店主

三雲屋緞子

呉服商

 辻合いの境に小さな呉服屋がある。三叉路を左右にして帰路を急ぐものの眼に映らではないが、目前の扉をわざわざ押し開ける料簡は浮かばぬ道理。雨風に晒され崩れかけた煉瓦からは、この街にあって店も主も古参なのにちがいなかった。然し今時分ぎやまんを嵌込んだショウウインドウは凹凸に人目を滑らして止まらせぬ。ただ景色に点じる紅一色の日除けが、掠め行き過ぎる蒼頭の底で染みになる。そうしていつしか、なんとはなしに誰か彼かの景色になってゆく。そのほそぼそした幽かな紐帯が、その店をそこにあるべくしているしがらみなのであった。

 この歪なショウウィンドウを素見にゆくのが私は好きだった。商売気もなげな主人が妙に執着して、すっくり立ったトルソに着付けた取合わせが不思議と気にあう。がいつも後目に引込むばかりで、見えぬ敷居の高さに臆してはかれこれ十数遍も挫けている。

 今日も今日とて何度硝子を過ぎったか知れぬ。薄暗い奥がかりに窺われる店内の色彩に惹かれるが、どうか、やっぱりだめだの腰砕けになりかけたところ。

 ちりん。

おや、と足元を掠めて黒い塊が勢いよく、木戸に打つかって潰れるように消えた。見れば重い扉のつま先ほどの処に小作りの孔が開いている。かれが通ったあとの飄風に巻き込まれるようにして、手が扉を押し開けていた。



「御免ください」

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