嫌われたいの ~好色王の妃を全力で回避します~(Web版)

春野こもも

プロローグ


 王宮の一室でルーデンドルフ王国の正妃ルイーゼは深い溜息を吐く。ルイーゼは今年で三十八才になる。

 アルフォンス陛下は今日も来ない。婚姻を結んでからこのかた、公務以外では会ったことがない。アルフォンスは四十才とは思えないほどの色香を纏い、艶っぽい様は今でも若い女性を惑わせる。


 今日もアルフォンスは側妃の元へ行っている。夜も昼もだ。きっと正妃であるルイーゼ以外の女性なら誰でもいいのだろう。今では側妃の数は十人となり、後宮の部屋も満員となった。

 ルイーゼはテーブルに肘をつき、額を指全体で支えながら大きな溜息を吐く。


「はぁ……。一体どこで間違ってしまったのかしら」


 ***


 ずっと幼い頃から、ルイーゼはアルフォンスのことが好きだった。

 ルイーゼが十才のときに、二つ年上のアルフォンスが護衛を伴って我が家を訪れた。宰相である父のテオパルトが彼を招待したためだ。

 少女のように白い頬をほんのり赤く染めているアルフォンスの容貌は、とても十二才とは思えないほどに色っぽかった。肩までの銀色の癖のある髪は陽の光を受けてきらきらと輝き、長い睫毛の下のアメジストの瞳が恥ずかしそうに潤んで、まるで本物の宝石のように美しかった。そんなアルフォンスを初めて見たとき、雷に撃たれたような衝撃が走った。


「初めまして。アルフォンスといいます。仲良くしてください」


 アルフォンスはもじもじしながら恥ずかしそうに挨拶をした。少年の姿はあまりにも愛らしく、天使が舞い降りたのかと錯覚してしまいそうなほどだった。ルイーゼが恋に落ちたのは一瞬だった。その瞬間からずっと目が離せなかった。

 最初の挨拶のあと、アルフォンスと弟のオスカーはすぐに仲良くなったようだった。だけどルイーゼは恥ずかしさのあまり、すぐにはアルフォンスと話すことができなかった。


 ルイーゼが十六才のとき、努力の甲斐あってアルフォンスの婚約者となることができた。だけどアルフォンスはルイーゼに対しては婚約前から冷たかった。それでも婚姻を結べば、いつか自分を愛してくれるのではないかと希望を抱いた。

 だが婚約の日から二年の間、アルフォンスは義務以外で一度もルイーゼの元を訪れることはなかった。たまに屋敷を訪れてもオスカーに会うだけだった。


 そして十八才になり婚姻の日を迎えた。ようやくアルフォンスの妃になることができると思って胸が高鳴った。きっとこれからは優しくしてもらえると、何の根拠もなく思った。

 だが婚姻の日の夜、アルフォンスがルイーゼの元を訪れることはなかった。そしてベッドの上で一人ぼっちの初夜を迎えることとなった。

 そして翌日、なぜ初夜に来てくれなかったのかと責めた。


「君のことはどう努力しても愛せない。私からの愛を期待しないでほしい」


 アルフォンスはルイーゼに面と向かって冷たくそう言い放った。婚姻の日からルイーゼにとってお飾りの王妃を演じる日々が始まった。


 ***


 アルフォンスは婚姻後も多くの貴族令嬢と浮名を流した。だが決してルイーゼの元を訪れることはなかった。

 外に婚外子を作らせるわけにはいかないと、ルイーゼの父でもある当時の宰相テオパルトがすぐに側妃を手配した。初めて迎えた側妃は、かつて学園でアルフォンスが心を傾けた令嬢モニカにとてもよく似た令嬢だった。愛らしくて潤んだ大きな瞳が庇護欲をそそる。アルフォンスは愛らしい側妃の元へ、しばらくの間は足繁く通っていた。

 だが側妃の元へ通うのも長くは続かなかった。アルフォンスは一人では飽き足らず、やはり側妃以外の女性と噂になるのだ。そこでテオパルトは一人、また一人と、次々に側妃を増やしていった。


 婚姻の日からもうかれこれ二十年が経つ。今では後宮に側妃が十人もいる。もしかしたらまだ増えるかもしれない。最初の側妃にはすぐに王子が生まれた。今では五人の王子と三人の王女がいる。跡継ぎに恵まれ後継者問題は全くないと言っていい。

 そして多くの側妃を傍に置いたアルフォンスは、国民に好色王とまで言われるようになった。だが同時に賢王としても名高く、アルフォンスの治世となってからは国が豊かになった。だから王のことを悪く言う者は一人もいなかった。


 誰とでも寝ると言われたアルフォンスだったが、婚姻から一度たりともルイーゼとだけは夫婦の営みに及ぶことはなかった。ずっと子供のできないルイーゼを皆憐れむように見る。中には子を産めない王妃と蔑む者までいた。アルフォンスと違って、ルイーゼの味方は周囲に一人もいなかったのだ。


 ――アルフォンスは決してルイーゼを愛さない。


 その事実を噛みしめる度に己の女性としての尊厳が傷ついていくのを感じた。そして死んでしまいたいほどの惨めな気持ちを、毎日のように味わう。

 ――一体自分が何をしたというのだ。なぜそこまで嫌われなければならないのだろう。

 いくら考えても、ルイーゼには疎まれる原因が分からなかった。

 そうして毎夜のごとく側妃の元へ通う夫が、今日こそはルイーゼの元へ来てくれるのではないかと期待しながら夫婦の寝所で待つ。心の中では来るはずがないと分かっていながら……。




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