第123話 アンパン

「いかん七生くん!! 至急救急セットを!!」

「ありませんよ」

「なにィ!? 救急箱の設置は店舗運営の義務だぞ!? 責任者を出せ責任者を!!」

「鏡どうぞ」

「んなことより止まんねえんだけど、血」


 めっちゃ出てる。これ多分バンドエイドじゃ気休めにもなんねえレベルでドクドクしてる。あと耐えられない程じゃないけど普通に痛い。


「……あーもうっ、店からガーゼ取って来るからあんたは傷口洗っときなさい。強く擦ったらダメだかんね」

「うっす」


 怒られているというか呆れられているというか、おかんに叱られている時みたいな気分にさせられてしまった。まあ心配してくれてるっぽいし、であれば当然、素直に従う他無い。

 それに机の上は既に事件現場が如き様相で手遅れだけど幸いカーペットはまだ無事だ。でも油断してこっちまで浸食したらシミ抜きが地獄になっちまうからな……言われた通り手遅れんなる前にさっさと洗いに行こう。


「七生くん……ぼくはどうすれば!?」

「塗り絵でもしといてください」

「いいだろう!! 全力で塗らせてもらうよ!!」


 無事な方の手を受け皿にして素早く流し台へ向かう。手首で蛇口を跳ね上げ傷口を流水に晒すと赤色混じりの水が排水口に飲み込まれていき、洗い流された傷口にはそれよりも少し薄いピンク色の肉が覗いていた。

 我ながら深い。これだけ切れば痛くて当然だ。

 というかあのナイフ、思ったよりも数段良い切れ味だったから下手すりゃ骨ごと逝ってた可能性すらある。次似たような状況があれば気を付けよう。

 そんな機会二度と有ってたまるかって話だけど、この学園に居たら万が一ってことがあるから油断出来ん。


「……っし。まあこんくらいで大丈夫だな」


 最後に傷口を軽く揉んで、うん、もう出て……くるけどこれ以上はやっても無駄っぽい。

 なるべく触らないように気を付けるとして後は七生のガーゼ待……ん? あの人なんで絵なんて描いてるんだ?

 読めねえな思考回路。脈絡が無さ過ぎる。

 こっからじゃなにを描いているかまでは見えないけど、まさか俺の血を赤色に利用するなんて恐ろしいことしてないだろうな? そんなことしたら呪物になっちゃうぞ。


「未来、巻いたげるから座って」

「おう悪い。後でガーゼ代払うわ」

「いらないっての」


 やれることもないしと上月先輩のお絵描きを遠目から眺めてしばらく、ガーゼ探索の任を終え帰還した七生の改造手術によって俺の指先はマミーになった。

 この前の湿布といい七生にはなんか持って来てもらってばっかりだ、ありがてえ。

 にしても……。


「やっとごめん以外言うようになったな」


 それだけ悪いと思ってたんだろうけど放課後からそれしか言えないNPCみたいになってたもんな村人Aじゃなかった七生。


「ごめ……サーセン」


 と思ったら今度は姑息にも言い方を変えてきやがった。いやそんな小細工が通用すると思ってんのか。


「いやそういう問題じゃないが。まあ責めてんじゃないから気にすんなよ」


 とは言ったものの責めるつもりが無いのは本当だ。半ば騙し討ちのような形で連れてこられたけど、これで嘘は吐かれてねえんだよ。裸云々も併せて早とちりした俺の責任もある。


「まあ、それでもってんなら借りを一つ減らしといてくれ」

「?」


 あーはいはい言ったヤツは覚えてないパティーンね知ってます。

 なに言ってんだこいつみたいな感じで一瞬顔を顰める七生さん。けど説明するのも墓穴行為だから止めておこう。忘れてくれているならそっちの方が好都合、都合の悪い真実はこのまま歴史の闇に葬られるのだ。


「まさか本当に切るバカが居るかっての。そんなにピルクルとチョコアンパン? が欲しかったん?」

「んなわけあるか。大体切れって言ったのそっちだぞ」


 溜息一つ、胸の下で腕を組んだ七生が呆れたように言う。

 俺は座ってるので若干見上げるカタチになり、下から見ると余計目付き悪いななんて思いつつ反論した。

 そこは大事だと思うの。だって万引きとか殺人だって実行犯と教唆犯が同罪なんだからさ。


「あんたは死ねって言われたら死ぬんか?」


 うおっ今の久しぶりに聞いたわ。やっぱそれ全国共通なのか。

 もかして何時何分何秒とかも言うのかしら。地球の回転数なんかも計算させられたり? ……ああ言いそうなヤツに心当たり有るわ。パッと思い付くだけでも三人は居る。


「お菓子欲しさに指切るヤツとか普通に考えて頭おかしいだろ。いくら好きでも極限まで飢えてなけりゃやんねえよ」


 一か月くらい監禁されて飢え死にしそうなら喜んで切ると思うけど素面だと絶対やんない。俺はマゾじゃないし、仮にマゾでもそんなものはマゾの範疇を超えている。

 あとアンパンじゃなくてあ〜んぱんだからな? 自分の店で扱っている商品の名前くらいちゃんと覚えようね。


「自覚があるようでなによりね」

「……」

「……」


 沈黙。

 いや黙っちゃダメだよ俺がおかしいヤツで話終わっちゃうだろ。

 アレだ、あの人よりおかしい行動を取ればランキング的な物が上がって精神的優位に立てると思ったとかそんなんだよ多分。

 結果論として人の血で絵を描くような人間に勝てるはずがなかったんだけど、まあチャレンジ精神は大事だよねというお話。それをわかりやすく伝えるには、そうだ。


「―――勝ちたかったんだ。あの人に」


 あっ七生さんキツいっすその眼。いや自分でも無理があんなとは思ったけどさ、キツいっす。


「さくらさんもいつまで遊んでるんですか」

「むむ? 描けと言ったのは七生くんだったような気もするが……まあ細かいことはいいだろう。ちょうど完成したことだしな!!」


 上月先輩は完成したという絵を太陽に翳すが如く両手で掲げていた。あれは……ただの絵でも呪いのアイテムでも無い。よくコンビニの店頭に貼られている手作りPOPだ。

 ただ遊んでいたわけじゃなかったのか。まあ考えてみれば面接なんて言うくらいだし、七生はともかくこの人は勤務時間中だもんな。

 ていうか七生のヤツあの人の手下じゃないのか? ごめんごめん言いながら連れてくるくらいだから完全に上下関係あんのかと思ってたのに、俺相手に見せる程じゃないけど結構辛辣だぞ。

 

「それよりみっくんには悪いことをしたね。ぼくもまさか本当に切るとは思わなかったんだ……」


 絵を置いた上月先輩が近付いて来た。そして怪我した方の手を取り、名前を呼びながら傷口を撫でる。

 力は込められていないから全然痛くないけど、むず痒い感じがするのと気恥ずかしいので勘弁してもらいたい……てか呼び方はみっくんで決まったんすね。まあ原型を留めている分下手に突いて変なあだ名にされるよりはマシか。

 俺は頬を掻くふりをして、上月先輩の指から逃れた。

 

「まあ、怪我には慣れてるんで気にしないでください」


 一応出まかせじゃない。実際俺はチョコあ~んぱん関連でもっとエグい事件を経験しているからな……あれに比べればこの程度かすり傷みたいなもんよ。


「慣れてるって……」


 ん? なんだその憐むような目は。

 まるで付け合わせのミックスベジタブルを見るような……。


「……あ、いや自分で切ったんじゃないですよ」


 これはアレだ、余計なことを思い出しながら適当に答えたせいで自分でやったと誤解されてるヤツだ。


「それだと尚更問題な気がするのだが……なにがあったのか聞いても大丈夫かい?」


 上月先輩だけでなく七生までもがじっと見つめてくる。

 ……リスカ的行為だと誤解されているなら当然か。

 七生は鋭く、上月先輩は底知れぬ感じがする。そんな二人に嘘は通じそうにないし、どうやら正直に話して誤解を解かない限り許してくれなさそうだ。

 本来は人に話すようなことじゃないんだが……仕方ねえ。これも口を滑らせた俺の自業自得か。

 なーんも悪いことしてないのに許す許さないもおかしか話だが、まあ覚悟を決めて笑い話に昇華させる良い機会だと考えよう。


「そう―――あれは遡ること一年前」


 チョコあ~んぱん好きが伝言ゲームのように歪曲して巡り巡った結果、シンナー中毒と勘違いされ殺し合い手前まで行ったという我が美しき青春の一ページ―――


「みっくん……なんて遠い目をしているんだ!! そんなに辛い思い出なのか……!!」

「いえ、あれは本当は話したくて仕方ないって顔です。……心配して損した」


 ……ん? なんか君ら温度差凄くない?

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