アッバス財閥

 シノブ部長がアッバス財閥とカエサルの事を調べてくれましたが、とにかく良くわかりません。アッバス財閥は、それこそワールド・ワイドの活動をしている巨大組織なんですが、その中枢部すら不明です。表向きはアッバス本社が中枢のようにも見えますが、とにかく広がりが大きく、複雑に色んな組織が絡み合っておりシノブ部長は、


「アッバス本社ですら、どこかからの指示で動いている気がするの」


 カエサルもまた現在の誰かは不明です。ミサキもシノブ部長もカエサルの顔を見たものの、現在のカエサルの名を聞いていません。もちろんカエサルがアッバス財閥のどこに所属しているかも聞いていません。顔の記憶だけを頼りに特定するのは容易ではないってところです。シノブ部長の推測は、


「アッバス財閥は巨大だけど、その活動は高度に戦略的なの。買収にしろ、投資にしろ、非常に巧妙で計算されたものとしか言いようがないの。どこかにアッバス財閥全体を統制する組織があり、カエサルはそこの主要メンバーか、そこのトップでもおかしくないと思うのよ」

「なにか、影の十人委員会みたいな感じですね」

「というか、カエサルだから独裁権を握ってる気がする。アッバス財閥はもともと投資会社だったのだけど、これが経営に関わって多国籍企業として巨大化したのはここ三十年程のお話なのよ。これをカエサルがアッバス財閥を握ってからのものと私は見たいのよ」

「なるほど。そう言えばカエサルはこんな事も言っていました、


『あの時の続きをするには君が必要だ』


 シノブ部長、あの時の続きって何の続きなんでしょう」

「これは歴史が記録を残しているわ。ポンペイウスに勝ったカエサルはローマで事実上の独裁政権を敷いてるの。初代皇帝は養子のオクタビアヌスだけど、実質的なローマ初代皇帝はカエサルと見て良いと思うわ」

「そしてブルータスに暗殺されるんですよ」

「そういうこと。カエサルの『あの時』とは自分が暗殺されない世界の続きじゃないかしら」

「古代ローマ帝国の復活とか」

「ムソリーニじゃあるまいに」


 シノブ部長の見方は、現代で軍事力を用いて大帝国を作るなんて無謀な事をカエサルが目指すはずもないとしています。ここはこれまでのアッバス財閥の経緯を考えて、経済の支配というか、経済帝国みたいなものを作ろうとしているんじゃないかと見ています。


「それって独占企業による市場支配とか」

「カエサルはそんな単純な男じゃないって。カエサルは軍団指揮させたら常勝将軍だし、文章を書かせたらノーベル文学賞だって取れる人なのよ。軍事も文章も一級どころか、特級の才能を持っているけど、一番優れているのが政治力。人心の掌握、リーダーとしての飛び抜けた資質、雄大な構想力、さらにそれを確実に実現させる実行力。まさに英雄の名が相応しい人物よ」

「じゃあ、カエサルが目指している経済帝国とは」

「わからない。でも、経済分野で何か大きなことをしようと考えていると私は思うの」


 カエサルがいかに優れた人物であるかのエピソードは二千年経っても幾らでもって感じで並べられます。カエサルは夢と現実の距離をキッチリ見積もれる人であり、リーダーとして必要な怖さと親しみを何の矛盾も無く両立させている人物と思うしかありません。


「カエサルの凄味は女に対してもなの」

「それだけの英雄ですから、もてたんでしょうね」

「そんな単純なものじゃないの。カエサルは人妻にもいっぱい手を出してるの」

「うわぁ、もめそう」

「そうやって愛人をたくさん作ってるんだけど、そのたくさんの愛人を並立させ、全員を満足させたと言われてる」

「そんなことが・・・」

「出来るから無双の英雄なのよ」


 ここで前の時から気になっていることを、


「カエサルは魔王を最後の武神って言ってました」

「そうなの?」

「もちろんカエサルも武神ですから、部下の最後の武神って意味と思います」

「それって・・・」

「そうなんです。魔王はカエサルの腹心中の腹心であったと見て良い気がします」


 魔王のイメージはコトリ部長や首座の女神の話の影響で、どうしても変質者とか痴漢みたいになってしまいますが、その程度の人物ではない気がします。カエサル配下でも一番優秀であり、一番手腕も信用が置かれていた人物と見る方が正しい気がします。


「そこまでの人物をマルコを手に入れるためだけに日本に派遣したは、おかしいとは思いませんか」

「そうだよね。それとマルコ氏を手に入れるだけなら、ラ・ボーテを使ったり株の買収工作までやる必要ないものね」

「いかにアッバス財閥と言えども、人材と費用をかけ過ぎていると思うのです。言ったら悪いですが、クレイエールをそこまで手間をかけて潰そうとするのは不自然すぎます」

「たしかに。そうなると他の真の狙いがあった事になるわね」


 マルコ引き抜きはあくまでもついでというか、クレイエールを潰したらついでのオマケぐらいの位置づけと見るのが良さそうな気がします。とはいえ、クレイエールを潰してラ・ボーテを取って代わらせるのじゃ目的になりそうにありません。


「シノブ部長、あの株主総会も変と言えば変なんです。一昨年はラ・ボーテというか魔王の攻勢で経営的にも苦境でした。あのまま去年もそのままだったら、クレイエールの経営陣は退陣を余儀なくされても不思議ありません。でも昨年は魔王がいなくなって経営は持ち直しています」

「そっか、あの経営状態で株主総会でイチャモンを付けるのは無理筋だものね」

「ミサキはあの株主総会の指揮を執ったのはカエサルじゃないかと思ってます」

「えっ」


 株主総会を乗り切れたのはコトリ部長が人海戦術でかき集めた委任状のためです。コトリ部長はそうなる事態を想定していて、クレイエールだけでなく胡蝶産業の大株主である三星物産のプロキシ・ファイトまでやって勝っています。逆に言えば、そこまで追い込まれていたと見るのが妥当で、そこまでやれたのはカエサルが指揮を執っていたと見たいのです。


「それじゃ、コトリ部長はカエサルに勝ったんだ」

「そうなんですが、カエサルが指揮を執ったのは株主総会ギリギリの時点で、なおかつ日本にいなかった気がします。だからコトリ部長が勝てたんだと思うのです」

「じゃあ、ひょっとしてカエサルの真の狙いは、クレイエールを潰すこと」

「そんな気がするのです。クレイエールを潰すのさえ真の目的ではなく・・・」

「それならすべて話が合うね」


 コトリ部長は五千年前のアラッタ時代にも、神は既に非常に少なくなっていたと言ってました。アッバス財閥をバックに世界中を飛び回っているカエサルでさえ、知っている神は魔王のみです。それぐらい神の存在は稀少です。カエサルはコトリ部長に


『今回の件は後から知った。まさかと思った。本当だとわかった時には狂喜した』


 こう言ってはいましたが、これは違う気がしています。先にコトリ部長の存在を知って、これを手に入れるために動いていたと見る方が妥当な気がします。たしかにカエサルは偉大ですが、カエサルの野望を実現するためには一人では手が回らないところがあるはずです。

 カエサルは神を宿す人材が欲しくて動き回ったはずです。コトリ部長をクレイエールから引き剥がすには、クレイエールを潰して失業させるのが最も確実です。神を宿す人材を手に入れるためには少々の費用なんてタダ同然というところじゃないでしょうか。


「シノブ部長。カエサルが今回の計画で失敗したのは、やはりカエサル自身が来なかったからで良いでしょうか」

「結果的にはそうなるね。おそらく、他の大きな仕事があったのだと思うわ。カエサルと言えども一人だからね」


 それでも腹心中の腹心である魔王を派遣しています。これだけでもカエサルの本気度はわかる気がします。魔王の実力はコトリ部長と鉄人コンビやっている時に思い知らされました。シノブ部長の育休からの復帰がもう少し遅かったらと思うと怖いほどです。

 カエサルの誤算はなんとなくですが、魔王とコトリ部長の因縁を知ってなかったからの気がします。あの懇親会で魔王がコトリ部長に声をかけたのは決闘をするためではなく、カエサル陣営への勧誘であった気がします。魔王サイドからの提案としては、


『次座の女神がこちらに来れば、クレイエールは見逃してやる』


 これぐらいのニュアンスです。ところがコトリ部長はとにかく魔王が大嫌いですから、罵り倒した気がします。舞子公園に行ったのも、魔王とすれば決闘が目的でなく、場所を変えて話し合う、または決闘になっても女神を殺す気はなく、弱らせておいてカエサルの下に運ぶ気だったと思います。


「そうなるとカエサルはコトリ部長だけではなく、ミサキやシノブ部長も欲しいのでわ」

「可能性は十分あると思うわ。見逃す理由がないからね。前はマルコ氏がらみでミサキちゃんだけが大変と思っていたけど、私も火の粉は確実に降り注ぎそう」

「どうしたら・・・」

「たぶんだけど、カエサルはまずコトリ先輩の籠絡に全力を注ぐと思うの。そうやってコトリ部長を自分の手に落としたら、コトリ部長を使って私やミサキちゃんを誘い込もうとすると思うわ。そうなった時にどうするかよね」

「断ったら」

「最悪のケースとして、カエサルとコトリ先輩が手を組んだ攻撃にクレイエールがもう一度さらされるし、そうなるとこれを凌ぐのはまず無理ね」


 カエサルの下で働くのは悪いことばかりではありません。それこそ世界を相手に仕事が出来るのはやり甲斐があると思います。カエサルは悪の首領ではなく、比類なき英雄であり、目指すのはカエサルが理想とする世界だからです。上司としても理想的と思えますが、


「仮にカエサルの申し出を受けたとして、無事に済むでしょうか」

「済まない気がする。人妻だからと言って、遠慮するタイプでないのは歴史的事実だし」

「シノブ部長も、そう思いますか。ミサキもそうなんです」


 答えの出ない問題をグルグル回る二人でした。

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