第32話 ランチのお誘い
午前中の授業が終わり、学園は昼休みとなった。左手首の包帯は、さり気なく右手で包むように手を組めば目立たないだろう。そんな作戦を考えながら、ルイーゼはアルフォンスの教室へと向かった。
入口から中の様子を窺って愕然とする。そして教室の窓際で、銀色の髪を風で揺らしながら一人佇むアルフォンスの姿を見て思い出す。今日もとても素敵だ……じゃなくて、忘れていた。アルフォンスが階段から落下する事件があってから、今アルフォンスの周囲には他の婚約者候補の令嬢たちがいない現状を。
アルフォンスが階段から落下してから、令嬢たちの家はそれぞれが落下事件を把握し、責任を負わずに済むよう我関せずを貫き通しているという。オスカーに聞いたところによると、令嬢たちは両親に『婚約者が正式に決まるまではくれぐれもアルフォンスに近づかないように』と言い渡されているらしい。令嬢たちがいない今、一対一ではアルフォンスも断りにくいだろうし、断りにくいのが分かっていて相手を誘うのもどうかと思う。どうしようかと指を顎に当てながら煩悶していると、不意に声をかけられる。
「どうしたの?」
「いえ、なんでもないですわぁっ!」
驚きのあまり心臓が口から飛び出るかと思った。そしてあろうことか、貴族令嬢にあるまじき叫び声を上げてしまった。恥ずかしすぎる。入口でもたもたしている間に、いつの間にやらすぐ傍にアルフォンスが立っていたのだ。いつもの美しいアメジストの瞳が、何か面白いものでも見つけたかのようにきらきらと輝いている。ルイーゼはそんなアルフォンスに精一杯の笑顔で取り繕う。
「でん、アルフォンス様、ご機嫌麗しゅう存じます。オスカーがいないか見にきただけですわ。それでは私はこれで……」
へたれだ。我ながら情けないとは思うが、アルフォンスの周囲に他の令嬢たちがいないのは計算外だった。きっと令嬢たちがいなければアルフォンスも断りにくいだろう。それに今目立つのは危険すぎる。
そういえば昨日オスカーにも釘を刺されたのだった。今はオスカーもいないことだし、アルフォンスと二人きりなんて怖すぎる。ルイーゼにはオスカーのような鉄面皮スキルはないのだ。そんな考えを頭の中でぐるぐると巡らせた結果、即時撤退を決意し試みる。所謂尻尾を巻いて逃げるというやつだ。自分でも呆れるほどにへたれすぎる。
そんな動揺をなるべく悟られないように笑顔を作り暇を告げ、踵を返して後ろを向いたところで、穏やかな声とともに肩に温かい何かが触れるのを感じる。
「まあ待ってよ」
「はいぃ?」
なるべく平常心を装ったまま、ゆっくりとアルフォンスのほうへ振り返り、不自然にならないように笑顔を浮かべて応える。返事が若干上ずった気がしないでもないが、大丈夫だ。死ぬほど動揺しているのはばれていないはずだ。ルイーゼだって、腹黒宰相テオパルトの娘なのだ。
肩に乗せられていたのはアルフォンスの掌だった。分かってはいたけれど緊張する。ルイーゼの態度はまるで、進行方向に不良がいるのを見て慌てて進路を変えようとするが、見つかって声をかけられてしまった虐められっ子のようである。
「今日オスカーはいないけど、たまには一緒にランチでも食べない?」
「えっ、私とですか?」
「ここにはルイーゼ嬢しかいないけど?」
「そ、うですね」
柔らかな笑顔を浮かべるアルフォンスに、拒否のできないお誘いを受けて混乱する。アルフォンスからは絶対に断れない空気のようなものを感じるのだ。といっても、王族のお願いは元から断れるものではないのだけれど。
(これがオスカーが言っていた、殿下の必殺技『拒否のできないお願い』っていうものなのね。これが本当の『
今の状況に混乱するあまりに、思わず現実逃避をしてしまった。気を取り直して、今の状況について考えてみる。今まで一度だってアルフォンスのほうから誘われたことなどあっただろうか。いや、ない。アルフォンスの笑顔は今日も麗しく完璧で色気がむんむんで、そんな魔性の男に耐性のないルイーゼが何かをごまかすことなどできようか。いや、できない。できない自信がある。
だけど昨日あんなに頑張ってオスカーがごまかしてくれたのだ。ここでルイーゼが失敗するわけにはいかない。オスカーの努力に報いるためにも自分が頑張らなくては。
顔に笑顔を貼り付けつつも、心の中では嵐が吹き荒れ、不安と焦燥と羞恥の入り混じった濁流が、ほんのちょっぴりの嬉しさを押し流そうとしている。まさに
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