第3話 互いの胸が痛むのは
日が暮れる頃に、私とケントさんはアレーセルに到着した。
馬車はそのまま街中を走り、ミンクレール商会の建物へと向かっていく。
私が暮らしていた王都に次ぐ規模を誇るこの街は、貴族間の争いも比較的少なく、スラム街での事件もかなり件数が少ないのだとケントさんが教えてくれた。
窓を流れる景色に目をやれば、雰囲気の良いスイーツショップがいくつも建ち並んでいる。
そういえば昔、お母様がこの街のショップからケーキを取り寄せていたわね。シフォンケーキも上品な香りだったし、チョコレートを使ったものも舌触りが滑らかで……甘みと苦味のバランスが絶妙だった。
ということは、アレーセルはスイーツが有名な街なのね。
これからここで暮らすのだから、ちょっとしたお茶会に相応しいお菓子を自分で探すのも楽しそうだわ。
「もうじき到着だ。長時間座り続けていたから、疲れただろう? 商会に着いたら父さんに軽く挨拶をして、その後少しお茶でも飲もうか」
「そんなに気を遣って頂かなくても宜しいですのに……」
「僕がそうしたいんだ。女の子は、お菓子作りのように繊細だからね。紳士として、常にそう心掛けているんだよ」
「もしかして、ケントさんはお菓子を作られた事がありますの?」
素直に疑問をぶつけると、彼はきょとんとした後、首を振って否定した。
「違う違う。作るのは僕の友人の方で、僕は食べる方専門さ」
「ケントさんのご友人って……王都まで会いに行かれたお方の事ですか?」
お菓子作りが趣味だなんて……。
友人とは仰っているけど、まさか女性……?
もしかしたら、ケントさんの婚約者という可能性もあるわ。
彼は私を悪漢から救って下さった、運命的な出逢いを果たした殿方ですもの。ここで未来の旦那様候補から外れてしまってはいけませんわよ!
「ああ、それもまた違う奴でねぇ。お菓子職人の彼は、学校の同級生なんだ。寮も同じ部屋で、色々なお菓子をご馳走になっているんだよ」
寮で同部屋……?
ならば、その方も殿方ですわね! 完全にセーフでしたわ!
「それは興味深いですわね! 私もお菓子を戴く方ばかりですけれど、そういったご趣味がある事は素敵だと思いますわ!」
「だろう? 今度彼に頼んで、持ち運びしやすいものを作ってもらって、休みの日に持って行ってあげよう!」
「本当ですか? その時にはお礼の手紙を書きますわね!」
「そんなに楽しみにしてくれるだなんて……! きっと彼も、君の為に腕を奮って最高のお菓子を作ってくれるに違いないよ」
そう言って、煌めく太陽のように笑うケントさん。
けれど、私が無駄に元気良く話しているのはそれだけが理由ではなくってよ!
貴方に女の影が無いと分かった事が嬉しいせいなのです!
そんな本音は、口が裂けても言えないけれど……。
すると、目的地に丁度到着したようで、緩やかに馬車が停まった。
降りる時もケントさんが自然な動作で気遣ってくれたから、いつもなら退屈なはずの馬車移動がとても楽に感じられた。
────────────
ミンクレール商会は、食品から調度品、ドレスに宝石類──他にも様々な商品を扱っていている。
それぞれのプロフェッショナルである職人と取引し、客の望む最高の品を販売する事で知られる、一流財閥。
そういえば、私の服やドレスも何十着かここで買ったのだとお父様が仰っていらしたわね。
買ったと言っても、その全てがオーダーメイドの一点もの。
パーティーに着ていくドレスを作るなら、最初に欲しいドレスの具体的なイメージを伝え、製作を担当する職人が屋敷までやって来て寸法を測る。
数日後には何種類かの完成図が届けられ、その中から気に入ったデザインを選んで初めてドレスが作られるのだ。
公爵家も
建物の景観も文句の付け所の無い優美なもので、確かにケントさんのあの物腰なら、こんなに立派なご子息が育つのも頷けるわ。
「さ、中へどうぞ」
扉一つとっても、非常に品がある。
店内はダークブラウンの木の温かみを感じる柱や、白をメインにした壁紙が、この商会の品格や誠実さを表現していた。
しかし……気になる事が一つだけ。
「……人が居ませんわね。客は勿論、従業員までもぬけの殻なのではありませんこと?」
「……君の言う通りだな。普段なら、僕が来た途端に誰かしら出迎えに来るというのに……」
アンティークの壁掛け時計の針が規則的な音を奏でる以外は、無音の空間。
私達しか──この場に居ない。
「僕が来る事は、間違い無く伝えていたはずだ。急に店仕舞いした訳でもないだろう。扉に鍵は掛けられていなかったのだからね」
「一体、どうしたというのかしら……」
……何故かしら。事件の臭いがするわ。
「ケントお坊っちゃまぁ!」
すると突然、どこからかくぐもった声がしたかと思えば、目の前の床板がガタガタと音を立て始めたではないか。
外れた床板の下から現れたのは──真っ白な髪を綺麗に整えた、老紳士だった。
「ルーファス! 店の様子がおかしいようだけれど、一体何があったのか説明してくれるかい?」
ルーファスと呼ばれたその男性は、慌てて床から這い上がりながら言う。
「大変なのです、坊っちゃま!」
「うん、見れば分かる!」
「ええ、本当にその通りで……! 実はですな、旦那様が巨漢の大男が連れた、何だかやたらと物騒な集団に連れ去られてしまわれたのでございます!」
「それは一大事じゃないか! すぐに捜索しなければ……と、ついでに言わせてもらうけど、巨漢と大男は同じ意味だよ!」
「申し訳ございません……! なにぶん私も老いぼれでございます故、急な事態に混乱しておりまして……」
父親でもあるこの商会のトップが攫われてパニックになっているのは分かるけれど、二人共愉快すぎる会話を繰り広げているわね。
これだけフレンドリーな関係なら、私もここでやっていけそうだわ。
……いえ、その前に彼のお父様をお助けしなくては! 働くどころの問題じゃありませんでしたわ!
「会長様は、誰かに恨まれるような事をなさってはいないのですわよね?」
「勿論だとも。父さんはそんな人間じゃない。となると、犯人の目的は……金か?」
「人質に取られてしまった、というのが一番に挙げられる可能性ですわね。お店の警備関係はどうなっておりますの?」
「万全だったはずだよ。うちにはかなり身分の高いお客様もいらっしゃるから、手抜きなんて一切していない。それなのに……何故こんな事態になるんだ?」
すると、ルーファスが怯えた様子で口を開いた。
「私は旦那様が攫われるまで、一部始終をこの目で見ておりました」
「本当かい!? 出来るだけ詳しく聞かせてくれたまえ!」
「は、はい! まずは、とある一人のお客様がいらした所から始まります」
────────────
いつもと変わらぬ営業風景の、ミンクレール商会。
そこへやって来た大柄の紳士が一人、絨毯が欲しいと会長様に話したという。
根っからの商売人気質だという会長は、その紳士の注文にぴったりの品を用意しようと意気込み、にこやかに接客していた。
軽い清掃を行っていたルーファスは、偶然二人の近くに居た為、彼らの会話がよく聞こえていたらしい。
「お二人はどんな絨毯が良いだとか、こんな色をご所望ならこの職人に任せましょうだとか、そういったお話をされておりました。それからしばらくして、お客様の態度が急変したのでございます」
「急変だって?」
「ええ、それはもう恐ろしい顔と声色で、旦那様を脅し始めたのです! その男の声を合図に、何人もの品の無い男性達がここへ乗り込んで来ました」
すぐに警備の者が取り押さえるかと思いきや、気が付くと警備員達は全員姿を消していた。
当然あっという間に会長様が捕らえられ、他に助けを呼ばせない為なのか、従業員も全員攫われてしまったのだという。
「……それで、貴方は何故無事だったの?」
「いえ、実はですな……。つい先日、あそこの床に大荷物が落ち、穴が空いてしまいまして。今夜にその修理を行う予定だったのですが、それまでの間に簡易的な処置を施していたのです。簡単に板が外せますから、私は
「それで、僕がこうして駆け付けるまで待っていたんだね?」
「ええ、仰る通りにございます。なにぶん年寄りなものですから、突き飛ばされでもしたら簡単に骨が折れてしまいますし……とても怖かったもので……。申し訳ございません」
心の底から申し訳なさそうに謝るお爺さん。
本当に怖かったのでしょうね。当時の恐怖を思い出してしまったのか、目が潤んでいた。
「いや、一人でも事件当時の状況を詳しく知る者が残っていて助かったよ。無事で良かった、ルーファス」
「おおっ、何とありがたきお言葉……!」
「情報は限られているけれど、何としても父さんと皆を救出しなければ……」
今日はよく人攫いが頻発するわね……。
私も下手したらあの男に売られていたかもしれないのだから、他人事じゃないわ。
何か協力出来れば良いのだけれど……。
「すぐに屋敷から人を呼んで来るから、二人はここで待っていてくれたまえ。犯人達がいつ戻って来るかも分からないから、鍵をちゃんと掛けて待っているんだよ」
「わ、私もお手伝いさせて下さいませ!」
「駄目だよレティシア。君をスラムで攫おうとした連中とは数が違う。それに、僕の父を誘拐したんだ。きっと手強い相手に違いない」
ケントさんはそう言って、背を向けてしまった。
「だからこそ、私もどうかご一緒に! 一通りの魔法の心得はあります。あの時は知らない男性相手でしたから手間取ってしまいましたけれど、貴方と一緒なら戦えますわ!」
「……それでも駄目だ」
「どうして……っ、どうして私を連れて行って下さらないの!?」
彼の背中に必死に呼び掛ける。
ケントは一度だけ私に振り向いて、悲しげな面持ちで、呟くように言葉を振り絞った。
「……ごめんね、レティシア」
そうして最後に、無理矢理浮かべた微笑みを残して彼は行ってしまった。
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