第128話 勿忘草

 フェルディナント王太子殿下は穏やかに告げる。穏かに見えるけれど、その飄々とした態度からは、あまり感情の起伏が感じられない。掴みどころのない人物といった印象だ。


「きっとユリア嬢は頼る者がいなくて寂しかったのだと思います」

「殿下……!」


 フェルディナント殿下の助け舟に、ユリアさんが嬉しそうに微笑んだ。

 モニカさんはフェルディナント殿下に窘められて、それきり口を噤んでしまった。いくら正統性を主張したくとも、王太子直々に黙れと言われたら黙るしかない。

 ユリアさんを庇うような殿下の発言。――殿下もユリアさんに心を傾けてしまったのだろうか。もしそうならビアンカさまは……。

 これ以上責められることがないと分かって安心したのか、ユリアさんが「フフン」と勝ち誇ったような笑みをモニカさんに向けた。モニカさんは悔しそうにユリアさんを睨んでいる。


(ビアンカさま……)


 偽証が暴かれたあとでもなおユリアさんを庇うフェルディナント殿下を見て、ビアンカさまは切なげな表情を浮かべていた。あまりにも痛々しくて、とても見ていられない……。こんな様子を見せられたら絶望してしまっても無理はない。


「やっぱりフェルディナントさまはお優しいですね! お気持ち、とても嬉しいです。私もフェルディナントさまのことを……」


 ユリアさんがぽうっと頬を赤らめ、両手を組んでフェルディナント殿下を見つめながら、もじもじと告げた。フェルディナント殿下はニコリと微笑んで、ユリアさんの言葉を遮るようにその名を口にする。


「ユリア嬢」


 ビアンカさまはこれ以上目にするのが堪えられないというように、顔を背けてフェルディナント殿下とユリアさんから目を逸らした。

 私はビアンカさまの恋を応援したかった。だけど、これ以上つらい思いをさせたくない。私は勇気を出して、何かを告げようとしていた王太子殿下の言葉を遮る。


「王太子殿下。私はビアンカさまの侍女でクリスと申します。どうか発言をお許しください」

「ん? ああ、どうぞ」


 フェルディナント殿下がユリアさんのほうから視線をこちらへと向けた。


「殿下。これ以上ビアンカさまを苦しめるのはおやめください」

「クリス、待って……!」


 ビアンカさまが私の話を止めようとした。だけど……


「いいえ、ビアンカさま。はっきりと言わせていただきます」

「クリス……」


 ビアンカさまが不安げな表情で私を見つめる。私は安心させるようにビアンカさまに微笑んで、再びフェルディナント殿下のほうを向いた。


「殿下。どんな理由があるのか存じ上げませんが、貴方さまの言動でビアンカさまが大変苦しまれておいでなのです」

「私の言動?」

「はい。私が聞いたところによると、殿下はそちらのユリアさんと大変懇意にされているとか。その様子を見て殿下がユリアさんに好意を持っていらっしゃると、ビアンカさまは心を痛めておいでなのです」

「私がユリア嬢を?」

「はい」

「ふむ……」


 記憶を辿っているのだろうか。フェルディナント殿下は表情から笑みを消して、何かを考え込むように黙り込んでしまった。そんな殿下に、ビアンカさまが恐る恐る声をかける。


「殿下……。あの、私は、これにてお暇させていただきます。私のことでお心を煩わせて申しわけありませんでした。クリス、行きましょう」

「でも、ビアンカさま……!」

「もういいのよ。私のことを心配してくれてありがとう」

「ビアンカさま……」


 ビアンカさまの瞳は涙で潤んでいた。フェルディナント殿下の前で涙を見せたくないのだろう。気弱だけど、芯の強い人だ。懸命に涙を堪えている健気なビアンカさまを見て、胸がギュッと締め付けられる。

 殿下にビアンカさまの心を察してもらえないことが、歯痒くて堪らない。ビアンカさまには、こんな王太子なんて忘れて、新しい恋を見つけてほしい。


「……では、失礼します」

「待って、ビアンカ」

「……はい」


 立ち去ろうと背を向けたビアンカさまを、フェルディナント殿下が呼び止めた。ビアンカさまに婚約破棄の宣言でもするつもりだろうか。これ以上ビアンカさまを傷付けさせたくないと、思わず身構えてしまう。

 ビアンカさまは殿下のほうを振り返って、不安げな表情を浮かべて次の言葉を待っている。毅然と振る舞っているけれど、体の前で組んでいる指先が震えている。

 フェルディナント殿下はお茶会が始まる前にビアンカさまが渡した紙包みを手に取って、ゆっくりと包み紙を開いた。そして中身を確認してほうっと溜息を吐く。


「綺麗だね……。見事な刺繍だ。ビアンカの手作り?」

「はい……」

勿忘草ワスレナグサ……私の好きな花だ。今の君の気持ちだと思っていいのかな?」

「……」


 ――私を忘れないで。……勿忘草の花言葉だ。

 ビアンカさまはフェルディナント殿下の言葉を俯いたまま肯定も否定しない。殿下に贈ったハンカチに施された勿忘草の刺繍に、そんな切ない思いが籠められていたことを知って、思わず目頭が熱くなってくる。


「ビアンカ。君とはずっと会えなかったけど、私の行動が随分と君を不安にさせてしまったみたいだね。……ごめんね」

「殿下……」

「まだ帰らないでくれないか。君に話したいことがある」

「はい……」


 ビアンカさまの顔色が悪い。まるで断罪の瞬間を待つ罪人のように、これから紡ぎ出されるであろう殿下の言葉に怯えているのが分かる。可哀想なビアンカさま……。

 フェルディナント殿下はそんなビアンカさまを見て、穏かに微笑んで頷いた。そして話を続ける。


「だけどその前に、ユリア嬢」

「はいっ」


 ユリアさんは頬を染めて殿下の言葉を待っている。まるで愛の告白でも待っているかのように。


「謝りなさい」

「え……?」

「貴女は嘘でたくさんの人を傷つけたのだから、皆に謝りなさい」

「わ、私、えっ? あの?」


 戸惑うユリアさんの前で穏やかな笑みを浮かべたまま、フェルディナント殿下は全く表情を変えない。フェルディナント殿下の心の中に、ユリアさんに対する恋情はない……?

 終始穏かに微笑む殿下の表情をいくら観察しても、その本心が全く見えない。王族とはこういうものなのだろうか。感情が全く推しはかれない王族という存在を目の前にして、私は思わずブルリと身震いしてしまった。

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