。この世の営みは僕よりも歩幅が広く、追いすがろうとしても、とうとう背中さえ見えなくなってきた。


 ハワイ、1982年6月。ホテル備えつけの使い古されたスピーカーから「君は天然色」が流れている。


 君の名を呼びかけると、必ず君は少し首を傾げて、なあに、と返す。

 あなたのいう君は本当にあたしなの?と、問いかけるように大きい瞳で僕を見つめてから少しだけはにかんで、

「なあに、」

といった調子なのだ。ワイキキに燦々ふりそそぐ愛に身を投げだして毎日、時々身じろぎしながら眠る君の肌はあい変わらず真白で、梳いた髪の黒だけが弱々しく息をしているようだった。


 くすぐったそうに寝返りをうって、三年ぶりの動作です、というふうに立ち上がった君は、突然僕を現実に引き戻すかのように、

「このままでいいの?」

と言った。既にアルバムの何曲目かが終わり、「カナリア諸島より」が流れ出していた。

「もう休職して何ヶ月よ、私のことなんて放っておいてもいいのよ?」

「君とできるだけ一緒に居たい。」

逡巡する間もなく出た言葉に自分が驚いていた。

「ハワイなら東京にも福島にもないものがあるだろう?だって、ここに来てから君は安定してるじゃないか。そうだろう、僕も…」

「やめて」

君の人差し指が僕の口にすっと添えられた。

「あなたは何処までも飛べるはずよ、あたしさえいなければ、そうでしょう、でしょ、あたし、ねえ答えてよ!」

一息じゃいい足りず咳き込む君の息をとめるようにきつく抱きしめた。エゴだ。

「やめてよ…」

そう言いながらも君は弱々しく腕をまわす。

「このままで良いんだよ。」

「嘘ね、」

「本当、本当さ。そんなに僕、信じられないかな?」

「違うの、でも、怖いのよ、」

「何が?」

「幸せすぎて、麻痺しそうなの、全部、」

「じゃあこのままずっと抱きしめてあげるよ。」

「それじゃあ意味ないじゃない、」

そうして純粋そうに、涙の道あとに笑みをうかべられる図太さは芍薬に似ている。美しさに思わず手を離すと、真正面から見つめられる。殺したくなってしまう。僕も見つめ返す。君の真白な顔がすこしだけあかみがかっているのは、東空の隅にささる夕日のせいだけじゃないはずだ。いつの間にかアルバムは「さらばシベリア鉄道」に差しかかっていた。



   ○



 間近にみる花火は確かにすばらしいもので、スプラッター映画に出てくる血しぶきの様な生々しさがある。僕が十代の後半期をすごした1970年代はじめは、ゲバ棒を抱えて革命的に精液を交わし合っていた先輩方が、「毛沢東語録」をゴミ箱に放り、ビジネスバッグを抱えて就職戦線に飛び込んでいった時期だった。駅前の傷痍軍人もこの頃になるとめっきり姿を消し、先の戦争の残滓は日常から殆ど消え去っていた。広く深く静かに佇む太平洋の碧を朱に染めても冷めきらなかった熱情を振りはらった最後のひと押しが、あの鉄球だったのかもしれない。もはや血しぶきや飛び散る内臓といったものは、ブラウン管の四角形六つに押しこめられてしまった。あるいは、視界めいっぱいに迫りくる映画館のスクリーンか、いずれにせよ僕たちは、表皮の内側で息をひそめる本当の人間の姿を知らない。怖い映画は恋人と手をつないで見るものだ。


 「綺麗だね、」

「君のほうが綺麗だよ。」

何十回も繰りかえされた問答、様式美といえばロマンチックだ。少し厭きてくるものだが、火花が君の横顔を縁取るさまを見るだけで、そんな気持ちは吹き飛んでしまう。

「ん?」

そうして君は、お見通しだと言わんばかりに微笑みかける。バツが悪くて微笑みを返してしまった。

「永遠って信じる?」

「なんでまたそんなこと聞くんだよ。」

「私ってあと五年で死んじゃうんだよ?」

自分の顔で似顔絵をつくるように笑みを貼りつける君を見て、二の句が告げなくなってしまう。


「私が死んだらどうする?」

そう言ってころころと笑う。君が死んだらなんにも感じなくなっちゃうだろうな、ふわふわと思う。そうしていると、突如として君が死んだあとの世界が顔を出した。目の前の30×40センチ四方を切り取って、そこだけ色が底抜けしたようなモノクロの世界。花火がフレーム越しにしばたく。現実感が失われた血しぶきはまるでふるい戦争映画のようで、異様な恐怖感に襲われる。本当の恐怖は存在しない事そのものにあると知った。


 縋るように横を振り向く。君は全く悪びれないふうに座っていた。

「想像もつかない。」


 「つまんないの、」

僕の君は少し機嫌をお損ねになったようで、そっぽを向いている。頬をぽりぽりと掻いた。さっきのことを話したら、本当に君がいなくなってしまうんじゃないか、世界から色が失われたまますべてが混沌の中におとしめられ、僕は、どこかからそれを無感動に見つめ続けるだけで人生を終わらせてしまうんじゃないか、そう思って言えなかったのだ。それもまた、お見通しなのだろう。全く、敵わないな、ふわふわと思った。夜が更けていく。昼間の君と、真夜中の君にはそれぞれ違った美しさがある。夜空は、君をいちばん綺麗に彩る方法を知っているのだろうか。少し嫉妬してしまった。

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