第134話 コンラートの気持ち

 モニカさんがコリンナさまに力強く申し出る。


「コリンナさま、ハスラーさまとの面談、どうか私をご一緒させてください!」

「モニカ……。ええ、お願いするわ。二人きりでお会いすることはできないから、どの道執事にも同席してもらうことになると思うし」

「よかった……」


 たとえまだ正式の婚約が解消されていなくても、未婚の男女が二人きりになることは外聞が悪いだろう。それに面談中に何が起こるか分からない。

 そんなことを考えながら、心の中でほっと胸を撫で下ろしていると、モニカさんがばっとこちらを向いた。


「貴女も一緒に来るのよ、クリス!」

「え……? ええっ!?」


 私はビアンカさまの侍女としてここにいるのだから、コリンナさまの大事な面談に部外者である私がお供するのは流石に憚られる。

 そりゃあ、ユリアさんとの仲をあんなに見せつけておいて、コンラートさまが今さら何の用なのだろうとか、一体どんな気持ちでここへ来て何を言うつもりなんだろうとか、気ならないといったら嘘になる。ほんのちょっぴりだけ。……嘘です、凄い気になります。

 どちらにしても、私の一存で決めていいことでは……


「私からもお願いするわ、クリス」

「ビアンカさま……」


 ビアンカさまが不安げにサファイアブルーの瞳を揺らす。ビアンカさまのまさかのお願い。――そこまで言われたら、仕方がない。私もお供させてもらって、しっかりと事の成り行きを見届けなければならないだろう。


「分かりました。私もコリンナさまにお供させていただきます」

「ありがとう、クリス。コリンナ、流石に私は同席できないけれど、貴女のことが心配で堪らないの。どうかクリスを連れていってちょうだい」

「ええ、分かったわ」


 コリンナさまに伴われて、私とモニカさんは応接室へと向かった。コリンナさまの顔色が悪い。かなり緊張しているのが伝わってくる。可哀想に……。


「コリンナ……!」


 予め応接室に通されていたコンラートさまが、部屋に入ってきたコリンナさまを目にして、椅子を倒さんばかりの勢いで立ち上がった。緊張していたのはコンラートさまも同じらしい。


「ハスラーさま。本日はどのようなご用件でしょうか」

「コリンナ……」


 コリンナさまは特に不機嫌な様子を見せるでもなく、淡々とではあるが至極丁寧にコンラートさまに尋ねた。

 コンラートさまはコリンナさまに名前を呼ばれた瞬間、つらそうに眉根を寄せた。長らく親しくしていた元婚約者に、ファーストネームでなくファミリーネームで呼ばれたことが堪えたのかもしれない。

 コンラートさまは沈痛な面持ちで静かに瞼を閉じてゆっくりと開いた。そして真っ直ぐにコリンナさまを見て口を開く。


「まずは君に謝罪をさせてほしい。一時の愚かな感情で君を傷付けて苦しませてしまって、本当に申しわけなかった」

「ハスラーさま……」

「許してくれとは言わない。……いや、本当は君に許してもらって、もう一度名前を呼んでほしい。すぐにじゃなくてもいいから……」

「それは……お約束できません」

「……ああ、そうだろうな。仕方がないことだと分かっている。婚約のことは家同士が決めたことだから、何もしなければきっとこのまま解消されてしまうのだろうな」

「そうでしょうね」

「昨夜、父と母にも酷く叱られて罵られたよ。君のような素晴らしい女性を蔑ろにするなんて、なんて愚かな男だと。そして俺に君は勿体ないと言われた」

「……」


 切なげに話すコンラートさまの言葉を、コリンナさまが悲しげな眼差しでただ静かに受け止めている。


「婚約についてはどうなるか分からないが、俺の気持ちを君に伝えておきたいんだ。俺は君との婚約を続けたいと思っている。そしてその気持ちを両親にも訴えた」

「なぜ……ですか? 貴方はユリアさんのことを……ユリアさんと一緒になりたいのではないですか?」


 コリンナさまが戸惑った様子でコンラートさまに尋ねた。コンラートさまはコリンナさまから目を逸らさないまま、その疑問に答える。


「……俺がユリアに持っていた感情は恋情とは違う。ただ守らなければいけないと、義憤に燃えていたんだ。令嬢たちから苛烈に責められて……これは間違いだったと今は分かっているが……打ちひしがれて弱々しく「助けて」と縋りついてきたユリアを放っておけなかった。弱いものは守らなければならないと、ずっとそう思って育ってきたから。騎士とはそうあるべきだと」


 コンラートさまはそこで一度言葉を切って、瞼を臥せて小さく溜息を吐いた。そして話を続ける。


「……馬鹿だよな。ユリアの涙が嘘だったのも気付かず、不貞だと思われても仕方がないほどに距離感を間違ってしまった。俺に守られて嬉しそうにするユリアを見ていると、騎士として一人前になったような気がして気分がよかったんだ。それが君を傷付けることになるのも気付かずに」

「……」

「そして愚かにも君の言葉を信じようともせずに、ユリアの言葉を鵜呑みにして君を責めた。君が意味もなく他人を虐めたりなどするはずがないのに。こんなに長いつきあいで分かっていたはずだったのに……俺は本当に馬鹿だった」

「仕方がありません。貴方に信じてもらうことのできない私が至らなかったのです」

「コリンナ、そんなことを言わないでくれ。君に悪いところなど一つもない……。もっと俺を責めていいんだ……」


 コンラートさまの表情が切なげに歪められた。


「それでも俺は無様に泣いて縋ってでも、君を離したくないと思っているんだ」

「でも……貴方が私のことを嫌いだと言っていたと、ユリアさんが言っていたのです。ラルフの面倒をみるのが嫌だとも……」


 コリンナさまが悲しそうな表情を浮かべて俯いてしまった。


「断じてそんなことは言っていない! ラルフのことだって実の弟と同じくらい、大切に思っている! 君の言葉を信じなかった俺が、信じてほしいと言うのはおこがましいのかもしれない。だけど俺が君を嫌いだなんてとんでもない! 君を失うかもしれないと実感して、俺は……」


 血が出てしまうのではないかというくらいに、コンラートさまがぎゅっと唇を噛み締めた。


「ハスラーさま、どうかそれ以上は……」

「一度は君の人格を疑って、自ら婚約を続けることなどできないと手紙まで出した。それなのに、いざ君を失うと実感したときに、初めて君との将来を思い描いた。そしてその未来を自ら壊してしまったことに酷く絶望した……。自分勝手なことを言っているのは分かっているが」

「……」

「君を失うかもしれないと分かって、初めて自分が君をどう思っていたか、身に染みて分かったんだ。ユリアと会えなくなったとしても絶望はしないが、君と会えなくなったら俺は……」


 コンラートさまが今にも泣いてしまうのではないかというほどに表情を歪めた。


「ハスラーさま、貴方のお気持ちは承りました。そしてユリアさんの言葉については、貴方の仰ることを信じます。けれど、婚約については父が決めることです。私に撤回を求めても無駄です。それに、私は今は貴方を信頼することができません……。ユリアさんに対する気持ちも……」

「……今君に信じてもらえないのは仕方がないと思っている。だけど俺は全力で抗わせてもらう。君のことを諦めたくないんだ、コリンナ。俺の両親にも君のご両親にも直談判するつもりだ。もし君との婚約がなくなっても俺は諦めない。俺はいくらでもみっともなく君に追い縋るよ。君に信じてもらえるように努力して、何度でも君に結婚を申し込む。……ただ、嫌われているのにしつこくして、君に嫌な思いをさせたり傷付けたりはしたくないから、君が嫌だというなら諦めるよ」

「嫌……では、ないです、けど……」


 コリンナさまの頬がほんのりと赤く染まっている気がする。コリンナさまがその両頬を両手で隠すように覆った。情熱的なコンラートさまの告白に、戸惑っているようだ。


「こんな気持ちになるのは君だけなんだ。君が好きだ、コリンナ」

「ハっ、ハスラーさまっ!」


 使用人たちの面前で行われた堂々たる告白に、コリンナさまが使用人たちの顔を慌てたように見渡す。勿論全員が生温かい目で見守っている。


「初めての告白なのにロマンチックとはいかなかったが、俺も必死なんだ。すまない」

「わ、分かりましたからっ。もう……」


 コリンナさまが耳まで赤くなってしまった。

 お茶会でのコンラートさまの言動はとても許せるものじゃない。だけど真っ直ぐに気持ちを訴えてくるコンラートさまの姿を見て、何となくコリンナさまのことが羨ましくなった。

 これから二人はどうなっていくのだろう。コリンナさまはコンラートさまの気持ちにどう応えるのだろうか。どんな結果に繋がっても、二人の将来に幸せが訪れたらいいのにと、心から願った。

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