ちょっと喫茶店で働いてみませんか?

長井音琴

第1話 はじめまして那古です

 長い深呼吸。

 扉の前でストップ。長いため息。


 嫌だな。

 初日から私は憂鬱だった。


 カフェ、れーちぇ。その扉の前では平仮名でそのように書かれていた。

 私の今日からのアルバイト先。

 初めてのアルバイト先。


 あー嫌だ。緊張する。

 私の胸の高鳴りが激しくなる。


 と、カラカラとその扉が開いた。

 長身、黒髪の女性が出てきた。

 その女性は私の方を睨む。

 怖い。

 少なくとも私よりは遥かに年上。両耳には銀色に輝くピアス。彼女の来ているスーツのその姿はカフェというよりはバーにいそうな雰囲気だった。


「今日から来た新人さんけ?」


 と、彼女は富山弁でそう語る。

 そのキリッとした顔でまさか富山弁をしゃべるとは。不意をつかれた。

 私はゆっくりと頷く。


「待つが」


 そう彼女は言って扉をあけたまま奥の方へ消えていった。その店舗内でノートをぺらりとめくり何かを確認している。

 と思ったらすぐに


「こっちに来られ」


 そう手招きをした。


「靴は脱いで入った方がいいですか」


 そのピカピカに輝いた木目調の床。あまりにも綺麗なので土足で入るのは少々恐れ多い。


「なーん。そのままでいいっちゃ」


 と、私はおそるおそる喫茶店の中へ入った。


 コーヒーの臭い!


 私は顔が赤くなる。

 その喫茶店からは私の大好きな珈琲の臭いが充満していた。


 カフェれーちぇ。

 富山県南砺市にある小さな小屋型の喫茶店だ。

 私はお客さんとして数回しか行ったことがない。しかしこの雰囲気と香り、それに魅了されてこのバイトを募集することにした。


「まぁ、うちは人手不足なんやちゃ。こんな場所やとバイトも集まらん。あ、椅子座ってもつかえんよ」


 椅子に座ってもいい。そういわれて私は遠慮ぎみに座る。


「あっ、うちなこの店の店長をしている諏訪明子だ、よろしく」


 と手を差し出した。

 私はその手をつかむ。


「で、あんたの名前は?」


「……千石那古です」


「そっか」


 ……それから沈黙の時が流れる。

 私は一体何を喋ればいいのか。


「緊張しとるけ?」


 そう諏訪さんに言われる。

 緊張している……といえばそうかもしれない。

 話している感じ、諏訪さんは悪い人ではないということは分かる。それでもだ。

 耳に輝く銀色のピアスと、長い黒髪。今まで関わったことのないような人種、この南砺市では絶滅危惧種にもなりそうな人種。そのような人としゃべって緊張している。


 それともう一つ。私は生まれつき、人と喋るということは苦手だった。

 クラスでもいつも一人。友達らしい友達がいなかった。


 自分を変えたい。

 この場所なら自分を変えることができるかも。


 そんな期待をして私はこの喫茶店を応募した。


「まぁ、もう少ししたら慣れるか」


 緊張で青ざめている私の顔をみて、諏訪さんは何か諦めたのだろうか。


「この店の従業員は三人。そのうち一人はオーナー。つまり私の上司。そしてもう一人……は別に紹介しなくてもいいや。悪影響やし」


 悪影響。

 その言葉に私の背中が震える。


「いいか。初めにいうちゃ。あんなダラケ者になったらアカン。あれは人類の失敗作やちゃ」


 諏訪さんがそこまでいうとは。

 一体そのもう一人はどんな人なんだろうか。

 会いたくない。でも少し気になる。会ってみたい気もする。いや、やっぱり会いたくないな。


 としばらくそんなことを考えていたら、扉が開く。

 それと同時に諏訪さんは額に手を当てた。


「来たか」


 そして彼女は短くそう呟いた。

 

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