第二十話 零番
「二番隊! 前へ!」
既に何度繰り返したかもわからない指揮が、戦場に響いた。
魔力の常時吸収と疲労が相まって、騎士達の動きは序盤より明らかに悪くなっている。戦線の崩壊が近いことを誰もが薄々実感し始めていた。
「うおおおおおおお!」
その状況でもロイは、徐々に迫る最悪の未来を吹き飛ばす勢いで餓食に斬撃を放つ。
しかし、気合だけで現実は変わらない。現実は非常である。
「はあ……はあ……埒が明かない……」
肉体の疲労はもちろんだが、何より辛いのは精神の疲労だ。
触れられれば魔力を吸収されて即戦闘不能にもかかわらず、こちらの攻撃は一切効いていない。
敗北は着実に近づいているというのに、勝利の気配は欠片も見えてこない。
そして、その摩耗した精神は致命的なミスの原因となる。
「ロイ! 何してる! 退け!」
誰かの叫びで、ロイはようやく正気に戻った。
自分以外は既に餓食の攻撃が届かない範囲まで下がっている。どうやらいつの間にか呆けてしまい、指示を聞き逃してしまったらしい。
『まずは一人』
「あ……」
顔を上げると、そこには迫りくる餓食の拳があった。
走馬灯というものがあるらしい。死を確信した瞬間に昔の記憶が溢れ、時の流れが遅くなったように感じる現象だ。
今のロイの状況的に走馬灯がよぎる条件は満たしていたが、幸運にも今回はロイが走馬灯を見ることはなかった。
「させんよ!」
『また貴方ですか!』
ロイと餓食の間に飛び込み、餓食の拳を剣で押し返したジャックの追撃によって、再び餓食は大きく背後に吹き飛ばされた。
「ジャックさん!」
先に続き餓食を軽々と吹き飛ばすジャックに驚く騎士は、この場にはいない。何故なら全員が彼の固有魔力を知っているから。
ジャックの固有魔力【
『まだ無駄だってことがわからないんですか?』
しかし、固有魔力が存分に活かされるこの状況においても、それだけで破竜を討伐することは困難だ。
「ちっ、やはり再生されるか」
ジャックが与えた傷は、既に再生されつつあった。この魔力がある限り体を再構成し続ける再生能力を突破して、核を潰さなければ破竜を殺すことは出来ない。
「ジャックさん……? 何で笑ってるんですか?」
周囲から魔力を吸収し、魔力が尽きなければその身が滅ぶことはない。見方によってはある種の不老不死。
シルはその不老不死を殺す策があると言った。
これが笑わずにいられようか。不謹慎かもしれないが、破竜の死をこの目で見届けられるかもしれないことにジャックの心は踊っていた。
だが、それにはシルから言い渡されたクリアせねばならない条件がいくつかある。
「すまない、何でもない。ロイ、作戦変更だ。これより我々は、全力でシューネ・アンゴラ副隊長を援護する」
「勝てるんですか? あの化け物に」
「シルに策がある。上手くいけばあれを討伐できるらしい」
「シルさんが! 了解です」
ジャックがシルの名を口にした途端、懐疑的な視線をジャックに向けていたロイの表情は一変した。
良くも悪くも単純なのがロイの性質だ。
「わかりやすい奴だな……とにかくここが正念場だ。気張っていくぞ」
「はい!」
途端ロイの気合の入った返事に呼応するように、背後の森からシューネが飛び出し、横たわりながら傷を再生している餓食に襲い掛かった。
「みんな行くよ! 援護お願い!」
挨拶代わりと言わんばかりにシューネが振るった大鎌を、上体を起こそうとしていた餓食は避けることが出来ない。
『だから無駄だと何度言わせるんですか? 僕を殺したいのなら、あの少女を連れてくるしかありませんよ?』
現状破竜に唯一再生不能の傷を与えられるのは、直接魂そのものを傷付けられる、リナが持つ【操魂の死刀】のみ。
そうそう破竜に効果的な能力は存在しない。
「とでも考えてそうな顔だけど、知ってる? そういうの前振りって言うんだよ?」
そう言いながらシューネは、餓食の右腕を簒奪の大鎌で斬り付けた。
『そんな鎌で何ができると……』
シューネに斬り付けられた場所は、餓食の予想通り傷は浅く、一瞬で再生できる程度のものだ。
『いや、馬鹿な! これはどういうことだ?』
しかし、傷の浅さに反して、餓食は復活してから初めて死への恐怖を感じていた。
当然だ。シューネに魔力を奪われたのだから。
破竜にとって魔力を奪われるということは、人間に照らし合わせれば血を吸われるようなものだ。
『貴女はこの期に及んで僕の邪魔をするのか……!』
餓食は今まで敵に挑んでいた認識を全て一新。全ての警戒を、その美しさに似合わない物騒な大鎌を所持する猫耳の獣人に向けた。
「シル君に頼まれたノルマまで、もう少しだね」
餓食が完全に自分に敵意を向けたことを察し、シューネは一端仲間の元へと下がる選択を取る。
ところが、想像よりも速く伸びてきた餓食の腕が、退避するシューネに向かって伸びて来ていた。
回避は不可能。そもそもする必要はないが。
「――――――」
『くっそがあああ!』
餓食のがら空きだった額を、レイの矢が打ち抜いた。
「せいや!」
その隙を見逃さず、身を翻したシューネはよろめく餓食の右足へと追撃を加えた。
『雑魚が、ちまちまと鬱陶しい……』
再び魔力を奪われ、餓食の背には今まで体験したことのない悪寒が走っていた。まだ魔力は十分残っているが、破竜にとって血肉にも等しい魔力を奪われる感覚そのものが不快だ。
餓食はシューネの排除を最優先に定める。周りでうろちょろしている騎士など後でどうとでもなると判断しての行動だ。
「見くびってんじゃねえ!」
態度からあからさまに感じられる自分達への油断。それを払拭するべく、ロイ達シグルズ騎士団もシューネに続いて餓食へと攻撃を仕掛ける。
されど、餓食はロイ達には目もくれず、シューネ――正確には簒奪の大鎌――にのみ意識を割いている。
唯一例外なのは、餓食に有効な攻撃手段を持つジャックだ。少し離れた位置で隙を伺っているジャックにだけは、餓食もシューネほどではないにせよ、ある程度の警戒はしているようだ。
餓食の判断は状況的に見て、概ね正しいし、模範的な解答と評価できるだろう。
しかし、模範的な解答をするだけで戦場を生き抜けるのなら苦労は無い。
「また油断か? 弱者だからと侮っていれば、痛い目を見るぞ」
『――は?』
驚くことにロイが放った斬撃は、餓食の横腹を大きくえぐり、吹き飛んだ餓食は再び地面と熱い接吻を交わした。
『しまった……ロイの固有魔力か……』
「こちらばかり見ていていいのか? そら、お前にとっての死神が鎌を構えているぞ」
憎悪に満ちた目でこちらを睨みつける餓食に対しロイは、否、ロイの姿をしていたジャックは最高の煽りで返答を返す。
ロイの固有魔力【
「ジャックさん、ナイスです!」
見事に餓食の動きを止めたロイ達の奮闘を無駄にしないため、再度餓食に襲い掛かる。
大鎌を携えた死神が戦場を舞った。
「さあ、収穫だよ」
『あああああ‼』
シューネの止まることを知らない斬撃の嵐を背中に受け、餓食は無抵抗に叫び声をあげることしか出来なかった。
(何故だ? 体が全く動かない!)
恐怖に体が硬直しているというわけでは断じてない。体が指一本すら動かすことが出来ないのだ。
否、何故ではない。この現象を自分は、餓食という名の破竜は知っている。先日餓食が討伐される遠からぬ原因となった現象。
「やっと気づいた? さすがに破竜の全身を麻痺させる毒となると作るのしんどかったんだから、存分に堪能してよね」
唯一動く眼球で周囲を見渡すと、やはり近くに短剣を指で弄ぶノルノの姿があった。
「【蛇竜の毒牙】っていう竜具なの。覚えて逝ってね」
こちらを凝視する餓食に恐れを一切見せず、ノルノは日常会話をする雰囲気で餓食に別れの言葉を送った。
ノルノの余裕の表情に餓食はようやく、己が手のひらで踊らされていることに気が付いた。
「よし! これで十分なはず。ルート君!」
そう叫ぶと、シューネは未だ餓食が身動きを取れないにもかかわらず、どこかへと駆け出した。
(なんだ? 何をするつもりだ?)
シューネが向かう方向から駆けてきたのは、リナを背負ったルートだ。
「あとお願い!」
ルートとすれ違いざま、シューネはリナに【施し】へと変形させた大鎌で斬撃を加えた。
「貴女の施しを受けるなんてまっぴらですが、今は素直に感謝を」
「行けえ! リナ!」
シューネから託された魔力を全身に纏い、ルートの肩を踏み台にしてリナは飛ぶ。
目指すはようやく上体を起こし始めた餓食の胸元。
通常の破竜ならば核が存在している位置。しかし、竜具の状態から人の体を乗っ取り復活を遂げた破竜は事情が異なる。
復活してからしばらくの間は、乗っ取られた人間が核の代わりとなるのだ。
「お返しです。死霊演舞・第一幕【滅殺】」
『うわああああああ!』
リナが斬った餓食の胸の中心から現れたのは、予想通り復活の依り代となったヴァイスの姿だった。
核となった依り代と破竜は一心同体。本来なら切り離すことは困難であるが、【操魂の死刀】を持つリナの手にかかれば、魂同士の繋がりを断ち切るのは容易だ。
「ルート! 仕上げ!」
「全部返すぜ。歯ァ食いしばれ‼」
切り離したヴァイスを担いで早々にその場を離脱したリナの呼びかけに、ルートは行動で答える。
「【
『おのれええええ! またもや我が核を!』
ルートが餓食の顎に放った拳による一撃は、餓食にダメージを与えるどころか、その巨体を上空へと打ち上げた。
「「団長‼」」
「「シル‼」」
シルがこれから何をするのか理解しているメンバーは、全ての条件が揃ったことを確信し、シルの方へと視線を送った。
『そう来たか! シル・ノース!』
上空の餓食もまた、異様な雰囲気を発しながらこちらに手を向けるシルの存在を認識する。
核であるヴァイスを奪われ、後は消滅を待つのみ。
それでも餓食は破壊を求めた。誇り高き死も、意味のある人生も必要ない。常に破壊を求めるが故に破竜は破竜たり得る。
たとえそれが、死の間際であろうとも。
『ならばこちらも全力で応えよう!』
餓食は残っている魔力を全て口内に集中し、シルに向かって最後の切り札を放つ。
昨日の戦闘でも見せた破竜の持つ最高火力技【咆哮】全ての魔力を消費する諸刃の剣だ。
それを迎え撃つは、シューネに餓食から奪った魔力と騎士団から託された魔力を受け取ったシル。
シルは迫りくる【咆哮】を一瞥すると、右の手のひらに展開した巨大な紋章に現在所有する全ての魔力を込め、一気に解き放った。
その技の名は、
「竜の紋章・零番【咆哮】」
シルの全ての魔力を破壊エネルギーへと変換し、竜の紋章から放つ技。
破竜の【咆哮】から着想を得たシルの【咆哮】。
奇しくも同じ名を冠した技同士が空中で正面からぶつかり合う。
仕組みは同じ技同士であるが故に、その勝敗を分けるのはお互いの魔力量と気合のみ。
「――ぐはっ……」
「シル君! 大丈夫⁉」
背後でシルのボロボロの体を支えるシューネの見立てでは、魔力量ではこちらが劣っている。
そして、シューネによって魔力は回復したが、依然としてシルの体の傷は少しも癒えていない。更に人の身で破竜の【咆哮】を再現する【零番】は、使用者に多大な身体的負担を強いる。
『もう止めておけ、シル・ノース。どれだけ必死に腹を満たそうと、時が経てばまた腹が減る。無意味だとは思わないか? だから私が喰らってやろうと言うのだ。この無意味な世界を』
贔屓目に見てもシューネには、シルの勝ち筋は薄いように見える。
シルのボロボロの背中を見て、シューネの胸中にわずかな恐怖がよぎった。またシルを失ってしまうのではないかという恐怖が。
しかし、シルは違った。
「――そんな不安な顔するなよ」
「シル君……でも!」
「八年前とは違う。今は一緒に戦ってくれる仲間がいる。そして何より……」
「何より?」
「シューネが背中を支えてくれてる。八年前みたいに精神的な支えって意味だけじゃない。安心して背中を預けられる」
餓食の【咆哮】を前にして、シルは平静を保ったままシューネに語り掛ける。そして語られた言葉は、シューネが求めた強さの証明だった。
ただ守られるのではなく、シルの隣を対等に歩けることこそが、シューネの求めた強さなのだから。
やや涙ぐむシューネに対し、更にシルは言葉を続ける。
「だから、もう一度俺を信じてくれないか? 今度こそシューネとの幸せを護ってみせる。二度とこの日々を失わせはしないから」
回答を悩むまでもない。既にシューネの意思は決まっていた。
「もちろん信じるよ。シル君の強さを、そして想いを。だから、勝って」
「任せろ」
不利な戦況は何も変わっていない。それでもシルは自信満々に答えてみせた。
なぜ自分がここまで謎の自信を抱いているのか、当のシル自身もわかってはいなかった。ただ、背中越しに伝わってくる確かな温もりが、シルの心を奮い立たせた。
あとはその想いを魔力に乗せるのみ。
「餓食よ。この世界が無意味っていうのには同意だ。こんなクソみたいな世界、どうなろうと俺の知った事じゃない」
『ならば!』
「だがな、この世界には俺が大切にしたいものが、少しだけど在るんだよ。だから、その大切なもののためだけに俺は戦う。俺の大切なものを傷付ける奴は、例え破竜だろうが俺が喰らってやるよ!」
『――なんだこの出力は? 何をした!』
急激なシルの【咆哮】の出力の増加により、シル側が不利だった戦況は、あっという間にひっくり返された。
『ぬおおおぉぉぉ!』
負けじと餓食も余力を振り絞り【咆哮】が届く寸前で何とか踏み留まった。それも一瞬の事であるが。
「終わりだ」
シルの【咆哮】は急激に勢いを増し、あっという間に餓食の体を飲み込んだ。
『――終わらん、終わらんぞ! この世の全てを喰らうまでは! この飢餓が満たされるまでは!』
その時、餓食の怨嗟がシルには聞こえた。
「哀れだな。だが、それを否定することは俺にはできん。俺自身、シューネと出会わなければどうなっていたか」
この世の全てを憎み、世界を喰らわんとする餓食、そこまでの飢えを理解することはできないが、もしかしたらシルもそうなっていたかもしれないという不安は、常にシルの心のどこかにあった。
もしシューネと出会えなければ、もしシューネを本当の意味で喪っていたら、餓食の立つ場所にいたのはシルだったかもしれない。
「だが、同情はできても、譲れないものが今の俺にはある。それを奪おうとするのなら、誰であろうと全身全霊をもって打ち倒す。それが俺の掲げる唯一の正義だ」
既に体の崩壊が進んでいる餓食がシルの【咆哮】に耐えられるはずもない。
『バ……カな……この、破竜たる……この私が……』
断末魔の一つも上げず、一瞬で餓食の体は崩壊し、塵となって完全に消滅した。
「――やった」
「勝った……のか?」
「やったああああああ!」
どこからともなく上がった歓声が、しばらくの間戦場だった場所に響いた。
「やった……シル君? シル君!」
その歓声を聞いて勝利を確信し、気が抜けたシルは安心して意識を手放した。
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