制服騒動

 マリちゃんと家でダベってます。


「ミサキちゃん聞いて聞いて、マリもやっと主任になれたのよ」

「見た見た」


 ミサキがこう言ったら、マリちゃんは真面目くさった顔で、


「香坂副本部長、お褒めの言葉、ありがとうございます。これからも精進に努め、我が社の発展に尽くす所存でございます」

「やだぁ、マリちゃん」


 ここから話題はなぜか制服のことに。うちの会社には女性社員には制服があります。肩書が付くと私服というかスーツにしても良くなります。マリちゃんも、


「やっとスーツ姿になれるの」


 マリちゃんにも正式の辞令が出て主任になっていますが、着ているのはまだ制服です。主任になった途端にスーツに変えられる人も少なくありませんが、しばらくは制服のままの人も多いところです。このスーツ姿になれるのはヒラで無くなった証でもあるのですが、もう一つ意味があります。


「これで、安心して外に食べに行ける」


 由緒不明というか、いつから、どんな経緯で決まったかはもう誰も知らないのですが、


『昼休みに社外で食事をとる時には私服に着替えること』


 そうなんです。会社を出て、外で昼食を取りたければ、わざわざ着替えなければならないのです。うちの社員食堂は安いし、美味しいし、メニューも充実していますが、やはり外に食べに行きたい日もあります。でも、そうしようと思うと着替える必要があるのです。

 ただなんですが、着替えずに外に出る女性社員は少なくありません。正直なところ面倒ですし、学校みたいに風紀委員が玄関に頑張っていたり、社外を巡回している訳ではないからです。

 それと制服の女性社員がすべて服装規定に違反している訳ではないというのもあります。あまりにも例外過ぎるのですが、たとえばシノブ常務。常務ですよ、常務になっても頑としてあの制服姿を変えられません。そんなシノブ常務が制服で外食されても服装規定違反に問われません。

 この辺がややこしい規定なんですが、ヒラへの制服は支給になっています。これが肩書付きになると女性社員だけなのですが、制服支給が無くなる代わりに衣服手当が出ます。おおよそ制服代相当なんですが、これで制服を買えば私服扱いになります。ここは単純に肩書付きであれば、制服で外食してもOKになるぐらいで解釈してもらって良いと思います。

 ですから、制服で外食している女性職員を咎めようとしても、制服だけでは判断できず、ヒラかそうでないかの確認まで必要になります。そうなると名札を確認したいところですが、うちの会社の名札は首からぶら下げるタイプと、胸に付けるタイプがあります。制服職員は首からぶら下げるタイプなのですが、食事中は外しても良い事になっています。あれがブラブラすると食べにくいし、食事に触れて汚れることがあるからだそうです。

 そのために、わざわざ本人に肩書の有無を聞かないと咎めることが出来ないことになります。同じ部署の社員なら顔だけでわかりますが、他部署となると知らない人もいます。もっとも、同じ部署の社員でもわざわざ服装規定で咎め立てると、後で女性職員一同から、


『この、いけ好かない奴』


 この冷たい、冷たい、視線を浴び続ける覚悟が必要ですから、おおかたは見て見ぬふりをすることが多くなっています。それでもなんですが、どこの世界にもそんな有名無実になりそうな規定を守らせようとする小姑みたいな人がおられます。そういう人に引っかかると運が悪いってことになります。


「ミサキちゃん、思うんだけど、制服外食禁止規定なんて廃止にしたら良いと思うんだけど」

「そうよねぇ」


 女性社員から不満の多い規則ですが、何度か廃止が検討されたこともあったそうです。ところが一部に強硬な制服外食禁止規則護持派がいて、いつもウヤムヤで立ち消えになってしまうそうです。


「その護持派って、やっぱり男性幹部?」

「男性もいるけど、一番強硬なのは女性のようよ」

「やっぱり女の敵は女ね」

「まったく」


 さて話題はさらに流れて、


「今年もやらかしたのいた?」

「いたわよ、給食部の永野課長補佐」

「どれぐらい」

「かなりだった」

「見たんでしょ、教えてよ」


『やらかした』とは、若く見えすぎる重役のシノブ常務をヒラ扱いして、後で恥をかくことです。


「でも海外事業部の山田課長の一件から、異動したらまず小島常務と結崎本部長に、真っ先に挨拶に行くことになってるんじゃないの」

「どうも給食部はそうじゃなかったみたい」

「あそこはちょっと変わってるものね」


 他の会社はどうだか知らないのですが、うちの給食部は他部署との交流も少なくてタコツボ部とも陰口を叩かれています。給食部と言っても実際に社員食堂で働いている人は専属でまず異動などありませんし、よく顔を合わせていますから知っています。タコツボ部と呼ばれているのは、その上の管理部門の人になります。


「ミサキも給食部の人って言われても、食堂の人は知ってるけど、他は知らないもの」

「マリもそう」


 うちの会社の人事は実力主義の色合いが濃いのですが、給食部だけは年功序列の色彩が濃いと言われています。永野課長補佐も札幌支社から異動なのですが、実力を買われて本社に抜擢されたというより、ローテーション人事と見て良さそうです。つまり、


 札幌支社課長補佐 → 本社課長補佐 → 札幌支社課長代理ないし課長


 同じ課長補佐でも支社より本社の方が一格から一格半ぐらい上の扱いになるって感じです。他の部署でもかつてはそんな感じのローテーション人事が多かったそうですが、今は本社に精鋭を集める実力主義傾向が強くなっています。

 その辺は部署の特性ですから、まあ良いのですが、そういう特徴を持った給食部ですから、他部署の人を良く知らないと言うのは確実にあります。


「それでね、永野課長補佐なんだけどカチカチの護持派なの」

「へぇ、やっぱり女の敵は女ね」

「後で聞いたんだけど、札幌支社の風紀委員ってあだ名があったぐらいだそうよ」

「だから、やらかしたんだ」

「そうみたい」


 その日は午前中に会議があり、コトリ専務とシノブ常務と連れだって、外でランチをすることになりました。そこに現れたのが永野課長補佐。


「ミサキちゃん、それって最悪のシチュエーションじゃない」

「永野課長補佐も運が悪かったと思うよ」


 三人組はスーツ姿のコトリ専務とミサキ、そこに制服姿のシノブ常務です。とにかく見た目がコトリ専務でようやく二十代半ば過ぎ、ミサキとシノブ常務なんてせいぜい二年目程度です。顔を知らなければ、ヒラ社員三人組が外食してるようにしか見えないのです。とりあえずシノブ常務が制服なのでクレイエールの社員であるのだけはわかりますが、食事中なので名札は外しています。


「店に入るなり、ミサキたちのテーブルに来たのよね」

「やっぱり、護持派の風紀委員なら来るわよね」


 永野課長補佐は肩書の確認すら不要のクレイエールのヒラ社員三人組の外食と判断されてたようです。そう見えるのに同情しますが、頭ごなしにまずシノブ常務に


『そこのあなた。部署と名前を』

『経営戦略本部の結崎忍です』

『後の二人も』

『ジュエリー事業部の小島知江です』

『総務部の香坂岬です』

『社内規則を知ってるわね。同席していたあなた方も共犯です。社に帰ったら報告させてもらいます』


 ミサキは肩書を言って追い払おうとしたのですが、コトリ部長がミサキの肘を引いて耳元で、


『おもしろそうやん。シノブちゃんゴッコやろう』


 こう言われちゃいました。


「ミサキはともかく、小島常務と結崎本部長なら名前だけでわかると思ったのよ」

「そうだよね。えっ、えっ、まさか気づかなかったの」

「そうなの」


 人の思い込みとは怖いもので、頭からヒラと信じ込んで結びつきようがなかったようです。そこにトドメが、


『なにを悠長に食べてるの、トットと帰りなさい』


 これは拙いとミサキでもわかりました。その日にコトリ部長が食べていたのが、あのミックスフライ定食だったのです。


「マリちゃんね、小島専務は小さいことにあんまりこだわらないように見えるかもしれないけど、食い物の恨みだけは怖いのよ」

「そうなんだ。でも、どれぐらい怖いの」

「マリちゃんにも怖くて話せないぐらい」


 これは怖くて話せないというより、マリちゃんに偽カエサルの一件を話しても信じてくれないのがまず一つ。それだけで理由は十分なのですが、あの頭がグシャグシャになりそうな話なんか誰にも聞かせたくないからです。


「で、どうなったの」


 会社に帰る途中のコトリ部長の目がこれ以上はないぐらい細くなっていました。ああいう表情をしている時のコトリ部長は何か企んでいます。シノブ部長に何か耳打ちして、この日は経営戦略本部に行かれました。とにかく忙しいコトリ専務ですが、その日は他の仕事を遅らせてまで永野課長補佐からの電話を待ち構えていたとしか思えません。


「小島専務に電話で報告するかなぁ」

「そうじゃないよ、永野課長補佐が連絡しようとしたのはせいぜい部長以下だよ」

「じゃあ、小島専務は」

「課長に化けてた」


 後でシノブ常務に教えてもらったのですが、電話のやり取りはこんな感じです。


『経営戦略本部で外食時の服装規定を守らない者がいます』

『そういう者は経営戦略本部にはおりません』

『そう言われますが、私は見ましたし、部署と名前も記録しています』

『あははは、白昼夢でも見られたのではないでしょうか。だいじょうぶですか?』


 人を小馬鹿にしたようなコトリ部長の応対に永野課長代理は切れたようです。


『うちうちで穏便に済ましてもらうつもりでしたが、そうはいかないようですね。最悪、あなたのところの管理責任が問われますよ』

『どうぞ、どうぞお好きなように。どこの世界に白昼夢の管理責任など存在するものですか。あははは、春になると変なのが湧いてきて困ります』


 それぐらいのやり取りで電話は終りました。


「ありゃ、小島専務。思いっきり焚きつけたんだ」

「でもね、マリちゃん。永野課長補佐は給食部長かせめて給食課長ぐらいにまず相談すると思ったのよ」

「それが筋じゃない」

「いくらタコツボ部でも本社の人間なら小島専務や結崎常務を知っているから、そこで話が終わると思ってたのよ」

「たしかに」

「でも、永野課長補佐はいきなり規律委員長に直訴しちゃったの」


 服務規程違反は軽微なものなら、その直属上司に報告して、上司からの注意で終らせるぐらいが慣例です。これなら履歴に傷が付かないからです。もちろん重大な違反や、軽微なものでも、常習犯的に繰り返し処分が必要と判断された時には、規律委員会にかけられ正式の処分が下されます。


「規律委員長って高野副社長じゃない」

「そうなの。かなり面食らったみたいよ」


 ここも補足が必要なのですが、上司の非正式の注意だけで終わらせるのはあくまでも慣例です。軽微なものであっても規律委員会に申し立てて正式の処分を求める事は可能です。ただ規律委員会にかけるというのは、社としての正式の処分になるため、昼休みの服装規定程度でいきなり規律委員会に申し立ては異例に近いものになります。これは高野副社長の秘書から聞いた話ですが、こんな感じのやり取りだったそうです。


『今日は規律委員会の高野委員長に申し立てに参りました』

『それは正式の申し立てかね』

『もちろんです。こちらが申立書です』


 申立書に高野専務は目を通します。


『書式に申し分はない。規律委員会としては、正式の申立書が提出されれば、これを受理しないといけない決まりになっておるが、誰かにもう一度相談する気はないかね』

『ありません』

『これはあくまでも個人的なアドバイスだが、もう一度、誰かに相談してから提出した方が良い気がするのだが』

『書式に誤りはないはずです。これ以上、専務が受理を拒まれるなら、その件についても申し立てをさせて頂きます』

『そこまで言うなら受理するが。本当に結崎忍、小島知江、香坂岬の外食時の服装規定違反に対する申し立てでイイのだね。最後にもう一度だけ聞いておくが、規律委員長としての高野ではなく、副社長の高野に個人的に相談してみる気はないかね』

『ありません、受理宜しくお願いします』


 こんなやり取りだったそうです。


「高野副社長もズバッと言ってあげれば良かったのに」

「そうなんだけど規律委員会の規則があるみたいなの」


 規律委員会に正式に申し立てが為された場合、書式等の事務手続きに不備がない限り、その内容に意見を述べたり、受理を拒んではならないとなってるそうです。かつて受理段階の握り潰しによる隠蔽工作が問題になった事があり、そうなっているそうです。


「じゃあ、高野副社長は温情で誰かに相談し直すように、三度も念を押したってこと」

「そうみたいだけど、聞く耳持たずで、永野課長補佐は正式に受理させちゃったのよ」

「じゃあ、処分も正式に規律委員会から出たの」

「そうなっちゃったの」


 規律委員会では、まず永野課長補佐が処分を求めたのが専務、常務、副本部長ですから、そもそも服装規定違反など、どこにも存在しないと速やかに結論されたそうです。主に討議されたのは永野課長補佐をどうするかです。規律委員会に呼び出されたのは永野課長補佐で、店でのやり取りの詳細まで徹底的に聞きだされたそうです。


「そこでね、小島専務の昼食を頭ごなしに怒鳴りつけて中断させたのが、わかっちゃったみたいなの」

「そこ気になってたんだ。それってクレイエール本社での最大のタブーになるよね」

「そうなの。高野副社長はもちろんだけど、規律委員全員の顔がこれ以上はないぐらい険しくなったそうよ」


 かなり強い処分を求める声が飛び交ったそうですが、一番軽い非正式の注意になったそうです。


「高野副社長は優しいね」

「そうでもないみたい。規律委員会は服務規程の違反に対する処分を決めるところで、不文律の処罰を決めるところでないってところの扱いにしたみたい」

「あっ、そっか、そっか、じゃあ」

「そういうこと。規律委員会の処分は非正式の注意だったけど、その代り『給食部長、覚悟しとけ』みたいな感じだったみたいよ」


 給食部に送られた規律委員会の処分書にも、小島専務の昼食を頭ごなしに怒鳴って中断させたことが明記されていたそうです。それを読んで震え上がらない本社の人間はいません。給食部長は烈火のごとく怒りまくり、まさに大爆発だったそうです。


「で、永野課長補佐はどうなったの」

「給食部長から、これでもかってぐらい油を搾り尽くされたみたいよ」

「ほんじゃあ、衝立部屋送り」

「小島専務が手を回していたみたいで、そこまでにはならなかったみたいだけど、札幌に帰るのは早くなりそう」


 ここまでならコトリ部長のミックスフライ定食への報復ぐらいのお話なんですが、


「それでね、昼休みの服装規定問題だけど、やっと廃止になるみたい」

「ホント、そりゃ良かった」

「それがね、護持派の総本山が給食部だったみたいなの」

「やっぱり。社員食堂の利用率を上げるためってぐらい」

「そういうことみたい。小島専務はそこまで計算してたと思う」

「ほんじゃあ、永野課長補佐もある意味、服装規定改革の功労者ってことになるわね」

「思いっきり皮肉を利かせているのが小島専務らしいと思ってる。部下が致命的に近い大失態を犯した直後に小島専務に廃止を提案されたら、ロクロク反論できないものね」


 クレイエールは本日も平常運転です。

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