苦戦

 シノブ部長の復帰によりブライダル事業、ジュエリー事業は活況を呈してきましたが、主力のクレイエール事業は苦戦中です。決算もクレイエール事業の落ち込みをカバーしきれずついに赤字。陣頭指揮を執る綾瀬副社長の表情も悲壮観に溢れています。株主総会では経営責任問う声が飛び乱れ大変だったそうです。コトリ部長は、


「綾瀬副社長も正念場ね。今回は執行猶予みたいなものだったけど、今年もこのままでは引責辞任もあるわ。そうなったら河原崎社長も退陣になっちゃうけど」


 これはコトリ部長の鋭い見方と言うより社内全体の噂です。ただ問題の根は深くて、綾瀬副社長や河原崎社長が責任を取ったぐらいで解消するものではありません。とにもかくにもクレイエール事業を立て直さないと会社の経営危機であるのは誰の目からも明らかなのです。いくらブライダル事業やジュエリー事業が頑張ってもクレイエール事業の損失のカバーは現状では難しいからです。

 それでもブライダル・ジュエリー部門が活況を呈してきたことは社内では久しぶりの明るい話題です。そうそうミサキは相変わらずコトリ部長付の秘書みたいな仕事をしていますが、去年の仕事が評価されて課長補佐に昇進となりました。あれはさすがにきつかったですが、個人的にはちょっと嬉しいぐらいです。ブライダル・ジュエリー事業が活況を呈してきた理由をコトリ部長に聞いたのですが、


「まだハッキリしたことは言えないけど、コトリの見方が正しければ選択と集中に戦術変更したぐらいに思ってる。だから綾瀬副社長は大変だと思う」


 春商戦もやはり大苦戦。こちらの手の内を見透かしたようにラ・ボーテは先手先手を打ってきます。綾瀬副社長もあれこれ知恵を絞って動かれたみたいですが、どうしても後手後手に回り、綾瀬副社長の眉間の皺は深くなるばかりです。

 社長も手詰まり感でいっぱいのようです。綾瀬副社長は社長の腹心ともいえる存在で、後継候補に考えているのは副社長にしているだけでもわかります。手腕にも大きな信用を置いており、安易に変更しにくいところがあります。社内ではコトリ部長をクレイエール本部長に据える声も出ているようですが、


「あの話? 半分ぐらいデマよ。たしかに副社長の責任問題を問う声はゼロだったとは言わないけど、社長の綾瀬副社長への信頼は絶対で、それこそ心中も覚悟ぐらいかな。まあだけど、副社長があれだけ頑張っても苦戦するクレイエール事業の後任なんか、誰もしたくないってのもあるわ」

「ではコトリ部長をクレイエール事業に持っていく話は?」

「人材不足なのよね。コトリが抜けた後にジュエリーを任せられる人がいないの。とはいえ兼任でやれるほど状況は甘くないし」

「どうなるのですか」

「だから執行猶予中。今年のうちに反転攻勢に成功しないと株主総会を乗り切れないと思う。今年の株主リストをシノブちゃんとこでチェックしてもらったんだけど、どうにも怪しいのが十%ぐらいはいるのよね」

「怪しいと言いますと」

「どこかでラ・ボーテにつながってる感じ」

「それって、乗っ取り」

「だから来年までの執行猶予なの」


 なにかヒシヒシと包囲網が構築されている感じがしてきます。


「打開策は?」

「来週に見つかるかもしれない。ただ、コトリの予想が当たっていても、打開策にならないのよね。むしろ事態は悪い方に転がるかもしれない」

「どういうことですか」

「もしコトリの予想通りだったら、コトリだけで対応できるかどうか未知数の部分が多すぎるのよ。でも、まさかそんな事はないと思ってるよ。とにもかくにもまず確認しないとね」


 コトリ部長は何かを隠しているのはわかりますが、あのコトリ部長が何かに怯えてる気がしてなりません。


「来週の神戸服飾業界懇親会だけどミサキちゃんも一緒に来てくれる」

「それって・・・」

「たぶん平和裏に終わると思うよ」


 コトリ部長はかなり悩んでいたようでしたが、ミサキを連れて行ってくれることになりました。業界関係者の懇親会ですが、コトリ部長は業界でも有名ですから、あちこちで挨拶を受けておられました。これが一通り終わって、テーブルでコーヒーを頂いていたのですが、ちょうどミサキとコトリ部長だけしかおらず、テーブルも会場の端っこでした。そこに一人の男性がつかつかと。名札を確認するとラ・ボーテの原口社長です。


「久しぶりだね小島君」

「原口社長もお元気そうで。活躍ぶりはよく存じております」

「それは光栄な。もう何年ぶりになるかな」

「原口社長、いつからですか」


 いつからと言ってもラ・ボーテの原口社長がクレイエールの副社長の座を追われて以来だと思うのですが、


「原口社長、宜しければ言葉を変えたいと思います」

「その方が都合が良ければそうしよう」


 これは何語なの。英語でも、フランス語でも、ドイツ語でも、イタリア語でもない。二人とも流暢に話しているのはわかるんだけど、話している内容がサッパリわかりません。わかるのはコトリ部長の笑顔がひきつっている事です。ひとしきり話があった後に、


「では小島君ごきげんよう」

「原口社長もお元気で」


 原口社長を見送った後にコトリ部長の顔を見ると真っ青です。


「ミサキちゃん、ちょっと失礼させてもらうわ。社長には適当に言い繕っておいてくれる」


 この時のコトリ部長の様子は明らかにおかしくなっていました。ミサキを残して懇親会場を後にし、行き先も告げずに姿を消されてしまったのです。

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