第7話

俺は、ルーシーに視線を向ける。


彼女は川から少し離れたところに咲いていた、背の低い林檎の木の花に手を伸ばしていた。


「それに触れてはいけません」


彼女に付きそう、キャンビーから警告が発せられる。


ルーシーは驚いて、一度は手を引っ込めたものの、再びその手を、白い花に伸ばした。


「それに触れてはいけません」


キャンビーからの警告の意味が分からないのか、警告は警告として理解しつつも、植物に触れてはいけないという、行為を禁止されていることが理解できないのか、彼女はとても不服そうな顔をして、何度も何度も、それに触れようとしてはキャンビーに注意されていた。


そんなルーシーに、そっと近寄る。


「ここの動植物は全てキャンプによって管理されていて、採取にも許可が必要なんだ」


ルーシーは俺を見上げた。


再び伸ばそうとした手を、遠慮がちにおずおずと引っ込める。


林檎の花には、将来実が付く。


その栽培も、キャンプのロボットたちが全て生産の管理調整をしている。


ここに植えられている林檎だけではない、飛んでいる鳥も虫の数も、すべて調整されていた。


ルーシーは頬を紅潮させたまま、じっと花を見つめている。


彼女は、俺の顔を見上げては、その視線を花に戻すという往復運動を、ずっとくり返していた。


「どうしても、触ってみたいの?」


彼女からの返事はなかった。


言葉が不自由な彼女と、意志の疎通は難しい。ルーシーの手が再び白い花に伸びて、ついにキャンビーが、周囲に助けを求める警報音を鳴らした。


俺はすぐに彼女のキャンビーに手をかざして、その音を止める。


「大丈夫、君のキャンビーが壊れたわけじゃないんだ」


俺は、自分のキャンビーを呼び寄せた。


「3Dプリンターで、この花をスキャンして。触感重視で」


俺のキャンビーがレーザーでこの花の造形を取りこむのを、彼女は不思議そうに見ている。


「こっち、来て」


手招きの合図は、彼女にも理解出来るらしい。


俺は車に戻って、キャンビーから転送された立体造形を、プリンターから取りだした。


「はい、これなら触ってもいいよ」


俺の手の中にある、その合成樹脂で出来た林檎の花に、彼女はとてもうれしそうな顔をした。


差し出した手の平からそれを受け取ると、自分の髪に挿す。


ルーシーはくるくると回って、そのまま走り去ってしまった。


触りたかったんじゃなくて、欲しかったんだ。


俺はようやく、そのことに気がつく。


どうもそのあたりが、彼女とのコミュニケーションの取り方が難しいところだ。


意思疎通に、身体的要因で問題がある場合、今やそんなことは一切なんの問題にもならない。


彼らの意志を表明する方法は、いくらでも開発されているし、訓練もしっかり受けられる。


だけどルーシーにとって必要なのは、そういった類いのものではないのだ。


俺は彼女の、本当の気持ちを理解することが出来なかった。


そうするためには、どういった手段が必要なんだろう。


彼女は川に戻って、レオンとニールの仲間に入った。


小さな川で足元をすり抜ける魚に、一喜一憂している。


「ヘラルドにしては、気が利いてるじゃない」


カズコの横に腰を下ろすと、彼女はそう言った。


「そうかな、とてもそんな気がしない」


カズコが事前に予約したアユ、一人一匹で5匹の丸々と太ったのが泳いでいる。


それを全部捕まえたら、もう川に泳ぐ生き物はいない。


「今度は、果物の季節に予約すればいいんじゃない? リンゴとか。きっとルーシーも喜ぶわよ」


「俺の必須野外活動は、これで終わりだよ」


だから、これ以上のことを、彼女に対して何かしてやる必要は全くない。


彼女は彼女に与えられた課題をこなし、ゆっくりと成人していけばいい。


それが彼女へ与えられた人権であり、尊重されなければならない部分だ。


彼女は自分の意志で自分の行動を選択する。


俺が手を貸す必然性が、見当たらない。


彼女は彼女のままでいい。


川で遊んでいたレオンが、つかんだはずの魚を採り逃がして転倒した。


彼の右腕から肩から肘にかけ、ざっくりと切れ、血が流れてだす。


ここはできるだけ自然の風景を模した、学習用の公園だ。


通常の公園なら、安全に配慮した水路のような設計になっている川が、ここではごつごつとした岩肌が、川沿いにそのままむき出しになっている。


「レオン!」


すぐそばにいたニールが、水底に倒れたレオンを助け起こした。


膝丈ほどの水位とはいえ、大量の水を飲み込んだレオンは、激しく咳き込み、その場に倒れ込む。


「ちょっと、大変!」


「救急隊!」


俺の叫び声と、レオンの急変したバイタルサインに、その場にいた全員のキャンビーが即座に反応する。


警報音のなか、キャンピングカーから分離した救護ロボが駆けつけると、すぐにレオンの診断が始まった。


「大丈夫、俺、リジェネの遺伝子持ってるから」


流れ出ていた血液が、やがて自ら流出を停止した。


赤い傷口が、黄色みを帯びた傷口へと変わり、すぐにゼリー状に変化する。


レオンは、大きく息を吐いた。


「こういう時、この体は便利だよね」


リジェネレイティブは、その名の通り身体の再生能力や免疫力が高く、病気や怪我に強い体を持っている。


救護ロボの診断も、問題なしと出た。


モニターの画面に、ジャンの姿が映る。


「なんだよ、レオンか、驚かすな」


レオンが笑うと、ジャンは呆れたようにため息をついた。


モニター越しでも、そこからジャンが、ルーシーの姿を探しているのが分かる。


「お前らのチームは、いま何かと注目を集めてるんだから、大人しくしとけ」


ルーシーがこのチームに配属されたことは、瞬く間にスクールの人間全員に知られることになった。


なぜキャンプの人工知能が俺たちのチームを選んだのか、それは誰にも分からない。


だけど、注目を集めるルーシーの存在に、ジャンが気にならないわけがなかった。


彼はそんなことを一言も口に出してはいないが、彼女が自分のチームに入れられなかったことを、悔しく思っていることは間違いないと思う。


常に注目を浴びていたいのは、ジャンの持つ幼少期からの特性だ。


レオンが笑顔で手を振ると、彼からの通信が切れた。


ルーシーは、心配そうにレオンを見つめている。


「さ、お昼ご飯にしましょ、ニール、残りの魚も全部とって、調理機に放り込んで」


ニールは自分のキャンビーを使って、公園の管理機能を操作し、川の水を全てさらって魚を捕まえると、そのまま調理ロボに放り込んだ。


やがてそこから、魚を焼くいいにおいが漂ってくる。


ルーシーにも食べやすいようにと、骨を全て取り除いた切り身を、バターと香辛料で焼いたものが、オーブンから出てきた。


それを俺とカズコが皿に取り分ける。


「たまにはこうやって、外でみんなと食うのもいいな」


ニールがそう言って、みんなが笑った。


レオンも自分の怪我を気にしている様子もなく、ルーシーも楽しそうだ。


食事を終えてしまうと、本当にすることがなくなってしまった。


本来ならここで、討論のテーマを発表し、屋外でチームの交流を深めつつ、見識を深めるということになるのだが、言葉の理解が追いつかないルーシーがいる以上、そんなことは出来ない。


怪我をしたレオンは昼寝を始めてしまったし、カズコは読書の続きだ。


ニールは、自分のキャンビーを使って、何かのプログラミングをしている。


どこに行っても、いつもと変わらない光景だ。


ルーシーは、この小さな公園をあちこち見て回ったあと、川を越えて絶壁のそばに立ち、荒れた海を見ていた。


「海、が、気になる?」


俺はルーシーの隣に並んだ。


彼女は風に吹き上げられる髪を、両手で押さえた。


「ルーシーは、海からやって来たんだよね」


彼女は黙って、灰色の海を見ている。


「海は、好き?」


俺の言葉を、彼女はどこまで理解しているのだろう。


ちらりと俺を見上げただけで、彼女の目は相変わらすまっすぐに、前を向いていた。


海から吹き上げる風が、流れの速い雲とぶつかって渦を巻く。


何を話せばいいのだろう、どう言えば伝わるのだろう。


そもそも、俺はなにを伝えたかったのか、彼女からどんな言葉を聞いてみたかったのか、それすらも分からなくなって、同じように前を向いた。


大量の湿気を含んだ風が、ついにその重さに耐えきれず、突然その底が抜ける。


目の前に、ドンっと雷が落ちた。

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