第114話 国境超え

 轟音と振動で目が覚めたらどこかに括りつけられて、激しく揺らされている。ここは、馬車の中……?

 対面の椅子には人相の悪い男が二人座っている。そのうちの一人がルイーゼのほうを見てニヤリと口角を上げる。その気味の悪さに背筋が寒くなる。


「よぉ、目が覚めたか。お嬢ちゃん」

「……私はどうして」

「ああ、縛っていてすまんね。丁重に招待しろと言われてるんだが、馬車が揺れるから固定させてもらったんだ。あんたが大人しく従ってくれさえすりゃ、縄も解いてやるよ」


 男の言葉に嘘はなさそうだ。ぼうっとしていた頭が徐々にはっきりとしてくる。午前の授業を終えたあとニクラウスに呼び出されて、テレージアの伝言を伝えられた。そのあとついていって学園の裏庭で強く殴られて――ああ、あのとき気を失ってしまったのか。

 テレージアには、アルフォンスに対する気持ちを隠していたという負い目があったから、ルイーゼと話したがっているというニクラウスの言葉を迂闊にも信じてしまったのだ。どのくらい気を失っていたのかは分からないけれど、突然ルイーゼがいなくなったのだ。きっとアルフォンスもテオパルトも心配しているだろう。

 馬車の揺れが普通じゃない。街中ではないのだろう。舌を噛みそうになるくらいに揺れが激しい。走る音が煩いからか、大きな声で話しかけられたので何を言っているのかははっきりと聞こえた。

 悪路を飛ばしているからこんなに揺れるのだろう。飛ばしている馬車から飛び降りるなんて自殺行為だし、そんなことをしても連れ戻されて痛い目にあうだけだ。ここは男の言う通り、大人しく従ったほうがいいだろう。ついでに得られる情報はできるだけ聞いておきたい。ルイーゼがコクコクと頷くと、男が縄を解いてくれた。これで少しは楽になった。


「私はどこへ連れていかれるの?」


 ルイーゼが怯えた眼差しでそう尋ねると、男がまるで支配者のような笑みを浮かべながら答える。


「着いてから教えてあげるよ。ああ、もうすぐ国境だからちぃーっと大人しくしてくれるかな? もし騒いだら、分かってるな?」


 男はそう言ってルイーゼに見せつけるように腰のベルトに下げた短剣に手を当てた。もうすぐ国境という男の言葉から察するに、今いるのはまだルーデンドルフ王国で間違いないだろう。ニクラウスの姦計に嵌って捕まったのだから行先はマインハイム王国である可能性が高い。


(でもどうして? ニクラウスは私が邪魔だっただけじゃないの? アルフォンス様とテレージア様のために私を捕まえたのだったら、なぜ国外に送り出そうとしているの? 二度と戻れないようにするため? その可能性もあるけど何か引っかかる。……そういえば、丁重に招待しろって言われたとこの男が言ってたわね。情報が足りな過ぎて何も分からないわ!)


 できる限り情報が欲しい。どうにかこの男から聞き出せないだろうか。


「ねえ、私を招待したのはどこの犯罪組織の方かしら? 私の安全を保障してくれるというはっきりとした証拠が欲しいわ」

「あー、あんたを招待したのは破落戸じゃねえよ。れっきとした身分のある方だから心配すんな。あと、そろそろ国境だから黙っとけ」

「分かったわ」


 れっきとした身分がある――ルイーゼを招待したという者は貴族と見て間違いない。引き渡されればすぐに分かることだから、今それを知ったところでどうしようもないけれど。ニクラウスの狙いはその貴族にルイーゼを引き渡すことだったのだろう。

 マインハイム王国、貴族、誘拐――かつてジークベルトが忠告してくれた言葉を思い出す。


『転生者の知識というのは計り知れないほどの価値があるものなんだ。我が国では一部の人間からその価値が知れ渡ってしまっている。だから民間でも新しい発明があったりすると、転生者であることを期待されて誘拐事件にまで発展したことがあるんだ』

『我が国では転生者を求めて裏組織が動いているという話も耳にしている。もし君がこの国で平和に暮らしたいなら転生者であることは絶対に隠し通すんだ』


 ルイーゼが転生者であることがばれてしまったのだろうか。もしニクラウスが別の貴族にルイーゼを引き渡すのが目的であんなことをしたのだとしたら、ルイーゼが転生者であることが何らかの形でニクラウスにばれてしまった可能性が高い。ニクラウスは学園を自由に動ける。私は学園で不用心に魔道具会議を繰り返していた。後悔しても遅いけど、不用心だった……。


「おい、国境だ。絶対に声を出すな」


 男がそう言ってルイーゼの隣に座って短剣の刃を首の近くに固定する。怖い。揺れて当たったらどうするつもりなのか。

 国境の門に差しかかったようで、馬車の揺れが徐々に弱くなり最後には停車した。ここを超えてしまったらもう戻れないかもしれない。焦燥感に苛まれるけれど、このような状態ではどうしようもない。ルイーゼの隣に座っているのと別の男が馬車の扉の内側に入口を塞ぐように立つ。そして何やら馬車の外から話し声が聞こえてきた。


「……国境を超える目的を言え」

「はい、今度ルーデンドルフに新しく店を開くための商談の帰りです。随分物々しいみたいですが、何かあったんですか?」


 会話を交わしているのは国境兵とこの馬車の御者のようだ。そのまま会話に耳を澄ませる。


「いや。……馬車の中を改めさせてもらうぞ」

「ええ、どうぞどうぞ」


 愛想のよい御者の返事が聞こえたあと、足音がザッザッと徐々に近づいてくる。いっそばれてしまえばいいのに。でももしばれたら殺されてしまうかもしれない。どうしたら……。

 バッと馬車の扉がが開かれる。と同時に、扉の内側に立っていた男が、警備兵の胸にドガッと強烈な足蹴りを当てた。警備兵は不意を突かれて後ろに転倒したようだ。その隙に馬車がすごい勢いで発車する。元から強引に振り切るつもりだったのだろう。とりあえず警備兵が殺されなくてよかった。

 ほっとしたのも束の間で、馬車は国境にさしかかる前などと比べ物にならないくらいの速さで飛ばし始めた。窓から景色が見えるわけではないけれど、車輪の音と揺れで分かる。下手に口を開けると本当に舌を噛んでしまう。歯を食いしばって耐えるしかない。


「くそがぁッ! 奴ら騎兵を配備してやがった!」

「なんだとッ!」


 窓から外に首を出した男が後方を確認しながら叫び、ルイーゼを拘束していた男がその言葉を受けて声をあげた。このまま騎兵が追いついてくれれば助かるかもしれない。馬車に騎兵が追いつかないわけがない。


「あー、クソッ! だが想定内だ。もう少し走れば……」


 もう少し走ればなんだというのだろう。男の言葉の意味が分からず不安が募る。


「そろそろだからキバれよッ!」

「おうッ!」


 男と御者の会話を聞いて、なんだか嫌な予感がしてきた。もう間もなく追いつかれるというところで……


「そろそろだな」

「え、嘘……」


 思わず声が出てしまった。窓からちらりと見えたのは逆行して走る数頭の馬の姿だったのだ。男がいるのも構わずルイーゼは窓から外に顔を出して様子を見た。すると、かなり近くまで追いついていた国境の騎兵に、数頭の馬に跨った覆面をした男たちが向かっていったのだ。


「嘘、やめて……」


 覆面の男たちは抜身の剣を片手に持って追ってくる騎兵に向かって振りかざしている。ルイーゼのために誰かの命がなくなるかもしれない。恐ろしい想像をしてしまって胸が苦しくなる。

 ルイーゼを捉えているこの馬車は、この混乱に乗じて逃げ延びようという作戦だろう。このような事態を想定して覆面騎団を配置していたのだ。なんと計画的で用意周到なことだろう。首謀者はきっとただ者ではない。

 数では覆面のほうが勝っているようだ。どうか死なないでほしいと祈りながらその様子を見ていると、国境騎兵の中から一騎だけこの馬車を追ってくるのが見えた。


「そろそろこっちの馬がヤバい。限界だ」


 御者の泣き言に対してルイーゼの側にいる男が答える。


「森へ入れ。馬車を隠して一度停車して迎え撃つ。なあに、相手は一人だ」


 間もなく馬車は森へ入り停車した。男たちは武器を手にして馬車を降りていく。御者の男も騎兵に立ち向かうようだ。ルイーゼは馬車に一人残された。

 たとえ騎兵といえ、三対一だ。全員武器を所持しているけれど大丈夫だろうか。もし騎兵が倒されたら、男たちが戻ってきて再出発することになるだろう。逃げるなら今だ。

 ルイーゼは窓から外を見て男たちが騎兵に向かって言ったのを確認してから馬車を降りる。そして森の奥へと駆け出した。馬車と逆のほうへ走れば国境へ戻れる。


「はあ、はあ……」


 怖い。捕まりたくない。――ドレスじゃなくて学園の制服だから少しは走りやすい。けれど森の中だから足元がおぼつかない。草に絡まれ倒木に躓きそうになりながら馬車の来た方向へと走る。ここは川沿いのようで、すぐ右は崖になっている。この川を辿っていけば迷うこともないはずだ。

 ふと踏み出した右足がズルッと沈むように滑る。


「えっ……」


 湿って柔らかくなっていた土が崩れ落ちていく。と同時にルイーゼの体も崖の下へと真っ逆さまに落ちていく。


(あ、私、今度こそ死ぬ……。アルフォンス様、オスカー、お父様、ごめんね)


 走馬灯のように浮かぶ愛しい人たちの顔。――頭に受けた激しい衝撃とともに、そのまま意識ごと暗闇に飲み込まれた。


  §


 私のほうへ向かってくる白い灯り。私の体は高く跳ね上げられてそのまま意識を失って……。

 ゆっくり瞼を開けると目の前には木の天井が見える。ここは病院、じゃないよね。会社から帰る途中で横断歩道を渡っていたら……


「車にはねられたんだ……」


 ゆっくりと上体を起こすと頭に酷い激痛が走る。


「痛っ!」


 頭を触ると、包帯がグルグルと巻かれていることに気付いた。これって、車にはねられて、でも死ななくて、誰かに助けてもらって介抱してもらったってこと? でも病院ではなさそう。ここは一体どこなんだろう。

 そしてすぐに異常に気付いた。私の髪、金髪……。色も白い。体が私の体じゃない……。私は日本人だよね? ペタペタと体を触ってみる。ほっ、どうやら女性の体みたいだ。


「胸が大きくなってる……」


 ふと胸元に手をやって気付いた。かつてよりもボリューム増えていることに、思わずニンマリと笑んでしまう。ラッキー!――って、それどころじゃないから!


「私の名前は笹木ささき栗栖くりす。日本人。年齢は三十才。……だったはずなんだけど、どうみてもこれは……」


 小説やアニメで流行っている異世界転生?――でも私にはこの体になってからの記憶が一切ない。この体の主の名前も分からない。事故で死んだ私の魂がこの女性に憑依したのだろうか。とりあえず鏡が見たい。そしてここはどこ?

 頭がはっきりしてくるのに比例して、胸の中に湧いた疑問と不安が段々と大きくなっていった。




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