第14話 路地裏の女



 夜も更けた頃、平九郎達は店を出た。

 馬車を出すというサラの申し出を断って、ぶらりと二人。

 人気の少なくなった大通りを、寄り添い腕を組んで歩く。

 人工の光で明るい夜に、心地よい風が吹く。


「気持ちいい風だなぁ」

「ええ本当に。……けれど、不思議。地下なのに、こんな優しい風があるなんて」


 那凪の頬に、髪がふわりと揺れた。

 ここに限った事ではないが、迷宮には何故か地上と同じ自然現象が用意されている。

 それが何を意味しているのかは、未だ解明されていない。


「まあ、細かいことはいいじゃねぇか」

「……そうね」


 平九郎達は、地上にいられなくなった者達だ。

 それ故に、風を感じながら歩くという事が何より幸運か。良く、知っている。


「――だが、ちぃっとばかし無粋だな」


 気づいているか? と、平九郎は那凪に注意を促す。

 言われて初めて気がついたのか、那凪は形のよい眉を顰めた。

 ――つけられている。


「……ああ。確かに残念ですわ」


 覚えのある気配に、しかし振り返らず。

 気づかない素振りで近くの小さな路地裏に入り、突き当たりの壁で立ち止まる。


「……そろそろ、出てきてもいいんじゃねぇか? なぁフレイディア」

「――っ!!」


 ゆっくり振り向くと、空気を揺らめかせた透明な“何か”がいた。

 那凪の見立てからすると、ローブにかかった魔法で透明化しているのだろう。


「…………まったく。貴方は油断なら無い人ですね」


 その“何か”は、ぱさりとローブのフードを外す。

 すると同時に、透明化が解けてフレイディアの姿が現れた。


「そちらは噂の奥方ですね? ――初めましてフレイディアと申します」

「ええ、貴女の事は旦那様から聞いているわ。……妻の那凪よ」


 フレイディアには七番の時にあっているが、それはそれ、那凪はおくびにも出さず軽やかに挨拶した。

 那凪の目立つ傷に対し、彼女は一瞬目を見開くが、何かを感じ取ったのか、諦めたように、しかし感服したように片膝を突いた。


「……お願いがあります」

「いったい何でぇ? そんなに畏まってよう」


 口調こそ惚けているが、言いたいことに察しはついていた。

 恐らく、協力の件だろう。

 少なくとも妓楼から出た所から既につけられていたと見るべきだ。

 そして、迷宮街としては広めだが、上の大都市と比べればやや手狭な街。

 平九郎の情報も、幾分か拾い集めている筈だ。

 それこそ――、平九郎が敵に回る可能性が高いと判るには。

 故に、彼女の目には緊張の色が見え隠れしている。


「もう一度、お願いに上がりました。――わたし達に助力お願いできないでしょうか。今回の件が終われば報酬は十分にお約束します! わたし個人としても何でもします! だから――」

「――ふふっ、お待ちなさいな」


 必死に語るフレイディアを、那凪はやんわりと止めた。

 この分だと、平九郎が一人きりだった場合、服を脱いで迫ったかもしれない。

 彼女にはそんな、強固な覚悟の目があった。


 その瞳を。平九郎は、那凪は、知っている。


 嘗て妻ならぬ身であった頃の彼女が見せた“それ”であり、敵対するなら自分のあらゆる犠牲を厭わず、神すら倒す覚悟の“それ”である。


「フレイディアさんと仰ったわね」

「はい」


 ――だが。只、それだけの会話でフレイディアの気迫が少し衰える。

 ただでさえ、那凪は傾世の美人で生まれながらの貴人なのだ。近くにいるだけで女として気圧されてしまう。

 それだけではない。

 同類だからこそ判るのだ。――目の前の女は同じだと。

 自らの伴侶を、星よりも重い愛で包み込む狂人だと。


「言いたい事はわかるわね」

「……はい」


 無論、それは那凪とて理解している。

 微妙な顔をしているのは、平九郎一人。

 だが待って欲しい、彼とて理解していない訳では無い。

 ただ、そんな重い想いを持つ女を相手にしなければならないという現実から、少し遠ざかりたいだけなのだ。


「那凪さん。いえ那凪様。例え、この身が汚辱に塗れようとも。腕の一本やニ本無くなろうとも。わたしはあの人を助けたい……! お願いです。明日一日だけでいいんです!“わたし”に協力してください」

「…………」


 フレイディアの真摯な態度に、那凪は押し黙った。


「どうか……、どうか……」

「……。ねぇ、平九郎」


 珍しく名前を呼び、那凪が平九郎を見上げる。


(――赤、いや見間違ぇか?)


 いつもと同じ吸い込まれそうな黒曜の瞳、だがそこには、彼女に同調するような光があった。

 件外の事で気になることはある、が、しかし。

 ここは思案の為所である。


「フレイディア」

「はい、何でしょう」

「この事たぁ、ヨハンは知っているのか?」


 聞いておいて、恐らく知っていないだろうな、と平九郎は考えた。

 短い付き合いだが彼の性格では、恋人を犠牲にするを良しとしない筈だ。

 案の定フレイディアは俯く。


「それは……」

「仮にも恋人だってぇならな、どんな“事情”があろうともな、一人で突っ走るんじゃねぇよ」

「平九郎さん」


 フレイディアは平九郎を見、そして那凪へと顔を向けた。

 那凪はそんな彼女に優しく微笑み、観念したようにフレイディアは目を伏せた。


「――ご存じ、なのですね」

「ああ、王子の件とか、……ヨハンの件も、一応聞いている」

「旦那様は“黒紫羽炎”のサラから、お二人の殺害依頼を受けているわ」

「やはり――!」


 悔しそうに、唇を噛むフレイディア。


「……なぁ、なんで俺に頼む。今日会ったばかりだし。敵じゃねぇかって、ちっとは判ってたんだろう?」

「それは……」


 少し俯いた彼女は、沈んだ声を出す。


「……街の探索者達には既に手が回っており、協力してもらう事は出来ませんでした」

「はーん。先手を打たれてたのか」

「迂闊でした……。恐らくですが、わたし達がここに来たのも向こうにとっては想定の範囲、もしかしたら誘導されていたのかもしれません」


 フレイディアは、ギリと歯噛みした。

 平九郎はそれを冷静な目で見る。


「国の騎士団がいたんだろう? そっちは」

「あちらは反王子派の配下です。きっと、見られただけで……」

「捕らえられるのならまだマシ、大方、殺されるわな」

「――しかし、平九郎さんならば……」


 そこで、フレイディアは言い淀んだ。

 変わりに、那凪が引き継ぐ。


「旦那様なら一見、与しやすいと考えたのでしょう。裏に関わる者の癖に、初めてあった者を助ける位にはお人好し――加えて、表通りにまで聞こえる“女好き”として、有・名ですから」

「……那凪、痛てぇぞ」


 ギリギリと腕を抓られる痛みを耐えながら、平九郎はフレイディアの方を見る。

 そこには、困った顔のフレイディアがいた。

 彼女は平九郎の視線を受け、再び口を開く。


「わたしは、ヨハンに救われました。あのヒトこそがわたしの絶対なる光。その輝きを保つ為なら、例えこの身がどうなろうとも……!」


 とフレイディアは平九郎では無く、那凪を見つめる。

 対して那凪は懐かしいモノを見るような目で、ゆっくりと頷いた。


「ええ、わかります」


 愛する男に命すら平気で賭ける女と女の、奇妙な友情が流れた。

 那凪の傷の証が、フレイディアに同種だと伝え。

 辿ってきた道故、那凪は理解し。

 そこには同情を越えた、友情に似た何かが芽生えた。

 だが――。


「――残念ながら、協力は出来ないわ」

「そんなっ――――!」


 那凪の言葉に本気を理解したのか、フレイディアは顔を伏せ、地面に手をついた。

 その横を、平九郎は那凪に腕を引かれ通り過ぎる。


「いいのか」

「いいのよ」


 那凪が否と出すなら、平九郎には異存は無い。

 しかし、通り越してから十歩も進まぬ内に、那凪の歩みは止まる。


「……でもね、逃げられても仕方がないと思うわ」

「那凪?」


 平九郎の怪訝な顔を無視して、那凪は続けた。


「明日。旦那様はきっと、門の前にいる若い二人の探索に、同行を申し出ると思うの」


 フレイディアが、顔を上げる。


「……那凪さん?」

「この階層に薬になりそうな草花は、奥の泉の畔あたりにしかないわ。――そしてそこには“ゲート”がある」

「……」

「きっと旦那様は、色香に惑わされ、腕のいい薬師に睡眠薬を盛られて逃がしてしまうの。だから、しょうがないでしょう?」


 お前も大概甘ぇじゃねぇか、という言葉を飲み込んで、平九郎は考えた。

 エリィも使用した大陸間転移装置。

 それは、通常繋がる先が一つか二つなのに、どの迷宮にも繋がる、転移装置の中でも特異過ぎる代物だ。

 それ故にこの街の流通、密輸入の港にして大陸一の裏市場を支える屋台骨となっている。


 迷宮を完全に攻略してしまうと上の国の管理になる故、わざと迷宮最下層の番人を倒さず、ギルド統括の下、共有財産として市場を維持していると専らの噂だ。


(確かに使えりゃぁ、逃げきれるだろうが……)


 そんな場所に、警備の人員がいないはずが無い。

 というか居る事を平九郎は知っている。

 そもそも、この迷宮自体が非公開。勿論の事、転移装置など無い事になっているぐらいの厄ネタ。

 裏からも手配されている二人が、無事に使える筈が無いだろう。


 平九郎はその事を伝えないのか、と目配せするが、那凪は笑って首を横に振った。

 それ位は自分たちで乗り越えろ、という意図だと平九郎は判断した。


「ああ、そうねフレイディアさん。――明日の朝、刻告鳥は、何回鳴くか判りますか?」

「…………六つ」


 那凪の“独り言”に、フレイディアは震える声で、絞り出す様に答えた。

 それを聞いた那凪は振り返らず、今度こそ本当に立ち去る。

 後ろでは彼女が泣きながら深く頭を下げていたのに、平九郎は気が付いていた。


(明日っつーがな、既に日付かわってんだけどなぁ……)


 隣の、人にしてはやや低い体温を感じながら。

 どうやら長い一日になりそうだと、平九郎は頭を掻いた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る