第113話 振り上げた拳の行方(アルフォンス視点)
ニクラウスは感情を表情に表すことなく淡々と話を続ける。
「私はいわば転生者を懐柔するための説得役です。公爵には標的に近付くように命じられていました。ですが、転生者は貴族令嬢――しかも宰相殿のご息女となれば素直に頷いてはいただけないでしょう。いっそ嫌われて警戒されたほうがいいと判断して、クレーマン嬢に対して不躾に接しました」
ニクラウスの言っていることに嘘はないだろう。けれど本心の全てを語っているとは思えなかった。なぜならニクラウスがルイーゼに向けていたあの視線は……
「だが君の視線には悪意を感じた。ただの
アルフォンスの言葉を聞いてニクラウスがフッと苦笑する。
「……確かに仰る通りです。私にはクレーマン嬢を目障りだと思う気持ちがありました。彼の令嬢がいなければ、アルフォンス殿下とテレージア殿下の婚約の障害になるものはないのにと」
やはりニクラウスはルイーゼに対して悪感情を持っていたのだ。だがその意図までは分からなかった。あの視線にはテレージアの願いを叶えたいという意図が含まれていたのか。主の幸せを願う執念のようなものが感じられる。本心を曝け出したニクラウスに、追及を続ける。
「テレージアのために意図的にルイーゼを排除しようとしたのではないのか?」
「そう取られても仕方がないと思います。しかしそのようなことをしてもテレージア殿下がお喜びにならないことは分かっていましたので、婚約に関しては成り行きに任せるしかないと考えておりました。それはそれとして、クレーマン嬢に警戒されたまま留学期間が無事終われば公爵の密命を免れるかと考えていました。ですが、公爵が転生者確保を命じたのは私だけではなかったのです」
「誘拐の実行犯か……」
「はい。奴らはマインハイム国より密かにこの国に入り私を監視していました。魔道具の開発者が貴族じゃないかというアタリは付けていたようで、のらりくらりと密命の遂行を先延ばしにしていた私に焦れた奴らが脅迫してきました」
「脅迫……?」
「開発者の名を即刻調査して告げよと。そして命令に背く、もしくは口外するようなことがあれば、テレージア殿下の命はないと」
「そんなことできるはずないじゃない! 私は貴方たち護衛騎士にも守られているし、王宮で守ってもらえるのだから!」
テレージアが強く異論を差しはさむと、ニクラウスが瞼を臥せて首を左右に振った。
「テレージア殿下。奴らは裏社会の犯罪組織の集団、いわば暗殺のプロです。例え標的がどこにいようが本気で殺すつもりならば容易に実現できるでしょう。ただの破落戸とはわけが違うのです」
「そんな……! じゃあ、ルイーゼが攫われたのは私のせい……」
「テレージア殿下、それは違います。私が最初から公爵の命令を受けなければよかったのです」
ニクラウスはそう言うが、上位貴族の命令を聞かければその場で罰せられる。秘密を知られたとしてすぐに処分されたかもしれない。それにニクラウスが引き受けなくとも、別の誰かが同じ密命を言い渡されたことだろう。
「私は奴らとの取引に応じました。目的が目的なだけに、クレーマン嬢が命を奪われることはない。むしろ丁重に扱われることは分かっていました。そこでテレージア殿下の命が脅かされるくらいならと、愚かな私はクレーマン嬢が転生者であることを伝えました」
「なんてことを……くそっ!」
憤るあまりに思わず机をダンッと叩いた。あまりの口惜しさに、自分でもどこから出てきているか分からないような低い唸り声が漏れる。
「今ごろ奴らはクレーマン嬢をつれて、マインハイム王国へと一直線に向かっているでしょう。大事な人材ですから手荒な真似はしないと思います。本人が自害すれば知識を利用することなどできませんから」
「……すぐに命が脅かされるような危険はないのだな?」
「はい。……ただ、大人しく従わなければ身の安全の保証は致しかねますが」
ニクラウスが眉根を寄せ表情を歪めた。そして懇願する。
「これが私が知る全てです。殿下と関係者の方々の心痛はお察しいたします。この責任は全て私にあります。どのような刑でも甘んじて受けさせていただきます。どうか、私の命をもって贖わせてください」
ニクラウスは席を立ち、床に跪いてひれ伏した。
その姿を見て思う。いくらニクラウスが命を差し出そうが、攫われたルイーゼが戻ってくるわけではない。無責任ともとれる言葉を聞いて、カッと頭に血がのぼる。
目の前で平身低頭してその命を差し出そうとする男の襟首を左手で掴み上げ、思い切り右の拳でその頬を殴りつけた。
ニクラウスは瞼を閉じ、抵抗することもなく殴打されて倒れた。唇からは血が滲んでいる。アルフォンスの拳にも血が滲んでいる。壁を殴ったときにできた傷が開いたのだろう。
「アルフォンス殿下っ! どうか拳をお収めください! 我が娘のために御身を傷付けるなどなど! どうかっ!」
そう言ってアルフォンスを止めるテオパルトの表情も怒りと悲しみに歪んでいる。父親を差し置いて気持ちを逸らせてしまったことを恥じる。テオパルトは、アルフォンスと同じ、もしくはそれ以上に激しい憤りを感じているだろうに、宰相という立場ゆえに、ぐっと感情を噛み殺し耐えていたのだ。テオパルトの己の感情を律する意志の強さに免じて、上げていた右の拳を下ろす。
するとテレージアが駆け寄ってきて、殴打されて倒れたニクラウスを背にして跪いた。そして両手を組み、強い意志を持った眼差しをこちらへ向けて懇願する。
「ニクラウスの罪は私の罪でもあります。全ては私の監督不行き届きが招いた事態。どうか私にも罪を贖わせてください。願わくば、どうかニクラウスの命だけは奪わないでいただけないでしょうか」
「……ニクラウスの罪を断じるのは私ではない。国王陛下だ。だが他国の貴族ながら首謀者であるシュレマー公爵は断じて許せない。どこまでも追って地獄を見せてやる」
感情を押し殺し表情を消してテレージアに告げた。テレージアに罪はない。確かにテレージアの迂闊な行動がきっかけになってしまったのかもしれない。
だがよくよく話を聞いてみれば、テレージアが捕まらなくとも、近いうちにマインハイムの犯罪集団によってクレーマン侯爵家に夜襲がかけられたと予測できる。ルイーゼの命に危険が及ばないならば、クレーマン侯爵家にいる他の者の命を脅かすことなく済んだのかもしれない。
今はニクラウスの罪について考える場合ではない。一刻も早くルイーゼを助けたい。そしてルイーゼの無事な姿を見たい。隣国の状況に詳しいニクラウスからあらゆる情報を得た上で、ジークベルトの協力を仰ぎながら全力でルイーゼを探す。そして絶対に助け出すと強く心に決めた。
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