第1章 悪役令嬢にはなりません!

第1話 世間知らずのご令嬢

 さて、どうしたものかしら。

 今の私はまだ十二歳。

 そして手には沢山の宝石が散りばめられた、私に贈られた装飾品の数々を詰め込んだ小箱が一つ。

 勢いで家を飛び出してきてしまったけれど、この先どうするのがベストなのかしらね。


 本来ならば今日この日に、私はセグの第一の花乙女として選ばれるはずだった。

 その理由は単純だ。

 今年開かれた私の誕生会に合わせて、画家に描かせた一枚の肖像画。

 そこに描かれた私の美しさを噂に聞いて、一番にアルドゴール家にやって来たのだと、彼自ら話された事がある。

 貴族しか招待していないパーティーで王子の耳にまで入るのだから、私がどれだけの美少女なのかは、誰だって理解してくれるはずだわね。

 今となっては、どれだけ彼に容姿を褒められても、微塵も嬉しくないのだけれど。


 以前の私は、そうして離宮で暮らし始め、十五歳の春からセグと共に、ルディエル国立魔法学院に入学した。

 基礎的な読み書き、計算──貴族に相応しいあらゆる振る舞いは、何人もの家庭教師から教わる事が出来る。

 国立魔法学院は、若い貴族達にとって重要な役割を果たす場所である為、この国の貴族ならばほぼ全員が卒業していると言っても過言ではない特別な学校だ。

 若い内から学内で顔を売り、優秀な成績を残して卒業出来れば一目置かれる。

 あそこに在籍する生徒達は皆、己の将来に役立つ人脈と印象を手に入れるべく学んでいるのだ。


 私自身、あの学院ではかなり優秀な生徒だった。

 後から花乙女に選ばれる事になる他の少女達も在学していたけれど……やはりその中でも、私の魔法技術はトップクラス。

 婚約者だったセグに花を持たせる為に遠慮していた部分はあったけれど、それでも五本の指に入る実力者だったのは間違いない。

 せっかく人生をやり直す事が出来るのだもの。今度はもっともっと上を目指してやりたいわ!

 またセグや花乙女達と同じ敷地内で寝泊まりする寮生活は二度と御免だから、ライバル校であるセイガフ魔法武術学校に入学してしまうのも良いかもしれない。

 でも、そうするにはまだ私の年齢が入学条件に足りていないのが問題だ。

 あと二年──私はどこで、どう生きれば良いのかしら。


「……悩みすぎるのも私らしくありませんわね。ひとまず、セイガフのある街まで行く旅費が必要ですわ」


 私は、一般的な『お金の稼ぎ方』というものよくを知らない。

 だからこそ、家から持って来たこの小箱の中身を売って、しばらくは困らない程度のお金に換えてしまいたかったのだ。




 まだ午前中の城下町を歩きながら、私は数え切れない人数の庶民で賑わう通りを歩いていく。

 その中で質屋の看板を見付けた私は、躊躇ためらい無く店のドアを開けた。

 私の部屋より少し狭い印象を受ける店内には、初老の男性が居た。

 多分、彼と取引をしてお金に換えてもらうのね。


「いらっしゃ……おや、こりゃまた小さなお客様ですな。ここは、お嬢さんのような方が一人で来るような場所ではありませんぞ?」


 私のような、という表現にピンと来た。

 ここには、私ぐらいの年齢の子供も客として来るのだろう。恐らくは生活苦に悩み、どこかで盗んだ品物を売りに……。

 しかし、私の場合は髪も肌も整えられていて、着ているものだって一目で上質な物だと分かる。きっと私がどこかの令嬢だと気付いているのだろう。

 普通はそんなお嬢様が、お金を求めてこんな場所に来るはずがない。そういう意味が込められた発言だ。


「私にも色々と事情があるのよ。とにかく今すぐにお金が必要なの。この中に入っているアクセサリー、全部換金して頂戴!」


 カウンターに小箱を置き、早く開けるように目で促す。

 店主は言われるままに箱を開けると、小さな目を少し見開いて言った。


「これだけの数のアクセサリー……。そのどれもが、上流階級に出回るような高価な品ばかり。お嬢さん、本当にこちらのアクセサリーを売られてしまっても宜しいので?」

「宜しいも宜しくないも無いわ! これらは私にプレゼントされた物なのだから、いつどういった形で手放そうが私の勝手でしょう?」


 私がそう返せば、店主は小さく頷いて返す。


「ええ、おっしゃる通りにございます。品数が多いので、鑑定に少々お時間を頂戴致しますが……」

「構いませんわ。では、こちらで待たせて頂きます」

「畏まりました」


 店主は小箱を持って店の奥の部屋へと消えた。

 近くに置かれたソファーに座って待っていると、彼の娘か従業員らしき女性が紅茶とお茶菓子を運んで来た。

 カップを口元へ寄せると、ふわりと漂うオレンジの香り。


「オレンジペコね……」


 ふむ、悪くない香りね。茶器も良いセンスをしているわ。

 ただ一つ文句を言わせてもらうなら、このクッキー。

 あまりしっとりしたタイプのクッキーは好みじゃないのよね。

 香ばしく焼いたジャム入りのクッキーがベストなのだけれど……ここで文句を言っては駄目だわ。

 私はもう悪役令嬢みたいな人生を繰り返したくないのだもの。もっと落ち着いて、他人を不快な気持ちにさせないようにしなければ。

 例えるならそう、エリミヤのように──




 鑑定が終わり、全ての装飾品を売り払った分のお金を袋に詰めさせた。

 自分一人で買い物なんてした事が無いから、渡された金額でどれだけの事が出来るのか感覚が掴めない。

 けれど、世の中にはギルドと呼ばれる、主に庶民達で結成された何でも屋が居るという。

 彼らのような一般人が国中どこにでも駆け付けられるのなら、旅費だってそんなにかからない気がする。

 貴族のように沢山の従者を連れて出掛ける訳でもなく、高級な宿に泊まる事も無いのだもの。きっとそうよね。


 コインがぎっしり詰まった袋を手に店を出ようとすると、さっきお茶を出しに来た女性に引き留められた。

 流石に、か弱い美少女がそれだけの大金を袋ごと持ち歩くのは物騒だから……と、肩から斜めに掛けられる革のバッグを渡された。

 どうやら、彼女が子供の頃に使っていた物らしい。

 彼女の意見には納得する所があったので、素直にバッグを受け取り、使ってあげる事にした。


「さてと、次は馬車を用意しなくちゃ」


 今まではアルドゴールの屋敷か城の馬車で移動するばかりだったけれど、家を出た私は自分で何もかも用意しなければならない。

 以前セグが、庶民は遠出する時に馬車を借り、護衛を雇うのだと言っていた。

 という事は、この街のどこかにそれらを手配してくれる業者が居るはずなのだ。

 けれど、この国最大規模を誇る街の中からその業者を探せるだろうか。

 質屋はあっさり見付かったから良かったけれど、そう次から次へと都合良くいくとは限らないもの。





 それらしい場所はすぐには見付からず、太陽はもう真上に輝いていた。

 仕方がないので、その辺に居た庶民にお勧めのレストランまで案内させて、そこでランチを済ませる。

 まだお金に余裕はあるようだけれど、このまま街を出られず使い切ってしまっては意味が無い。

 もう面倒だから、店を出てすぐの所に居た男に、馬車と護衛を借りられる場所に案内させようと声を掛ける。


「ちょっと良いかしら? どこの業者でも良いから、セイガフ魔法武術学校のある街まで行ける馬車と護衛が必要なの。それを手配してくれる業者はご存知?」


 すると、私に気付いたその男は私の美しさに驚いた様子を見せた。

 そして私の要求を理解すると、少し気持ち悪い笑みを浮かべながら言う。


「ああ、知ってるぜ。何だったら業者のとこまで案内してやるよ」


 けれど、どうせ庶民の男なんて皆こんなものだろうと割り切る事にした。

 庶民に王子や貴族のような身嗜みだしなみと品性を求めるのも、酷な話だものね。


「それなら話が早いわ。早速そこまで案内なさい」

「おう、任せときなお嬢ちゃん」



 男に着いて行って、どれぐらい歩いただろう。

 自分の足でこれだけ街を移動するのは初めてだったから、見慣れない光景に気を取られていたらしい。


「……ねえ、いつまで私に歩かせるつもりなの? どこの業者でも良いとは言ったけれど、こんなに離れた場所まで歩かせられるなんて聞いてないわよ!」

「もうすぐだよ、すぐに着く。そしたらパッパと馬車に乗って、この街とおさらば出来るさ」


 ……気のせいなら良いのだけれど、この男が行く道は薄暗い路地が多かった。

 まるで、人目に触れないようにしているみたいで──次第に私の中で、不安と焦りが生まれ始めていた。


「ちょっと、この辺りに本当にあるんでしょうね⁉︎」

「あるある。ホントにあと少しさ」


 どこからか鼻の曲がるような悪臭が漂う、薄汚れた一帯。

 すれ違う庶民達の瞳は……どこか汚らわしい。

 衣服だって、まともな物を身に付けた者は、目の前の男と私しか居ない。

 ふと視線を横に移せば、今すぐにでも死んでしまいそうな、ガリガリに痩せ細った人。


 ここは危険だ……!


 そう気付いた私は、急いで元の場所に戻ろうときびすを返し──その時、私の肩を掴む男の手。


「ちょい待ちな」

「……っ!」


 気付かれた。

 逃げ遅れた……!


「急にどこ行こうってんだよ、お嬢ちゃん。俺と一緒に、業者のとこまで行くって約束だろ?」


 私は振り向かずに言う。


「……さっきのレストランに忘れ物をしてしまったの。取りに戻らなくちゃ」

「忘れ物なんてしてねぇだろ。質屋に入ってからレストランを出て来るまでずっとお前を見てたんだ。間違いねぇ」

「……!?」


 この男、最初から私を狙っていたのね……!

 ここはきっとスラム街。あまりにも美少女すぎる私を攫ってしまうつもりだったんだわ!

 私はそのまま一気に走り出し、来た道を駆け抜ける。

 あれに捕まったら、どんな目に遭うか分からない。

 庶民の……それもスラム街の男なんか、絶対に信用してはいけない人だったのに!


 時々耳にする、スラム絡みの事件。

 その内容は、どれもろくでもない、最悪なものばかりだった。

 人身売買は勿論、攫った女性を好き勝手に複数人で弄んだり、殺人をしてまで盗みを犯すなんて事もあるという。

 今の私は、きっと売り物として見られている。

 こんな美少女に間違って傷でも作ろうものなら、商品としての価値が下がるもの。暴力を加えられる事は無いと思いたいけれど……。


「逃がさねえよ!」


 近道をしていたのか、先回りされてしまった。

 後ろに逃げるしかないと咄嗟とっさに振り返るも、仲間らしき別の男が道を塞いでいる。

 どうしよう、追い詰められた……!


「下手な抵抗をしなければ、丁重に扱ってやるからよ。大人しく着いて来てくれや。さっきみたいに、よ」

「女の子を誘拐しようなんて、感心しないなぁ」

「ぐああっ!」


 突然私の前後で突風が吹き荒れ、男達を壁に叩き付ける。


「それも、こんなに可愛い女の子を攫おうとしているなんて……紳士として見過ごす訳にはいかないよね」


 吹き止んだ風は、清々しい程爽やかな空気を運び込んだ。

 呆然と立ち尽くす私に、その少年はふわりと微笑む。


「怪我は無いかな? 僕はケント・ミンクレール。これでも一応、魔法武術学校の生徒なんだ」

「ケント……ミンクレール……」


 輝く黄金の髪、若葉のような鮮やかな色を宿す瞳。

 一目見てただけでも、彼がとても育ちの良い少年だというのが見て取れた。

 それにミンクレールといえば、一流の品を扱う事で有名なミンクレール商会しか思い当たらない。

 ならば、彼はその商会の御曹司で、私が通おうとしているセイガフ魔法武術学校の生徒だという事になる。


「ここは危ないから、安全な所まで行ってから話そうか。さ、僕にエスコートさせてくれるかな?」


 私は頷き、彼のしなやかな手を取った。

 そして、この出会いが私の運命を変えてくれるような──そんな予感に、私の胸は強く高鳴っていた。

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