第8話「落としてあげる。」

******


「……、」


翌朝。

あたしは携帯を握りしめたまま、目を覚ました。

手元のスマホを開くと、まだ朝の5時。

夕べはあれから必死に謝って浴衣を返したけど…

公ちゃんのお母さんは浴衣がどうとかよりも、あたしに何かあったのかと心配してくれた。


でも、それは言わずにそのまま水野くんと一緒に帰ってきて…今に至る。

本当は、帰ってきてすぐに歩美に電話をしようかと迷っていたけれど、結局出来ないままあたしはただ携帯を握りしめているだけだった。

…今更「許してほしい」なんて、きっとムシが良すぎるよね。


あたしはベッドから起き上がると、部屋のカーテンを開けてひとつアクビをした。


…………


リビングに行くと、水野くんはまだそこにいなかった。

とはいえまだ5時過ぎたばっかだし、あたし以外に起きている生物といえば、この水野くんのウサギちゃんしかいない。


「…おはよ」


あたしは眠気眼でウサギに挨拶をすると、朝から元気いっぱいのその姿を見つめた。


…水野くんがこのウサギを飼っているのは、ただペットショップで買ったからではなく、去年学校から引き取ったかららしい。

最初は生物部でウサギを飼育するはずだったんだけど、どうしても飼育環境が良くなくて、

誰も引き取る人がいなかったから水野くんが「俺が貰う」と言ったんだとか。

生物部ってやたら解剖をするイメージを持っていたけれど、

本当は水野くんみたいに動物が好きな生徒が集まって、生き物を育てる部活だってことを初めて知った。


あたしも動物は好きな方だけど。

誰かが引き取るってなったら、さすがに水野くんみたいに自ら貰いに行くことは出来ないと思う。


「…優大お兄ちゃんはスゴイね」


そしてあたしはなんとなく目の前のウサギにそう話しかけると、近くにある餌をあげた。

水野くんがこのコを引き取っていなかったら、今頃このコはどうなっていたんだろう。


…………


「遊園地行かねぇ?」


そしてそれから時間が経って、お昼前。

部屋で大人しく宿題を片付けていたら、ふいに珍しく公ちゃんから電話がかかってきてそう言われた。


「え、遊園地?…何で急にまた」


ってか、公ちゃんってそういう場所、苦手じゃなかったっけ?

そう思いながらあたしが聞いたら、公ちゃんが言った。


「ヒマなんだよ、今日部活休みだし。どーせ真希もヒマだろ?」


そう言うと、「出て来いよ」と言葉を付け加える。

……まぁ、ヒマではないけど(宿題してるし)。

たまには…息抜きもいいか。

せっかくの夏休みだもんね。

あたしはそう思うと、「いいよ」ってその誘いに頷こうとした。


……しかし。


「い…」

「じゃあ、今からそっち迎えに行くから」

「!」


公ちゃんはあたしの声を遮ってそう言うと、


「家の前で待ってろ」


と、一方的に電話を切った。


「…あたしの意思は関係ナシか」


まぁ、いいけどさ。

あたしはそんな公ちゃんに小さく息を吐くと、早速出掛ける準備をした。


…そして小さな鞄に財布と携帯だけを持って一階に降りると、リビング付近の廊下で水野くんとバッタリ会った。


「!」


一緒に住んでるから今日だって何回か既に会ってるのに、こうやって会っただけでもドキッとしてしまう。

…今日は、部活じゃないんだ。

そう思って口を開きかけたら、水野くんがあたしを見て目をぱちくりさせながら言った。


「…何処かに出かけるの?」

「!」


その問いかけに、あたしは少しうつ向きながら言う。


「う、うん。ちょっとね」

「…」


公ちゃんと、遊園地に行くの。

だけどその一言が言えなくて…


「…中学の時の友達と、遊びに行ってくる」

「…そ、」


あたしは咄嗟に、嘘を吐いた。

その瞬間にあたしの中で罪悪感が生まれたけど、だからって本当のことは何だか言いづらい。

水野くんが相槌を打つのを聞くと、あたしは、


「じゃあ、行ってくるね!」

「…」


そう言って、逃げるように家を後にした。

…どうしよう。

心臓がドキドキしすぎて、苦しい。


…………


その後は、少しの間家の前にいると、やがて公ちゃんがやって来た。


「真希、」

「!」


あたしが携帯を弄っていたらふいに公ちゃんに名前を呼ばれて、顔を上げる。

そしたら黒いキャップを被った公ちゃんと目が合って、


「じゃあ、行こ!」


あたしは見ていたスマホを閉じると、笑顔で公ちゃんにそう言った。

そのあたしの言葉に、公ちゃんが「っつか、あっちぃな」って右手を自分に向けてパタパタ扇ぐ。

でも、誘ってくれたのは公ちゃんだし。


「…こんな暑いのに公ちゃんが外に出たがるなんて、珍しいね」


あたしがそう言うと、公ちゃんは、


「…俺だって、遊園地に行きたい!って思う時が一応あんだよ」


そう言って、あたしから目を逸らしてそっぽを向いた。

……そんなあたし達二人の後を、“ある人物”がつけているとは知らずに。


………

………


そして二人で駅に向かい、少しの間電車に揺られて遊園地に向かった。

公ちゃんと二人で遊園地なんて何気に久しぶりだし、そもそも高校に入ってからは一度もない。

電車の中は人がいっぱいだったからつり革に掴まって揺られていると、ふいに公ちゃんが口を開いて言った。


「…そう言えば、真希」

「うん?」

「昨日、何か…大変だったんだって?」

「え、大変って…」

「浴衣」

「!」


公ちゃんはそう言うと、チラリとあたしの様子を伺うように横目で見遣る。

そう言われた瞬間、脳裏には昨日の歩美とのことがまた過って。

あたしはそんな公ちゃんから、気まずく目を逸らした。


「…」


…いつもなら、こんな時は公ちゃんに助けを求めるのかもしれない。

ってか、たいていは求めてた。

でも今は…


「…ごめんね、浴衣汚しちゃって」

「いや、そんなことが聞きたいんじゃない。中津川と何かあったか?」


………なんとなく、隠したい。


「…うん。でも、たいしたことないよ。見ての通り、あたしは元気だし気にしてないから」

「……そ、」


あたしが少し明るめの声でそう言うと、公ちゃんは心なしか寂しそうな顔をして相づちを打った。

…何でだろうな。

何故か、いつも通りに出来ないんだ。

水野くんの顔が浮かんで。


…………


そしてしばらく電車に揺られると、ようやく遊園地にたどり着いた。

園内に入ると家族連れはもちろん、カップルや友達同士で来ている人たちがたくさんいる。

晴れている空の下であたしがジェットコースターを眺めていると、そんなあたしに公ちゃんが言った。


「…え、まさかアレに乗りたい的な?」

「!!いや、無理無理無理!あたし絶叫系ダメだもん乗れないもん!公ちゃんだって知ってるでしょ、」


あたしはそう言うと、「メリーゴーランドがいい」ってそれを指差す。

…違うの。

なんとなく、「水野くんって絶叫系乗れるのかな」って、そう思っちゃってただけ。

考えてみれば、あたしは水野くんのことを知ってるようで本当に何も知らないな…。


でも、あたしがメリーゴーランドを指差すと公ちゃんは…


「えぇー。アレ俺あんま好きじゃない。っつかハズイ」


そう言って、あたしとメリーゴーランドに背を向けた。


「あ、ちょっと待ってよー」

「…」


そんな公ちゃんにあたしはそう言うと、離れていく公ちゃんを追いかける。

…けど、気のせいかな?公ちゃんの足は、ジェットコースターに向かっていて…。


「!!え、なに!これに乗るつもり!?」


急いで公ちゃんを引き留めてそう言ったら、公ちゃんが平然とした顔で言った。


「もちろん。俺は遊園地に来たら絶対ジェットコースターに乗るし。

だから、真希も乗れよ」


公ちゃんはそう言うと、顔を青くするあたしの手首を掴む。

いや無理!普通に無理だから!!


「いーやーだー!!じゃああたしここで待ってる!待ってるから!」

「それじゃあ一緒に来た意味が…」

「意味がなくても乗らない!あたし絶対イヤだかんね!!」


あたしが必死になってそう言ったら、公ちゃんはちょっと笑って、


「…仕方ねぇなぁ」


って、あたしの手首を離した。


「じゃあ俺一人で行ってくるわ」

「うん、そうして」


そして公ちゃんはそう言ってあたしに手を振ると、本当に一人でジェットコースターに乗り込んだ。


………それから、公ちゃんがジェットコースターに乗ったあとあたし達は二人で楽しく遊園地で遊んだ。

コーヒーカップに乗って少し酔ったり、

公ちゃんが運転するゴーカートに乗って楽しんだり、

お化け屋敷に無理矢理入らされたり、

……公ちゃんはもう一回ジェットコースターに乗ったり…。

少し喧嘩もしたけど一応楽しく遊んで、最後はやっぱり…


「観覧車乗ろ!」

「ん、」


目の前にそびえ立つ大きな観覧車を見ると、あたしは公ちゃんにそう言った。

あたしは昔から、観覧車が大好きだ。

高いところはあんまり得意じゃないけど、夕方に乗ると見れる綺麗な夕焼けが見ていて癒される。

少し前までは、こうして公ちゃんと二人きりでいると幸せで仕方なかったけれど…。

今は、次は水野くんと一緒に来てみたいって思う自分がいる。

…今頃水野くんは、何してるかな…。

そう思いながら観覧車に乗って窓の外を眺めていると、ふいに公ちゃんが口を開いて言った。


「…真希」

「うん?」

「今、何考えてる?」


公ちゃんはあたしにそう聞くと、向かいに座っているあたしに目を遣る。


…何考えてる?って…


「どうしたの突然」


そんな公ちゃんの言葉にあたしが思わず吹き出すと、公ちゃんが言葉を続けて言う。


「いや、何かすげー切ない顔してたから」


…え。

そう言うと、心配そうな顔をして見せる。

まさかまた心配されるとは思わなくて。

誤魔化すしか選択肢はないけど…あたしが口を開くとそれを遮るように公ちゃんが言った。


「無理に言わせる気はないよ」

「!」

「誰だって言いたくないことくらいあるからさ。けど…けど俺は…」

「…?」

「何だろ…お前が最近傍にいなくて、寂しい……のかも」


公ちゃんはそう言うと、あたしから視線を外して少しうつ向く。

…公ちゃん…?


「真希って、俺の傍にいることが当たり前だったんだよ。クラスが離れてもずっと一緒にいて、何回“好き”って言われて冷たくしても心の奥じゃほんとは満足して…。

こんなこと言うんは自分勝手すぎるってわかってるけど、俺がずっと真希にしてたことを今は水野がやってるって思うと…


寂しすぎて、死ぬ」


そう言って、公ちゃんは複雑そうに薄い笑みを浮かべた。

…けど、一方のあたしは口を開こうとするけど、うつ向く公ちゃんに何て言っていいのかわからない。

初めて聞く公ちゃんの本音に申し訳なくなるけど、だからって「ごめんね」って謝るのは違う気がして…。

返す言葉を必死に探していたら、やがてまた公ちゃんが言った。


「…でも!もうそれも終わりにするから」

「え、」

「真希には大事な奴がいるし、いつまでも俺が傍にいるわけにもいかないもんな」

「…公ちゃ…」

「だから俺…決めた。幼なじみ離れするよ」


そう言って、またあたしと視線を合わせる公ちゃん。

でも…ちょっと待ってよ。

わかんないよ、何それ。

だけどそんな公ちゃんの言葉を聞いて、一方のあたしはわけがわからなくなる。

幼なじみ離れ?って、何?


「…意味が、わかんない」


そんな公ちゃんにあたしがそう言うと、公ちゃんが言った。


「今はわからないだろうな。でも真希、俺ダメなんだよ。なんかお前ら二人を見てると…邪魔、したくなる」

「え、」


邪魔?


「真希のことを俺は恋愛対象にして見たことは無い。これは事実だけど…。

ずっと一緒にいたせいか、真希を水野に渡したくないって…真希は俺のだって、思っちゃうんだよ」


「!!」


「だから…このままじゃ俺、真希の幸せを奪ってしまうから…俺らはこれから先、今日みたいに会うのはやめような?」


公ちゃんはそう言うと、最後にあたしに向けて切ない顔をした。でも、


「い、み…わかんないよ。バカ」

「!」


あたしは公ちゃんにそう言うと、いつのまにか目に浮かんでいた涙を拭う。


「幼なじみ離れって何それ!自分勝手もいい加減にしてよね、」

「…」

「あたしが水野くんをどんなに好きでも、公ちゃんはあたしの大事な幼なじみだもん。それは変わらないよ、」

「…」

「今までどんなに喧嘩したって、ずっと仲良くしてきたじゃん。今日だって公ちゃんはあたしをこうして遊園地にさそってくれて…」


あたしは凄く、楽しかったのに。

そう言うと、頬を伝った涙をまた拭った。

でもどんなに拭っても涙は次々と溢れ出て、止まらない。

すると、そのうちに公ちゃんはうつ向きながら…


「…ごめんな」

「!」

「バイバイ、真希」


そう言って、ようやく一周した観覧車を出て行った。


『ありがとうございましたー』


公ちゃんが出て行った瞬間、遊園地のスタッフさんが明るい声であたし達にそう声をかける。

あたしはそんな公ちゃんの背中を急いで追いかけようとするけど…


「ま、待って…」

「…」

「待ってよ、公ちゃんっ…!!」

「…」


公ちゃんはあたしの声に振り向きもせずに、やがてその姿も見えなくなった。

しかもその時に蘇る、この前の夏祭りでの歩美とのこと。


「…っ、」


…どうして?公ちゃんまで、あたしを独りぼっちにするの?

あたしはそう思うと、遊園地のど真ん中で独り泣き崩れた。

するとその瞬間に、ポツポツと空から水滴が落ちてきて…、それが雨だと気づくまで、時間はかからなかった。


でもその雨は、だんだん酷くなっていって…園内を濡らしていく。


「っ…公ちゃ…公ちゃんっ…」


思えば……大事な親友だったはずの歩美が離れて、公ちゃんも離れて行って…。

あたしに残っているのは…


“真希──…”


水野くん、だけ。

そう思いながら、少しの間雨の中で泣いていると…


「大丈夫?」

「…!?」


その時ふいに、あたしのところだけ雨があたらなくなって…

顔を上げると、そこには…見たことのない、知らない若い男の人が傘を持って立っていた。


「…え、あ、あの…」


突然の出来事にあたしがどうしていいかわからないでいると、その人があたしの目の前にしゃがみこんで、優しい口調で言う。


「…独りで泣いてたから、気になって…」

「!」

「何が、あったの?」


その人はそう問いかけると、優しい表情であたしの顔を覗き込む。

あまりにも優しいから、あたしの目からはまたじわじわと涙が溢れていって…声に出来ないでいると、その人があたしの頭に手を遣ってそれを撫でた。


「…っ…」


不思議だ…。

目の前に突然現れたその人は、名前すら全く知らない赤の他人なのに…。

頭を撫でる手が優しすぎて、妙に心地いい。

しばらく頭を撫でられていると、やがて男の人が口を開いて言った。


「…ってか、いつまでもこうしてるのも何だし、家どこ?送ってあげる。」

「え、」

「あっ!俺の名前ね、瀬川智(サトシ)。実はついさっき失恋しちゃって。独りでこの辺歩いてたらたまたま君を見かけて…。

だから、ナンパとかじゃないからね、絶対!君の名前は?」


そう問いかけると、あたしをその場に立たせて首を傾げる。

…セガワさん…?

端から見ればただのナンパ野郎にしか見えないんだろうけど、今のあたしには瀬川さんはとてもそんな風に見えなくて…。


「…瀬川真希です」

「真希ちゃん!っつか、ビックリ!苗字いっしょなんだね!」


気が付けばあたしは、自然と自分の名前を口にした。

…この人も失恋して悲しいはずなのに、わざとなのか明るく話しかけてくれている。

こんなあたしなんかに…。

そう思っていると、また瀬川さんが言う。


「じゃあ、行こ?せっかくこうやって会えたんだし、いろいろ話しながらさ」


そう言って、何気なくあたしの手を握った。


「あ、あの…手、」


その手にさすがにあたしが戸惑っていると、瀬川さんが「いいからいいから」ってそのまま遊園地の出口に向かって行く。

…って、本当にいいのかな。

見ず知らずの男の人に安易について行っても。

……まぁ、瀬川さんは危険な人じゃなさそうだし、いっか。


あたしはそう考えると、雨の中で瀬川さんと一緒に遊園地を後にした。


…………


そして、その帰り道に瀬川さんがいろいろ教えてくれた。

瀬川さんは現在県外に住んでいる大学生らしく、今は夏休み中で、地元であるこの街に帰って来ているらしい。

別れた彼女とは遠距離で、今日久しぶりに会いデートしていたんだけど、彼女に別れを告げられたんだとか。

高校の時から付き合ってた彼女なんだ、と言うと…瀬川さんは少し哀しそうな顔をした。


…そうか。

いま哀しい思いをしているのは、あたしだけじゃないんだよね。

瀬川さんが直に教えてくれたわけじゃないけど、瀬川さんと話しているうちにあたしはそんなことを思い知らされた。


「…あ、そうだ!良かったら今日、晩ごはん食べに家来ませんか?」

「え、いいの!?」

「もちろんですよ!家まで送ってくださっているお礼に、」


そしてあたしは瀬川さんにそう言うと、瀬川さんを家に招き入れた。


…───しかし。


「水野くん。いきなりだけど、お客さん連れてきた」

「…!!」


あたしが家に入るなり水野くんにそう言うと、何故か一瞬にして水野くんの表情が強張った。


「あのね、瀬川智さん。遊園地でたまたま会ってね、ここまで送ってくれて、それで…」


そしてあたしが瀬川さんを紹介していると、その途中で突如あたしの隣にいる瀬川さんが水野くんに言う。


「…あれ?優大?お前、優大だよな?」

「…?」


その言葉に、あたしはキョトンとして二人を交互に見遣る。

え、何?もしかして、既に知り合い?

そう思って水野くんの顔も見遣るけど…水野くんは固まったまま動かなくて。


「…知り合い、ですか?」


瀬川さんにそう問いかけると、瀬川さんは嬉しそうに頷いて言った。


「知り合いも何も、幼なじみだよ!」

「!!」

「昔よく一緒に遊んでてさ、でも最近は全然連絡とかしてなくて。

なぁ優大、久しぶりだな!元気にしてたのかよ、」


そう言うと、本当に嬉しそうな顔で水野くんを見る。

だけど一方の水野くんは、どこか様子がおかしく見えて…声をかけようとしたら、それを遮るように水野くんがようやく口を開いた。


「…何で来たんだよ」


低い声でそう言って、不機嫌そうに瀬川さんを見遣る。

え…水野くん?

そんな思わぬ水野くんの言葉に、あたしは思わず固まってしまって。

すると水野くんのその態度に、瀬川さんが言った。


「なんでって、ヤだなぁ。真希ちゃんがご飯食べませんかって誘ってくれたんだよ。

それに、久しぶりの再会も、ただの偶然だろ」


そう言うと、瀬川さんは水野くんの肩にぽん、と手を遣ってリビングの奥へと入っていく。


「ちげーよ。そういうことじゃっ…」


そして水野くんが瀬川さんに何かを言いかけた時、あたしはふいに水野くんと自然と目が合った。

そしたら水野くんは何故か言おうとしていた言葉を飲み込んで、黙って瀬川さんに背を向けてしまう。


「…?」


…水野くん?

どうしたの?

だけど一方のあたしは、そんな目の前の状況を全く把握できない。

二人の間に何かあったのかと聞こうとしたけど、何だか聞いちゃいけない気がして…。

代わりに、場の雰囲気を少しでも明るくしようと口を開いたら、その時瀬川さんがそれを遮るように言った。


「なぁ優大、」

「?」

「んな心配しなくても、俺はもう気にしてないから。あの時のこと。っつか吹っ切れた」


そう言って、水野くんの背中に向かって微笑む。


…あの時のこと…?

でも水野くんは瀬川さんのその言葉に何も言わずに、やがていたたまれなくなったのかリビングを出て行った。


「!水野くんっ…」


そんな水野くんを心配してあたしは追いかけようとするけれど、その時それを即座に瀬川さんに止められてしまう。


「真希ちゃん、」

「!」

「そっとしといてやってよ。こうなるのも仕方ないから」

「…でも、」


瀬川さんはそう言って特に気にしていない様子を見せるけれど、一方のあたしは少しずつ不安が募っていく。

…水野くん、大丈夫かな。

どうしちゃったんだろう。

だけどその後は結局水野くんはリビングに戻ってくることはなく、瀬川さんは夕飯を食べるとすぐに帰って行った。


……………


「水野くん?」


それから少し時間が経って、あたしは夕飯を持って水野くんの部屋に行った。

小さな不安を覚えながらノックをして声をかけると、中から水野くんの声が聞こえてくる。


「…なに、」


その少し低い声に、あたしは思わず言おうとする言葉を詰まらせる。

だけど、水野くんのことは心配だし。

少し間を開けると、あたしは思いきって言った。


「あの、水野くん大丈夫?」

「…」

「…あ、あのね!夕飯持ってきたんだ!まだ食べてないし、お腹すいてるかと思って!」

「…」

「えっと…た、食べる?」


あたしはそう言うと、ドア越しに水野くんの返事を待つ。

どうしよう…やっぱり来ちゃマズかったかな。

そう思っていると…


「…!」


ふいに、中から水野くんの足音がこっちに向かってくる音が聞こえた。

その音にあたしが肩をビク、と震わせていたら…


「…、」

「!」


ふいに目の前のドアが開いて、そこから水野くんが顔を覗かせた。

でも、水野くんは…


「…食べる。ありがと、」


それだけを言うと、あたしと目を合わせようともせずにまた部屋の中に入ろうとする。


…え、嘘。

もう行っちゃうの!?

だけどあまりの素っ気ないその水野くんの態度に、あたしは少しビックリして。

もう少し話したかった気持ちがあったあたしは、そんな水野くんの背中を見ると…


「ま、待って!」

「!」


突如引き留めるように、その背中の服を掴んだ。

…だって、わかんない。

あたしは水野くんと一緒に住んでるはずなのに、そのクセに知らないことが多すぎるから。

もっと水野くんのことを知りたいあたしは、その背中に呟くように問いかけた。


「あの……水野くん、は…」

「…」

「瀬川さんと、何があったの?」


教えてよ。

しかし、あたしがそう聞くと、水野くんが背を向けたまま言う。


「真希は知らなくていい」

「…~っ、」


その言葉に、あたしは返す言葉を失う。

確かに、水野くんの過去にあたしは関係ないかもしれない。

けど…あたしは、水野くんのことが好きだから。

綺麗ごとに聞こえるかもしれないけれど、その悲しみを半分あたしに分けてほしいって、そう思う。

それは…水野くんにとって迷惑かな?

あたしはそう思うと、水野くんの服を掴んでいる手をそっと離して、言った。


「…水野くんは、言いたくないのかもしれないけど」

「…」

「あたしは、知りたいよ」

「!」

「水野くんのことを知りたい。

たった独りで抱え込んでないで、嫌なこととか辛いこととか…あたしにわけてよ。

水野くんは今まであたしのことを何度も助けてくれたのに、あたしは水野くんを助けちゃいけないの…?」


あたしはそう言って、いつのまにか零れていた涙を指で拭う。

水野くんに何があったのかは知らないけど、独りで大きな何かを抱え込んで苦しんでいるのは事実で。

目の前のその背中を見つめて返事を待っていたら、その時ふいに水野くんがあたしの方をクルリと振り向いた。


「…!」


そして、目があった途端に、正面から静かに抱きしめられる。

…水野くん…

その体温にあたしがドキドキしていたら、水野くんがふっと体を離して…あたしと目を合わせる。

まともに合わせたその表情は、今までに見たこともないくらいに哀しい顔をしていて。

涙は全く見えないけど…その顔はまるで泣いてるみたい。

その表情にあたしが何も言えなくなっていたら、水野くんがあたしの涙を指で拭いながら言った。


「…ごめん」

「!」

「心配してくれるのは、素直に嬉しい。けど…今はどうしても言えない。ごめん、」


水野くんはそう言うと、あたしの頬からその手をそっと離す。

そして最後に切なく微笑むと、水野くんはあたしに背を向けてまた部屋に入って行ってしまった。


「水野くっ…!」

「…、」


そんな水野くんの背中をあたしは呼び止めるけれど、その声もむなしくドアが閉まってしまう。

…また、結局聞けなかった。

やっぱり、水野くんから話してくれるのを待つしかないか…。

あたしはそう思いながら、また零れる涙を拭った。


…………


ドアを閉めた直後、壁に寄り掛かって座り込んだ。


“何があったの?”

“教えてよ”


…さっき真希から言われた言葉が、脳裏から離れない。

俺はふいに幼なじみの真希の落書きされた教科書を手に取ると、過去の“地獄の瞬間”を頭の中に思い浮かべた。


……言えるわけないだろ。

何で言えるんだよ。


“優ちゃん───…”

“優ちゃん、あのね──…”


だって幼なじみの真希がいなくなった原因は、この俺にあるから───…。















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