第10話

静けさの戻ったスクールで、俺は課題に追われていた。


16の歳までに終わらせるべき課題が、まだ山のように残っていた。


17になるまであと半年だというのに、残りの課題は半分も終わっていない。


もちろん、これらの課題を次の誕生日までに、全て終わらせなければならないわけではない。


だけど、やるべき課題をやるべき時にこなしていかなければ、このスクールを卒業し、成人して世界から認められ、出て行くことが出来ない。


俺は2時間に及ぶ物理化学の個人テストを受け終え、チームの部屋に戻ってきたところだった。


扉が開き、中に足を踏み入れると、ルーシーがカズコの机に座っていた。


その視線は、ずっとニールの背中に注がれている。


「だから、レオンとカズコの心配より、自分のことを考えろって!」


そう言って、やや怒り気味に振り返った彼と、俺は目が合った。


「あぁ、ちょうどいいところに帰ってきた。ヘラルド、こいつにカズコたちの心配はいらないって、説明してやってくれ」


俺はため息をつく。


ニールはジャンたちと一緒になって、キャンプベースの役員が、遠隔操作で累積ペナルティを消した方法を解明するのに、一生懸命になっていた。


そんなことに時間を費やすくらいなら、最初っから警告を重ねないようにすればいいと思うが、どうもそういう考えは、彼らには浮かばないらしい。


ルーシーは俺の手を取ると、カズコの机の上に俺の手の平を押しつけた。


何度もぎゅうぎゅうと押しつけては、彼女の不在を訴える。


「カズコは、病院だ」


彼女は次に、レオンの机に引っ張っていく。


そして同じように、手の平を机に押しつけた。


「うん、レオンも病院」


ルーシーには、テレビ通信で何度かカズコやレオンとも話をさせている。


どうしてそこにいるのか、どうしてここにいないのか、それくらいは彼女にも分かっているはずだ。


だけど、何をそんなに訴えようとしているのか、それが分からない。


「いる、ほしい、どこ?」


突然の透き通ったその声に、俺は耳を疑った。


ニールも驚いた表情で、こっちを振り返る。


「どこ? ここ、どこ?」


彼女の手が、俺の手をカズコの机に押しつける。


「カズコのことを言ってるの?」


彼女はキャンビーの頭を叩いた。


モニター画面に、タッチパネルが表示される。


彼女はそこを指で押した。


いつの間に撮影したのか、カズコやレオン、チーム全員で写った画像が現れる。


彼女は、一生懸命にカズコとレオンを、交互に指差した。


「どこ? いる、ほしい!」


「あぁ、分かったよ、二人に会いたいんだね」


彼女は、何度も小さくうなずく。


「分かったよ、じゃあ、今から会いに行く?」


俺は、カズコとレオンを順番に指差し、それから教室の扉を指した。


彼女は急に神妙な表情になると、さっと立ち上がる。


どうやら、本当に行く気まんまんらしい。


「今から? すぐに?」


彼女はうなずく。


「じゃあな、行ってらっしゃい」


ニールは、やかましいルーシーからようやく解放されることにほっとして、にやにや俺を見上げる。


「お前も一緒に来いよ」


「イヤだね、俺は忙しい」


ニールはさっと背を向けた。


あらゆる病気や怪我、感染症に耐性の強いリジェネレイティブだ。


彼らの体を心配するような人間は、ここにはいない。


この二人に関しても、もうすぐ退院できるという連絡をすでにもらっている。


何も心配する必要はないのに、彼女にはそれが分からないから仕方がない。


部屋の扉の前に立ったルーシーは、こちらを振り返ってじっと待っていた。


俺は、ため息をつく。


「ちょっと待っててね、今から車を手配するから」


彼女はとてもとても、力強くうなずいた。


病院へ着くと、俺たちはすぐにカズコのいる部屋へと案内された。


ルーシーは、真っ先にそこへ飛び込んで行く。


「あら、本当にお見舞いに来てくれたのね、ありがとう」


カズコは静かに、ベッドの上に座っていた。


「もう大丈夫なんだろ?」


「うん、スクールの課題はこっちでも出来るし、何の問題もないわ」


介助ロボと看護ロボが、何もかもカズコの世話をしている。


レオンに至っては、ワザと退院を引き延ばして、院内のリラクゼーションルームで、ギターを片手に歌を歌っていた。


すっかりアイドル気取りだ。


ルーシーは心配そうに、カズコの手を握る。


そんな彼女に、カズコは微笑んだ。


「誰かにこうやって手を握られるのって、久しぶりのような気がする」


カズコもその手を、そっとルーシーの手に重ね合わせた。


リジェネレイティブは、現代に存在する3つの人種のなかでも、独特な経緯をもって産まれた種族だ。


かつて、医療技術が未発達だったころ、先天的な病気や障害、当時においては不治の病といわれた症状や怪我を負った人たちは、世界の片隅でひっそりと寄り添いあって生きていた。


彼らは彼らだけの優しい世界で生き、それでもたくましく子孫を繋いでいった。


そんな中で、遺伝的な病気、持って生まれた身心の障害、数ある遺伝的環境を乗り越え、健康に生まれ育った子供たちは、驚異的な能力を身につけていた。


その子孫は、どんな遺伝子エラーを抱えていても、それを発症させずに成長し、子孫を残し続けた。


やがて受け継がれていったその能力は、誰よりも病気や怪我に強く、不屈の精神を持ち、生命力の強い種族として確立される。


「誰かにこんなにも気にかけてもらえるなんて、うれしいものね」


カズコが微笑むと、ルーシーも嬉しそうに笑った。


リジェネレイティブの体調や怪我を心配するのは、明日はやって来ないかもしれないと、心配するようなものだ。


「そうだ、カズコ。ルーシーはここに来たいって、初めて俺たちにしゃべったんだ」


「まぁ、本当に?」


ルーシーは彼女の中にある感情を、どういう言葉で表現したらいいのか、的確な選択肢が思いつかないようだった。


彼女はしばらく両手を胸の前で、もぞもぞさせていたが、ついに何かをひらめいたらしい。


「いる、まつ、あっち」


ルーシーは、ふいに窓の外を指差す。


その仕草に、俺とカズコは笑ってしまった。


「ありがとう、早く元気になって、スクールに戻るね」


「カズコ!」


ルーシーはその両腕をカズコの首に回し、彼女に抱きついた。


ルーシーが、カズコの名前を呼んだ。


その思わぬ一言に、俺は驚く。


みんなの名前を、彼女は覚えたんだ。


カズコ自身も思わぬこの出来事に、動揺している。


「あ、ありがとうルーシー、ルーシーも、元気でね」


ルーシーの体調管理は、キャンプベースから支給されるキャンビーによって、毎日定時にチェックされている。


彼女だけじゃない、スクールの人間全員のバイタルチェックは、大切な日常業務のうちの一つだ。


誰でも閲覧できるそのデータベースがあることを、分かっていながら「元気でね」なんて、そんなおかしな挨拶が出てくる時点で、カズコのルーシーに対する驚き具合がよく分かる。


ルーシーは元気よく立ち上がると、扉に手をかけた。


そこから振り返って、カズコに手を振る。


「これはもう、帰るってことなのかな」


「そうじゃない?」


「じゃあ、帰るよ。カズコも、早く元気になれよ、待ってるから」


俺がそう言うと、彼女は赤らめたままの頬で、小さくうなずいた。


俺はルーシーと二人で、部屋の外に出る。


俺自身も、自分の顔の皮膚表面が紅潮していることが、鏡で確認しなくても分かる。


誰かに向かって誰かを思う意志を示すのに、こんなにも簡単な言葉で表現したのは、久しぶりだったかもしれない。


ルーシーは、出入り口のロビーにいたレオンにも手を振った。


彼は観葉植物の並ぶ広いロビーで、観客の前で弾いていたギターの手をとめ、こちらに振り返す。


そうか、言葉にしなくても、こんなことでもいいんだ。


俺たちは彼らを見送って、病院の外に出た。


目の前のロータリーには、自動運転の車が列をなして待っている。


その乗車口に向かおうとした俺を、彼女はあっさりと追い越していってしまった。


俺はその後ろ姿に声をかけ、呼び止めようとして、やめた。


今日は珍しく晴れている。


キャンビーを抱きかかえて、颯爽と歩く彼女の横に、俺も並ぶ。


「あぁ、ここから歩いて帰るのは、とても遠いよ」


彼女はちらりとこちらを見上げて、にっと笑った。


俺は一人で、くすりと笑う。


彼女が歩き疲れたら、頑張れって励まそう。


途中で休憩したっていい。


それでももう歩けないって言う時には、その時にはちゃんと俺が連れて帰ろう。


そうすれば、それでいいんだ。

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