第100話 伝わって
ニクラウスの言葉に不快感が募る。目の前の騎士は何の権限があってルイーゼの行動を制限しようとするのだろうか。
放課後で人は少ないけれど、全くひと気がないわけではない。ただ会話が聞こえるような範囲には誰もいないのが幸いだった。
ルイーゼは背筋を伸ばしてニクラウスに向かって毅然と告げた。
「私はノイマイヤー様が汚点と仰られるような恥ずべき行為は一切行っていないと断言できます。ところで貴方の仰っている言葉をそのままテレージア様のお言葉と捉えてよろしいのでしょうか?」
「いえ、お優しいテレージア殿下は決してそのようなことは仰いません。私は殿下を守る……ひいては殿下の幸せを守るのが私の使命だと考えております。殿下が仰りにくいことを私が代わりに申し上げようと考えて参りました」
ニクラウスの言葉から察するにテレージアはニクラウスのとった行動を知らない可能性が高い。マインハイム王国では、一介の護衛騎士がそこまで気を回して行動するものなのだろうか。場合によってはそうしなければならない場面もあるかもしれない。けれど、この騎士の今回の行動はどう考えても……
「……それは先走り過ぎなのでは? テレージア様の許可があった上で、私にそのようなことを仰ったのですか?」
「いえ、殿下は何もご存じありません。ですが、主の望む未来を叶えることが私の使命だと思っておりますので」
この騎士は大丈夫なのだろうか。使命だと言ってはいるけれど、テレージアに対して義務感以上の感情を持っているような気がしてならない。これは暴走というのでは? もしテレージアの意に反する行動であれば、ニクラウスは厳罰に処せられてしまうのではないだろうか。
「申しわけありませんが、私にはノイマイヤー様のお言葉に従わなければならない義務はございません。私は私の信念に基づいて行動しているつもりですし、これからもそうさせていただくつもりです。……このお話は私の胸に留めておきます。テレージア様に今回のことを申し上げるつもりはありません。ですから、ノイマイヤー様はご自分の考えのみで行動されることを、今後は少々お控えになったほうがよろしいかと存じます」
ルイーゼがそう言うと、ニクラウスが「はぁ」と溜息を吐いて残念そうに首を左右に振った。これ以上ニクラウスが具体的に何らかの行動を起こすようなら、今日のニクラウスの言動をテレージアの耳に入れることも考えなければならない。
テレージア自身がニクラウスの行動を良しとするなら、ルイーゼにはどうにもできないけれど。
「……そうですか。分かっていただけると思っておりましたが、ご理解いただけなくて残念です。どうかくれぐれも王太子殿下とテレージア殿下の将来を考えた上での慎重な行動をお願いします」
「……私は貴族令嬢として相応しく過ごすだけです」
「お時間をいただき、ありがとうございました。私はこれで失礼します」
「ご機嫌よう、ノイマイヤー様」
『王太子殿下とテレージア殿下の将来』……ニクラウスの言葉が胸に突き刺さる。二人の名前を並べただけでこんなに胸が痛くなるなんて。
ニクラウスの背中を見送りながら、テレージアのことを思い出す。そういえばテレージアは昨日から学園に来ていない。テレージアが来ていないのはアルフォンスに関係があるのだろうか。胸のモヤモヤが晴れないまま、ルイーゼは午後の授業を受けることになった。
§
放課後になってルイーゼは製菓クラブに参加した。今日作るのはアップルパイだ。本格的な折りパイにするので二日がかりの工程となる。今日は生地を作るだけでクラブ活動は終了だ。
「……ゼ、ルイーゼ」
「えっ、何?」
肩を揺さぶられて、ようやくカミラが呼んでいたことに気付いた。不覚にもお昼休みのことを思い出してぼんやりしていたらしい。
「聞いてなかったの?」
「ごめんなさい……」
「小麦粉とバターと塩と冷たいお水でいいのよね?」
「ええ……」
ボウルに小麦粉をふるった小麦粉を入れて、塩と冷水を入れたあとに室温に戻したバターを千切りながら入れる。これを全体がひと塊になるように混ぜるだけだ。
このときには決して混ぜすぎないようにしなければならない。生地が纏まったらそれで終わりだ。ボウルの上に濡れた布巾を被せて一晩冷蔵庫で寝かせる。
パイ生地の第一段階の作業を終えたあと、あまりの短さにカミラが呆然と呟く。
「あっけないのね」
「ええ、そうね……」
「……ルイーゼ、何かあったの? 様子が変よ」
「ん……、なんでもないわ」
アルフォンスとのことを相談したいけれど、王命に抵触する恐れがあるから友だちにも相談できない。このモヤモヤをどうしたらいいか分からない。お菓子作りをすれば気持ちが晴れるかと思っていたけれど、全く集中できない。
「カミラ、悪いけれど先に失礼させていただくわね」
「え? ええ。なんだか分からないけれど、元気出してね、ルイーゼ」
「ありがとう……」
ルイーゼは早めにクラブ活動を終えて帰宅することにした。馬車の中でもアルフォンスのことが頭から離れない。いくら考えてもどうしようもないというのに。
「はぁ……。重症ね。思いが通じ合ったら、それで幸せになれると思っていたけれど」
屋敷に到着して部屋に籠っていると、扉をノックする音が聞こえた。部屋を訪ねてきたのはオスカーだった。オスカーは今王宮から帰ってきたばかりらしい。
「姉上、殿下の護衛騎士より預かった手紙です。私宛てになっていますが。恐らく殿下は検閲されるのを見越して僕宛てにしたんだと思います。中を見たらどうにも意味不明なので、姉上なら何か分かるかと思って……。読んでいただけますか?」
オスカーはそう言って封筒に入った手紙らしきものを懐から取り出した。簡素な白い封筒だ。封はされていない。
「ええ、見せてもらうわ」
私はそう言ってオスカーから封筒を受け取って中を見てみた。中には四つ折りにされた二枚の便箋が入っていた。取り出した便箋を開いて内容を読んでみる。
『親愛なる我が友人 オスカー
君の友人の飼っているフロールウサギの
約束のウサギのことは何も心配はいらない。
すでに売約済みにしてあるから他のウサギと番わせたりはしない。
だから絶対に、君の友人のフロールウサギに別のウサギを宛がわないでくれ。
約束のウサギは何があっても必ず届ける。
絶対にだ。
君の親友 アルフォンス』
フロールウサギ……一昨日アルフォンスに、縦ロールをモコモコされたことを思い出して目頭が熱くなる。
「オスカー、このフロールウサギって多分私のことだわ」
「あー……。なるほど、そう考えると文章の意味が読めてきますね。となると約束のウサギというのは……」
「殿下はお元気なのね。よかった……」
――アルフォンス様が無事でよかった。
ルイーゼは両手に持った便箋を胸の真ん中へ持っていき、祈るようにギュッと瞼を閉じた。
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