第42話 季節は巡る


 何年もグリモワールに浸っていたような気がしたのに、現実世界では数日しか経過しておらず、戻ってからは慌ただしい日々に逆戻りだった。すぐに抜き打ちテストの日程がやって来て、アスカはリーナに勉強を教えてもらうことで辛うじて赤点を逃れた。ちなみに後日ではあったが、ヒカゲイジメの主犯二人はこちらの世界に戻ってくることができたらしい。


 中学校を卒業すると、アスカとリーナは同じ高等学校へ進学した。

 そこでもイジメはあった。現実は、いつも悲惨で陰湿で、惨い。

 イジメられている少女はユカと言い、とても愛らしい顔立ちの気弱な子だった。それだけに同性からの評判は悪く、担任教師をたぶらかしただとか援交をしているだとかで、根も葉もない噂を立てられていた。それを正そうという者など、誰一人として存在しなかった。

 ――アスカとリーナ以外は。


「お前ら高校生にもなってそんなことで盛り上がってんのか? ほーら散った散った、ユカは見世物じゃねーぞ。優等生のお前らは他人にかまけてる暇なんかねーだろ。大人しく勉強してろって。つーか俺はユカに公式教わる予定なんだよ、だから邪魔すんな」

「ユカが本当にそんなことをしていたか、誰か証明することはできるの? 証拠でもなんでも見せてみなさいよ! わたしが徹底的に調べ尽くしてあげるから!」


 教室の中で、二人だけが異質だった。そんな彼らの言動のお陰で、ユカは次第にイジメられることも無くなった。流されるままに生きている第三者たちも、周囲の空気が変わればそれに順応する。途端に教室内は平和になったのだ。黒幕となる当事者たちも、二人の凄味に気押されて、それ以降何かしてくることは無かった。


「その……二人とも、……ありがとう」


 ショートカットボブの髪を揺らしながら、ユカが頭を下げる。


「本当にあいつらも暇だよなー、俺たちの時間がもったいねーよ」

「そうね。それには同意するわ」

「お、なんだよクラス委員長。珍しく意見が合ったな」

「そうね。なんでもいちゃもんつけてくるおバカさんは一人で十分だしね」

「……お前、今夜ウチに来い。昨日買ったばっかの格ゲーで叩きのめしてやる」

「な、なんでそうなるのっ!? 自分の得意分野で戦おうなんて、そんなのずるいわっ!」


 いつものように言い合いを続ける二人の様子を窺いながら、ユカが訊ねる。


「二人は……お付き合い、しているの?」

「「付き合ってない!」」


 二人は声を大にして言った。とても綺麗にハモっていた。

 三人は、ありふれた青春時代を過ごした。大きな起伏もなく、とても平坦な人生の旅を。グリモワールでの美しい容姿も無ければ、超人的な筋力も、鷹のような視力も失った、なんの変哲も無い世界。でも、それはとても尊いものなのだということにアスカとリーナは気付いた。

 アスカの家庭は崩壊している。壊れたものが元通りになることは無い。だけれど、少しずつ修復していくことだって可能なのだ。アスカは辛い現実に向き合えるだけの強靱な心を得た。

 アスカは母親に連絡を取り、一緒に食事をする約束をした。次は兄や姉を誘い、そのうち父親も加えて、いつか家族皆で笑い合える日が来ることを願いながら。

 リーナは自らの兄ともう一度対峙することにした。兄の罪を受け止め、更生させてもう一度社会復帰させるのだ。ああだこうだと、リーナは意気消沈する兄にお節介をすることにした。

 絵に描いたような理想の兄はもう居ない。でも、本当の兄と向き合ったことで初めて、リーナは兄の良いところも悪いところも好きになれたような気がしたのだった。

 ユカが、いつか訊ねたことがあった。


「そういえば、二人からたまに聞くヒカゲって子はどこにいるの? 昔の友達なんでしょ?」

「昔っていうか、今も友達だけどな」

「そうね。ソウルメイトね」

「……お前、ふざけてねーよな?」

「大まじめですけど?」

「あいつが居なかったら……、ユカのイジメを止めることはできなかっただろーな」

「そうなの? アスカくんもリーナもどっちもすっごく強い人だと思うんだけど。わたし」

「いや、弱かったよ……本当に、どうしようもないくらい。でも、アイツが……親友のヒカゲが、俺たちに教えてくれたんだよ」


 アスカは半分ほど千切れてしまっている左耳に触れながら、感傷的な表情で語った。


「なんか凄い格好つけてるの腹立つわ……ヒカゲくんが“何”を教えたのか、原稿用紙に作文として書き連ねてみなさいよ、ほら、わたし今持ってるから」

「いやなんでそんなもん持ってんだよ! お前は小説家かなんかか!」


 また夫婦漫才が始まってしまうので、ユカは早めに口を挟んだ。


「じゃあ、どうして…………会ったりしないの?」


 その一言には、アスカもリーナも微妙な表情を浮かべていた。


「そうだなぁ……なんでだろうなあ。明日くらいにはバッタリ再会しそうな気もするし、もうずっとこのままのような気もするな」

「……そうね。なんなのかしらね……この感覚は。会わなくても繋がってる――みたいな」

「え、何それ。お前今笑かしにきてる? きてるよね完全に。リーナちゃん」

「このっ、ぶつわよ、バカアスカっ!」


 結局、ユカは彼らがどうしてヒカゲという少年に会いに行かないのか、良くわからなかった。本人の家には定期的に通っているようだが、当人は家に居ないらしい。

 ――今度、わたしも一緒に連れて行ってもらおう。

 アスカとリーナの親友だというのなら、自分とヒカゲが他人だとは思えなかったのだ。



 季節は巡り――月日は流れ――――そして、また始まりのときがやって来る――。



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