第12話死ねない理由
『セス、どうか…………私達の無念を晴らしておくれ!』
頭に響いたのは、義理の両親の願い。
「くっ」
ハッと目を開き、胴を掴もうとする魔物の大きな手を、地面を転げて避けた。
他の魔物の脚が彼を踏みつけようとするのも、這いずるようにして逃げると立ち上がり走る。
「何やってんだ、俺は!」
死ねない!
まだ死ぬに足ることを為していない。
一時でも諦めかけた自分を殴ってやりたい。
魔石から離れた濃い闇の奥へと走り、すっと木の陰に身を隠す。幸い夜目が利かないらしく、ズシンズシンと足音がセスを捜して辺りを歩き回っている。この雨なら鼻も利かないだろう。
いずれ見つかるだろうが、時間を稼げたらそれでいい。
そっと息を吐き、防水コートを脱ぐと腹の傷にそれを巻き付けるようにして、裾を合わせてきつく縛った。この傷は出血はあるが深くはない。
死ねない理由を忘れるなんて、俺はバカだ。
フレニムを手にして苦笑する。『彼女』と心中しようだなんて、俺も多分冷静じゃない。この剣は共に死ぬ為じゃなく、仇を取るまで生き抜く為に必要な剣だ。
12歳だった幼き日の自分でさえ刃物を持ち、同じ魔物の前で戦おうとしたというのに。
あの時……………
陽が落ちて、いつものように村外れの畑から帰ったセスが見たのは、数体の巨大な青い毛並みの猿のような魔物に襲われている村だった。悲鳴と逃げ惑う人々、破壊される家屋。
呆然と立ち竦むセスの前には、同じように村を眺めている男。いや同じ、ではない。
「あ…………ああ…………」
声にならない声を漏らすセスに、男がゆっくりと振り返った。悪夢のような光景を見て観察でもしていたかのように、緊張感の欠片もない表情。その手には黒い剣。ただの剣ではないと、セスの本能が報せる。
男は、セスが見えていないかのようだ。視線を注ぐことなく、彼の横を通り抜けて行った。
その時のセスに何ができたか。
男が村を魔物で襲わせたのだと理解したのは後になってからのことで、しばらくしてようやく我に返ったセスは、父を心配して村の中心地へと駆けていった。男のことを気に止める余裕は無かった。
「父さん!」
父は斧を持って魔物の目の前にいた。女子どもを逃がそうと、村の男達がそれぞれ武器になりそうな物を手にして、退路を守ろうと奮闘していた。
「セス!早く逃げろ!」
父がセスに切迫した表情で怒鳴った。それが最期だった。
魔物の手が勢いよく父の身体を宙に跳ね上げて、駒のように遠くに落下していくのをセスは見てしまった。
「あ、あ」
人形のように手足を投げ出し転がった父を見た瞬間、セスの中で何かが弾けた。
「うあああああああああ!!」
落ちていた斧を拾うと、魔物に斬りかかった。
「よくも!よくもおっ!」
魔物の指を切り落とせたのは、運が良かっただけかもしれない。それでも飛んできた巨大な拳を間一髪避けたのは、セスの俊敏性の為せる技だった。
周りの大人達が殺されたり逃げていく中で、涙を流し、ありったけの憎しみを瞳に込めて、セスは斧を振り上げ続けた。魔物をズタズタに切り裂くことしか頭に無かった。
だが子供の手には重すぎる斧の闇雲な攻撃が、ふいを突いた最初ならまだしも当たるはずもなく、セスが踏み潰されるか捻り潰されるのは時間の問題だった。
とうとう魔物の手に身体を捕らえられ、握り潰されるかと思ったその時、無数の矢が魔物を射た。身体中に矢が刺さった魔物がセスを落としてもがいていると、武装した集団が現れるや剣で魔物に斬りかかった。
父を殺した魔物達が悲鳴を上げて倒れ、すぐに塵に帰っていく。それを目にしてセスは気を失い、再び目覚めた時には彼は『農民の子セス』ではなかった。
武装した集団は、村からやや離れた地方の領主の私兵で、セスは領主夫妻の養子として迎えられた。
「セス、おまえには何不自由のない暮らしを約束しよう。読み書きも身を守る術も敵を討つ術も教えよう。だがその代わり、いずれおまえには私達の娘の仇を討ってもらう」
領主は、魔物に立ち向かったセスの気概を見込んで彼を引き取ったのだった。
セスの村が襲われる一月前に、領主夫妻が仕事で領地を離れていた隙に、留守をしていた一人娘が乳母共々殺されたのだという。
そこでセスは初めて、魔剣を使う男が魔物を出現させて人々を襲わせているのだと知った。
「娘は、私達が結婚して7年目にして授かった一人娘だった。私達の宝だった。まだ10歳のあの子がどれほどの苦痛と恐怖で死んでいったかを思うと、仇を討つまで私達は死んでも死にきれない」
年齢よりも疲れ老いた領主は、目だけは憎しみをたぎらせてセスに語って聞かせた。
「魔物を追えば、いつか奴に出くわすだろう。だが魔物は倒せても、あの魔剣士には歯が立たない。娘を喪った時に、城を守っていた兵の大半は奴に倒された。だからおまえは剣士になれ、奴を討てる強い剣士に」
なぜセスだったのか。
彼らには自分達と同じように、死んでも諦めきれない想いを抱えた者だけが裏切らないことを知っていたのだと、大人になってからセスは理解した。確かにセスは、仇を討つ為なら命をかけてもいいと思っていた。
深い悲しみと憎しみが、その後のセスを18まで育んだ。
領主夫妻にとってセスは道具で手段だった。そして自分達の復讐の代弁者だった。
彼らは、同じように肉親を殺されたセスが、それを拒まないことも判っていたのだろう。
「僕は強くなりたい。貴方達が望むなら、いつか必ず仇を討つ。だから僕に戦い方を教えて下さい」
セスは彼らに泣きながら縋った。戸惑いがちに肩を抱いてくれた彼らに、養子への愛があったかは分からない。或いは子供を利用する罪悪感だったのかもしれない。
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