第15話

「はよ、はよ!」


 それから佐野さんが来たのは、店の開店10分前。

 彼女の就業時間5分ほど遅れてだった。


「いやー電車が遅れててさ」


「お前、自動車通勤だろ」


「いやー道が渋滞してさ」


「南砺に渋滞という概念ないだろ」


「あるもん。福野の方混むもん」


「混んだとしても100メートルぐらいだろ」


 と佐野さんは欠伸をする。

 眠そうである。どうやら諏訪さんが言っていた通り夜遅くまで小説を書いていたらしい。

 よく見ると、顔にはクマらしき灰色の線ができている。ファンデーションで隠しきれていない。


 それともう一つ。

 どうも佐野さんに対して気になることがあった。

 彼女の右手に持っているもの。某コンビニの紙コップ。

 そしてほんのりと香る苦い臭い。


 当然のことながら、諏訪さんも右手に持っている例の物に関して気づいている。視線を写している。

 諏訪さんは佐野さんの顔を見ようとしない。ただただ例の物をじっと据えていた。


「お前、本当に急いだけ?」


「勿論。当たり前でしょ」


 と自信満々に胸を張る佐野さん。

 諏訪さんは佐野さんの元に近づく。そしてそっと紙コップを握る。


「まだ暖かい」


 と一言。


「これついさっき買ったけ?」


「うーん。そこまでさっきじゃないかな。5分ぐらい前」


「今日普通に遅刻しているが?」


「それに対しては反省しています」


「本当け?」


「本当よ」


「嘘ちゃ」


「嘘じゃない」


「それならどうして通勤途中でコンビニ寄ったけ?」


「喉乾いたから。流石に脱水症状になったらまずいでしょ?」


「ここで飲めばいいちゃ」


「いやよ。コンビニで飲み物を買いたかったもの」


「100歩譲ってコンビニに寄ったことを許すとして、どうしてそこで珈琲を買う」


「最近のはコンビニの珈琲でも美味しいのよ」


「美味しくない。あんなもん珈琲じゃないちゃ」


「いや、そう思うでしょ。だけどちゃんと本格的な豆を使ってさ、きっちりとした苦味を演出して」


「認めないちゃ。コンビニの珈琲なんて。そしてお前はその珈琲を買った。これは裏切り行為」


「どうしてそれが裏切り行為になるの? いいじゃない。もしかして私が別の店、それもチェーン店の珈琲飲んでいて悔しかった?」


「そういうわけじゃないちゃ!!」


「それなら私がどんな珈琲を飲んでもいいじゃない」


「ダメ。ここの従業員はうちの入れた珈琲以外飲むの禁止ちゃ」


「さて、明日はどこのコンビニの珈琲をのもうかな」


 と佐野さんは完全に諏訪さんを挑発する。

 そして顔を真っ赤にする諏訪さん。


 一触即発。いやもう既に彼女たちの戦いは始まっている。

 バチバチ。二人の間には火花が散っていた。


 巻き込まれたくないな……

 そう思い、私は静かに二人の間を抜けてトイレへ向かった。

 とりあえず開店するまでトイレ掃除をしよう。


 そしてトイレからは、二人が何か言い争う声が聞こえた。

 結局、私は開店までそのトイレから出ることが出来なかった。



 

 

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