第28話 宰相テオパルト (オスカー視点)


 着替えが終わり、オスカーは屋敷の一階のサロンへと戻る。アルフォンスは戻ってきたオスカーを見て、飲んでいた紅茶のカップを皿の上に戻して穏やかに微笑んだ。そんなアルフォンスに心を落ち着けて声をかける。


「殿下、お待たせしました。クッキーが出来上がるまでかなり時間がかかるかもしれませんが、お時間は大丈夫ですか?」

「ああ、大丈夫だよ。ありがとう。ところでテオパルトは帰っているのかい?」


 アルフォンスがテオパルトのことをにこやかに尋ねてくる。本当に会いたいと思っているのか怪しい。なぜなら城で毎日テオパルトの顔を見ているはずだからだ。それに学園から戻って数時間は、テオパルトは城にいるはずだ。


「いえ、父はまだ城のようです。クッキーが出来上がったら僕が直接城へ持っていきましょうか?」

「ここで受け取るからいいよ。気を遣わせてごめんね」


 言外に城へ持っていくから帰ってもいいとアルフォンスに伝えたのだが、のらりくらりと躱される。伝わっているのかいないのかも分からない。悪あがきをしてみても、アルフォンスは一向に揺らぐ気配を見せない。

 オスカーの提案を聞いて、アルフォンスが笑みを深める。アルフォンスの表情を見て、何か面白い発言をしただろうかと顧る。


「いえ、とんでもありません。アンナ、僕にも紅茶を持ってきてくれ」

「かしこまりました。オスカー様」


 こうなったら長期戦だと覚悟を決め、侍女のアンナに紅茶を入れてもらうことにした。アンナがそれを受けて、両手を前で組んで頭を下げ、オスカーに紅茶を入れ始める。

 ずっと幼い頃から気心の知れた相手であるアルフォンスと、こんな心理戦みたいなことをするのは非常につらい。心理戦に関しては恐らくアルフォンスのほうが上手うわてだろうからだ。そうしてしばらくは二人で紅茶を飲みながら雑談をした。




 三十分程してテオパルトの帰宅が別の侍女によって知らされた。アルフォンスの来訪を前もって知らせるべく、テオパルトを出迎えなければならない。仕方がないのでアルフォンスに断ってからエントランスへと向かう。すると、もうすでに執事に出迎えられ、テオパルトがエントランスへと入ってきていた。

 テオパルトは今年で四十才になる。外見は黒髪に茶色の瞳の、身長が百八十センチほどもある体格のいい男だ。オスカーの外見は全く父には似ていない。ルイーゼとオスカーの容姿は母のほうに似ているらしい。確かに昔見た絵姿の母は蜂蜜色の金髪にエメラルドグリーンの瞳で、ルイーゼは絵姿の母の姿にそっくりだった。オスカーの性格だけは間違いなく父親譲りだが。


 顔立ちが端正で物腰が柔らかいのもあって、テオパルトは若い貴族女性から熟年の女性まで幅広く人気があるのだという。オスカーから見れば単なる腹黒親父なのだが、貴族相手には上手く隠しきれているのだろう。

 ただオスカーの知る限り、母が亡くなってからテオパルトが特定の女性とつきあっているという話を聞いたことはない。生前は勿論だ。テオパルトは子供にとっては目の毒になるほどの愛妻家だった。幼い頃、誰の目があろうと夫婦でいちゃいちゃしていたのを思い出す。


 オスカーが六才のとき、母が病気で亡くなった。体の弱い人だったらしい。オスカーたちには見せなかったが、テオパルトは母が亡くなったときには相当衝撃を受けたのだと思う。ちょうど母が亡くなったころから、何かを振り切ろうとするかのように仕事に没頭し始め、帰宅しても部屋に閉じ籠ることが多くなった。オスカーやルイーゼも母を失って何かに縋りたくて堪らなかったのに、だ。

 母が亡くなったころ、ルイーゼはエマの胸を借りて毎日しくしくと泣いていた。オスカーはルイーゼが泣いているのを見て、自分がしっかりしなければと、なんとか気持ちを持ちなおした。時間はかかったが。


「殿下がいらっしゃっていると聞いたが?」


 テオパルトが自身の立派な口髭を撫でながら尋ねてくる。執事のフロレンツにでも聞いたのだろう。テオパルトの斜め後ろには、外套を預かったフロレンツが控えている。

 フロレンツは我が家の執事で今年で六十二才になる。身長はテオパルトよりも少し低いくらいだろうか。フロレンツは今は亡き祖父の代から我が家に仕えてくれている優秀な男だ。白髪のだいぶ混じった茶色の髪をすっきりと後ろに流し付け、切れ長の暗青色の目は無駄に鋭い。いつもぴっちりとした佇まいで、感情を表しているのをあまり見たことがない。だが無表情なだけでオスカーやルイーゼにはとても優しい。まるで祖父のような存在だ。


「はい、今サロンでお茶を召し上がっていらっしゃいます。父上に会いたいとおっしゃっていましたよ」

「そうか、ではご挨拶に伺おう」


 テオパルトはそう言ってそのままの姿で大股に歩き、サロンへと向かう。オスカーも父のあとをついていった。

 そしてサロンに着いて驚いた。さっきまでテーブルで紅茶を飲んでいたアルフォンスが居なくなっていたのだ。




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