第127話 虚言

 コリンナさまの婚約者で騎士のコンラートさまが、ユリアさんを庇うようにコリンナさまの前に進み出る。


「おいっ! コリンナ! 何をしている!」

「ユリアさんがラルフの」

「酷い、私はただコンラートさまともっと仲よくしてほしいから、それに私も仲よくなりたくて……」


 嗚咽とともに紡がれるユリアさんの告白を聞いて、コリンナさまは言葉を失って絶望的な表情を浮かべる。それはそうだろう。長年つきあってきた婚約者はコリンナさまの言葉を聞き入れずに、瞳を潤ませる可愛らしい令嬢の言葉を全面的に信じたようだった。

 コンラートさまは痛ましげにユリアさんの顔を覗き込んだあと、険しい眼差しをコリンナさまへ向けた。


「君という人は……」

「違います、私はっ」


 振り絞るように告げようとするコリンナさまの言葉を、コンラートさまは強い口調で遮る。


「言いわけなど見苦しい。伯爵家には申しわけないが、君との婚約は破棄させてもらう。君のような意地の悪い令嬢と一生を添い遂げるなど、到底無理だ」

「コンラートさま……」

「私は手紙で警告したはずだ。これ以上ユリアを蔑むような態度を取るなら婚約を継続するのは難しいと」


 コリンナさまは言葉を失ったように口を噤んだ。コンラートさまはユリアさんの肩を抱きながら、責めるような視線をコリンナさまに向けている。本当に酷い。

 私は先ほど聞いた会話を証言しようと口を開こうとした。すると隣のモニカさんが片手で私を制止して、口を開いた。


「コンラート・ハスラーさま、そのお言葉に二言はないでしょうか?」

「何だ、君は!」

「私はコリンナさまの侍女で、モニカと申します。この度旦那様から言伝を預かっておりますので、お伝えいたします」

「言伝……?」


 コンラートさまが不審げな眼差しをモニカに向ける。


「ですがその前に、ただいまそこのユリアさんがコリンナさまに仰ったことを隣の侍女のクリスがありのままご説明いたします」

「えっ、私!?」

「いいから!」


 いきなり話を振られて戸惑ってしまったけれど、コリンナさまとユリアさんとの間で行われた会話をありのままに説明した。


「……ユリアさんのお話によると、ハスラーさまがコリンナさまのことを『我が儘で傲慢な婚約者はうんざりする』と仰って嫌っていらっしゃると。それと『ラルフさまを面倒を見るのが嫌だ』と仰っているとのことでした。そしてラルフさまの体のことを、『勉強と剣の練習をさぼりたいがための仮病だ』と、ユリアさんがコリンナさまに向かって揶揄されました。それまで黙ってお話を聞いてらっしゃったコリンナさまは、ラルフさまを馬鹿にされたことでお怒りになられました。以上です」

「私はコリンナの悪口など、ひと言も言っていない!」


 コンラートさまが強く主張する。私たちに主張しても仕方がないだろうに。


「ですが、ユリアさんはそう証言されました。いくらハスラーさまが『言っていない』と主張されても、ユリアさんの証言に嘘がないと断定されているのは、ハスラーさまをはじめとした婚約者のご子息さま方です。真実なのですから、ユリアさんの仰ることをありのまま信じるしかありません」


 私がそう主張したあと、モニカさんが私のあとに続いて告げる。


「私も同じ会話を聞きました。クリスの言った内容に間違いありません。このような事実があるにもかかわらず、ハスラーさまは真偽を確かめようともせず、そこの嘘つき女の証言だけを鵜呑みにして、全面的にコリンナさまが悪いと決めつけられました。これまでも同じようなことがあったと侍女ーズから報告が上がっております」

「ジジョーズ……?」

「ええ、主の婚約者たちの周囲に不穏な動きがあると、婚約者様たちがまるで操り人形のように虚言の糸で動かされていると。不憫な主たちに内緒で結成されたのが我々侍女ーズです」


 コンラートさまだけではない、他の婚約者の男性の方たちも一様に驚いたような表情を浮かべている。勿論フェルディナント殿下もだ。一人ジークベルト殿下だけが面白い余興でも見ているかのように、この状況を楽しそうに眺めている。

 侍女とはいっても、下位の貴族令嬢である一部の侍女は、ビアンカさまたちと同じ学園に通っている。侍女ーズは主たちの状況を危惧して結成されたと、モニカさんから聞いていた。学園で不審な行動を繰り返すユリアさんを、陰からこっそり見張っていたのだ。

 ちなみに侍女ーズのリーダーはモニカさんだ。モニカさんいわく、ユリアさんの行動パターンは大体予想がつくそうだ。


「まず先月、ユリアさんがコリンナさまに突き落とされたと証言した階段転落事件の顛末についてです。事件当日ユリアさんは自ら階段の下にそっと横になる現場を侍女ーズが目撃しております。横になったあと、急に痛いと喚きだして目撃者を集め、『コリンナさまに落とされた』とありもしないことを偽証して、自ら保健室へ行って自分で包帯を巻いたということです」

「なっ、嘘よっ。私はコリンナさまに突き落とされたの。はっきり見たんだから!」

「それはおかしいですね。事件当日、コリンナさまは体調の悪かったラルフさまに付き添うため、学園をお休みになられていましたが」

「嘘よ、嘘なんだから! 信じて、ラート!」

「ハンッ。婚約者のいる身で、ユリア、ラートと、まあ仲睦まじいことで。貞淑が聞いて呆れるわ。……ああ、侍女ごときがとんだ失言を。申しわけございません、単なる独り言でございます」

「……」


 コンラートさまはぐっと唇を噛み締めて、俯いたまま苦虫を噛み潰したような表情を浮かべている。モニカさんは冷静に話しているが、相当頭にきているようだ。ユリアさんが口にしたラルフさまのくだりでキレたに違いない。


「次に筆記用具を同じクラスであるフリーダさまに壊されたと、ユリアさんが証言した事件についてです。こちらは休み時間に裏庭でユリアさんが、こっそり自分の筆記用具を壊す様子を侍女ーズが目撃しております」

「そんなこと、してないっ。フリーダさまに壊されたんだから」

「現場を目撃されたんですか?」

「ええ、見たわっ。教室でフリーダさまが私の筆記用具を踏みつけてたんだから!」

「左様でございますか。しかしながら、今でも裏庭の縁石にユリアさんの筆記用具をぶつけた痕跡が、破片と一緒にたくさん残っております。折角ですから、あとから見学ツアーでも企画いたしましょうね」

「っ……!」


 ユリアさんが真っ赤になって俯いてしまった。流石に物証を突きつけられたらどうにもできないらしい。


「その他、令嬢たちに寄ってたかって虐められ、先頭に立って虐めていたのがビアンカさまだったというユリアさんの証言についてです。ビアンカさまは人見知りが激しく、仲のよいご友人といってもコリンナさまくらいですが、虐められたときどなたと一緒にいらっしゃったか証言できますか?」

「よ、よく覚えていないわ!」

「では我々侍女ーズが代わりに証言してあげましょう」

「えっ?」

「同学年の令嬢全てに聞き込みをして、貴女に注意を与えたことのある令嬢全てにお話を聞きました。まず、廊下を走らないように。目上の方には敬称、敬語を使うように。無闇に婚約者のいる男性に近付かないように。授業中に眠らないように。それと……」

「もう、もういいわよっ」


 投げやりに言葉を遮るユリアさんに、モニカさんが嘲るような笑みを向ける。


「令嬢方の仰った内容は虐めでなく、全て『注意』の範疇。冷静な判断力を持つ人間なら、全員そう判断すると思われます。それではユリアさん、貴女の言葉が全て偽証であったと認めるのですね」

「認めないわよ! 私は本当のことしか言ってないもん」

「そうですか。すべて裏付けが取れているのですけれど、それでもなおユリアさんを信じるという殿方がいらっしゃれば、どうぞ婚約者の令嬢のおうちに婚約解消をお申し出ください。どのおうちも、いつでも大歓迎だそうです。調査結果については、侍女ーズのほうから令嬢方のご両親に全て報告が済んでおります。貴方がたの優秀な婚約者のご令嬢たちには、あざとい顔だけ女のハニトラ……失礼、甘言虚言に踊らされるような愚かな殿方よりもずっとふさわしい婚約者候補の殿方たちが、今か今かと手ぐすねを引いて待っておられるということです」


 王太子殿下を除く側近の男性たちがぐっと唇を噛み締めて顔を逸らした。


「そしてハスラーさま、成り行きを見て結果次第で伝えるようにと言われていた、旦那さまのお言葉をお伝えします」

「……ああ」

「『何の裏付けもない虚言を信じ込んで、真実を見抜けず簡単に踊らされるような愚かな男に、可愛いコリンナを預けることなどできない。婚約などこちらから願い下げだ』だそうです」

「待ってくれ……」


 懇願するような眼差しをコリンナさまへ向けると、コリンナさまは切なげな表情で言葉を紡いだ。


「残念ですわ、コンラートさま……。コンラートさまとなら穏やかな家庭を築けると、ずっと信じていました。けれど私だけでなく弟までも蔑ろにされては、私ももう貴方さまと婚約関係を続けるのは無理です」

「違うっ、コリンナ! 私はそんなことはひと言も言ったことはない! ラルフは私にとっても可愛い弟だ! 頼む、信じてくれ!」

「コンラートさま……」


 懸命に言い募るコンラートさまに、コリンナさまが悲しそうな眼差しを向ける。コンラートさまは気付いていないのだろうか。婚約を破棄すると自ら告げてしまっていることに。

 そんなコンラートさまにモニカさんが追い打ちをかける。


「ハスラーさま。コリンナさまに何度も訴えられたはずです。『信じてください』と。『私はやっていません』と。貴方は一度でもコリンナさまの言葉に耳を傾けましたか?」

「それは……」

「侍女ーズの報告に上がっています。ハスラーさまはコリンナさまの言葉に全く聞く耳を持たなかったと。所詮、自分に都合のいい甘い言葉を吐く女を喜ばせたかっただけでしょう。浅い男……おっと、侍女ごときがとんだ失礼を」

「コリンナ……。私は……」


 ずっと成り行きを見守っていた王太子殿下が、突然口を開く。


「モニカ嬢、もうそのくらいにしておいてください」

「殿下……!」


 王太子殿下の言葉を聞いたモニカさんは口を噤んだ。まだまだ言い足りないといった燻った怒りが伝わってくる。王太子殿下は苦笑しながら言葉を続けた。

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