鬱病編 自傷行為と私(3)

「二月十四日。胸が苦しいの。息ができなくなる。その場にいる自分が許せなくて。でも切るとバレるから、頭をどこかに打ちつける。何度も、何度も。でもそれもうるさいから、首を絞める。あっという間に視界がかすんでその場に倒れこむ。あの感覚は癖になる。頭おかしいのかな?」


この頃の私は、自傷がばれないように必死だった。足首を切って病院で縫った次の日のバイトに、私は遅刻した。起きたら6時で、慌ててバイト先に向かう。足首の包帯はみんなに心配された。バイト先の人たちは好きだ。それなのに、多大な迷惑と心配をかけてしまったことに反省した。家族の対応は今までと変わりなかったけど、自傷がバレて(今までもバレてはいたが)あれだけの事態になったことは事実で、居心地が悪く感じてしまうのも必然だった。カッターで切るとバレるから、頭を壁に打ちつけたり、腕や足を殴ったり、タオルで首を絞めたりしていた。首を絞めた時の、頭がふわふわするあの感覚が好きで、まるで自分がこの世のものじゃないような錯覚に陥った。もちろん全て先生に話していたが、自分がなにを思ってそんなことをするのか、自分でも理解できていない部分を伝えることはできず。ただ危険だから自傷はやめよう、としきりに言われていた。

ーーやめられるなら、とっくにやめてるんだけどな。

それでも、薬の効果か段々と落ち着いてきていたらしい。


「三月十三日、月曜日。最近自傷行為はあまりしなくなった。自分でブレーキがかけられてるんだと思う。それでも気分は沈んでばかり。いつも消えたいって思うの。死んだらきっと楽になれる、なにも考えなくていい。でも19年間、今日この日まで関わってきた人たちはどう思うだろうか。これ以上、誰かに迷惑かけていいはずない。もともと私という存在がなければ、こんなふうに苦しむことも、生に執着することもなかった。存在自体消えてしまうことができたなら、今すぐにでも消えてしまいたい。そこには期待する未来も、真っ暗な未来もないんだから。生きたくても生きられないのと、死にたくても生きなければいけないの、どっちの方が辛いんだろう。生きてていいの?生きなきゃいけないの。自分を傷つけちゃいけないの?どうして?傷つかなきゃ生きられないのに。」


私は無事専門学校に入学した。周りはやはり一個年下の子ばかりだったが、なんとか友達もできた。その専門学校は様々な学科があって敷地も広い。私の高校時代の親友の一人がその学校の鍼灸科に通っていたので、たまにお昼を一緒に食べたりした。授業はデッサンやストーリー・キャラクターの作り方、ネーム(漫画のラフ)の描き方から原稿用紙などの道具の使い方、漫画の基礎を色々と学べた。しかし、高校生から独学で漫画を描いていた私には、あまり意味がない、と思ってしまう授業も多かった。それでも、授業で漫画を描けるのは楽しいし、デジタル画材なども支えて新鮮だった。投稿作品を先生に見てもらうこともできる。充実していた。それなのになぜだろう。私はやっぱりうまくできなかった。


次第に休むことが増えた。なぜだかわからない。それはやっぱり、私の根性の無さが原因なのだと思う。専門学校に入る前の冬に描いた漫画は、やっぱり選外だった。結果が出ないことに不安と焦りを感じて、いつからか描くことが苦痛になっていたんだと思う。それでも他の人みたいに、努力できない自分が嫌だった。好きだったはずのものが、私を追い詰める。

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