第3話 再会の花弁

「綺麗な金髪と黒いコートねぇ……」



 ジーンズを鞄に入れ、上着は背に羽織って対策室を出た。

 この後は特に予定も無いが、時間は既に逢魔時。つまり夕暮れ。

 小腹も空く頃合いだ。



「こんな体になってもお腹は減るんだよね」



 対策室のアルバイトは収入が良い。


 つまり、他の生徒のように財布を気にして買い食いを渋る理由はない訳だ。

 無表情なまま、手持ち無沙汰を誤魔化すようにフード部分を弄りながら、さてどの店に入ろうかと考えながら歩く。


 不思議な力を得たこと。

 記憶を失ったこと。


 そして感情を表に出せなくなったこと以外は他の人間と何も変わらない。

 こうしている分には本当にただの学生の様だ。



「……」



 目についたファミレスに入ろうと、入り口のドアノブを回しかけて手を止めた。

 ドアから手を離し、素早く身を屈めると重い風切り音が鳴る。頭上を何かが通りすぎたのが分かった。


 あのまま立っていたならば首の辺りだっただろうか。

 自分に降り掛かった命の危機ですらもどこか他人事のように、ムラサキは冷静に分析していた。



「虫が擬態もせずに……食べられたいのかと思ったわ?」


「それは冗談ですか? だとすれば言う相手を間違えていますよ」



 低く屈めた姿勢から、強く地面を蹴って扉の隣の壁へと飛び込む。

 激突する直前、壁に向かって片足を突き出し、今度は地面の代わりに壁を蹴る。



「地を這う虫じゃなくて飛ぶ虫だったのね」



 聞きようによってはムラサキのように淡々と、どこか感情が希薄な声色は女性の物だ。

 三角飛びの要領で宙へと逃げたムラサキは、そのまま身体を捻り、襲撃者と得物を確認しようと下を見る。


 艶のある黒髪と白い着物。


 身の丈ほどもありそうな真っ白な大鎌を携え、それを今にも振り抜かんと構えている。

 ムラサキを追って顔を上げた時に、彼女の菫色の瞳と目が合った。



「あ」


「君は」



 向こうもムラサキの顔を覚えていたらしい。

 やってしまったといった表情のまま、手にした真大鎌を彼に向かって振り抜いた。



           ◆



「…………」



 白い女、ハナカマキリは武術の残心の如く鎌を振り抜いた姿勢のまま固まっていた。

 一方のムラサキは頬に一筋傷を負いながらも無事に着地。ハナカマキリの背後を取ることに成功した。

 意味は無いが。



「ふふふ、よくぞ避けた」


「いや、気まずさのあまりキャラを見失わないでください」



 ハナカマキリの言う通り、ムラサキは彼女の一閃を空中で避けた。

 ほんの僅か、一瞬だけ光の翼が彼から生え、直撃コースだった姿勢を無理矢理変えたのだ。



「ごめんなさい。覚えの無い気配だったから、人でも襲いに来た虫かと思ったの」 


「切り傷程度で済んだので何も言いませんよ。……虫って、人を襲うんですか」


「変な事を聞くのね。君も虫でしょう?」


「人を襲おうなんて、思った事すらないですから」



 お互いに感情の起伏に乏しい語調でのやり取り。

 いつの間にかハナカマキリの大鎌は花弁が散るように姿を消し、彼女自信もムラサキへと向き直っていた。


 街中での邂逅だというのに、まるで風が背の低い草を撫でる音が耳をくすぐるような錯覚すら覚える。

 それほどまでに彼女は静かに。

 またムラサキも幽然と佇んでいた。



「その上着は普段は着ない方がいいわ?」


「何故?」


「君の虫の部分が強くなるの。私みたいに、感じる力が強い者を引き寄せてしまうかもしれないもの」



 先程聞いた翔人の言葉が脳裏を過る。


 ーー名は体を表す。その逆も然るべきだろうーー


 言霊使いがそう言いながら渡してきた物だ。ムラサキのオオムラサキたる由縁を強化してしまうなんて事もあるのかもしれない。

 促されるまま上着を脱ぎ、軽く畳んで腕に掛ける。



「改めて……久し振りね。オオムラサキ」


「ええ、お久し振りです。ハナカマキリさん」



 初対面の時に感じていた恐怖は今はない。

 もしかしたら、それすら感じられなくなったのかもしれないが。

 道行く人々は彼らの騒動を気にも留めない。


 見えていないかの様に、あるいはそんな様子は当たり前の光景だとでも言いたげに、人波は過ぎて喧騒は続く。

 ふと視線をハナカマキリに戻せば、彼女は微笑んでいた。

 とても優しく、美しい表情で。



「ちゃんと虫らしくなっちゃって」


「褒め言葉……なんですよね」


「ええ。ちゃんと褒めてるわ。ねえオオムラサキ」


「なんですか?」


「お茶を御誘いしたら、相席してくださる?」



  朱色の空の下、白く美しい捕食者は告げる。

 感情が縛られていなかったのならば、きっとムラサキの頬にも朱が差してしたのだろう。


 そしてきっと、今の自分はそんな事を考えている事すら相手に伝わらない顔をしているのだろう。

 ならば、せめて言葉に。



「はい、僕で良ければ」

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