第30話 薔薇の庭 (オスカー視点)


 アルフォンスはサロンのガラス窓からもうすっかり夜の帳が下りた外の方へ視線を向けながら口を開く。


「用事の一つは片付いたな。テオパルトの顔も見たし、あとはクッキーが出来上がるのを待つだけか」

「そうですね。お待たせしてすみません」


 オスカーがそう言うとアルフォンスは外へ視線を向けたまま言葉を続ける。


「幼い頃ここへ訪れたとき、一度君とルイーゼ嬢とここの庭を散策したことがあったのを覚えているかい?」


 顎に人差し指を当てながら、アルフォンスの問いかけに対して古い記憶を辿る。その結果『そういえばそんなこともあったかもしれない』という程度のおぼろげな記憶の片鱗に辿り着く。三人での散策を思い出し、ゆっくりと頷きながら答える。


「ええ、そういえばそんなこともありましたね。あまり三人で過ごした記憶がないので少しだけ覚えています」

「そうか。あのときここの庭には薔薇が咲き乱れていてね」


 一体何が言いたいのだろう。アルフォンスの言葉の真意を探ろうとじっと次の言葉を待つ。


「俺は今は薔薇が好きじゃない。あの毒々しい見た目が嫌いだからだ。棘もあるし、特に真紅の薔薇など毒婦のようじゃないか?」

「そうですか?」

「ああ。だがあのときはまだ好きだったんだ。そんな会話をしたのを思い出してね。こんなに暗くなっては庭を見ることができないな。残念だ」

「はぁ……」


 薔薇についての会話を誰としたのかなどとは聞き返せなかった。オスカーでないことは確かだ。アルフォンスがなぜ今薔薇が嫌いなのかは分かる。過去のアルフォンスの事情を知っているからだ。だが重要なのはアルフォンスが薔薇を嫌いな理由ではない。『なぜ、今昔の思い出話をしたのか』だ。なぜ今、ルイーゼの入り込んだ記憶の話をしたのかが重要なのだ。

 先ほど一度払拭したはずの嫌な予感が再び湧き上がる。アルフォンスはルイーゼを見たのではないだろうか。だが聞き返せない。藪蛇になりそうだからだ。そして当たり障りのない範囲で精一杯の疑問をぶつけた。


「なぜ今そんな話を?」

「いや、なんとなく思い出してね」


 アルフォンスは窓の外へ向けていた視線をこちらへ戻し、にこりと微笑みながら答えた。これ以上つついても尻尾を出さないだろう。こちらが何かを突っ込み返されるのが落ちだ。もう触れないほうがいい。

 そんなことを考えていると、侍女のエマが調理場のあるほうの廊下から歩いてくるのが見えた。その姿を見て安心する。クッキーが入っていると思わしきバスケットを手に持っているからだ。エマがこちらのテーブルの側まで来て、姿勢を低くして礼をとりながら声をかけてくる。


「大変お待たせいたしました。当家の料理人の作成したものでございます。オスカー様、どうぞこちらを殿下に」


 エマがそう言って持っていたバスケットをオスカーに差し出した。エマもアルフォンスに毒味が必要なことを知っている。

 ところがオスカーが受け取ろうとしたところで、アルフォンスが横から手を伸ばしてクッキーの入ったバスケットを奪い取ってしまう。アルフォンスの行動を諫めようと慌てて口を開く。


「殿下、毒味を」

「いや、いいよ。君の屋敷の人間は全員信用している」


 そう言ってアルフォンスは、手に持ったバスケットのクッキーを一つ手に取り口にする。あっという間の出来事だ。

 ――他人には一個もやりたくないのか? そういうことなのか? アルフォンスの予想外の行動に戸惑いを隠せない。


「殿下……」

「ほら、大丈夫だ。やっぱり美味しいな。まだ温かくて優しい味がする。料理人にありがとうと伝えてくれないか?」

「承知いたしました。仰せの通りに。それでは失礼いたします」


 アルフォンスが嬉しそうな笑みを浮かべながらそう言伝を頼むと、エマはアルフォンスの言伝を了承して礼をとったまま一歩下がり、調理場へ向かうべくここから立ち去った。

 アルフォンスはエマを見送ったあと、嬉しそうにバスケットを抱えて見つめる。それほどまでに嬉しいものなのだろうか。どれだけ甘いものが好きなんだ。そしてアルフォンスはそんな嬉しそうな笑みを浮かべながらついに暇を告げる。


「それじゃ、失礼するよ。長い時間世話になったね。オスカーからも料理人にありがとうと伝えてくれ。そしてまた作ってほしいとも」

「承知しました。こちらこそお待たせして申しわけありませんでした」


 若干アルフォンスの態度に不安を覚えながらも、ようやく今回の苦しかった心理戦から解放されるという安堵感で顔が緩む。アルフォンスはそんなオスカーの表情を見て一瞬ふっと笑ったように見えた。そして屋敷の外まで見送りにきたオスカーに手を振り、馬車に乗って城へと帰っていった。




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