ライアーライフスタイル

坂井志緒

第1話 後味の悪い誕生日




 私の8割は嘘でできている。

 残りの2割も真実とは限らない。

 真実に囚われて生きるなんて馬鹿馬鹿しい。

 私はこれからだってずっと、自分を嘘で塗り固めて生きていく。

 嘘を使って正直に生きていく。


 それが私のライフスタイル。




 私、弦川つるかわ真咲まさきは根っからの嘘つきだ。

『昨日、返信遅かったけど、何やってたの?』

 朝っぱらから男の不機嫌な声を聞かされたりすると、ついついライアースイッチが入ってしまう。

「ごめんね。友達と電話で長話してて、メッセージ読んでなかったの」

 そう。これも嘘。本当は別の男と盛り上がっていた。

 付き合っているわけでもないのに、彼氏面しないでほしい。

 メッセージをいつ返そうが、私の勝手でしょう?

 こんな時間なのに当然のように電話して、私の朝の貴重な時間を奪うなんて、図々しいにも程がある。

『本当に?』


 嘘だったら何だというの。

「その子、今の彼と上手くいってないみたいで。相談に乗ってたんだぁ」

 これくらいの嘘、起きたばかりで寝ぼけていたって、いくらでも作り出せる。

 朝飯前とはまさにこの事だ。

 悪いけど、私、あなたと付き合う気なんてありませんから。

 そんなこと、おくびにも出さないけれど。

 男は気を持たせておく方が、都合よく動いてくれる。

 遊んでいる男が何人いてもいいじゃない。

 結婚しているわけじゃないし、誰かと正式に付き合っているわけでもない。

 ただ、長い人生のうちの短いモテ期を楽しんでいるだけだ。

 チヤホヤしてもらえるのはきっと今だけなのだから。


 文句ある?

 整形したこの美しい顔でにっこり微笑めば、男はみんな面白いくらいに鼻の下を伸ばす。

 美女に構ってもらえて喜んでいる。

 こんな私が嫌なら、構わなければいいだけのこと。

 顔も心も嘘ばかりの私を好きになる男なんて、そもそも見る目がないのだ。

 私に言い寄る男なんて、その程度のヤツばかり。

 顔や体ばかりに目が行って、中身なんて見えちゃいない。


 私はバカじゃないからわかっている。

 本物のイイ男は、私に本気で惚れたりしない。

 そして、嘘の顔や言葉に騙される男なんかに、私が本気になるはずもない。

 男なんて、みんな私に騙されてしまえばいい。

 私の嘘に魅了されて、私の嘘にときめいて、私の嘘に欲情すればいい。


 金が欲しいわけじゃない。

 愛が欲しいわけでもない。

 体が欲しいわけでもない。

 私が求めているのは最高の優越感。


 私を満たしてくれる、唯一の感情。

 優越感。




 5月18日。

 今日は私の誕生日。26歳になった。

 そして今日は金曜日。

 明日のことを考えずに、ゆっくり楽しむことができる。

 今みたいな生活を始めて何年か経つけれど、今年ほど忙しい誕生日はもう一生ないかもしれない。

 なぜなら今日は、3人の男とデートの約束をしているからだ。


 朝から電話をかけてきた、あのうるさい男なんかではない。

 そもそも彼には本当の誕生日を伝えていないし、よっぽど魅力的なプランでもない限り、もう会うつもりもない。

 メッセージだってもう返さないし、電話に出ることもないだろう。

 せっかく誕生日を祝ってくれるのなら、気分が上がるようなイイ男がいい。


 午前8時半、いつもの時間に出社。

「おはようございまーす」

 私が勤めているのは都心の外れにある中堅商社の一営業所だ。

 私はこれでも一応、そこそこの大学を出ている。

 就職活動ではもっといい会社からも内定がもらえたけれど、私にとっては条件がよくなかったからお断りした。

 この株式会社イズミ商事への入社を決めたのは、女子社員の数が少なく、平均勤続年数が長かったのが最大のポイントだ。

 私は嘘つきだし、性格もよくないことを自覚している。

 女に敵を作りやすいということも、理解している。

 さらに、女子社員の勤続年数が長いということは、仕事を続けやすい会社だということだ。

 私は男に媚びて生きていくけれど、男に縋って生きていくつもりはない。

 寿退社を狙って短期的に勤務する予定はなかったから、給料はいいけど競争を強いられる会社より、給料が並でも余裕を持って長く働ける方が賢明だと判断した。


 イズミ商事では、営業で外回りする者以外、女子社員は制服だ。

 通勤の服装はほぼ自由。

 今日は当然デート仕様の服を着込んできた。

 出社してまずすることは、所内の狭い更衣室での着替えだ。

 手早く済ませ、給湯室で営業所員のお茶の準備に取り掛かる。

“美人で仕事もできる気だてのいい事務員さん”の地位を守るため、この手のサービスは惜しまない。

 自分の評価を程よく上げておけば、たいていの男性は優しくしてくれるし可愛がってくれる。

 心地よく生きていくうえで、大事な要素だ。

 笑顔で挨拶をしながらお茶を配り終えた頃に、始業定時を迎える。


 我が営業所には、10時に出社するパートの堀口ほりぐちさんを含め、全部で12名が在籍している。

 しかし今日は、堀口さんのところ以外にも空席がある。

「あれ、小柳こやなぎが来てないな」

 朝礼を始めようというタイミングで、古田ふるた所長がそれに気づく。

「また寝坊でしょうかね」

 それに反応したのは新田にった主任だ。

 彼はこの営業所、いや、会社でも一二の業績を誇るスーパー営業マンだ。

 おっとりしている所長の代わりにこの営業所を仕切っていると言っても過言ではない。


 古田所長と新田主任。

 ふたりは名前も性格も正反対だけれど、仕事の仕方は似ている。

 というのも、かつて新入社員だった新田主任を営業マンとして育て上げたのは、この古田所長だという。

 そしてこの新田主任こと新田洋輔ようすけこそ、昨夜私が共に過ごし、今年最初に誕生日を祝ってもらった男である。

 彼は今36歳で、妻子がある。

 つまり私たちは不倫関係だ。と言っても、私たちは恋愛をしているわけではない。

 子供が生まれて以来、奥さんとのセックスレスに悩んでいた彼と、イイ男に抱かれたい私の利害が一致して、酒の勢いで繋がったのが3年前。

 相性の良さに味を占めた私たちは、それ以来月に1度程度、この秘密の関係を楽しんでいる。

 互いの生活に介入したいわけではない。彼を奪いたいわけでもない。

 私が欲しいのは、“奥さんがいても抱きたくなるほどのイイ女である”という優越感だけだ。

 そして、今彼らの話題に上がった小柳とは。

「おはようございますっ!」

 たった今遅刻ギリギリで滑り込んできた、今年の新入社員である。


 10時少し前になると、週に5日、10時から5時までのパートタイム勤務をしている堀口さんがやってくる。

「おはよう真咲ちゃん。今日もいい天気ねぇ」

 堀口さんはいつも元気でパワフルなおばさまだ。

 母と同世代で、高校生のお子さんが二人いる。

「おはようございます、堀口さん」

「そういえば真咲ちゃん、今日誕生日だったわよね」

「覚えていてくださったんですか?」

「娘と近いから覚えてたのよ。これ、プレゼント。ちょっとしたものだけど」

 彼女は数少ない、私を可愛がってくれる女性のうちの一人だ。

 彼女がいてくれるから、ここでの仕事が楽しい。

「わぁ、ありがとうございます! おいしそうなクッキー、嬉しいです」

「お昼になったら、紅茶を淹れましょ」

「はい」

 若い女性を目の敵にしたり小言をいう癖のある中年女性は苦手だけれど、彼女はとても気さくで、上品で、女として尊敬できる。

 私は根がダークだから、彼女の明るさに救われていると思う。


 幸先のいい誕生日。

 きっとこの先も楽しい一日になる。

 私は期待を胸に、いつもよりペースを上げて業務を進めた。


「失礼します」

 聞き慣れない声の来客があったのは、この日の午前11時半頃だった。

 来客を迎えるのは、基本的には私の仕事だ。

 作業の手を止め、立ち上がって来客用の入り口へ向かう。

「はーい。ただいま参ります」

 入り口にいたのは、グレーのスーツを爽やかに着こなした若い男性だった。

 意志の強そうな目に凛々しい眉が印象的な整った顔。

 黒髪のショートウルフは前髪のみセットしてある。

 悪くない。

 だけどこの男、どこかで見たことあるような……。

 思い出せないのに、心が嫌にざわつくのを感じる。

 とても感じのいい人なのに、なぜだろう。

「お待たせいたしました」

「初めまして。オリエンタル・オンの山村やまむらと申します」


 やまむら……?

 彼の名を聞いた瞬間、ゾワリと全身に鳥肌が立った。

 まだ明かされていないフルネームが頭に浮かぶ。

 いや、でもまさか。

 彼が差し出した名刺を受け取り、おそるおそる下の名前を確かめる。


 山村由貴

 Yamamura Yuki


 書かれていたのは、字から読み方からすべて、頭を過ぎったのと同じものだった。

 山村由貴は、私をこんな女にした張本人だ。

 でもきっと大丈夫。彼が私に気付くわけがない。

 私たちが最後に会ったのは、もう15年以上前なのだから。

 私は当時とは顔も髪型も違うし、彼は私のことなど覚えてすらいないだろう。


 私は動揺を噛み殺し笑顔を作った。

「オリオンさんの担当は、高田たかださんだったかと思うのですが」

「はい。実は高田が体調を崩してしまいまして。この度、私が担当させていただくことになりました。よろしくお願いします」

 彼がうちの担当? 冗談じゃない!

 うっかり口から出そうになるが、気合いで言葉を飲み込み恭しく頭を下げる。

「さようでございましたか。これからよろしくお願いします」

 どうしよう……どうしよう。

「つきましては、所員の皆様にご挨拶させていただきたいのですが」

 そんなのいいから、早く帰って。

「あいにく今は私ども事務の者しかおりません」

 だから、早く帰って。

「それでは、名刺だけでも置かせて下さい」

 そんなこと、しなくていいから、私からちゃんと言っておくから、今すぐ帰って……!

 そう言いたいのに、言えないのが悔しい。

「かしこまりました。こちらへどうぞ」

 山村が爽やかに微笑み、きっちりお辞儀をして私の前を通り過ぎる。

 脚が微かに震えている。

 封印していた過去の辛い記憶が、強制的に引き摺り出されていく。

 私はその不快感に耐えることしかできなかった。


「それでは、皆様によろしくお伝えください」

 メッセージ入りの名刺をデスクに配り終えた山村は、嫌味なほどに綺麗な笑顔を見せて去っていった。

「承知いたしております。ありがとうございました」

 顔がよく見えない角度まで腰を折り、彼を送り出す。

 もう二度と来てほしくない。

 特約店である限り、それが無理だとわかってはいる。

 だけどそう願わずにはいられない。

 前任の高田さんはしょっちゅうここに来ては仕事と楽しい世間話をして帰っていく、とてもマメな営業マンだった。

 だけど彼はズボラな営業マンであってほしい。

 高田さんが早く病気を治して復帰してくれますように。

「それにしても、また担当変更か……」

 我が社の取引先の担当者は、比較的頻繁に代わる。

 高田さんは長らく担当を務めてくれていたけれど、山村はどうかすぐに交代しますように。


「ねぇねぇ、今の子。イケメンだったわねぇ」

 自他共に認めるイケメン好きの堀口さんが目を輝かせている。

「そうですね」

 確かに清潔感のある整った顔をしていた。

 きっと今も昔と変わらずおモテになるのだろう。腹が立つ。

「感じもいいし、素敵な子じゃない。真咲ちゃん、狙ってみたら?」

 ……絶対にお断りだ。

「あんなにカッコいいんですから、きっと彼女の一人や二人いますよ」

「うふふ、それもそうね」


 堀口さんに見せるための笑顔を作るのが辛い。

 心の傷が開いていく痛みに、息が詰まる。

 幼い頃の山村が、まだ純粋だった私に容赦なく吐き付けたセリフが、とうとう脳内をリピートし始めた。


 だってつる子、ブスじゃん。

 だってつる子、ブスじゃん。

 だってつる子、ブスじゃん。


 弦川という名字から、当時私は「つる子」というあだ名で呼ばれていた。

 当時クラスで「可愛い」と評判の女子が私を嘲るために付けた、ダサいあだ名だ。

 己が決して美人ではないことくらい、自分でもわかっていた。

 でも、そこまで忌み嫌われるほどブスだったのだろうか。

 クラスの中心人物とも言える山村が堂々と口に出したことで、周囲の男子たちもそれに賛同した。

 それ以来、私はずっとブスだブスだと言われ続けた。

 開き直って図太く笑い飛ばすこともできたかもしれないが、私にはできなかった。


「大人になったら絶対に整形する」

 そう決意したのは中学に入った頃。

 実際に整形したのは大学時代である。

 受けたのは歯列矯正とまぶたの二重術。

 メジャーでシンプルな二つだが、私はそれまでの自分とは比べ物にならないくらい美しくなった。

 それでも、ブスだと言われ続けて植えつけられた劣等感は、私の心に今でも重く居座って私を苛む。

 それを楽にしてくれるのが、美人であることを利用して得られる優越感なのである。




 午後6時半、表参道に参上。

 誕生日を共に過ごす一人目の男は、家電メーカーに勤める原口はらぐちという年上の男性だ。

 彼と付き合っているわけではない。

 ただ、私の誕生日を知った彼が自主的に、祝ってくれると言ったのだ。

「真咲ちゃん」

 待ち合わせ場所にいくと、先に到着していた彼が手を振っている。

 仕事の後というのもあり、スーツ姿だ。

 にっこり微笑んで手を振り返す。

「原口さん、こんばんは」

「誕生日、おめでとう。これ、ささやかなプレゼント」

 さりげなく差し出されたプレゼント。

 小さな紙袋のロゴから、アクセサリーだと思われる。

「ありがとうございます! わざわざ準備してくださったんですね」

 喜びのリアクションは少しオーバーなくらいがいい。

「大したものじゃないけどね」

「開けてもいいですか?」

「ここじゃなんだし、店に着いてからにしようか」


 原口はいつもスマートで、年上の余裕もあり、ガツガツしていないのがいい。

 原口に連れられて入ったのは、ビルの中に入っているカジュアルなフレンチレストランだった。

 先月、何気ない会話で「フレンチのフルコースを食べてみたい」と言ったのを覚えてくれていたようだ。

 それが今日のための仕込みだとは、口が裂けても言えない。

 私だって、フレンチのフルコースを食べたことがないわけではない。

 せっかくの誕生日に食べたかったから、ちょっと言葉を工夫しただけのこと。

 思い通りに事が運んだときのこの喜び。

 操ってやったという優越感。

 私にとってはそれこそが最高の誕生日プレゼントだ。


「すっごく美味しいです」

 喜ぶときはオーバーに喜んで見せるのが、せめてものサービスだ。

「喜んでくれて嬉しいよ」

“人は見た目ではない”なんて綺麗事は馬鹿馬鹿しい。

 やっぱり人間は美しい方が得をするし、幸せに暮らせるということを実感する。

 整形して本当によかった。

「頂いたプレゼント、開けてもいいですか?」

「どうぞ」

 ラッピングされた箱の中身は、小さなエメラルドがあしらわれたネックレスだった。

「可愛い! 嬉しいです。大事にしますね」

「そうしてくれると、俺も嬉しい」

 上機嫌の彼に、感謝の意を込めてもうひと押し。

「これ、着けてくれませんか? 私、今夜はこれを着けて過ごしたいです」

 思い通りに動いてもらうためには、気を持たせておくことを忘れてはいけないのだ。

 原口は快く私の後ろに回り、やや慣れた手付きでネックレスを着けてくれた。


「真咲ちゃん。この後、どうしようか?」

 原口が近い距離で、囁くように尋ねる。

 大いに色気を込めて誘っているのだと、理解はしている。

 私に判断を委ねるところがスマートな彼らしく、実に都合がいい。

 誘いに乗りたい気持ちがないわけではない……と思わせておくのが、私の常套手段。

「ごめんなさい。今日はこの後、家族とケーキを食べる予定なんです」

 もちろん嘘だ。私は一人暮らしである。

 本当は他の男2人との予定があるが、それは決して口に出してはいけない。

 原口は嫌な顔などせず、かすかに肩を落とした。

「そっか。実家暮らしだもんね」

「はい。誕生日は毎年、母がケーキを焼いてくれるんです」

 これも嘘だ。私の母にケーキなんて、焼けるわけがない。

 私の8割は嘘でできている。




 午後9時過ぎ、渋谷。

 地下鉄の階段を上がって、待ち合わせ場所までの50メートルだけ猛ダッシュ。

 今回のお相手は、銀行に勤める久本ひさもとという男性だ。

「久本さーん! すみません、遅くなっちゃって」

 大袈裟に息を切らす。急いで来ましたという演出だ。

「お疲れさま。誕生日にまで残業だなんて、大変だったね」

「仕事は誕生日なんて関係なく降りかかりますから」

 もちろん嘘だが、久本は少しも疑わない。

「ご飯は食べた?」

「ええ。所長が気を使ってくれて、デパ地下デリカを買ってきてくれたんですよ」

 他の男とフレンチを食べていたというのは、もちろん秘密だ。

 嘘を信じた彼は、眉を下げて笑った。

「ははは、太っ腹な所長さんだね」

「デザートにプリンまで付けてくれたので、正直、お腹はいっぱいなんです」

「そっか。じゃあ酒だけでいいかな?」

「はい」


 久本と入ったのは、以前も彼と来たことのあるオシャレなカフェバーだ。

 仕事だったという設定で彼に会うことは初めから決めていたので、さっき原口と入った店では飲酒を避けた。

「改めて、誕生日おめでとう」

「ありがとうございます」

 軽めのお酒で乾杯。

 失敗を避けるため、私は対外的にはあまりお酒が飲めないということにしてある。

「はい、これ」

 雑な感じでラッピングされた小箱を手渡された。

 原口がくれたものとは違うジュエリーブランドのロゴが見える。

「もしかして、プレゼント準備してくれたんですか?」

「まあ、一応? 誕生日だっていうから」

 久本はツンデレの気があって、本当は私のことが大好きなくせに、そうでないふりをするところが可愛い。

「ありがとうございます。開けてもいいですか?」

「好きににすれば?」

 彼がくれたのは、小振りなピアスだった。

 誕生石ではないところが彼らしい。

「可愛い……! 嬉しいから私、今着けちゃいますね」

 喜ぶ時はオーバーに。

「いいんじゃない」

 素直でない彼は口元を隠しているけれど、口角が上がっていることはお見通しだ。

「今夜はもうずっと着けてますね。ありがとうございます」

 頼んでもいないプレゼントをもらって喜ばれるなんて、美人は本当に素晴らしい生き物だ。


 しばらくお酒と会話を楽しんで、程よく酔いが回ってきた頃。

 ツンデレの久本は、デレの方に寄り始める。

「あのさぁ、今日は金曜日だよね」

「そうですね」

「明日休みでしょ? 誕生日だし、今夜はもっと飲もうよ」

 彼がこうなると帰りどきだ。

 彼の言った「もっと飲もう」は「一緒に夜を過ごそう」の意味である。

 彼と夜を過ごす気はさらさらない。

 私にはまだ約束があるのだ。

「ごめんなさい。実は今日の残業、まだ全部終わってなくて」

 あなたとの今日の約束を守るためにそうせざるを得なかったと、勝手に勘違いしてくれるような言葉をチョイスする。

「まさか、休日出勤するの?」

「はい」

 前についた嘘は有効利用。

 嘘の設定に真実味が増すし、恩も売れるし、一石二鳥だ。

「いつか今日のお礼に、久本さんの誕生日をお祝いさせてくださいね」

 こう言って笑顔を見せれば、肩を落とした彼の表情は途端に明るくなる。

 私は男を騙す悪い女だけれど、不快な思いをさせるつもりはないのだ。




 午後10時半過ぎ、新宿で下車。

 待ち合わせは二人でよく行く小料理屋だ。

 三人目のお相手こと舟木ふなきは、いつものカウンター席で一人で飲んでいた。

「お待たせ」

 横の席に座り声をかけると、既にでき上がっている彼はだらしなく微笑んだ。

「待ったっつーんだよ。もうすぐ11時だわ」

 彼とは同い年なのもあって、お互いに遠慮のない言葉で会話ができる関係だ。

「ごめんね。金曜日だからか、なかなか帰してくれなくて」

「女子会ってそんなノリなの?」

「うん。今日は特に飲める子が集まっちゃったからかな」

 彼にはあらかじめ、「女友達に祝ってもらってから行く」と言ってあった。

 彼はそれに了承しているし、微塵も疑っていない。

「次回は彼氏いるって言って抜けてこい」

「そんな嘘はすぐにバレるの」

「だからもういい加減、俺と付き合えばいいだろ」

「ふふ、考えとく」

「あーもう、またそれかよ」


 舟木にはもう何度も「付き合おう」と言われている。

 だけど私は、それをずっとかわし続けている。

 というのも、彼はどうも「思い通りにいかない女の方が落とし甲斐がある」と思っているようなので、彼の前では、彼好みのワガママな女を演じているのだ。

「ねぇ、私今日誕生日だよ? 何かプレゼントくれないの?」

「俺は付き合ってくれない女にプレゼントはしない主義」

「うわー、ケチー」

 というのは言葉だけだ。

 私はプレゼント目当てでデートをしているわけではないから、プレゼントがなかろうが全然構わない。

「もし付き合うっていうんなら、これやるよ」

 差し出されたベルベットの赤い箱。

 中にはおそらく、そこそこ値の張るジュエリーが収まっている。

 条件付きではあるが、一応準備はしてくれたらしい。

「受け取る? 受け取らない?」

 受け取るということは、つまり彼と付き合うということになる。

「今決めなきゃいけない?」

「別に。真咲に待たされるのはもう慣れた。今受け取らないんだったら他の誰かにやるかもな」

 舟木ほどの男なら、きっとすぐにでも貰ってくれる女が見つかることだろう。

 だけどそうしないのは、私が好きだからだ。

「あんたって本当に可愛いよね」

「うるせーよ」


 私が今連絡を取り合っている男性の中で、舟木は最もイイ男だと思う。

 彼に何度も口説かれているうちに、付き合ってみようかと考えたこともある。

 だけど結局そうせず友達関係を続けているのは、舟木が他の誰よりも結婚願望が強いからだ。

 私は今のところ、結婚なんて一生するつもりがないし、若いうちは今のように優越感を貪る生活を楽しんでいたい。

 嘘と隠し事ばかりの私が、結婚に向いているはずがない。

 何かの拍子に結婚したって、嘘がバレるごとに信用を失い、愛想を尽かされるだろう。

 だから私は誰のものにもならないし、誰かを手に入れることもしない。

「今日はどうする? そろそろ俺んち来る?」

「もう2杯飲んだら帰る」

「一生懸命口説いてるのに、つれない女だね」

「そんな私が好きなくせに」




 午前1時、自宅の最寄り駅に到着。

 一晩で三人の男とデートという無謀な挑戦は、ようやく終わりを迎えた。

 さすがに疲れた。だけどとても充実した気分だ。

 家に帰って急いで寝支度をしよう。

 この充実した誕生日で得た優越感にどっぷり浸かりながら、気持ちよく眠っていい夢を見よう。

 自宅までの道中、私は飲み水を切らしていたことを思い出し、自宅から一番近いコンビニへと入った。

 ミネラルウォーターと炭酸飲料を手に取り、ついでに明日の朝食を調達しておこうと軽食のコーナーへ。


 サンドイッチを物色していると、「あの」と後ろから声をかけられた。

 条件反射で振り返る。

 声の主を目にした瞬間、私は危うく悲鳴を上げそうになった。

 そこに立っていたのは、あの山村由貴だったのだ。

「驚かせてすみません。確か、イズミ商事の事務の方ですよね?」

 否定したい。

 全力で否定したいが、仕事相手に下手な嘘はつけない。

「は、はい」

「やっぱり! 奇遇ですね」

 なぜ彼がここにいるのだろう。

 私服……いやむしろ部屋着だし、髪は半乾きだし、なんだかいい匂いがする。

 これはもう、嫌な予感しかしない。

 私は顔の筋肉をフルに使い、無理に笑顔を作った。

「山村さん、もしかしてこの辺りにお住まいなんですか?」

 お願いだから、否定してほしい。

 一生会いたくなかった男が取引先の担当者になっただけではなく、まさか近所に住んでいるなんていう運命のいたずらが、いくらなんでもあるはずがない。

「ええ。先日越して来たんです。すぐそこに」

 私の願いはあえなく砕け散った。

「そうなんですね……」

 ああ、全速力で走って逃げ帰りたい。

 こんなことになるのなら、コンビニになんて寄らなきゃよかった。


 山村が仕事の時と変わらぬ爽やかな笑顔で尋ねる。

「そういえば、まだお名前うかがってませんでしたよね?」

 まずい。名前を聞けば当時の私のことを思い出すかもしれない。

 適当に偽名を使おうか。

 いや、仕事で関わる限り、そんなことは無意味だ。

 ここはもう、覚悟を決めるしか方法がない。

「申し遅れてすみません」

 心臓がいやに強く鼓動する。

 背中を嫌な汗が伝って気持ち悪い。

 私は短く息を吸い、笑顔を必死にキープする。

「弦川と申します」

 女なのに“まさき”という、特徴的な下の名前はあえて名乗らなかった。

 どうか苗字だけで満足してほしい……。


 山村はにっこりと微笑んだ。

「弦川さんですね。バッチリ覚えました!」

 よかった。下の名までは気にしていなかった。

 ホッとして肩の力が抜ける。

 不幸中の幸いでしかないけれど、今は彼が当時の私を思い出していなければ御の字だ。

 当時の私にはほとんど見せたことのない、好意的な笑顔。

 この笑顔こそ、山村が女を見た目で差別し、態度を変えるような男である証拠だ。

 私の名前なんて覚えなくていい。

 明日には忘れてくれて構わない。

 早く山村から解放されたいので、私は適当なサンドイッチを手に取りレジに向かう。

 山村はスポーツドリンクと缶ビールを手に持っており、もう一台のレジで会計を済ませた。


「それでは、失礼します」

 私は店を出るなり、すぐにそう告げた。

 もう笑顔をキープするのがつらい。早く彼の前から逃げ出したい。

 そんな私の気を知らない山村は、まったく悪気なく私を引き止める。

「あの、弦川さん」

 危うく舌打ちをしてしまうところだった。

「何でしょうか」

 頬の筋肉がプルプルと痙攣してきた。口角を上げ続けるのも限界だ。

「こんなことを言って、誤解されたくはないんですけど」

「はあ」

「僕たち、以前どこかでお会いしませんでした?」

 ……嘘でしょ? まさか、バレた?

 いや、違う。

 具体的に誰とはわかっていないようだから、きっとまだ気づいていない。

 私は彼の言葉を冗談にすべく、大げさに笑った。

「あっははは。まさか、そんなはずありませんよ」

「僕の勘違いでしょうか」

「そうですよ。山村さんみたいなカッコイイ方にお会いしていたら、私、忘れたりしませんから」

「おかしいなぁ。僕だって、弦川さんみたいな綺麗な人、絶対に忘れないんですけど」

 山村は困ったように笑った。


 私たちは初対面ではない。

 15年ほど前は、小学校の教室で毎日のように顔を合わせていた。

 彼に受けた仕打ちや、それによって私が随分長く苦しめられてきた事実は、今の私の楽しいライアーライフを支えるエネルギーだ。

 私を傷つけたことなど、山村はほとんど忘れているだろうけれど、私はしっかり覚えている。

 顔は変えられても、名前や声までは変えられない。

 彼の閉ざされた記憶をくすぐってしまうのは不可抗力だけれど、私はこれからも嘘をつき続け、真実を隠し続ける。

 私の嘘に振り回され、せいぜい思い悩めばいい。


「それじゃあ、山村さん。おやすみなさい」

「おやすみなさい。お気をつけて」

 山村が歩み始めた方向が私の住まいと同じ方向だったので、あえて違う方向へ歩いた。

 少し遠回りになるけれど、彼と並んで歩くくらいなら多く歩いた方がマシだ。


 全身に嫌な汗をかいている。

 帰ったらすぐにシャワーを浴びよう。

 サッパリして気分を落ち着けたい。


 充実してハッピーな誕生日だった。

 気分よく眠りにつくはずだった。

 コンビニに立ち寄るまでは順調だったのに。

 終わりよければすべてよしと言う言葉があるが、裏を返せば終わり悪ければすべて悪いということになる。

 人生で最もいい誕生日するつもりだったのに、最も後味の悪い誕生日になってしまった。


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